「男アルバート①②」の検証から、ブログ主の意見を書きます。ハイ、主観です
ファイナルに 描かれていない部分
あのひと考察に於いては、漫画とファイナルで異なる部分はファイナル優先なのは当たり前ですが、ファイナルに描かれていない部分はどうするのか?🙄
ファイナルでは、シカゴ編が描かれていません。
漫画のシカゴ編のアルバートのグイグイ発言があったと仮定するのとしないのとでは、妄想に大きな差が生まれそうです。
個人で妄想するには自由でしょうが、「考察」としては、漫画の表現をどこまで採用したらいいか悩むところです
シカゴ編のアルバートの描写について、名木田先生は次のように発言しています。
特に終盤、アルバートさんと暮らし始めた頃に担当の編集者が変わり
「率直に言って、とたん、作品の質感が落ちました」
「ゲラになった作品を見て、原作と違う!仰天することが続きました」
「アルバートさんとキャンディのシーンも・・・(安易)と思わずつぶやいたシーンがいくつかありました」
※名木田先生の関連サイトでの発言
これらの発言からは、漫画の展開は多少なりとも不本意で、妥協があったと感じます。
「心のままに書いた」ファイナルでは、本来の軸に軌道修正されたと考えるのが自然だと思います。
思わせぶりな言葉
妹だと思われるより~
「妹だと思われるより、少し大人に見えるくらいがちょうどいい・・・」
そう言って、わたしをからかうように目を細めた。アルバートさんは私を煙に巻くのが、本当にうまい。下巻241
これは大おじさまだとカムアウトした直後に出たアルバートの言葉です。
キャンディが16才、アルバートは27才の頃です。
アルバートは立派な大人で、キャンディは大人になりかけている年齢・・でしょうか。
恋心を匂わせているようにも思えます。
これは個人的な解釈ですが、「少し大人に見えるキャンディ」って、亡くなった姉のローズマリーにそっくりになるはずです。
アルバートとローズマリーは仲の良い姉弟でした。つまり、このセリフの真意は
「もう少し大人になったら、ローズマリーに生き写しだね・・」と、少しセンチメンタルに、姉の残像を追っているのかな、と思いました。
つまり、「妹と思われるより恋人に見えるくらいが」ではなく「姉に見えるくらいがちょうどいい」という意味ではないでしょうか。
アルバートは、それ以上は煙に巻くように何も語らず「目を細め」ていますよね。
孤独な操り人形だったアルバートにとって、年の離れた姉は母親代わりでした。下巻299
ところが、優しい姉が亡くなり長老の束縛に耐えかね、ある日アードレー家から脱走した時に6才のキャンディに出会います。
一方キャンディも、双子のように育ったアニーを失ったばかり。
要するに、この日二人は、新しい家族と運命の出会いを果たしたわけです。
それが、「未来の恋人」なのか、「かけがえのない家族」なのかは、読者の自由かな、と思います。
キャンディ、僕もあのぬくもりのある生活から離れたくなかった。
往復書簡で語られた、アルバートの心情です。下巻312
シカゴでのアパートで生活していた当時、記憶が戻ったことをキャンディに話せなかった時の心境を、このように吐露しています。
一見すると、キャンディが好きだから?とも読めますが、次に続く文章はこうなっています。
「アードレー家に戻れば大総長として今度こそ自由は無いと分かっていた」下巻312
抜粋しただけです。
ですが、これがアルバートが語った、キャンディと一緒にいたかった理由だと思われます。
テリィファンは深読みする必要は無いと思いますし、アルバートファンなら大いに深読みしたいところでしょう。
養父の強調
旧小説の往復書簡に登場した、「養父・養女」の意味合いを含む言葉は合計4回です。
それに比べてファイナルは13回です。
明らかに旧小説よりも社会的な関係が強調されており、しかもお互いをそう呼び合ってからかっているような描写ばかりです。「アルバートさんは養父だわ、、どうしよう」という切迫した言葉は登場しません。
もし二人が恋愛関係に発展していたら、この言葉は必ず出てくると思うので、少なくともファイナルの22才位のキャンディは、この感情を持っていなかったと考えられます。
そして養父と養女の関係を解いた、という言葉も無いので、二人はその関係を変える必要性を感じなかった、または関係を解けない理由があったのでしょう。
キャンディキャンディは「あしながおじさん」をオマージュしている作品です。
だからと言って、アルバートと結ばれる、と考えるのもいささか安易な気がします。
だってそれじゃ、完全にパクリじゃないですか
また「あしながおじさん」だけでなく、「赤毛のアン」「ローズと7人のいとこ」などの外国作品の良いとこどりのような『名作もの』が基本的なコンセプトだったことも忘れてはいけません。
※彩図社・封印作品の謎・安藤健二 著
そして、決定的に違うのはあしながおじさんは「後見人」でアルバートは「養父」です。
ファイナルで、養父ではなく後見人で書き直してくださっていたら、アルバートエンドを考える上で、ブログ主のような文学性支持派はスッキリできたかな、と思います。
こちら養父と養女の結婚観に関するAIの回答です。
やはり「道徳的に不適切」な事を、アードレー家の総長にはして欲しくない、というのが本音です。
だってキャンディキャンディは『名作もの』を目指していたんですから
たとえ恋心が芽生えたとしても理性が働く大人であって欲しいし、キャンディを養女にした時点で「養女には手を出さない」という覚悟を持っていて欲しいと思いますね。個人的な願望ですが・・
結局二人の関係は?
