1月19日

 

朝起きても、建物内の一部停電は直っていない。まあ、いい。今日の俺は、後は日本に帰るだけだ。

 

ヤシンさんが空港送迎に来るのは10時。それまでは自由行動が取れる。7時に宿を出て、日曜日の朝のマリオボロ道路周辺のジャランジャラン(散歩・散策)に向かった。とりあえずは朝食である。

 

宿から通ずる小径を歩き、マタラム通りに出ると、屋台売店があった。

 


屋台売店の店員はおばちゃんが2人。テーブル1つだけの売店前方には「ロントン・サユール」との表示がある。

 

 

 

ロントンはバナナの葉で包んだ「ちまき」、サユールは野菜のこと。カレーっぽいスープがついており、これが野菜の煮込みスープということのようだ。食べる場所がないので、テイクアウトで購入する。合わせてRp12000(147.6円)。店員のおばちゃんが、ロントンはバナナの葉から出して切ってくれて、プラスチックパックに入れてくれた。カレーっぽいスープはビニール袋に入れてくれた。

 

 

いったん宿に戻り、キッチンにてビニール袋に入っていたカレーっぽいスープを椀に移し、ロントンと一緒に食す。スープの具は大根のような野菜、タフゴレン(揚げ豆腐)、茹で卵。素朴で美味な味だ。

 

これらの料理は、おそらく屋台売店のおばちゃんが前夜に調理し、早朝から売って、売れ残りは自分達で食べるのであろう。実にシンプルな屋台売店の在り方だ。

 

ロントンとカレーっぽいスープを食べ終えて、再び宿から外に出る。ちまきとスープだけでは正直、俺には足りないので、何か他の屋台売店がないか、マリオボロ通りへと向かった。

 

マリオボロ通りを歩いていると、何やら行列ができている。その先を見ると、屋台で何らかの食料を配布していた。場所柄的にも、客層的にも、貧困層への炊き出しではない。怪しい雰囲気はなくて和やかなので、せっかくなので並んでみることにした。

 

 

屋台には「ゲロバック・スハット」と「サラパン・グラティス・グラティス」と表示されている。事後調べによると、ゲロバックはインドネシア語で「健康」、スハットは「カート」の意味。「健康カート」…これは企業名か? サラパンは「朝食」、グラティスは「無料」の意味。どうやら、食品メーカーだか飲食店だかのキャンペーンで日曜の朝のフリーサービスであった様子。

 

 

提供されたのはコーン、キノコ、ニンジン等が入ったクリームシチューみたいなもの。まあ、普通に美味い。

 

 

屋台の周囲のベンチには、このクリームシチューを食べている多数の人達が座っていた。俺もクリームシチューを貰って、座る場所がなくて立ち食いしていたら、インドネシア人男性の1人が「こっち空いてるよ(座って食えよ)」と言ってくれた。こっちには本当に、親切で優しい人が多い。

 

さらにジャランジャラン(散歩・散策)をし、昨夜にナシ・グドッを食べた店があるダゲン通りに来た。そこに「ナシ・ソト(白飯・スープ)」の屋台があり、「ソト・アヤム(スープ・チキン)Rp12000」の表示が為されていたため、食べることにした。

 

 

「ナシ・ソト」「ソト・アヤムRp12000」の表示がある屋台。座って食べるための椅子とテーブルもある。「サヤ・インギン・マカン・ソトアヤム(チキンスープが食べたい)、ミー(麺も入れて)、ヒア!(ここで食う!)」と注文。屋台のおばちゃんは英語を解さなかったが、注文はできた。

 

 

「ソト・アヤム」、Rp12000(147.6円)。ミー(麺)も入れてもらったが、同じ料金であった。しかも、ミー以外にもナシ(白飯)が入っていた。いわば「鶏肉汁かけ飯・麺」か。

 

空いていた席に座って食べようとしたら、同じテーブルの男性食事客が「これも食えよ」といって、テーブルの上にあったタッパーの蓋を開けて見せてくれた。中には小さな揚げ物が入っており、食べてみるとプルケデル(コロッケ)だった。食べても追加料金無しのフリーサービスであった。

 

食べていると、屋台のおばちゃんに「ダリマナ?(どこから?)」と聞かれたので、「ダリジュパン(日本から)」と返事した。俺にとってインドネシアが快適なのは、単に英語以外の外国語で、片言でも自力で使えるのがインドネシア語だけだから、っていうことかもしれん。俺は翻訳アプリとか入れてないし、あってもたぶん使えないし。

 

インドネシアには英語がまったく話せない屋台の人も普通にいる。そういう場合、支払い時、値段を伝えるために電卓表示してくれる屋台や店も少なくない。また、一方でこちらが片言のインドネシア語を話すと、普通に喋れると思ってバーッと話してくる人もいる。インドネシアは各地に多種多様な人種が住む他民族国家で、各民族に独自の言語があり、インドネシア語はそれらすべての人種の「共通語」という認識があるから…だろうか。

 

屋台での朝食のハシゴをして、十分に満腹になった。続いては、e-moneyカードの中に入っている金を使い切るため、コンビニのインドマレットへと向かう。その時点で、e-moneyの中にはRp10600が入っていた。

 

 

 

インドマレットにて、「ブアヴィタ」なる商品名のライチジュースをe-moneyカードで購入。Rp10300(126.7円)。これでe-moneyの中にはRp300(37円)のみが残った。なお、e-moneyカードで支払う場合、足りない分を現金で支払うということができない。まあ、ほぼ使い切ったと言えるだろう。e-moneyカード自体は、次にインドネシアに来る機会があるなら使えるし。ライチジュースは即行で飲み干し、普通に美味かった。

 

 

さらに別のインドマレットに寄り、日本への土産用として、「Qtela」のテンペチップスを購入。1袋Rp11200、それを5袋購入してRp56000(688.8円)。現金で支払った。

 

これにて朝のジャランジャラン終了。宿のシンガマカナンへと戻る。相変わらず、建物内の一部停電によりお湯シャワーは出ない。荷物をまとめて、ナンバーキーボックスに鍵を戻し、セルフチェックアウトが完了した。

 

ヤシンさんとの約束の時刻である10時に合わせて、7分前にマタラム通り沿いに出たところ、すでに近くにJavanava Travelcafeの車が停まっていた。ヤシンさんは昨日、遅刻したからか、今日は約束時刻の7分前にはすでに来て、待っていてくれていた。

 

 

車に乗り、出発。空港に行く前に、ジョグジャの名菓である「バッピア」の直営店に寄ってもらうこととする。なお、昨夜、ヤシンさんがボロブドゥルにある自宅に帰ったのは22時であったとのこと。

 

バッピアとは「おやき」と「パイの実」を合わせたような味で、日本でいうと東京ばなな、仙台の萩の月、広島のもみじ饅頭のようなご当地名菓である。ただ、萩の月ももみじ饅頭も、探せば東京でも東京駅とかで買える。

 

一方、このバッピアは、ジョグジャの街の中のどこにでも看板が出ていて、どこでも買えるが、一歩ジョグジャの外に出ると売っている店が一切なくて、買えないらしい。だからご当地名菓としての価値が高いようだ。

 

バッピアには「バッピア・パソク25」という有名な老舗店があり、1981年創業らしい。31年前に俺がジョグジャに来た時にも存在していたことになるが、当時のバッピアなんてメジャーではなくて、名前も聞かなかったため、俺は買ったことも食べたこともなかった。今回、事前調べの情報により、ジョグジャの土産としてバッピアが名高いことを知り、日本への土産として買って帰ることに決めていた。

 

当初、バッピアは空港でも売っているので、空港にて余った現金の消化を兼ねて買えば良いと思っていた。しかし、初日の空港からの送迎の際、車中でヤシンさんが「空港のバッピアは高い。ジョグジャの街の中にはバッピアの直営店がある。直営店だから安いし、工場に併設されている店なので出来立てが買えて、種類も豊富だ。最終日、空港に戻る前に寄れるよ」と言ってくれていたので、そうすることにした。

 

それで、最終日の待ち合わせ時刻は元々は10:30だったのだが、バッピアの直営店に寄るために出発時刻を30分早めて、10時待ち合わせに変更していたのであった。

 

 

ジョグジャカルタにある「バッピア・パソク25」の直営店に到着。

 

「パソク」とはここのエリア名で、現在もバッピアを製造して市場等に卸す家内工業の店が並んでいるという。25という数字は番地名で、この店は工場の所在地をそのまま企業・ブランド名として付けたらしい。他にも有名なバッピアの店で「バッピア・パトゥク75(パトゥクはパソクの別名or旧名?)」というのもあるようなので、そういうトレンドか、地域ならではのしきたりがあるのかもしれない。

 

 

日曜日の午前中ということもあり、店内は多人数の購入客でごった返していた。

 

 

直営店なので、出来立てでまだ温かいバッピアが多量に積まれており、それが端から売れまくっていた。なお、以前は工場での製造過程の様子が見学可能だったらしいが、コロナ禍もあってか、現在は衛生面を考慮して見学できなくなったのだという。

 

バッピアは「おやき」と「パイの実」を合わせたような菓子なので、饅頭同様、中に「味」が入っている。基本形である「オリジナル」にはインゲンマメとココナッツの餡子が入っており、他にもチーズ、チョコ、パイナップル、アラカルト(左記3種の混合)等があった。他の業者の商品のバッピアには、カスタードクリームやドリアンが入っている種類もあるという。元々は中国からの移住者が持ち込んだもので、中には豚肉が入っていたが、ローカル発展してスイーツに変わったらしい。

