岡山市内の,いわゆる「旧五校」と呼ばれる学校のひとつである岡山芳泉高校(以下「芳泉高校」)には、不思議な慣習があります。(以下、普通科、実業科というのは便宜的な区分である)
 

 

その慣習とは、行事の際に、突然、

 

教頭!教頭!教頭!教頭!

 

というシュプレヒ・コールが生徒から起こり、それにこたえる形で教頭が「岡山芳泉高校バンザーイ!」といって万歳三唱をするというものです。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=41&v=QOg0Fc86kzg

 


 

3期生のある後輩には、入学した時にいきなりこれを見せられて、特別な思想に偏った学校ではなかろうかと思って、びっくりした、と言っている人もいます

はたから見れば確かに、とんでもない光景に見えるかもしれません。


 

ではなぜ、このような慣習が起こったのかについて、芳泉高校1期生として最初から最後まで居合わせた私の、一見解を述べます。


 

芳泉高校設立時の県知事は、元自治省事務次官の長野士郎氏でした。

 

革新系知事として、1972年に初当選。その後、6期24年間にわたって、岡山県知事を務められました。

 

長野氏が岡山県知事の職にあった時の岡山県政、すなわち長野県政の功罪については、賛否を問わず様々なものがあり、確かに評価が難しいところではあります。ここでは県立高校の新設についてのみ述べます。


 

長野氏は知事在任中、県南に岡山芳泉、倉敷南、倉敷古城池、岡山一宮、玉野光南、岡山城東、総社南など、普通科を中心とした県立高校を数多く新設しました。

 

一方で県北などでは、津山東高校の実業科の一部を廃止して普通科を新設したということはあったものの、高校はほとんど設立しませんでした。

 

 

芳泉高校の最初の入学式は、長野知事臨席のもと行われました。

その入学式の日は前日から小雨が降っていて、ぬかるみの入学式は今でも語り草です

 

以下:写真は卒アルから。個人が特定できないよう解像度は落としています


一期生だけの入学式、先輩も後輩もいない、椅子も机もないことに注目。



入学して机運びから始まった


全校集会?

 

 

その時には、現在の体育館はまだありませんでした。

校歌さえもありませんでした。

1期生だけの最初の入学式は、格技場で行われたのです。

 

入学してみると、岡大附属中学校、丸之内中学校、旭中学校といった、岡山市中心部の中学校の卒業生が多くを占めていました。

 

 

当新田、泉田、芳田地区は未開発で、一面田園が広がっていました。

なにしろ、現在の日赤病院から芳泉高校が見えたほどです。

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式において、当時の名物教頭である佐藤峰雄先生(以下「佐藤先生」)が突如、

 

「長年教員生活をしてきたが、校歌がない入学式というのは初めてだ。しょうがないから、芳泉高校万歳三でもするか」

 

とおっしゃいました。

そしてその場で、私たちは芳泉高校万歳三唱をしたわけです。

 

入学式で、いきなり芳泉高校万歳をしましょうなどと言えば、校長や他の教員がなぜ止めなかったのか、そういった疑問が生じるわけですが・・・


 

 

この佐藤先生は、大変な教育者/人格者でありまして、前任校の岡山大安寺高校では、その異動を聞かされたとき、少なからずの生徒たちが泣き出したと聞いております。

 

それ以前に佐藤先生は、豪放にして不羈、覚悟を決めた、そういった、並々ならぬ教育への不動心を感じたような覚えがあります。

 

 

 

佐藤先生は、男子トイレの小便器を素手で掃除されていたと聞いております。悟りきったような先生でした。

 

その理由は、後になってわかりました。

 

佐藤先生は、旧日本軍の最低最の戦略と言われている、あのインパール作の従軍者で、生きて日本に帰り、日本の再建のために教育の世界に身を投じたと聞いております。

 

 

 

 

インパール作戦で、死線を超えた方であれば、トイレの便器を素手で掃除する程度のことなど、朝飯前のラジオ体操にもならないものだったでしょう。


 

3年生になった年の体育祭でのことです。

 

それまでのもやもや感というか、不完全燃焼な気持ちが、少なからず、くすぶっていました。

そんな矢先に、高校生活の中で、のぬかるみの入学式と万歳三が一番衝撃的な思い出だったのです。格技場の板の間に正座しておこなわれる入学式。椅子もない。上級生もいない。

 

そんなことを思い出したのか、生徒たちが自然発生的に、

 

教頭!教頭!・・・・・・・・・・・

 

と叫びはじめたのです。

 

体育祭だったので、生徒が笛などの応援グッズをもっていました。

たしか、T君が、最初に叫んだように思います。そのうちに、周りの者が笛を吹いたりして・・

これが、教頭コールの始まったいきさつであると、思っております。