令和5年7月8日参拝
こないだ久しぶりに地元へ行く機会があって、
時間があったので前から行きたかった久伊豆神社を探してたら別の久伊豆神社に来てしまった。
この辺りは久伊豆神社だらけなので仕方ないね。
これもご縁と思ってちょっと行ってみっかーぁ。
参道の鳥居は2基ありました。
車なので横っちょから入ってます
この辺によくあるタイプの神社でホッとする。
久伊豆神社は元荒川沿いにやたら点在します。
騎西の玉敷神社(式内社)が本社と言われていて、
ここも近くに元荒川が流れていて5キロくらい下流に岩槻城址というロケーション。
川を下ればすぐですよ。
天保12年(1841)の水盤。
もう井戸じまいしちゃってますね。
御祭神は大己貴命・大日霎貴命・菅原道真命です。
慶長16年(1611)勝俊正(すぐれとしまさ)が創建したと伝えられています(武蔵七党村山党の勝氏≒勝呂氏か)。
新編武蔵風土記稿に〝久伊豆神社 宝蔵院持〟と記載がある宝蔵院とは明治6年(1873)神仏分離で離れました。
その宝蔵院はどこにあったのかというと、
やはり新編武蔵風土記稿に元荒川をさらに下った埼玉郡大戸村に大日如来をお祀りする新義真言宗の寺院があったんですね。
大日霎貴命はそこからきてるのかな、と思いたいけど一村一社で天神さんとここにきたのかも。
大戸といえば天狗でおなじみの武蔵第六天神社があるとこですよ。
蓮田市有形文化財に指定される本殿。
ぱっと見ただけで彫刻が目立ちます。
破損してるとこあるけど蓮田市さん、
文化財なんだから今のうちになんとか改修してよ。
久伊豆大明神の社額が正中よりだいぶ左側にかけられてるのはなぜ。
揮毫は新田岩松源徳純、
岩松氏という新田義貞の三男が源氏の名門岩松氏の娘と結婚して続いた一族がいて、
総領家の滅亡後は新田岩松氏と通称され自他ともに認める継承者ではありましたが幕府からは新田と名乗ることが許されなかったようです。
今はどうだか知らないけど。
お布団のようなふかふかの鈴緒
他にも石ものたくさんありますよ。
伊勢太々御神楽。
登山記念碑には丸岩講の紋。
岩槻を本拠地にしていた富士講です。
反対側にも伊勢講、富士講、
これはあそこんちのご先祖さんだねぇ、みたいな名前がズラッと並んでて個人的におもろ。
一番気に入ったのはまた丸岩講で、
まるで山頂に建っているような置き方がグー。
お社と御神体はどこに‥。
中には陶器の狐がたくさんいました。
車を降りてすぐ見えたけど最後まで見るのを楽しみに取って置いた石ものたち。
手前の甲子待講諸願成就は読めたけどあとは謎。
甲子待は珍しいな。
大黒さんだから久伊豆に持ってきたのか。
草むらにハグロトンボがふわふわ飛んでた。
この環境ずっと変わらないでほしい。
また来るよ、埼玉
◆黒浜久伊豆神社
埼玉県蓮田市黒浜1,346
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・どーでもいいはなし
駅前で地元の友達と待ち合わせて「どっか懐かしいとこ連れてってあげるよ」と言われたので真っ先に思い浮かんだのがよく遊び場にしてた堂山公園。
近くの荒川橋から見る桜が世界一だと思ってる。
全国的に堂山って地名はあるけど「大昔のお寺の跡なんだろうなぁ」ってたまに思い出すことあったんよね。
行ってみたらマァ(こんなとこだっけー!)とか(きれいになっちゃったよね?)であんまり懐かしくなかったのですぐ車に戻ることになるんだけど、
公園の前の人んちの垣根に文政6年(1823)の百番供養塔が見えた。
違う角度から見てみる。
奉修行大峯冨士山諸願成就之所
善行心山、善行院大楽坊
道しるべにもなってます。
志〝ぉんじ至 (慈恩寺)
かす可べ至 (春日部)
残るもう一面は!
武州埼玉からしか読めません‥😭
この展開からして辞世の句だったり‥しないか〜。
保存状態が最高なのよ。
思いがけなく素敵な供養塔🙏