 

「バッピア・パソク25」直営店のバッピアは、味の種類に関わらず、15個入り1箱でRp35000(430.5円)。菓子1個ずつの個別包装はされていないが、これはお国柄的に仕方がない。ていうか、「配り土産用」に菓子1つずつを個別包装しているのなんて、日本だけだ。そして、賞味期限は3日程度しか保たないらしいので、近々会う予定のある人に向けての土産としてしか買えない。

 

 

ここは工場に併設された直営店だけあり、出来立ての試食もたくさん食べることができて良かった。出来立ての名菓は温かくて美味い! この多種多数の試食ができたことが、直営店に連れて来てもらえたことの何よりのメリットであった。ヤシンさんに感謝である。

 

自分用と友人や職場への土産用として、オリジナル2箱、チーズ2箱、パイナップル2箱、アラカルト2箱を購入。計8箱でRp280000(3444円)、現金で支払った。手提げ箱は本来Rp6000(73.8円)のようだが、無料で入れてくれた。この後、ジョグジャの空港では、この手提げ箱でバッピアを多量に持っている人が大勢いた。また、非常に混み合い、購入に時間がかかったので、宿からの出発時刻を30分早めたのは正解であった。

 

その後、いよいよ空港へと向かう。今日も道は事故で渋滞していたが、良い頃合いで空港に到着した。

 

 

ジョグジャカルタ空港に到着。王宮?を模したオブジェを撮影。

 

手元に残った現金はRp97000(1193円)。約Rp10万である。空港にて、これを「今、俺の手元に残ったキャッシュの全部」と言って、チップとしてヤシンさんに渡した。ヤシンさんは喜んで、自身のスマホでセルフで俺と一緒に記念撮影していた。まあ、正直、俺は良い客であったろう、とは思う。俺のリクエストに応じていろんな便宜を図ってくれたヤシンさん、及び、旅において諸々の手助けをしてくれたJavanava TravelcafeオーナーのNさんには感謝である。

 

ジョグジャの空港で飛行機に乗り、ジャカルタ、シンガポールと飛行機を2回乗り換えて、翌日に羽田空港に到着した。

 

 

 

1月20日

 

行きは成田空港だったのに、帰りは羽田空港。個人的には初めての経験だが、今時の日本からの海外旅行では普通にあることらしい。帰りもコスト重視で、特急などの追加料金の無い電車を乗り継いで帰宅した。

 

俺がインドネシア自体を訪れるのは、これで4回めだったのだが、今回の俺はちょっと、バックパッカー旅行をするにしても時代遅れであることを痛感した。現地・出先でのSMS認証、ワンタイムパスワード、Wi-fi、SIMカード、オンラインチェックイン。正直、わけわからん。老害になりつつある自分には、使いこなすのは無理だ…。

 

そして、ただでさえ俺は時代遅れなのに、発展途上国においては、そういう最新機器の扱いに長けた人であっても、現地での電話番号を所有していないとできないこと、買えないものがあったり、前日までオンラインでクレカが使えたのに翌日になり突然使えなくなることもあるという。AIやらITやらの導入具合が変にアンバランスで、消費者にとって使い勝手が良くない状況であることは事実と言える。

 

ただ、それはそれとして、今回の俺の中での中部ジャワ、ジョグジャカルタの印象は素晴らしかった。とにかく何よりも、一般の人が親切で優しい。思い出すに、31年前もそうだった。俺が「旅こそ人生」になったのは、31年前に初めて行った海外がインドネシア(ジャカルタ、中部ジャワ)だったからかもしれない。

 

そして俺は、決してインドネシアでへらへら遊んでいたわけではない。大袈裟に言えば、バックパッカー1人旅は命懸け。ちっとも豪華じゃない。汗臭くて、泥臭い。でも、豪華でなくても、それが俺の贅沢。普段は施設職員として働く俺にとっての、何にも替え難い非日常的体験。

 

しかも、それができるのは今のうち。もう50代も半ばに入る。この年齢になると、こういう旅ができるのはせいぜいあと数年、ってことを実感している。2024年度は海外に3回行ったが、今後「(人生の)その先」があるとの保証はない。そのことには若干の虚しさも感じるが…。まあ、人生、そんなもんなんだろう。年齢取って、太っても、夢は荒野を駆け巡る…。

 

以上です。長々と失礼しました。

車で丘の高い地域へと向かう。この後に観るドゥワラワティ寺院遺跡とトゥクビモルカー遺跡は、従来のツアープランには入っておらず、追加オーダーしたもの。いずれも入場無料で、同じディエン高原内にあるため、追加料金は発生しない。ただ、ゆえにヤシンさんもあまり客を連れて行かないからか、道を知らず、スマホのナビを頼りに移動していた。

 

ドゥワラワティ寺院遺跡の近くに到着。駐車場がないため、ヤシンさんは車の道の脇に停めて待機。そこから俺1人で結構長い歩行階段を上って行くこととなった。なお、雨はまだ降っていたが、車の中には傘が常備してあり、貸してくれた。

 

「なんだ、車に傘があるならアルジュナ寺院遺跡群の時に借りておきゃ良かった」と思ったが、そう言えばアルジュナに行く前に「傘要るか?」と聞かれたのに、まだ降っていなかったので「要らない」と返事していたことを思い出した。雨が本格的に降り出したのは、その後のことだった。今回はしっかりと傘を差した。

 

向かっている途中、突然誰かに「ねえ」と誰かに声をかけられた気がした。振り向いたが、周囲には誰もいない。…? 何だ? 確かに今、とりわけ日本語っぽいイントネーションで「ねえ」と言われた気がしたのだが。怪奇現象か?

 

 

すると、近くの建物の中からごそごそと物音が聞こえて、「メエー」という鳴き声が聞こえた。内部は伺えないが、どうやらこの建物は山羊小屋で、中にいる山羊が「メエー」と鳴いたのが日本人のイントネーションの「ねえ」に聞こえたようだ。山羊はインドネシア語でカンビン。インドネシア人は山羊肉を普通に食し、山羊肉の串焼きのことを「サテ・カンビン」という。

 

 

 

ドゥワラワティ寺院遺跡に到着。入場無料。外観を撮影。内部には何も無し。建物の塔頂部は未修復で、まだ無い。かつてはこの標高が高い丘の辺りにもヒンドゥー寺院群が形成されていたらしいが、現在復元されているのはこのドゥワラワティ寺院だけらしい。

 

 

この日は雲が厚いが、ドゥワラワティ寺院遺跡は標高が高いところに建つだけあって眺望が良く、周囲の集落民家の景色が美しい。この頃、かなりの雨が降っていたが、傘を差していたので身体を濡らさずに済んだ。

 

続いてこの日の最後の見所、トゥクビモルカー遺跡へと向かう。トゥクビモルカー遺跡は古代のマタラム時代から続く水浴び場で、イメージとしては「聖泉」という感じ。遺跡についての情報は少ないが、現役の水場でもあるということに興味が湧く。ここもヤシンさんはスマホのナビで調べながら移動し、着いた。

 

 

トゥクビモルカー遺跡に到着。入場無料。外観を撮影。現在も水は流れており、地元住民の日常生活水や儀式の場として使われているという。

 

 

水場は3段式の構造で、下段に2つの噴水口がある。上段が儀式や供物を捧げる神聖な場、中段が水を溜める場、下段が水浴び場となっているらしい。

 

 

2つの噴水口のうち、向かって左側の噴水口には何らかの彫像が設置されている。少し前までは右側の噴水口にも彫像があったが、今はなかった。内部にアクリル製のパイプが埋め込まれていることから、この彫像は7世紀から続く本物ではなくて、近現代に作られたレプリカと思われる。

 

ただ、雨天だからか、この時の噴水口から流れ出る水は茶色の泥水で汚かった。正直、この泥水では手や顔を洗う気にはなれない。それでも、雰囲気の良い場所であった。

 

 

トゥクビモルカー遺跡の上部に登ると、展望台らしき建物があったので、登ってみた。

 

 

展望台からは周囲の野菜畑の景色が美しかった。

 

これにてティエン高原での観光は終了。ディエン高原という地の感想は、正直、涼しいを越えて寒かった。雨、霧。インドネシア人の観光客はここに涼しさそのものを楽しみに来ている様子だったが、こっちは日本に帰れば冬で普通に寒いし。それでも、俺はマイナーでマニアックなレア観光地が大好きだし、前日までの旅でできた足のマメが痛くて長くは歩けなかったので、ツーリストカーを手配して回ったのは正解であった。

 

車に乗り、ジョグジャへと戻る3時間半の長い移動が始まった。

 

 

途中、ヤシンさんが「ミー・オンゴロッ」の店「クダイ・オンゴロッ・ディエン」を見つけたので、遅めの昼食を食べることにする。クダイは「店」の意味で、オンゴロッはディエン高原地域の郷土料理である。観光客向きのレストランで、内部では土産もたくさん売っていた。

 

 

俺はミー・オンゴロッ&サテ・サピ(牛肉の串焼き)3本のセット(Rp25000=307.5円)にエステーマニス=甘いアイスティー(Rp7000=86円)をつけて。ヤシンさんはミー・オンゴロッ&サテ・アヤム(焼き鳥)3本のセット(Rp22000=270.6円)にオレンジジュース(Rp9000=110.7円)をつけて、注文。こちらの習慣に従って、ヤシンさんの分は俺が支払い、2人分で計Rp63000=774.9円であった。

 