アルバートはキャンディを想っているように見えます。キャンディの愛がハッキリとアルバートに向かえば、二人の恋は成就するのかもしれません。
しかし考察②「変更された手紙」で触れたように、アルバートの描写はキャンディが22歳前後の頃で終わっており、この頃のキャンディは、よくやくテリィへの恋心を封印したところです。
ひとことで言えば小康状態で、15才の頃から大して動いていません。
キャンディは「感謝し尽せないのは私の方です」下巻321 と、往復書簡のほぼラストに語っています。
アルバートがいなかったら、滝つぼで死んでいたかもしれない。養女になれずメキシコ行き。
イギリス留学も無くテリィとも会えず、看護婦になっていたかどうかも分からない。
一方アルバートも、キャンディに「どんなに感謝しても、し尽せない」下巻315 と語っています。
キャンディがいなかったら、記憶喪失から回復せず、アードレー家の総長として復帰できなかったかもしれない。
▲ぼくがもしシカゴに送られなかったら、そこで、きみに出会えなかったら――いまごろ、ぼくは生きていないだろう。復刻版546
▲いま神に感謝している 復刻版
▲僕は以前より信心深くなったと思う。ファイナル
キャンディとシカゴで再会できたことに、神がかり的な何かを感じているようです。
二人の間にあったのは、深い感謝と「見えない糸に繋がれた絆」下巻197そのように読めます。
※「見えない糸に繋がれた絆」については、『考察⑦キャンディの気持ち』の方で扱っています。
「君の幸せがどこにあるのか見極めたいと思っている」下巻315
アルバートのこのセリフは一歩引いた表現です。
自分の手で幸せにするつもりもある。ただし今はもう少し君を見守っていよう、という意味だと感じます。
キャンディの幸せに関するアルバートの発言はこの言葉どまりでそれ以降ありません。
だからこそこの発言はエピローグに置かれているのではないでしょうか。
「なぜキャンディとアルバートの手紙を「エピローグ」に入れたのですか?」
と、質問した方がいるのですが、名木田先生はこのように答えています。
「それらをグループ化する方が効果的であるため、すべて「エピローグ」に入っています」
※2019年3月・フランス語ファイナルの出版記念の際の発言
まさに効果抜群です。
あの親し気で明るい内容の手紙が、塊となって最後の方にガツンと置かれる事により、30代のキャンディが要所要所で語った「あのひと」のエピソードの印象が薄くなり、アルバートエンドで収まるように読めるのです。
作者はウソを書くことなく、読者にトラップを仕掛けていることに成功している?とブログ主には見えてしまいます
そこが、「効果抜群」のプロの仕事だと、個人的には思います。
アルバートは、この先もキャンディを支え、励まし続けていたと想像できます。
いつもキャンディの心を一番に考え、幸せを願い、気付かれないようにそっと後ろで手を添えているような人物・・。そこまでは確実に文章から読み取れます。
アルバートさんに思うこと
大きなお世話だとは思いますが・・・
「あのひと」という人物は、外国のエイボン川の見える家に、ラッパ水仙に囲まれながら、甥がつくったスウィートキャンディもない庭で、何の仕事をしているかも分からず、動物もいない環境に定住している人です。
・・これって、アルバートファンの夢見ている、50才のアルバートの姿なのでしょうか?
実際にアルバート派の二次小説でこのような風景は、ほぼ見たことがありません。
キャンディの為にそんな意味不明な状態になるぐらいなら、キャンディなんか捨ててしまえっと思います。
私が「いいな」と思うアルバート像は、シカゴの本宅の裏の湖で馬と鹿を眺めながら愛する人と休日をのんびり過ごし、月曜日には一流のスーツを着て銀行の頭取として颯爽と出勤し大金を動かし、アーチーやジョルジュと共に、アードレー家を守る人です。金融恐慌下でも踏ん張り、アメリカ経済の立て直しに尽力する人です。
時にポニーの家に訪れ、貧しい子供を援助したり子供の遊び相手をしながら丘で眠りこけてしまうような人です。
私なら、このような環境で暮らして欲しいと願います。
次へ7章がスタートします。
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