丘の上のカムアウトはいつか?

 

丘の上の王子さまのカムアウトのシーンは、漫画とファイナルでは違います。

漫画ではアーチー、アニー、パティと一緒にポニーの家を訪問し、その後丘の上のシーンになります。

ファイナルのアルバートは「ある日突然・独りで(正確にはジョルジがいる)」ポニーの家にやってきてカムアウトします。下巻291~

ですから2年後とも3年後とも解釈できそうなのです。実際そのように解釈する人もいるようです。

 

そこで、検証してみました

 

キャンディとアルバートの往復書簡は、手紙を出して返事が来る、その返事に対して、また返事を書くを繰り返しているので全て時系列です。

その往復書簡のしょっぱな、いきなり丘の上の王子さまの内容がとび出しています。

 

「丘の上の王子さまが・・。まさかアルバートさんだったなんて―。」下巻286

 

その手紙の中に「アードレー家の大総長としてあれほどお忙しいとは思ってもいませんでした」

という言葉があります。これはファイナル・旧小説どちらも同じです。

 

普通に考えると、「あれほど忙しいとは知らない時期」に書いた、と読み取れますから、「大おじさま」のカムアウトから間もないと感じます。

とはいえ、それが2年後であっても、鈍感なキャンディなら「知らなかった」で済んでしまいそうなので、更に読み進めます。

 

すると、このような言葉が出てきます。

「そう、アルバートさんの記憶はいつ戻ったのでしょうか?」下巻309

 

こんな質問を2年以上温存するとはとても思えません。汗

普通に考えると、記憶が戻ったアルバートと対峙した直後に出る質問でしょう。

 

更に往復書簡を読み進めます。

するとアルバートがサンパウロからキャンディに手紙を書いています。

それに対しキャンディもアルバートへ返事を書きます。

その手紙に次の言葉が登場します。

「ステアが亡くなってもう1年、わたしがポニーの家に戻って半年以上過ぎようとしています」復刻版P549

 

往復書簡は時系列ですから、この手紙より前に「丘の上のカムアウト」があったと推測できます。

つまり、ステアの死から1年以内、ポニーの家に戻って半年以内にカムアウトがあったことになります。

 

ファイナルは旧小説を下地にして書かれています。

ポニーの家に戻って半年、という言葉はファイナルにはありませんが、サンパウロからの手紙は登場しますし、キャンディが故郷に帰って最初の誕生日に、シーザーとクレオパトラをプレゼントされた事やポニーの家の子供たちが本宅へ招待されたエピソードの流れは、旧小説もファイナルも同じです。

これらの事から、往復書簡はキャンディが故郷に帰った直後からやり取りが始まったと読むのが自然なので、往復書簡の冒頭に出てくる「丘の上のカムアウトシーン」はその頃だと考えます。

 

 

  バッジを贈り直したアルバート

 

丘の上のカムアウトの時、アルバートはキャンディが長年持ち歩いていたあのバッジを、「返してくれないか」言います。キャンディが17才になった頃です。

その後、アードレー家の(直系の者が持つ仕様の)バッジを贈り直しています。

これは・・・深い真顔

 

とはいえ、新しい物を贈ったのか返却された物を贈ったのかは、文章を読む限り判別できませんあせる

下矢印下矢印下矢印

「アルバートさんが一度お返ししたバッジを、また贈ってくださったように」下巻321

 

一瞬、同じロッドナンバーの物かな、とも読めますが、違うロッドナンバーでも同じデザインなら、こう書くしかないと思うので汗

一見すると、プロポーズ!?と深い意味で考えてしまいそうなエピソードですが、この時のキャンディは10代で自分の養女、アードレー家の一員です。

一族(家族)の証としてバッジを贈ったのかな、と個人的には思います。

 

丘の上の王子さまのバッジを見たアンソニーのセリフにこんな言葉があります。

 

「それは確かにアードレー家のバッジだ・・でも、ぼくのバッジとも少し違う・・」上巻203

 

アンソニーはバッジを持っているようですが、ブラウン家とはデザインが少し違うようです。

おそらくラガン家、コーンウェル家も同様でしょう。

直系には直系のデザインがあって、アルバートは昔落としたバッジが自分の物だから回収し、キャンディにも家族として同じ物を贈った、という意味だと考えます。

 