ミー・オンゴロッとはミー(麺)の中にこの地域の名産であるジャガイモが練り込んである料理で、タレはとろみのある甘辛あんで、ピーナツソースで味付けされている。若干、量が少なめではあったが、美味。なお、ヤシンさんによるとディエン高原はウサギ肉の名産地とのことなので、「サテ・クリンチ(兎肉の串焼き)」を食べてみたかったのだが、この店には置いていなかった。

 

店内では土産用にミー・オンゴロッのインスタントラーメンも売っていたが、高いので買わなかった。また、土産物の中に「カリカ」なるものがあった。これもディエン高原の名産品で、パパイヤのシロップ漬けとのこと。確かに、この地域にはパパイヤ畑があって、実が成っていた。ヤシンさんいわく「高地のパパイヤはすべてシロップ漬け用に栽培されているもの」とのこと。あまり食指が湧かなかったので、買わなかったが。

 

続いて、日本への土産用にコーヒーや紅茶を購入するため、ウォノソボのローカルマーケットへと向かった。

 

 

ウォノソボへと向かう道の途中、我々の車が多量の麻袋を荷台に積んだドラックの後ろに付いた。この荷物が何なのか、ヤシンさんに聞くと、テールスープ用の「牛の尾」とのこと。確かに、今回は食べる機会がなかったが、インドネシア料理には牛の尾のスープがある。それにしても、牛の尾だけをこんなにたくさん積んでいるのか。

 

ウォノソボのローカルマーケットに到着。午後なので、マーケットの店はかなり閉まっている。ヤシンさんが野菜売り場に居た店員のお姉さんに聞いてくれて、コーヒーや紅茶を売っている店まで連れて行ってもらった。

 

 

「トコ・ブディ」なる店。トコとは「商店」のことで、どうやら問屋のような店であった。ブディは固有名詞=商店名であろう。この店でインスタントのジャワコーヒー(事後に知ったが砂糖入り)とジャワティーの紅茶葉を多量に購入した。いずれも純正ジャワ産で、特に紅茶葉は100%ディエン高原周辺産とのこと。

 

砂糖入りインスタントコーヒーがRp1500×40袋でRp60000(738円)。紅茶葉が10袋セットだと1袋あたりRp3800で計Rp38000(467.4円)。バラ売りだと1袋Rp4000。この時の紅茶葉の在庫は全部で18袋しかなく、8袋分はバラ売りの値段で1袋あたりRp4000で計Rp32000(393.6円)。紅茶葉は合わせて18袋でRp70000(861円)。いずれも包装は簡素だが、現地価格で安い。インスタントコーヒーと紅茶葉を合わせて58袋で計Rp130000(1599円)。1袋あたり27円となり、日本への土産として良い買い物ができた。

 

その後、ヤシンさんは「嫁のために(ディエン高原の名産である)ジャガイモを(案内してくれた店員のお姉さんの店で)買って行く」と言っていたのだが、午後になっていたからか、思うようなものがなかったようで、結局、買わないでいた。替わりに、案内をしてくれた野菜売り場の店員のお姉さんにはヤシンさんからチップを渡していた。

 

また、ディエン高原はドリアンの名産地でもあるとのことで、ウォノソボのマーケットで買って食べたかったのだが、閉まっている店が多く、時間もなかったので、探して買うことができなかった。まあ、しょうがない。日本への土産の購入の方が優先順位は上だから、多量のインスタントコーヒーと紅茶葉が買えただけでも十分だ。

 

その後、ジョグジャへ向かう長いドライブが続く。空が暗くなってきて、俺は眠気にも襲われた。相当の長時間が経ったため、後部座席に広げておいた濡れたTシャツも乾いていた。

 

 

車はジョグジャの街に入った。外はもう真っ暗である。この後、夕食に「ナシ・グドゥ」を食したいので、車から下してもらう場所は宿よりもマリオボロ通りの方が良い。その旨、ヤシンさんに伝えたところ、「今日は土曜日で、土曜日のマリオボロ通りは17~22時の間、許可車両以外の車両は進入禁止になる」とのこと。そのため、マリオボロ通りの手前、トゥグ駅の辺りで下ろしてもらった。

 

この日は従来のディエン高原ツアーに加え、ドゥワラワティ寺院遺跡とトゥクビモルカー遺跡の2ヶ所を加えたのと、帰りの車移動の途中で事故渋滞があったこともあり、12時間の予定のツアーが13時間半になってしまった。終始運転していたヤシンさんは、疲れていたであろう。

 

加えて、ヤシンさん自身、行きも帰りもボロブドゥル⇄ジョグジャの運転移動があるから、この日は計16時間ほど運転していたことになる。さらに明日は朝から俺の空港送迎。ハードな仕事になるが、33歳のヤシンさんはまだ若いし、こっちのツーリストドライバーはそれくらいタフでないと務まらないのだろう。それに、そういう仕事が入ると報酬も多いわけだから、疲れるとはいえ意外にラッキー?なのかもしれない。

 

トゥグ駅近くから徒歩でマリオボロ通りを進む。前日のジャランジャラン(散歩・散策)により、マリオボロ通りと交差するダゲン通りにナシ・グドッの店があるとわかっていたため、直行する。

 

 

ダゲン通り沿いにある「ナシ・グドッ」の店、「ラハルジャ」に到着。ジョグジャの至るところに支店があるという老舗で、このダゲン通り沿いだけでも複数の店舗がある。店頭にて、メイン商品と思われる「ナシ・グドッ・コンプリート」なるメニューを注文し、店内へと入る。

 

 

店内は、こんな感じ。「ゴザ」の上に「胡坐座り」で「ちゃぶ台」につくスタイルが良い。

 

 

「ナシ・グドッ・コンプリート」。Rp46000(565.8円)。ナシ(白飯)にグドッ=ナンカ(ジャックフルーツ)の甘辛煮、チキン、茹で卵、クレチェック(牛の皮=ゼラチンor脂肪?)、薬味のチリが1プレートで乗っている。

 

味は美味。ただ、料理の内容は前夜にマリオボロ通り沿いの屋台で食べた「ほぼナシ・グドゥッのナシ・プチェル」と大差ない。あっちの方には野菜が乗っていたが、こちらには無い、という程度しか違いがない。「なんだ、やっぱり昨夜食べたものは事実上のナシ・グドッだったのか」と知った。

 

そして、わかったというか思い出した。俺が31年前にジャカルタのホストファミリーに連れられてナシ・グドッを食べたのは、このラハルジャという店だ。もしかしたら違う支店かもしれんし、当時、尻をゴザに下ろして座るスタイルだったかの記憶は曖昧だが…雰囲気的に、まず間違いない。今更ながら、ちゃんと「ナシ・グドッの老舗の名店」に連れて行ってくれていた31年前のホストファミリーに感謝である。

 

なお、土曜日の夜のマリオボロ通りには物乞いも多い。ラハルジャの店内でナシ・グドッを食べていると、物乞いがギターを持って歌いながら勝手に店に入って来て、食事客に「喜捨」を要求していた。店員はそれを追い出したりもしない。そういや、31年前にもそういうことがあったっけ。でも、雰囲気は平和。そして、俺は喜捨はしなかった。

 

ナシ・グドッを食べ終えて、宿へと戻ることにする。

 

 

帰りがけ、宿に通ずる小径の入口にある食堂に到着。ラハルジャで食べたナシ・グドッは美味だったが、正直、コンプリートというメニュー名の割には量が少なかった。なので、2日連続でこの食堂で食べ加えることにした。

 

 

ナシ(白飯)の上に、店頭のショーケースにあった6種類の惣菜すべてを注文して乗せてもらった。メニュー名でいうなら「ナシ・チャンプル」。チキン、チキンのつみれのサテ(?)、ナス炒め、ゴーヤ炒め、かき揚げ、タフ(豆腐)のつみれ(?)の6種類。ドリンクはつけず、調味料のサンバルとケチャップマニスをつけてRp22000(270.6円)。これでさすがに腹いっぱい。ていうか、揚げ物多めで、ナシ・グドッを食べた後ではちょっと重かったかも…。

 

宿のシンガマカナンへと戻る。バリ島から来ていた若いカップルの滞在は今朝までだったようで、今日は俺1人で空き家に宿泊状態。しかも夜中に建物内の一部が停電し、お湯シャワーが出なくなり、コーヒー&紅茶用の湯も沸かせなくなった。足のマメが痛くて、もう歩けないので、寝る。部屋の空気清浄機は一部停電から免れて作動していたが、それでも暑くて汗だくになり、眠れん…。

 

 

暑さで夜中に目が覚める。キッチンには俺宛てに菓子パン的な軽食が3つ、置かれていた。この宿には常駐スタッフはいないが、朝のうちにスタッフが来て、連泊の宿泊者には朝食用の軽食を置いて行くらしい。朝食用だが夜中に食して、再び寝た。

 

続く。次回、ようやく最終回。

徒歩でカイラサ博物館へ。ヤシンさんが入場料を支払い、俺1人で入館する。入場料の額は不明。

 

 

カイラサ博物館の外観。廃れた感じであったボロブドゥルの博物館と違い、中は清潔で明るかった。

 

 

 

館内にはこの地域から出土・発掘された多数のヒンドゥー彫刻が整然と展示されていた。

 

 

 

ガネシャ=象とナンディ=牛の姿はやはりわかりやすい。

 

 


他にはリンガ=男根像や歴史を現在に伝える碑文など。シヴァ神の彫刻などには、顔がないものも複数あった。

 

 

博物館の屋外にも、複数の彫像が置き晒しになっていた。横置きにされた石臼らしきものは何であろうか?

