軍曹!時間だ!… -43ページ目

戦車の操向装置(ガク引き)

防衛技術ジャーナル2012年3月号の特集に「戦車の操向変速機(61式~10式戦車の変速と旋回のしくみ)」という記事がある。「国産防衛装備品 研究開発ものがたり」の10式戦車特集として書かれたものだ。

著者は山田 晃也という方で「防衛相技術研究本部陸上装備研究所システム研究部技術分析官」という長い肩書を持っている。

 

さて、この記事内で「ガク引き旋回」という文言が出てくる。

 

戦車乗員の方で、この「ガク引き旋回」なる言葉を聞いた、もしくは使っていた方はおられるのだろうか?

 

少なくとも私は聞いたことはないし、むろん使ったこともない。

 

一応、61式及び74式戦車の多角旋回操向方法を「ガク引き旋回」と仮称している。

 

まあ、仮称だからあくまでも当該文を分かりやすくするためだと思うが、この記事を読んで「74式戦車の操向は『ガク引き』するんだ」と思われても困る。

 

そもそも「ガク引き」とは行ってはならない操作のはずだ。

 

有名どころでは銃の引き金操作だな。

 

「ガク引き」、一気に引き金を引くと命中しないアレだ。

素早く射撃任務を達成するためには速く引き金を引かなくてはならない。

だからと言って「ガク引き」になってしまうのはご法度だ。

操向操作についても同じだな。

 

操向操作における「ガク引き」については、戦後日本戦車界の重鎮である林磐男さんも著書の「タンクテクノロジー」に以下のように記述している。

 

「したがってこの現象を防止するには操向レバーを思い切って迅速にめいっぱいに引くことである.しかし,その結果として急激に旋回する,いわゆるガク引き現象となる.」

 

日本帝国陸軍の九五式軽戦車

中戦車とは異なり軽量化のためにクラッチブレーキ操向方式を採用している。

 

 

文中の「この現象」とは、クラッチブレーキ操向方式の欠点である「逆操向」を指す。

逆操向とは降坂時(坂を下っているとき)に通常の操向操作を行うと逆方向に曲がってしまう現象だ。

この現象(逆操向)はエンジンブレーキがかかった状態のときに通常の操向操作(一般的には操向ハンドルレバーをわずかに引く)を行うと発生する。

 

逆操向は危険であるが、だからと言って急激に旋回する危険な「ガク引き」を起こしていいのか?林氏の記述の裏には「思い切ってめいっぱいに引くけども、ガク引きになってはならない」と解釈すべきではないのだろうか。

 

この操向方法は自動車のブレーキ操作に例えられる。

坂道で速度を維持する場合、ブレーキペタルを浅く踏みっぱなしでもブレーキが焼けるから駄目だし、かといってガク引きよろしく思いっきり踏む者はいないだろう。

数回に分けたポンピングブレーキを行う。

このポンピングブレーキと同様の操作が操向においては「多角旋回」という現象になるのである。

 

我々は「短切に数回引け」と教わった。

ちなみに

「短切(たんせつ)」って漢字変換しないので一般的な用語じゃないんだと、知った。

 

なお、旋回時にガク、ガクとなることから「ガク引き」と呼ぶようになった。という話もどこかで読んだが、これは後付けだと思う。ガク、ガクとなるような旋回方法は「へたくそ」なだけだな。

 

操向操作ではないがブレーキがらみで苦言を一つ

ガッツンブレーキが流行っているようだ。

私が現役のころは90式戦車のガッツンブレーキをいかに柔和に止められるかを競ったものだが、AAVですらヒップアップさせるブレーキングって現職操縦手は「操縦ヘタなの?」

 

 

戦車の操向装置(雑感)

パンター戦車の操向装置について記述してきたわけであるが、操向装置の種類を「ダブルディファレンシャル」と種類分けしたわけなのだが、「8輪装甲車」さんの所でも3号戦車とパンター戦車の操向装置の類似性を指摘していたように、パンター戦車の操向装置は3号戦車の操向装置に操向駆動機構を足したものになっている。

としたら、一般的には「クラッチブレーキ」とされている3号戦車の操向装置は「ダブルディファレンシャル」なのか?

という疑問が出てきた。

 

実は、パンター戦車の操向装置は「ギアードステアリング」という資料もある。

同様に、97式中戦車も「ギアードステアリング」としている資料もあるのだ。

 

両者、というか、3号戦車、パンター戦車、97式中戦車のすべてに共通するのは「遊星歯車機構:プラネタリーギヤ」である。としたら3号戦車もギアードステアリングなのか?

 

日本語資料は全てにおいて不明確であり、読めば読むほど?????である。

「操向変速機」と、「変速操向機」そして「変速機」がごっちゃになって意味不明の資料もある。

 

そこで、「タンクテクノロジー」(著:林磐男)でも引用している世界的な戦車の権威であるリチャード・M・オゴルキィウィッチ(Richard M Ogorkiewicz)氏の著作に何かあるのジャマイカと思って調べたら、あったね。

 

「Technology of Tanks I -II」

著:Richard M Ogorkiewicz

発行:JANE'S INFORMATION GROUP

発行年:1991年

 

なるほど。

 

3号戦車は「クラッチブレーキ」

パンター戦車は「ギアードステアリング」

97式戦車も「ギアードステアリング」

ティーガーは「ダブルディファレンシャル」

 

やっと納得できる回答を得られた。

ほぼ同じ構造の遊星歯車機構も3号戦車は「クラッチ(エピサイクリッククラッチ)」として、パンター戦車と97式中戦車は「操向変速機」として、ティーガー戦車は「差動機(ディファレンシャル)」として機能するわけだ。

 

ややこしいな。

 

ただ、パンター戦車の操向装置である「マルチプルギアードステアリング」の説明が間違っているような気がするのは気のせいなのだろうか?

