考察の目次はこちら
考察のはじめに
まずはじめに、この考察を書いたのはテリィファンです
しかもファイナルストーリー(以下ファイナル)の続編を勝手に意識した長編二次小説を書きました。
その小説の中には、ファイナルのエピソードや小道具は全て投入されています。
原文と滾々と向き合った月日が長いので、既に悟りの境地に至っています
そんな奴が書いた考察なので、この考察を読み終えた頃には、テリィファンならあのひとがテリィだと確信すると思います
逆にアルバートさんだと確信している人にとっては、決心がグラつくかもしれません
なので、そうなりたくない人は・・・ご注意ください
また、物語を思うまま読みたい人や想像の世界を楽しみにたい人にもお勧めできません。
この考察はあくまで、悩めるテリィファンをスッキリさせる為のものです
テリィ派って?
アルバート派、テリィ派という言葉を目にしたことがあると思います。
その度に疑問に思っていました。どういう意味で使っているのだ🤔
なので、このブログ内では勝手に定義を決めさせて頂きました。
アルバート派=あのひとはアルバートと思った人
テリィファン=推しはテリィ
アルバートファン=推しはアルバート
上記の条件で
4タイプに分けます
![1](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/269.gif)
テリィファンのアルバート派
アルバートファンのテリィ派
アルバートファンのアルバート派
よくわきゃんない、どっちでもいい派は無視ね~
ココで抑えたいポイントは、テリィファンだからテリィ派とは限らないということです。
物語を自由に読む人は、あのひと=推しキャラでしょうが、「読解」を意識して読む人なら必ずしもイコールにはなりません。
世の中には①と④しかいないと思っていたなら、あなたは論理的な思考の持ち主じゃないかも
テリィファンの中には、「あのひとはアルバートさんだわ」と、泣く泣く結論を出した人もいるようです。もちろん、その逆パターンもあるでしょう。
ブログ主は、そのようなテリィファンを見るたびに、「テリィで夢を見ていいんだよ・・」と幾度となくザワザワしました。ファイナルを読んでモヤモヤした、という人は多いと思いますが、ブログ主のモヤモヤポイントはむしろこっちです。
伝えたい、という謎の使命感で考察を書いた部分が半分、自分の二次小説に説得力を持たせる為、という部分が半分です。
なので、「ファイナルは曖昧な物語だから、考察に正解などない。各々自由に想像したらいい」と思う人もいると思いますが、書く理由は人それぞれなので、そこには干渉しないでくださいね
派閥争い
軽く触れておきますね。
あのひとが誰かが曖昧なため、両派一歩も譲らないというファンの争いが、ファイナル発行の2010年当初からあったようです。
が、新参者の私は(※当ブログは2021年~)その骨肉の争いを見ておりません
反対派に何か言われて意気消沈し、ブログを閉鎖する、という事が繰り返されたと聞いています。
今も、なくなったとは言えないかもしれません。
大人ですからね・・もうやめましょう
旧小説
キャンディの小説版は過去に4回出版されているそうです。
1回~3回は【物語】と【手紙】で構成され、「小説キャンディ・キャンディ」というタイトルで発表されています。以後それを旧小説と表記します。
旧小説について
旧小説は、漫画を小説形式に直したものではありません。
キャンディキャンディは、原作者水木先生が先に小説形式の草稿を一話毎に書き、それを漫画家のいがらし先生に渡し、いがらし先生と編集者が内容を吟味し、取捨選択や改変を行い漫画に仕上げています。
仕上がった漫画を読んでから、次の草稿を書いていたと、裁判などで明らかにされています。
旧小説版は、この水木先生の草稿を再編集して出版されています。
ですから、小説版と漫画では諸々の設定が違います。
例えば、スウィート・キャンディというバラ。
花の色も違えばアンソニーがキャンディに渡す経緯も違い、小説版には「バラを贈った日が誕生日」というエピはありません。
以下⤵は2014年刊行イタリア版ファイナルの前書きに書かれた原作者の言葉です。
『小説の初版本は 1978年に日本で出版され、2003年に再版されましたが、原作の草稿に基づいており、明らかに元のテキスト(草稿)から引用しています』
FINAL STORYって?
2010年刊行の4回目の小説がFINAL STORYと題した本で、基本的には旧小説が下地になっています。
しかし、変更点が多々あり、30代のキャンディの目線である【回顧録】が加わっています。
ファイナルは、30代のキャンディが過去の【物語】や【手紙】を振り返りながら、当時の心境や現在の様子を語る【回顧録】がインタバール的に差し込まれていることが、最大の特徴です。
【物語】は1章レイクウッド編、2章ロンドン編で終了しています。
漫画の半分を占めたシカゴ編は【手紙】形式の3章として駆け足で紹介されています。
3章に登場する手紙の数々は、時系列順に並べられています。※ただし例外もあります
手紙には、後日談や漫画未回収秘話などが加筆され、漫画終了後のキャンディの様子を垣間見ることができます。
詳しくはこちらの記事で扱っています
ファイナルの構成
漫画は、丘の上の王子さまとの出会いから始まり再会で終わっています。
つまりアルバートさんで始まりアルバートさんで終わっており、二人の未来を予感させるようなラストでした。
旧小説は、丘の上の王子さまで始まり、アルバートさんの丘の上のカムアウト+アルバートさんとの往復書簡で終わっています。
二人の親密度を感じる内容で、漫画と同じくアルバートさんとの未来を示唆するようなラストでした。
「真実の愛の物語」と帯があるファイナルも、この構成はほぼ変わっていません。
大きく違うのは【3章・手紙】の最後に、スザナの死亡記事とテリィからの手紙がポンと配置されたことです。
しかし、テリィの生の声や様子が追加されたわけではないので、旧小説の流れと大きく変わったとは思えない、という印象を持ちます。
この『テリィからの手紙』の次に空白の1ページ(下巻284)を挟んで3章は終わります。
この空白ページを『キャンディは返事を書いていない(既読スルー)』と解釈することもできますが、原作者・名木田先生の話によると長い物語にあたる部分だと思われます。
「空白ページ」について、次のような発言がありました。※パリでのファンとの交流イベントにて
日本語版第2巻の文字間の空白ページに意味はありますか?