 

博物館を出るとヤシンさんが待っており、続いてディエン高原観光のハイライトである「アルジュナ寺院遺跡群」へと向かう。入場券窓口でヤシンさんが入場料を支払った後、「このチケット持って1人で観に行けるか?」と言うので、「いいよ」と言って同意。チケットは感熱レシートだったので撮影はせず、入場料の額も不明。1人で入口へと向かった。

 

 

アルジュナ寺院遺跡群のチケットチェック入口に向かって石畳の小径を進む。小径の両脇には黄色いトランペットフラワーや紫陽花が咲いていた。

 

 

さらには、小径にはバッタモンのピカチュウ着ぐるみがいて、子どもと記念撮影をしていた。当然、近くにはチップ入れ箱が置いてあった。

 

 

アルジュナ寺院遺跡群の入口に到着。ただ、ここを通ってアルジュナ寺院遺跡群の敷地内に入る前に、この手前で細道を左に進むとストヤキ寺院遺跡がある旨を示す道標があったので、まずは先にそちらに向かうことにする。

 

ストヤキ寺院遺跡に向かう細道は意外に長い。しかも周囲は霧で真っ白。ゆえに視界が効かず、なかなかストヤキ寺院の姿が見えなかった。

 

 

ストヤキ寺院遺跡に到着。ヒンドゥー教寺院で、入場無料。外観を撮影するも、周囲があまりにも真っ白で、画像がクリアに写らず。この日に観た見所の中で、周囲が最も真っ白だったのがこのストヤキ寺院であった。ちなみに、「『すき焼き』じゃなくて『ストヤキ』寺院」と覚えた。

 

ストヤキ寺院はヒンドゥー寺院の割には胴長な作りをしている。内部には台座と彫像の足のみ(?)が残っていた。この地域には、かつては近くのアルジュナ寺院群以外にも寺院群が形成されていたらしいが、現存するのはこのストヤキ寺院と先に訪れたガトッカチャ寺院のみとのこと。

 

細道を引き返し、アルジュナ寺院群の入口へと戻り、敷地内へと入場する。

 

 

アルジュナ寺院遺跡群の敷地内には多数の黄色いトランペットフラワーが咲いていた。日本では園芸種として存在する花だが、ヤシンさんに確認したところ、ディエン高原のそれは野生種とのこと。

 

 

アルジュナ寺院遺跡群はジャワ島最古のヒンドゥー寺院で、5つの寺院遺跡で形成されている。外観は撮影できるが、遺跡保護のためであろうか、寺院にはそれぞれ柵が張られており、いずれも建物の内部に入ることはできない。もし晴れていたなら、周囲の段々畑の山景色とも相まって、良い雰囲気が望めたのであろうが、残念ながら霧で真っ白であった。

 

 

アルジュナ寺院群を含めたディエン高原の遺跡は、プランバナン寺院と同じヒンドゥー教寺院なのだが、プランバナンよりも時代が前のものであるため、プランバナン寺院に比べると装彫は地味で、高さも低い。歴史的な価値はあるのだろうが、観光地としての国際的な知名度は低い。ただ、その分レアとは言える。

 

 

敷地入口側に建つ2塔。左がプンタドゥワ寺院で、建物入口の階段の手すりが2段で高くて立派。右がスンバドゥラ寺院で、建物入口の階段が低くて手すりが無い。正直、後で画像を見返して、各寺院遺跡の区別をつける判断材料はその程度しかない。

 

 

そして、敷地奥側の別の2塔。左がアルジュナ寺院で、建物入口の階段の手すりが1段。右がスマール寺院。スマール寺院は小窓が複数ある低い曲面屋根の寺院で、中部ジャワ様式の建物ではない。

 

 

上記2塔ずつの寺院の間に位置する、スリカンディ寺院。ここは土台以外が崩れていて、修復中の様子。俺が持っている30年前のガイドブック(地球の歩き方)には寺院の建物が存在して、載っている。どうやらこの30年の間に地震か何かで崩れた? 事後、YouTubeで1993年撮影のこの寺院群の動画を観たら、それにもこの寺院の建物が映っていたので、そうなんだろう。

 

ただ、30年前の資料だと、スマール寺院以外の中部ジャワ様式の寺院4塔は塔頂部が「まだ」無い、すなわち、石組が組まれていない。当時、30年前の時点では遺跡はまだ修復中で、塔頂部は修復前だったのであろう。

 

それが現在はアルジュナ寺院、プンタドゥワ寺院、スンバドゥラ寺院の3塔は塔頂部の修復が為されていて、立派な造形をしている。スリカンディ寺院は崩れてしまったが、造形が立派な状態になった他3塔の寺院遺跡を観れたのは良かった。まあ、いずれも中には入れないんだが。

 

なお、アルジュナ寺院遺跡群は、30年前のガイドブックには「パンダワ寺院遺跡群」と記されている。これらの寺院それぞれの名称は、ワヤン(影絵芝居)「マハーバーラタ」に出て来る「パンダワ家」の登場人物らしい。だから、この遺跡群の昔の名称は「パンダワ寺院遺跡群」であった。

 

ただ、後にわかりやすいよう、最も代表的な寺院遺跡であるアルジュナの名を取って、「パンダワ寺院群」から「アルジュナ寺院群」に名称を変えたのであろう。実際、現在の現地の表示看板も「アルジュナ寺院遺跡群」とあった。

 

事後に「マハーバーラタ」について調べたことを具体的に説明すると、アルジュナはパンダワ兄弟の三男。ビーマが次男で、ビーマは一家で最も有名な英雄なのだが、ゆえにか、ビーマの名はこのアルジュナ寺院遺跡群内の建物ではなく、2km離れた高台にある別の寺院の方に与えられた(ビーマ寺院はワルナ湖の後、シキダン噴泉地の前に観光済み)。

 

プンタドゥワはパンダワ兄弟の長男。スリカンディはアルジュナの妻で、戦士でもあり、インドの原典ではシカンディンなる男性らしい。スンバドゥラもアルジュナの妻。スマールはパンダワ家の家臣で、インドの原典には登場しない。スマールはマハーバーラタの物語において道化的な役割を果たし、何より家族ではなく家臣なので、寺院も中部ジャワ様式ではないのであろう。

 

しかも、さらに調べると、これらのネーミングはすべて後の時代になってから、便宜上で付けられただけとのこと。名称は番号の替わりのようなもので、名称と建物自体には何の所縁も関連性もないらしい。

 

そういや南インドのマハバリプラムでも、それぞれの寺院の建物の名称がここと似てる遺跡群があったような。その遺跡の名称は「ファイブ・ラタ」。そこはその名が示す通り、5塔から成る寺院群で、ここアルジュナ寺院群と同じだったが…。まあ、そういうもんなんだろう。

 

アルジュナ寺院群の観光中、雨が強く降って来た。この日、霧で最も真っ白だったのがストヤキ寺院で、雨で最も身体が濡れたのがこのアルジュナ寺院群だった。雨が降ると霧が晴れて、霧が晴れると綺麗に撮影ができるのだが、雨がレンズに付いて画像にボヤケが入ってしまう。そして、濡れるから寒い。それでも、たくさんの画像を撮影した。

 

 


敷地の入口と反対側の出口には紫陽花が咲いていた。

 

ここアルジュナ寺院群にもたくさんのインドネシア人観光客が来ていて、レインポンチョを着込んで散策していた。一方、俺は半袖のTシャツ。まさかここまで雨が降るとは…。アルジュナ寺院群はディエン高原観光のハイライトなのに、この雨は残念。

 

しかもこんな時に限って、日本から持参したゴアテックス製のレインウェアをホテルに置いて来てしまった。まあ、でも、霧雨はディエン高原の「通常仕様の天候」だ。これがスタンダード、いつものディエン高原を体験できたのだから、それはそれで良しとしよう。

 

アルジュナ寺院群を後にする。今までの「ジャワ島の観光地あるある、入口と出口が違いがち」を考慮し、入口の反対側の北側の出口から敷地外に出た。

 

 

北側の出口から敷地外に出て遊歩道を進んでいると、金網越しにアルジュナ寺院群が見える。その時、霧が薄くなっていたので、金網の隙間越しに寺院群(左スンワドゥラ寺院、右プンタドゥワ寺院)を撮影。クリアに撮れた。

 

 

 

その先には、「ダルマサラ」なる遺跡があった。未修復で、あるのは土台と瓦礫だけだったが。

 

その後も駐車場を目指し、遺跡群の敷地の周囲をぐるっと歩いて回ったのだが…売店があって、その後、道が無くなった。無くなった? しょうがないので引き返し、感熱紙レシートのチケットを見せて再び遺跡群の敷地内に入り、引き返して元の入口から出た。なんだよ、ここは「ジャワ島観光地あるある」じゃないのか。しかもその間ずっと雨、身体はびしょ濡れ。

 

車に着き、まず忘れずに感熱紙レシートのチケットをヤシンさんに返却。車の中でTシャツを脱ぎ、タオルで身体を拭き、替えの衣類はホテルにあるので素肌の上にジャンパーを着て、来ていたTシャツを後部座席で広げて乾かした。その後、ディエン高原内のさらに標高が高い地域へと車で移動し、別の遺跡を観に向かった。

 

続く。

1月18日。

 