  レイクウッド巡りの時期が遅くなっている


漫画やアニメでは『大おじさまのカムアウトの日』に行われた『レイクウッド思い出巡り』。

 

実はファイナルでは同日ではありません。ずーと遅くなっていますびっくり

キャンディが書いた最後の往復書簡の文面からそれが分かります。

 

「レイクウッドには何回か来ているのに、アルバートさんと歩くのははじめてで、もういろんな感情があふれてきて私は何も言葉が出てこなくなってしまった。」下巻318

 

直前の文章から、大おじさま&丘の上のカムアウト、の両方とも済んでいる事が確認できます。

整理するとこんな感じ↓

 

漫画(アニメ) 

大おじさまのカムアウトリサイクルレイクウッド巡り右矢印その後、丘の上のカムアウト

 

ファイナル

大おじさまのカムアウト右矢印丘の上のカムアウト右矢印右矢印右矢印レイクウッド巡り

 

このレイクウッド巡りがいつか特定するポイントは、「アンソニーへの手紙」です。

キャンディはレイクウッドに行った後にアンソニーへ手紙を書いているからです。下巻324

レイクウッド巡りの際、アンソニーへの懺悔の気持ちをアルバートにぶつけ蘇った気持ちになり、アンソニーへやっと手紙を書いた、という流れに読めます。

ですが、アーチーの婚約式の時にはまだ書いていません下巻268

 

この事から、レイクウッド巡りはアーチーの婚約式の後、と推測します。

そこから割り出せるキャンディの年齢は21才以降~

※アーチーは大学院に入学後に婚約している。アーチーとキャンディの年齢差は2才。

つまり、レイクウッド巡りは漫画より4年以上遅くなっているようです

 

読者は漫画の影響で、「大おじさまのカムアウトと同じ日にレイクウッド巡りをした」とセットで考えてしまいがちですが、ファイナルでは別々に考えないといけないようですネガティブ 

 

 

  何故遅らせたのか?

 

大おじさまのカムアウトの時でも問題ない気がしますが、何故作者は遅らせたのでしょうか?ニヤニヤ

理由として考えられるのは、漫画には登場しなかったエピソードの回収かな、と個人的には思います。(ここからは推測です)

 

ファイナルだけに起きた、訪問した日の2大出来事

①アンソニーへの気持ちの昇華

②日記帳の返却

 

 

アンソニーへの気持ちの昇華

 

ファイナルでは、旧小説までには無かった「アンソニーへの自責の念」が「アンソニーに手紙を書けない」事などを通じて描かれています。

つまりファイナルのキャンディは、何年もある種の十字架を背負っていた状態です。
そこで思い出されるのが、名木田先生の(漫画家に向けた)発言です。

 

「テリィと別れたキャンディの心がそう簡単に、他の誰かに移るはずがありません。

(また、簡単にアンソニーの面影を忘れ去ることなどもできません)

『キャンディを軽々しい女の子にだけはしないで』と言った事を覚えています」

 

しかしこの依頼は、漫画家&編集者によってスルーされています。

ファイナルでは、キャンディの気持ちを数年温存させることにより重々しく修正したのかもしれません。

 

 

日記の返却

 

漫画にはそもそも日記が登場しないので、大おじさまに日記を預けるエピも登場しません。一方で旧小説ではあります。

――ありますが、14才の時から預けっぱなしになっています。

 

さすがに、日記のその後を描いた方がいいだろう、となった可能性です。

アルバートが返し、キャンディが受け取る。しかし開くことはなく、また託すつもりと言う。

――ことに、どんな意味があるのか、読者の想像はそれぞれですが、とにかく日記のその後は描かれました。流れ星

 

「日記を開かない」という部分に、ある種の重々しさを感じますね。

テリィへの想いが完全には断ち切れていない、とも読めるわけで、後のテリィからの手紙に繋がる布石にもなるわけです。(※テリィファンの意見です)

 

この2大エピソードを「大おじさまのカムアウトの日」と一緒にするには、さすがにスーパーてんこ盛り過ぎてしまいます。

それゆえに原作者は、「もっと落ち着いた頃にその場を設けよう」と思ったのではないか?と個人的には思えます。

これらをエピローグの最後の方に入れることで、大トリのアンソニーへの手紙にスムーズにつながりますし、構成上都合が良かったのかな、と思います。ニコニコ

 

 

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