はい。伝えたいことがたくさんあるので、ページは空白で、すべてを本に収めることができませんでした。
だから私はファンが彼らの想像力でそれらを満たすことができるようにそれらを空白のままにしました。
キャンディは返事を書いたのか、書いていないのか。書いたならどんなことを書いたのか。
この空白のページは、読者がそれぞれ物語を紡いでくださいね~という意味のようです。
そして「さあ、あのひとはどっち!?自由に想像の世界を楽しんでくださ~い!」というような、粋な演出で次の【エピローグ】に移ります。
エピローグでは『キャンディとアルバートの往復書簡』『アンソニーへの手紙』が紹介されています。これらは【3章・手紙】からピックアップされた手紙で、時系列はテリィの手紙の次とは限りません。
次と読む人が多いので、その辺りが小説初心者の誤解が生じやすいところです
時系列のポイント
時系列の並び替えは次の考察②で扱っていますが、あっちはマニアック過ぎるので
ポイントだけお伝えします。
①スザナ死亡
②テリィの手紙
③アルバートとの往復書簡
ファイナルでは①②③の順番に登場しますが、実際の時系列はそうとは限りません。
個人的には、これらの時系列の把握が、この物語の着地点に大きく影響する気がしています。
①スザナの死亡時期
新聞記事によると、復帰したテリィがハムレット役をゲットした頃は生きていました。
その公演がロングランに次ぐロングランを達成する頃も生きていました。
結構生きていた~
②テリィが手紙を書いた時期
テリィは、スザナが死亡してから1年半後に投函し、キャンディに届いたようです。
30代のキャンディの発言から逆算すると、届いたのは早くてもキャンディが25才以降と割り出せます。
詳しくはこちらの記事★
③アルバートとキャンディの往復書簡の時期
二人の手紙の内容を読む限り、大おじさまのカムアウト(キャンディが16~17歳頃)から間もなく文通が始まっているようです。
最後の書簡は、アーチーが婚約した後の20代前半です。
詳しくはこちらの記事★
以上の検証から、①②③の順番で登場している事柄の本当の時系列は、③①②だと思われます。
執筆までの経緯
原作者は何故ファイナルを書いたのか?その経緯をザックリ説明します。
キャンディビジネスに陰りが見えた頃、テコ入れを図ったいがらし先生は、水木先生の許可なくイラストを使ったビジネスを展開し始めました。
その結果、両者の間でトラブルになり1997年著作権裁判へと移っていきました。
7年に渡る裁判は名木田先生に有利な判決が出ましたが、いがらし先生からの謝罪はありませんでした。
こうして、全てのキャンディ商品が世の中から消えました。
その後、「小説版を復活させてほしい」というファンの声が集まりました。
それを受けた名木田先生は、2003年挿絵を省いた「復刻版小説」の出版(ハードカバー版)に同意しました。
それに対しいがらし先生は「(原作者が)勝手に本を出して、それは正義であると主張しているのも、すごく納得のいかないことなのです」と不快感を示します。
※2004年某大学漫画文化研究所のシンポジウムでの発言
2006年名木田先生に祥伝社から小説の文庫本版での再販の話が来ます。しかし気が乗らなかったようです。
ところが2007年台湾のイベントでいがらし先生が「新キャンディキャンディ」のシナリオを募集していると知ります。
名木田先生は驚き、小説の再販を決意します。
過去の小説を読み返した時「これが私の書きたかった世界なのだろうか?」と自問し、「全面的に書き直す」と決心し、2010年ファイナルが生まれました。
これらの事は、ファイナルのあとがきに書かれています。
あとがきの言葉
◆(今までの小説を読み返し)これが私の書きたかった世界なのだろうかと私は自問しました
◆心のままに、心残りの無いようにしたい―私は全面的に書き直そうと決心しました
◆あのひとが誰かをきちんと描くには、長い物語が必要なのです
◆あのひとを明かしてしまうと、長年の読者のたちの夢を奪うことになるかもしれない
◆漫画絵と決別した原作者の気持ちをわかってほしいとは、もう思いません
下巻334~より抜粋
漫画家との裁判の後に出版された経緯もあり、漫画絵と決別した、と語っています。
漫画とファイナルでは設定が異なっている部分が多々あります。登場人物の印象は名木田色が濃くなり、漫画とは異なる印象を持つ人も多いようです。
特にテリィは・・・
義母や両親のエピが漫画や旧小説よりも辛辣さが増し、テリィの孤独や純粋さが強調されています。
読者は漫画の印象が強いので気付かない事が多いようですが、よく読めば発見できます。
※この記事が参考になります⤵
「あのひと」はファイナルの中しか登場しないので、あのひとを考える上ではファイナルのみに注目する必要があります。
往年のファンの中には、ゴチャゴチャになっている人もいるようです。
特に、水木杏子時代の古い発言を信仰している方は注意が必要です。
分けて考えましょう
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