早朝に起床。今日はツーリストカーでディエン高原に観光に行く。6時、約束の時刻通りに宿の前の小径からマタラム通り沿いに出て、ツーリストドライバーのヤシンさんの車を待つが…来ない。俺より遅く出て来た隣室のインドネシア人カップルの方が、オンラインタクシーで先に出発してしまった。

 

結局、ヤシンさんが到着したのは6:30過ぎであった。聞くと、場所がわかりづらかったとのこと。ヤシンさんは運転していて、マタラム通りのどの辺りに宿のシンガマカナンに通ずる小径があるのかわからず、俺はマタラム通り沿いでずっと立っていたのだが、他に目印になるものも無いため、俺の存在を見過ごしたらしい。

 

マタラム通りはマリオボロ通り同様、一方通行なので、一度俺を見逃すと別の道で大きくぐるっと迂回してマタラム通りに戻らなければならないらしい。1回それをやるだけで少なくとも5~10分くらいかかると思われ、ヤシンさんはそれを繰り返し、俺を見つけることができたのは3回目だったとのこと。

 

一方の俺も、車の色は憶えていたが、車体ナンバーを控えていなかったこともあって、それらしい車が来てもこちらから気づいて合図して停めることができなかったのだ。

 

この日、当初は6:30スタートだったのを、訪れる場所を追加オーダーしたため長丁場になるので、早めて6時スタートにした。実際には30分遅れとなってしまったが、結果、当初通りの6:30スタートで済んだのは逆に良かった。約束を6時に早めておかなかったら、30分遅れだと7時スタートになり、かなり出だしが遅くなっていただろうし。

 

 

車はボロブドゥル遺跡のあるマグラン県へと入る。なお、ディエン高原へはジョグジャよりもボロブドゥルからの方が近い。車でジョグジャからだと片道約3時間半、ボロブドゥルからだと約2時間半なので、ディエン高原へはボロブドゥル滞在中に行った方が時間も早く、その分、旅行代金も安くつく。

 

ただ、この日は元々ジョグジャの市街観光の予定だったのを、「せっかく中部ジャワまで行くのだから」と、日本出国前に急遽気味にディエン高原行きにプランを変更したという経緯があったので、効率の悪い行程となってしまったのはしょうがない。

 

車はさらにローカルへと向かう。途中、トイレで泊まってもらう。トイレはいつもガソリンスタンドで入る。ガソリンスタンドのトイレは無料。スタッフがいて、チップ箱は置いてあるが、あくまでチップであって使用料ではないようだ。

 

 

ガソリンスタンドのワルン(屋台売店)で何やら「ちまき」のようなものを売っていた。今朝はまだ朝食を食べてなくて空腹なので、買うことにした。

 

 

ヤシンさんに聞いたところ、ちまきの名称はアルマルン。1つRp2500で、2個単位からの購入なので2個買い、Rp5000(61.5円)。加えて、タフゴレン(揚げ豆腐)が8個入りでRp5000(61.5円)。合わせてRp10000(123円)で購入。安い。タフゴレンには薬味として青唐辛子が付いていた。

 

 

車の中でアルマルンを食す。ココナッツの風味のついたナシ(白飯)がバナナの葉で包まれており、ナシの中にはテンペ(納豆)が入っている。美味。ヤシンさんいわく、アルマルンはマグラン県のローカルフードだというから、外国人観光客の俺にとってはレアな食べ物だ。ちまきの納豆巻きと厚揚げ豆腐、どちらもベジタリアンフードである。

 

車は山の方へと進み、このエリア最大の街である「ウォノソボ」を通過する。ウォノソボは周囲の高原地帯で採れる野菜、紅茶などの集積地として栄えている街の様子。特にジャガイモが名産のようで、売られているのが目立つ。

 

また、街の道路はけっこう渋滞している。ウォノソボでは公共交通機関が乏しく、バイクタクシーはあるようだが、大型バスも電車もなくて、「アンコット」という黄色い小さいバス(日本でいうコミュニティバス的なもの?)だけが走っていた。個人旅行で自力でウォノソボ及びディエン高原を旅するのは、かなりたいへんなようだ。

 

 

車はディエン高原エリアへと入る。途中、ヤシンさんがRp15000(184.5円)の「車両入域料」を支払う。この後に訪れる観光ポイントには、各々で入場料が必要だが、無料の見所もあり、それらはこの入域料の中に入場料が含まれている、という態らしい。

 

なお、この日にかかる観光の入場料は当然に、すべて事前にJavanava Travelcafeに支払った旅行代金の中に含まれている。そのため、ヤシンさんに「チケットの半券、記念で貰えるか?」と聞いたところ、「経費精算のレシートとして必要なので渡せない」とのことなので、その場でチケットの撮影だけさせてもらった。

 

 

ディエン高原の周囲の景色は、山の斜面を利した野菜の段々畑となっている。ところで、俺はそれまで「サユール」という名称の野菜があるのかと思っていたのだが、インドネシア語では「野菜」全般のことを「サユール」と言う、とのことを、このエリアを移動中にヤシンさんに聞いた。

 

ディエン高原の標高は約2000m。山ヤの俺には馴染みのある高さだ。ディエンの意味はサンスクリット語で「神々の住処」とのことで、古くから山岳崇拝の聖地であったという。太古の頃に火山の噴火によりできた、いわゆるカルデラ地帯とのこと。このエリアの三大観光スポットはヒンドゥー教寺院遺跡群、地熱地帯の熱噴泉、湖(の景色)。加えて、ジャガイモを始めとする高原野菜が名産品として名高いらしい。

 

ヒンズー教寺院遺跡群は、ボロブドゥルやプランバナンよりも早い時代の7~8世紀に建てられた、ジャワ島最古のもの。その昔、7世紀頃の人々がカルデラ湖の水を抜いて都を作り、多くの寺院群が建てられたらしい。その後、11世紀頃に都は放棄され、以後に再び水が溜まって湖となっていたのを、現在では再び水を抜いて「避暑地的観光地」になっているのだという。

 

また、ディエン高原は涼しい山地だけに、霧がかかることが多いという。この日もばっちりと(?)霧がかかり、途中で雨も降り出して来た。ヤシンさんによれば「ディエンで雨が振ってる時は、ジョグジャも酷暑晴天ではない(=曇りor雨)」とのこと。

 

 

ディエン高原最初の観光ポイントである「ワルナ湖が見える丘」に到着。

 

 

「ワルナ湖が見える丘」のチケット。入場料Rp15000(184.5円)。こちらもヤシンさんが経費精算用に回収するので、撮影だけさせてもらった。

 

なお、この場所の正式名称は「バトゥ・パンダン・ラタパン・アンギン」とのこと。日本語訳(事後調べ)すると「嘆きの丘の展望台」。…いや、えらく仰々しい名前だな。

 

 

ヤシンさんは途中まで案内してくれて、俺は1人で「嘆きの丘の展望台」へと登って行く。ゲートを通過。

 

 

雨こそまだ降っていないが、景色は霧で真っ白である。ただ、おかげで暑くはない。

 

 

展望台の下まで上がって来た。なお、展望台の周囲にも野菜畑があり、ジャガイモの他、小さいキャロットが土から抜かれたまま放置されていたりした。

 

 

展望台から望む「テラガ・ワルナ」=ワルナ湖の景色。正直…真っ白。この湖景色の画像は、風により辛うじてガスが薄くなった時に、急いで撮影したもの。

 

テラガは「湖」で、ワルナとは「色」という意味。いわば「彩湖」。陽の当たり具合で、湖面の色が緑や青に変化することがその名の由来らしいが、この日は太陽が隠れたまま真っ白で、湖面の色が変わることはなかった。

 

 

この日は土曜日ということもあってか、「嘆きの丘の展望台」にはインドネシア人観光客がたくさん来ていた。外国人観光客は俺1人?っぽい。そういや、同じインドネシアの西スマトラ州のパガルユン王宮を訪れた時も、結構な人数のインドネシア人観光客がいたけど、あからさまな外国人は俺1人だったな…ということを思い出した。どちらの観光地も、知る日本人はごく少ないであろう。

 

そして、どうやらディエン高原に来るインドネシア人は、景色や遺跡よりも涼しさそのものを楽しみに来ている様子が窺えた。また、展望台を下りたところではフクロウとの記念撮影が行われていて、けっこうな客だかりになっていた。なぜここでフクロウ? 何かの由来か所縁があるのかもしれんが、わからん。確実に有料であろうから、撮らなかったが。

 

 

道端には紫陽花が咲いていて、霧雨の天気に良く似合っていた。ヤシンさんに聞いたところ、現地名「エーデリス」とのこと。

 

続いて車で移動し、ビーマ寺院遺跡へと向かう。

 

 

ビーマ寺院遺跡に到着。外観を撮影。ヒンドゥー寺院で、ディエン高原の遺跡の中では新しい方のものらしい。入場無料。建物の中に彫像等は無し。

 

続いて車で「シキダン・クレーター」へと向かう。

 

 

 

シキダン・クレーターは地熱地帯の硫黄噴泉である。入場料Rp5000(61.5円)。チケットには正式名称の「カワー・シキダン」と書いてある。シキダンとは地名(たぶん)で、カワーはインドネシア語で「火口」の意味らしい。

 

 

シキダン・クレーターの入口。ヤシンさんに「マスク要るか?」と聞かれ、おそらく有料なので「要らない」と返答。ヤシンさん自身は持参していたマスクをして、ここでは敷地内まで俺と一緒に付いて来た。ヤシンさんの入場料は「(ガイドではないが)観光業従事者」として無料だった様子。

 

 

