慈恩寺観音(さいたま市岩槻区) | ハニーちゃんがゆく!

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令和元年9月8日参拝
実家からは距離あるけどめちゃくちゃ地元。
慈恩寺の事は学校名や地名になるくらいすごいお寺と思ってたけど、
何がすごいのかは知らない。
菩提寺じゃないお寺には入っちゃいけないような気がしてお参りした事もなかった。


慈恩寺は天台宗の寺院で本尊は千手観音像です。
開基の慈覚大師円仁が遣唐使として旅した西安の大慈恩寺にちなんだ寺号だそうです (((゚Д゚)))


同大師作の千手観音像は戦乱で焼失し、
寛永年間(1624-43)に慈眼大師天海が比叡山から持ってきたという千手観音が安置されています。


慈恩寺の開山伝記
慈覚大師は二荒山を下りて「弘法弘通の霊場を示し給へ」とすももを一つ空に投げると、
なびく紫雲がこれを受け取り東南に飛び去った。
大師が追いかけると翁が現れ「ここは三法相応の地。仏法を広めよ。」と指差したのは一夜にして大木になったすももの木でした。
すももの木どっかにあったのかしら?



この赤いのは南蛮鉄灯籠。
天正17年(1589)岩槻城主北条氏房の家臣で伊達与兵衛房実が天下泰平万民豊楽祈願で寄進したもので、
さいたま市有形文化財に指定されています。
丈夫な鉄ですなぁ!


 (๑°ㅁ°๑)‼ なんか視線感じると思ったら!
観音さまの眷属さんがいたww
坂東ではお馬さんにも注目しないとね。


帰る直前に手水の印刻が見事なもんでじっくり見学してたおかげで道路脇の銘板に気づく。


玄奘塔!?  
それは行かなければっ!!ヽ(;´Д`)ノ 


というわけで、
地図の通りに車を走らせ約3分で異国な雰囲気の門に到着しました。


なぜ岩槻に三蔵法師‥?
三蔵法師の遺骨は西安から南京にもたらされた後に行方不明になっていたのを第二次世界大戦中に日本軍が石箱に入った頭骨を発見。
南京政府に還付されたのち南京玄武山に玄奘塔が建立され、
同時に日本にも分骨されました。


はじめ芝増上寺に安置された頭骨は空襲を逃れて埼玉県へ。
三蔵法師の建立した大慈恩寺に所縁ある慈恩寺に奉安するのがよいと玄奘塔が建立されたそうです。
頭骨は台湾と奈良薬師寺にも分骨されています。
ヒィー(((゚Д゚)))


遣唐使のご縁で西遊記のお坊さんのお骨が地元にあったなんて〜!
慈覚大師ありがとう!
こんな大事なことは学校で教えてほしかったです。


慈恩寺観音 坂東三十三観音12番の御朱印です。
書き手は若い方だけどかなり書き慣れてる。
〝執事〟のサイン入りというのがめずらし。



■華林山 慈恩寺(慈恩寺観音)
埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺

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・どーでもいいはなし
自称87歳 豊春駅の方から来たというじいさんが「自転車どこに停めたか忘れた!」と近づいてきた Σ(`Д`)!! 
え〜豊春って‥まっすぐ道一本だけど歩いて帰るには結構かかる。
ホントにチャリンコで来たのか聞いたら「そこまでボケてねぇで」と言ってたけど十分ボケてっから〜。
お寺のまわり一周したけどチャリンコ停まってなかったんだよね。
ちゃんと帰れたんだろうか!