戦車界の重鎮に意見できるような立場ではないのは重々承知だが気になった。

 

パンター戦車の操向装置(改訂)

さて、何故構造説明ミスを犯したかだ。

元は、九七式中戦車の操向装置とパンターの操向装置の構造が似ていたからだ。

九七式中戦車の通常走行時は「操向クラッチ」は「接続」、「操向ブレーキ」は「解放」である。

 

パンターに限らず図面等ではどちらも解放状態で描かれているため、常態(通常状態)の説明がない。

すると、自動車における(戦車も同様だが)動力伝達(パワートレイン)の主クラッチは接続し、ブレーキ(車輪用)は解放しているという事と同様の一般的な動作と判断していた。したがって、クラッチは「接続」、ブレーキは「解放」と考えてしまう。

九七式中戦車はまさにその通りの作動になっている。

ところが、パンターの操向装置は違っていたのだ。

 

操向クラッチは「切断」、当初「操向ブレーキ」と判断していた「補助ブレーキ」は「圧着(作動)」というのが常態であり、九七式中戦車とは真逆の設定だった。

 

九七式中戦車とパンター戦車の操向動作の違い

 

九七式中戦車(原式二重差動:”Hara” DoubleDifferential)

※九七式中戦車は、「操向ハンドル」と「ブレーキハンドル」の二種類計4本の操縦ハンドルを持つ。

【操向ハンドルを引いた際の動作】

緩旋回(操向ハンドル)

少し引く→操向クラッチ「断」

さらに引く→操向変速ブレーキ「作動」

サンギヤ固定により、ハンドルを引いた側が減速され戦車は減速された方向へ回転し緩旋回となる。

信地旋回(ブレーキハンドル)

少し引く→操向クラッチ「断」

さらに引く→クラッチブレーキ「作動」

出力軸固定により、ハンドルを引いた方が停止し戦車は停止した履帯中央を軸に旋回する「信地旋回」になる。

 

パンター戦車(マイバッハ式二重差動:”Maybach” DoubleDifferential)

※操向ハンドルは吊り下げ式のレバーハンドルであり、一本で緩旋回から信地旋回もしくは制動の動作が行える。

【操向ハンドルを引いた(持ち上げた)際の動作】

緩旋回

少し引く→補助ブレーキ「断」、わずかに遅れて→操向クラッチ「接」

サンギヤ解放、操向クラッチ「接」により操向駆動力が操向変速機に加わることでハンドルを引いた方が減速され戦車は減速された方向へ回転する。

信地旋回

上記よりさらに引く→操向クラッチ「断」、わずかに遅れて→操向ブレーキ「作動」

出力軸固定により、ハンドルを引いた方の履帯が停止し戦車は停止した履帯中央を軸に旋回する「信地旋回」になる。

 

つまり、正しいパンター戦車の操向装置の作動は以下のようになる。

 

【直進走行】

通常走行時においては、補助ブレーキの制動により操向変速機内のサンギヤは固定されている。

操向クラッチは解放されているので操向駆動系からの駆動力は操向変速機に伝わらない。

結果、主駆動力は操向駆動系からの影響を受けることがないため左右の履帯は同速で動き直進性が保たれる。

 

【緩旋回】

右緩旋回を例にとる。

操向ハンドルを引く(持ち上げる)ことにより補助ブレーキが解放され操向変速機内のサンギヤはフリーになる。

引き続き操向クラッチが接続され、操向駆動力が操向変速機に加わる。

この操向駆動力はサンギヤを逆転させるさせるため、操向変速機内のキャリアが減速される。

これにより右側の主駆動出力は減速するが左側は何の影響も受けないため通常速度(常速)で回転するので左右の速度差が生じ戦車は右方向に曲がることになる。結果、変速度段に応じた一定の半径を描き緩旋回を行う。


【信地旋回】

さらに操向レバーを引く(持ち上げる)と接続していた操向クラッチが解放される。

引き続き操向ブレーキが作動し主駆動軸は停止する。

右操向変速機への操向駆動力はクラッチにより切断されているので伝わらない。

また、右操向変速機への主駆動力は主駆動軸が固定されているため「リングギヤ入力、キャリヤ固定、サンギヤ逆出力」になるが、サンギヤ固定の補助ブレーキが解放状態にあるため空転する。

結果、停止した右側履帯の中央を軸にその場旋回を行う「信地旋回」となる。

 

なお、走行状態で一気に最後まで操向ハンドルを引く(持ち上げる)操作は操向姿勢の急激な変化を起こすので禁止されている。普通自動車でも「急ハンドル」が禁止されているのと同様である。

さらに、パンター戦車は終減速機に設計上の弱点(脆弱性)があったため急ハンドル操作を行うと終減速機が容易に破損した。もちろん、急ブレーキも同様に破損の要因となるため注意喚起がなされていた。

 

【補助ブレーキ機能】

 

操向ハンドルを左右同時に引くとエンジン回転を落とすことなく減速ができる。

一種の副変速機ともいえる。この動作は九七式中戦車も同様であり、エンジン回転を落とさず1速ギヤを落としたのと同じこととなり、路外走行や障害通過等に有用に使える。カタログスペックには表れない隠れた高機動性能があるのだ。