中に入って長い木道の遊歩道を進むと、テントがかなり密集した箇所があり、硫黄採取のテントか、岩盤浴のオンドルか?と思ったが、すべて観光客相手の飲食物販売や土産物屋のテントであった。

 

 

長い木道の遊歩道を歩き、噴泉池へと向かう。日本では「地獄谷」などと呼ばれているものが、ジャワにもあった。ただ、温泉としては使われていない様子。また、少し離れたところで硫黄の採取は行われているが、すべて大規模な重機によるものであったようだ。

 

 

噴泉池に到着。凄え。画像では写らないが、池の中では噴熱泉がボコボコと沸き立っている様子が肉眼で見える。なかなか貴重な見所だ。ドライバーのヤシンさんも、仕事でもここに来るのは稀なのか、スマホで噴泉池の撮影をしていた。

 

ただ、噴泉池の周りに柵は設置されているものの、日本と違ってガス発生地帯に近づく基準が緩いのか、硫黄臭が非常に強い。源泉掛け流しの温泉が大好きな俺でも硫黄ガスにやられたのか、少し気持ち悪くなった。この場にもたくさんのインドネシア人観光客が来ていたが、全観光客の3割くらいがマスクをしており(ヤシンさん含む)、噴泉池の周囲で物売りが売っているマスクがそこそこ売れていた。後に、敷地出口の近くでは、硫黄の臭気にやられたのか、嘔吐している人もいた。

 

木道の遊歩道に沿って、噴泉池の周囲を撮影しながら歩く。すると、ムスリム(イスラム教徒)の女性が遊歩道の上から折り畳み傘を遊歩道の外側に落としてしまっていた。遊歩道には高さがあるので、けっこう下の方に落ちてしまった。

 

遊歩道の外側といっても、噴泉池とは逆側なので、取りに下りても熱泉に落ちるような心配はない。傘の持ち主の女性は思案の上、柵を乗り越えて傘を取りに行こうとしていた。ただ、柵を乗り越えなくても、遠回りをすれば柵をくぐって段差なく遊歩道の外側に下りて、傘を拾うことができる。とはいえ、ムスリム女性の服装では、それも難しそうだ。

 

なので、俺が「待ってなよ」と言って、さっと遠回りし、柵をくぐって外側に下り、傘を拾って来てやった。すると、そのムスリム女性にえらく感謝されて、記念撮影をお願いされて応じたりした。

 

シキダン・クレーターから退場するため、ヤシンさんに付いて行って出口に向かうも、道に迷ってしまう。どうやら来た道を引き返すのではなく、先に見たテント群の飲食物・土産物販売の通りの中を通らないと出口に出られないらしい。「ジャワ島の観光地あるある、入口と出口が違いがち」。なるほど、だからここでは、ちゃんと駐車場に戻れるように、敷地の中をヤシンさんが同行してくれたのか…って、そのヤシンさんも迷ってたんだけど。

 

 

引き返して出口に向かう最中に見かけた、別の小さな噴熱泉池群。日本の「大涌谷」などを思い出す。陽の当たり具合で色が変わるワルン湖は日本の「五色沼」だし、いわゆる見所の内容が日本とインドネシアとで共通しているのは面白い。

 

ていうか、美しいとか、興味深いって対象の性質は、人類共通なのかもしれない。昔、ホームステイ先の南海ミクロネシアの島民が、水平線から上がり下がりする朝日・夕陽を「観慣れているけど、それでも美しい」と言っていたっけ。

 

 

テント群の飲食物・土産物販売の通りの中を、ヤシンさんの後ろに付いて進んで行く。売り物の飲食物に興味はあったのだが、見ていたらキリがないのでスルーして進んだ。

 

敷地出口から退場する。ところが、入口と出口が違うため、ヤシンさんにも車を停めた駐車場がどこにあるのかがわからなくなっていた。車を探し、見つかり、乗る前にトイレに行くために駐車場近くの食堂・屋台エリアに寄る。そこには揚げ物を売っているワルン(屋台売店)があった。

 

 

屋台で売っていたタフゴレン(揚げ豆腐)。1個Rp3000で、3個単位からの購入でRp9000(110.7円)とのこと。腹が空いていたので購入する。最初、タフゴレン3つを注文したら、隣にテンペゴレン(揚げ納豆)があり、同じ値段だというので、1つをタフゴレンと交換した。

 

すると、売店のお姉さんが別の揚げ物を指して「これも美味しいわよ」と。これも同じ値段だというので、これも残り2つのタフゴレンのうちの1つと交換しようしたところ、売店のお姉さんが「これは私からのサービスよ」と言って、くれた。そして、隣にいる店主と思われるお婆ちゃんに「いいでしょ?」と。お婆ちゃんも「いいよ」と。

 

え? 結果、3つRp9000の揚げ物を、同じ値段で4つゲットしてしまった。これはありがたいサービス…ていうか、凄え、良いのかインドネシア? 馴染みの店ならまだしも、観光地前の売店でディスカウントってのが凄い…。

 

 

揚げ物をおまけしてくれた屋台売店。左側に立っているのが、おまけしてくれたお姉さん。ムスリムのスカーフとマスクで顔がよく見えないが、たぶん俺よりは年下だろう。中央に立っているのが、おまけをOKしてくれた店主らしきお婆ちゃん。多謝。なお、おまけしてくれた揚げ物は、車内で食べたら「かき揚げ」であった。

 

俺はインドネシアに来て以来、会うのは良い人ばかりで、「恩を受けてばかりじゃいられない」という思いもあった。だから、シキダン・クレーターで傘を落としたムスリム女性がいた時は、ムスリムの服装では取りに行くのも難儀だろうと思い、自発的に手助けをした。「恩返し」ならぬ「恩送り」。ところが…俺が恩を送った、その直後に、恩が巡り巡って、少額とはいえ「揚げ物おまけ1つ」という形で早くも俺の元にやって来た。インドネシア、凄すぎる…。

 

車に乗り、次の目的地であるガトッカチャ寺院遺跡への移動中、買った揚げ物を食す。

 

 

 

タフゴレン(揚げ豆腐)とテンペゴレン(揚げ納豆)。美味。

 

 

そして、かき揚げ。ヤシンさんに聞いたらインドネシア語で「バックワン」という名称らしい。美味。

 

ガトッカチャ寺院遺跡に到着。ヒンドゥー教寺院で入場無料。建物の塔上部が修復されておらず、寺院の中には台座のみがあり、彫像は無し。

 

ガトッカチャ寺院遺跡の観光を終え、隣の駐車場に戻ると、ヤシンさんがガラムを吸って休憩していた。ヤシンさんが次に進もうとするので、「いいよ、煙草吸い終わってからで」と言って留める。俺は煙草は吸わないが、ガラムの煙の甘い匂いからは31年前のジャカルタでのホームステイの頃が思い出されて懐かしい。

 

ヤシンさんは英語は上手いが、日本語は一言も話さない。18歳からドライバーの仕事をしていて、キャリア15年の33歳。ツーリストドライバーとしては、その都度、いろんな旅行会社と提携して働いているという。コロナ前はツーリストドライバーとしての仕事も結構あったらしいが、コロナ解除になった今も日本人客は「全然来なくなった」と話していた。

 

この後、車は駐車場に停めたまま、俺は徒歩で1人でカイラサ博物館、ストヤキ寺院、アルジュナ寺院群を巡ることとなった。

 

続く。

バスターミナルにて、ジョグジャカルタ(以下ジョグジャ)行きの市バスに乗車。黄色と緑色の車体の「トランスジョグジャ」という名称のバスで、行き先はジョグジャの街の中心地、「マリオボロ通り」の「マリオボロ1」バス停である。急いで飛び乗ったため、バスの外観を撮ることはできなかった。

 

バスの車内には車掌がいて、乗車時にe-moneyカードを差し出すと、そこから料金を徴収された。プランバナンからジョグジャまでのバス代はRp2,700。なんと33円! ガイドブック等の情報によるとRp3,400~3,600と書いてあるので、こちらも実際の方が安い。これも、この日が祝日ゆえの割引料金なのか…?

 

そして、俺はこの33円のために、インドネシアに到着した当日、空港内のコンビニのインドマレットでe-moneyカードを買った。現在のジョグジャ(インドネシア都市部の全体が?)では、現金支払いで市バスに乗ることができない。e-moneyカードやその他のICカードなど、キャッシュレス支払いにしか対応していないのだ。

 

なので、市バスに乗りたいなら旅行者も現地にてe-moneyカード等を購入する必要があるのだが、これがなかなか売っていない。e-moneyカードは「銀行やコンビニで売っている」とされているが、実際には「ほとんどの店で売り切れていて在庫がない」のだ。俺はそのことを事前に知り、Javanava TravelcafeのオーナーNさんから「空港内のインドマレットならe-moneyカードの在庫がある可能性が高い」と教えてもらっていたので、入手することができた。

 

では、e-moneyカードを持っていない(≒入手できなかった)旅行者はどうすれば市バスに乗れるのか。一説では「車掌によっては現金支払いで乗せてくれる人もいる」という、何とも不安定要素が高い(かつ『インドネシアあるある的』いい加減な)情報もあったのだが、それも少し前までのことである可能性が高く、今は完全キャッシュレス支払いオンリーになっていることが察せられる。

 

実態として行われているのは「たまたま乗車待ちの列に居合わせた、e-moneyカード等を持っているインドネシア人にお願いして、その人に現金で支払い、その人のe-moneyカードから車掌に同じ料金を支払ってもらう」ということらしい。それがオフィシャル・システムというわけではなかろうが、この方法以外、e-moneyカード等を持っていない外国人旅行者が市バスに乗る方法は無い。

