令和5年7月15日参拝
岡崎はやっぱりお墓でしょう!と盛り上がってやってきたのが法蔵寺です。
行基菩薩によって創建された法蔵寺は、
平安時代の密教ブームによって真言宗寺院となりましたが長らく荒廃した後に法蔵寺7世教翁上人の中興で浄土宗に改宗されました。
浄土宗西山深草派 檀林 大神光二村山 法蔵寺‥って書いてありますよ 👀
幼い家康が教翁上人の元で手習いしたと伝えられています。
でも手持ちの資料を見てその年代がわからない。
教翁上人は家康の一族らしいので両親が離婚して今川に預けられるまでのわずかな期間なのかも?
日本武尊の東征に関連してる賀勝水という井戸(竹の結界)がありました。
井戸の真上に日本武尊が祀られています。
真言宗時代に空海さんが杖を突いたら‥じゃなくて尾張の大将が出てくる辺りがよい✨
六角堂は創建当初のものではないけど行基さんが彫った観音さまが祀られてるらしいんですよ。
本堂の前にある沓脱石みたいの好き。
本堂と外の世界をつなぐたった一か所に存在するターンテーブル的な場所だと思ってる。
履き物脱いで上がったら彫刻がすごっ。
手前はうさぎに見えるけど。
東の方角だからだったらオシャレ。
反対側は獅子でした。
本堂の中が意外に派手〜 🙏
飛天の彫刻がかわいいです‥。
東照宮があるとは聞いていて、
お寺の中なもんでさっきの日本武尊社くらいの規模を想像してたらとんでもなかった!
瀧山寺ほどではないけど十分豪華です。
神額はどなたの揮毫かと思ったら神祇官白川伯王家のお公家さんだそうで、
( ˘ω˘ )白川雅寿王という、
よくわからないけど‥神祇官とか白川家でなんとなくイメージ☆
いい眺めだと思うでしょう、
岡崎は高台に登らなくても絶景だから🤣
東照宮の下に家康縁者と三方ヶ原合戦で戦死した家臣のお墓が建っています🙏
中央の大きな五輪塔は徳川家康のお父さまにあたる松平広忠。
ほかにも松平2代泰観(!)、亀姫(!)、
さらにびっくりなのは松平初代親氏の父(有親=長阿弥)!!!
松平郷に時宗の僧が父子でやってきた、の父の方。
どれがどなたのお墓かは丁寧に木札が立っているので歴史に疎いわたしでも「この方は〜!」とか興奮しながらお参りできたので詳しい人はめちゃくちゃおもしろいと思います。
そして新撰組局長近藤勇の首塚ね。
幕末よくわかんねぇ‥とか思いながら案内板読んでたらこうなるまでの経緯に涙よ。
東京板橋で切られた首は京都三条大橋で晒されて、
同士が埋葬依頼するつもりだった和尚がこちらの39代貫主に転任していたのでまた運んで、
人目をはばかり石碑に土を被せて埋葬していたのが昭和33年に本山誓願寺の文献で明らかになり、
銅像建立して現在に至る、というね😢
帰りは六角堂の横に出てきました。
平入とつながってるのがいいね。
御開帳とかあるのかなー。
さて、
御朱印はお寺の本尊阿弥陀さんと三河観音霊場の観音さんでいただきましたが副印が盛りだくさん。
㊨三河七福神の恵比寿さん
㊧(1)東海?‥78番(摩耗が激しい)
㊧(2)三河三十三観音12番
■法蔵寺
愛知県岡崎市本宿町寺山1
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・どーでもいいはなし
地方にある徳川家の墓をお参りしたい!
そんな気持ちで入手した『徳川将軍家墓碑総覧』。
結構高かったんだけど全然使ってないことに気づいてるんだよね。
松平家ばかり行ってる‥。
いつか使いたい。