 

特に、世界中を旅しているバックパッカーで、ジョグジャには寄り道的な観光に訪れた者の中には、運良くe-moneyカードが買える状態にあるとしても、それに金銭を支払うことを勿体無いとして嫌がる人もいる。そういう人は、居合わせたインドネシア人に声をかけまくって、上記の方法で市バスに乗るのが「実態として普通の方法」らしい。

 

確かに俺自身、インドネシアに来て以来、こっちの人達が親切で優しいことを実感している。勿論、雰囲気や様子で相手を選ぶ必要はあるだろうが、多くの人は快く「代理キャッシュレス支払い」に応じてくれるだろうし、それをきっかけにバスの車内で現地の人と交流することもできるだろう。

 

その意味では俺も代理キャッシュレス支払いをやってみたかった気もするが、俺は普通にe-moneyカードを持っているので、普通に支払った。ていうか、確実にバスで移動したかったので、e-moneyカードを入手しておいたのは、絶対的に得策であった。

 

後日、ツーリストドライバーのヤシンさんに聞いたところ、e-moneyカードはジョグジャだけでなく、インドネシア全域で通用するキャッシュレス用カードらしい。てことは、いつかバリ島とかに行った時にも使えるということか。尤も、その頃にはさらにIT化やキャッシュレス化が進み、(日本でテレホンカードが廃れたように)違うシステムに進化しているかもしれないが。
 

 

市バス「トランスジョグジャ」の内部を撮影。車内は冷房が効いていて涼しく、座席に座っているだけで良い休憩になる。

 

 

バスは大通りの「ラヤソロジョグジャカルタ通り」を西へと進んで行く。バスの車窓から、前日にモーターベチャで訪れたカラサン遺跡の頂部が見えた。その後、ジョグジャが近づくにつれ、乗客が増えて来た。

 

 

 

「マリオボロ1」バス停に到着。下車する。

 

ジョグジャカルタは日本でいうと京都に匹敵する、歴史のある古都である。ただ実際には、特に旅行者にとっては、現在のジョグジャは世界遺産の観光地であるボロブドゥル遺跡やプランバナン遺跡の「ゲートシティ」としての側面が強い。今回の俺自身も、ジョグジャでは食事や土産購入の目的はあったものの、基本的にはトランジットのための滞在であった。

 

 

マリオボロ通りは観光地にして、インドネシア最大の繁華街と言われており、洗練された雰囲気のデパート店から雑多な屋台売店までが軒を連ねている。通りには通行車両も多いが一方通行なので、道路は渡りやすい。一部、物乞いはいるようだが、治安も良くて夜も一人で出歩ける、雰囲気の良い通りである。

 

 

マリオボロ通りに「馬車タクシー」が停まっていた。この馬車タクシーはインドネシア各地に広く存在し、それぞれ地域名があるという。ジョグジャ(ジャワ島)の馬車タクシーは「アンドン」といい、ジャワ島の伝統的な交通手段で、俺自身、31年前にジョグジャに来た時も短距離だが乗った憶えがある。

 

画像のアンドンは観光客向けで、馬の頭や背中に派手な飾り物を装着されている。アンドンは元々は王室用の移動手段だったらしいので、それを模しているのであろう。また、画像のアンドンは車輪が四輪だが、地域によっては二輪のものもあるらしい。

 

アンドンは馬車ではあるが、速度は遅く、俺が31年前に乗ったアンドンの馬はよぼよぼで痩せた老馬であった。要は動力としてはそれでも事足りる乗り物ということ。ただ、それだとあまりにみずぼらしいからか改善されたようで、現在のアンドンの馬は皆若く、身体のツヤも良かった。

 

 

マリオボロ通りにはインドマレットやアルファマートなど、e-monyカードが使えるコンビニが多数あり、同じ通り沿いにいくつもの同系列の店舗がある。インドマレットで紅茶、水、テンペチップスを購入し、通りのベンチで飲食の後、Wi-fiを繋げるために観光局に向かうことにする。

 

俺のスマホは海外ではWi-fiが通じるエリアでない限り、通信機器としての用途を果たさない。なのに、ここジョグジャで泊まる予定の宿「シンガマカナン」は、スマホ使用のセルフチェックインの宿であった。要は、現地にてチェックイン当日、電話やE-mail、LINEなどで宿のオフィスに連絡を入れ、ボックスキーのナンバーを聞くことで、宿の建物の中に入れるというシステムである。しかも、そういうシステムの宿であるということを知ったのは、行きの飛行機の中で予約票を見ている時だった。

 

インドネシア到着の日、支払いのためJavanava Travelcafeに寄った時、オーナーのNさんに事情を説明し、その場でスマホで宿の「シンガマカナン」のオフィスへの連絡を試みたのだが、俺のスマホの通信環境は非常に限定的であり、宿のオフィスには繋がらず、LINEも機能しなかった。辛うじて、俺のスマホとNさんのスマホでE-mailのやり取りができることだけは確認できたので、有り難くも当日のセルフチェックインをNさんに助けていただくことになった。

 

その手順としては、チェックイン時刻は12:30。12:15になったら宿の「シンガマカナン」のオフィスからNさんのスマホにボックスキーのナンバー等についての情報が伝えられる。それをNさんにE-mailで俺のスマホに送ってもらい、俺はそれまでにジョグジャでWi-fiが繋がる場所を確保して、時刻通りにNさんから情報を受け取る、という手筈である。

 

ジョグジャでWi-fiが繋がる場所に関しては、Nさんから「マリオボロ通り沿いではカフェでも店でも、Wi-fiの電波を引いている。店員に聞けばパスワードを教えてくれる」と聞いていた。ただ俺は正直、インドネシアでなら飲食は屋台でしたい人間であり、カフェに用は無い。なので、他にWi-fiが繋がる場所を想定した時に、「観光局ならどうだろう?」と思っていたのだ。

 

インドネシア2日め、レンタル自転車返却のためにJavanava Travelcafeに寄り、そのことをNさんに伝えたところ、「こっちの観光局は日本と違って、スタッフが不在のこともあるので、Wi-fiを繋げられるかどうかはわからない」との旨、情報を聞いていたが、ともあれ試しに観光局に行ってみることにした。

 

 

マリオボロ通り沿いにある観光局に到着。中に入ると冷房が効いており、女性スタッフが2人いた。俺が「ホテルのチェックインのためにWi-fiを繋げたいんですが」と伝えると、やり方を教えてくれて、「Accept」を押したらパスワード無しで普通にWi-fiに繋ぐことができた。

 

時刻は11:45。テストメールをNさんに送ったところ、その時点でまだ「シンガマカナンから連絡は来ていない」とのこと。ともあれ、これでセルフチェックインのための通信手段は確保できたので、チェックイン時刻が来るまでの間、いったんどこかで飯でも食べたいと思い、再びマリオボロ通りを歩くことにした。

 

 

マリオボロ通りを歩いていると、「パサール・ブリンガルジョ」の看板を発見。パサールとは「市場」のこと。市場の中にはフードコート的な屋台売店があるはずなので、入ってみることにする。

 

 

中に入ると、衣類や布生地を中心に売っている市場である。事前に情報収集をしていた際に、YouTubeで観たことがある。

 

 

階段で3階に上がるとフードコート的な場所があったので、ここで昼食を取ることにした。

 

 

フードコートにはそれぞれ店舗を構える店があるのだが、その中に敢えて(?)屋台売店の店があったので、ここで買って食べることにする。屋台には「SOTO KUDUS」とある。ソト・クドゥス。この屋台で供する料理名のようだ。ソトとはインドネシア語でスープのこと。クドゥスとは、この時はわからなかったが後日にツーリストドライバーのヤシンさんに聞いたところ、中部ジャワの北岸の町の名称らしい。

 

 

ナシプティ(白米)、チキンカリースープ、テンペゴレン(揚げ納豆)の他、腸・砂肝・心臓・ウズラ卵のサテ(串焼き)を各1本、計4本。これにエステー(アイスティー)をつけて、Rp43,000(529円)。美味。

 

ただ、どの店もそうだけど、安いと思って調子に乗ってトッピングを付け過ぎると当然に高くつく。また、屋台でも店内食事ではドリンクを付けると高くつく。まあ、食いたいから良いんだけど。

 

食後、せっかくなので市場内の眼鏡屋にて、安かったのでゴーグルタイプのサングラスを購入した。Rp45,000(553.5円)。登山をする俺にとって、サングラスはすぐに傷む消耗品なので、安いもので良い。

 


13時頃、観光局へと戻りWi-fiを繋ぐと、Nさんから連絡が来ていた。セルフチェックイン用のボックスキーのナンバーが伝えられたので、宿のシンガマカナンへと向かう。

 

 

宿のシンガマカナンに到着。シンガマカナンはマリオボロ通りの東側に平行して伸びるマタラム通り沿いの小径を入ったところにあるのだが、小径の入口には目印もないので場所が非常にわかりにくい。一応、小径の入口には安食堂があるものの、この地域には安食堂は他にも多数あるので、目印にならない。それでも、俺は事前によく調べておいたので、到着することができた。

 

シンガマカナンの玄関脇のボックスキーのナンバーをNさんから伝えられた番号で合わせるとボックスが開き、玄関と部屋の鍵が出て来た。これでセルフチェックイン完了。中に入ると…凄い、本当に誰もいない。これをホテルと言って良いのだろうか?という感じの、まるで空き家である。

 

 

シンガマカナンの玄関&応接間を撮影。戸棚の中には装飾品等が収められており、キッチュ(紛い物風・安っぽい)だがそれなり風のものもある。元々金持ちの家→普通のホテル→無人ホテルへと変わってきたのだろうか? それにしてもこんなスタイルの宿は初めてだ。フロント無し、スタッフ不在って、山の避難小屋かよ、と。

 

 

キッチンにはフリードリンクのインスタントコーヒーや紅茶が置かれており、湯も沸かせるので、滞在中、がぶがぶと飲んだ。

 

 

2階に上がると広めの共用スペース(兼、廊下)があり、客室4つのドアが面していた。

 

 

客室の内部を撮影。部屋の中にはエアコンは無く、玩具みたいな扇風機があるだけで、暑い。ただ、蚊はいなくて、共用スペースには殺虫剤も常備してあった。これで1泊1287円(予約時クレカ決済)。まあ、お手頃価格ではある。

 

この後、1階に移動してシャワーを浴び、洗濯をしていると、2階から物音がした。どうやら俺以外にも他3つの部屋のどこかに宿泊者がいることが伺えた。

 

 

身支度を整え、再びジョグジャの町にジャランジャラン(散歩・散策)へと出る。目的地はクランガン市場。繁華街中心部から北の方にある、生鮮食品等を中心に扱う市場で、俺はそこで日本への土産用のコーヒーやジャワティーを買うつもりでいた。

 

 

ジョグジャカルタのサインボードがあったので撮影。ちなみにスペルは「Yogyakarta」なので、普通に読むと「ヨグヤカルタ」と読めてしまう。実際、ジョグジャカルタの「英語表記」は「Jogjakarta」と書き、現在の現地では英語の「J」の方のスペルで商標登録している店や法人も多いのだという。

 

 

列車の「トゥグ駅」近くの踏切を渡る。ここの踏切は、柵が自動で横にスライドして開閉するシステムとなっている。色も従来の踏切の色である黄・黒の部分もあるが、メイン配色は赤・白となっており、ぱっと見ではこれが踏切とは気づけない。赤・白なのは、インドネシア国旗の配色だからだろうか?

 

 

踏切を渡って少し歩いたところにある「トゥグの塔」。外観を撮影。こんなんだけど、「世界遺産」に認定される「ジョグジャカルタの歴史的建造物群」を構成する1つである。

 

1750年代の当時の王によって建てられたのが始まりで、その後、地震による崩壊等で建て替えられたりして、その際にデザインも変えらて現在に至る。ジョグジャのシンボルである歴史的なランドマークらしい。正式名称は「トゥグ・パル・プティ」。トゥグ自体に「塔」という意味があり、プティは「白」で、パルは「最も」を示す様子。すなわち、和訳すると「最白塔」。なるほど、外観をそのまま表した名称である。

 

ただ、外国人観光客に示すこの塔の通称は「トゥグの塔(トゥグ・タワー)」である。これを和訳すると「塔塔」。なんじゃいそりゃ、という感じだが、他民族国家にはよくあるネーミングでもある。

 

例えば、マレーシアのクアラルンプル郊外にある「バトゥ・ケイブ」はバトゥ=マレー語で洞窟、ケイブ=英語で洞窟、だからバトゥ・ケイブを和訳すると「洞窟洞窟になる」と、昔、留学生の中華系マレーシア人の友人に教わったことを思い出す。ちなみに俺は当時、その友人の母国の実家にホームステイさせてもらった。そして、インドネシア語とマレー語はほぼ同じである。

 

尤も、このすぐ近くにある駅の名称は「トゥグ駅」なので、「トゥグ=塔」自体がすでに地名になっている可能性はある。沖縄の世界遺産「琉球王国のグスク関連遺産群」を構成する1つの「中城城」みたいな感じか。「中城」の地名の由来自体がその地にある城にあるわけだ。トゥグ・タワーやバトウ・ケイブもたぶん、それと同じようなこと。鑑みると、中城城は現在、「なかぐすくじょう」と読むが、正式には「なかぐすく・ぐすく」と読むのが筋であろう。

 

そして、俺は今回、ジョグジャの世界遺産にして観光地のクラトン(王宮)とタマンサリ(水の離宮)は訪れていない。このトゥグの塔1ヶ所を観ただけで、俺は「ジョグジャの世界遺産を訪れた」ということができるのであろうか? 一部を訪れたことには間違いないが…と思ったりした。

 

 

クランガン市場に到着。早速、中に入ってみるが…

 

 

市場の店はそのほとんどが閉まっていた…。いや、事前情報で14時には多くの店が閉まっているとは知っていたのだが。コーヒーや紅茶を売る乾物店の類の1つくらいは開いているだろう、と思っていたら、見込みが甘かった。しょうがない、日本への土産のコーヒー・紅茶は明日、ツーリストドライバーのヤシンさんに頼み、ディエン高原に行く途中で買うことにし、クランガン市場を出て、いったん宿に戻ることにする。

 

 

市場の周囲は半露天の歩道が囲んでいる。そして、そこに残された「台」を見るに、午前から昼にかけてはこの歩道にも数多くの売店が並ぶことが伺えた。

 

そして…ハッキリと思い出した。俺は31年前に、この市場にジャカルタのホームステイ先のファミリーと一緒に来たことがある。半露天の歩道の柱の様子に憶えがある。確か、この半露天の売店の1つに本屋みたいなのがあって、使えないインドネシア語の辞書を買った。そして、てことは俺が31年前にサラック(スネークフルーツ)を買ったのは、このクランガン市場だったということがわかった。

 

 

クランガン市場の近くには中国寺院がある。門が閉まっていて敷地内に入れなかったので、本堂を敷地の外から撮影。この中国寺院の存在も、31年前に見聞きしていたと思われるが、さすがに記憶には無い。

 

午後の散策では行きも帰りも、コンビニのインドマレットやアルファマートにて、e-moneyカードで水、コーラ、オレンジジュースなどドリンクを購入した。途中でe-moneyのチャージが足りなくなり、現金で支払ったりした。午後は雨には降られなかったものの、足裏にマメができてきて、痛み出した。

 

 

宿に到着。部屋に入って着替えや片付けをしていたところ、玩具みたいな扇風機のコードに足を引っかけてしまい、玩具の扇風機が倒れて大破してしまった。

 

 

玩具みたいな扇風機、在りし日の姿。

 

 

玩具みたいな扇風機、倒れて大破した姿。

 

扇風機の5枚の羽根のうち、3枚が根本から割れて取れてしまった。羽根が外れたのではなく、割れている。って、いや、これ悪いの俺か? 確かにコードに蹴つまづいたのは俺の不注意だが、この扇風機が低品質過ぎるだろ? 本当にオモチャみたいな扇風機で、羽根の周りにカバーも無い。羽根が折れたのも、プラスチック製の羽根の材質が劣化していたからだ。

 

いや、そんなことより、だ。この暑いインドネシアで、部屋にエアコン無し、扇風機無しじゃさすがに暑くて寝られたもんじゃない。壊れた責任だの弁償だのの前に、この夜にいかにして快眠を取るかの方が当面の解決すべき事項だ。そう思いつつ、部屋の外の共用スペースに替えの扇風機でも無いか探したが、見当たらない。ただ、替わりに共用スペースの天井部に大きいファンが付いており、壁のスイッチを押すと動くことが判明した。

 

どうやら、この天井部の大きいファンの下にベッドを持って来れば、夜に寝ることができそうだ。少なくとも扇風機が無い客室内で寝るよりは快適に寝れる。ただ、それには一応、隣の部屋に泊まっている客に事情を説明し、事前に承諾を得た方が後々のトラブルにならないだろう。そう思い、隣の部屋をノックして、声をかけた。すると、出て来たのは若いインドネシア人女性で、どうやらカップルで泊まっている様子であった。

 

俺が事情を話して、「この共有スペースで寝て良いか?」と言うと、その女性が英語で「ホテルのオフィスに連絡してみたら?」と。俺が「俺のスマホはインドネシアでは通信機能として機能しない」との旨、英語で伝えたところ、その女性が自身のスマホを使って、壊れた扇風機の写メを撮り、LINEでホテルのオフィスに連絡を入れてくれて、「これでオフィスから連絡があると思う。連絡が来たら伝えるわね」と言ってくれた。有り難い。

 

かつ、女性の部屋にあった扇風機も貸してくれた。良いの? いや、ありがたい。女性は「私達(インドネシア人)は暑さには慣れてるからしばらくは大丈夫よ」と。しかも、その女性の部屋にあった扇風機は、俺の部屋にあったオモチャみたいなのと違って高性能で本格的な家電製品である。俺はこの後は夕食を食べに外に出るつもりだったが、室内で扇風機を回しておけば洗濯物が早く乾くので助かる。

 

その女性はバリ島から来ているインドネシア人で、「バリ島にはサーフィンで来る日本人がよくいる。私にはヤスコという名の日本人女性の友人がいる」等、話していた。インドネシア人は本当に優しくて親切だ。有り難い。そして、このシンガマカナンのような類の宿も、インドネシア人が泊まる分には何の差し障りも無いのであろう。

 

 

日が暮れてだいぶ涼しくなったので、夕食がてら夜のジャランジャラン(散歩・散策)へと出た。

 

ところで、ジョグジャの名物料理に「ナシ・グドゥッ」というのがある。グドゥッとはジャックフルーツ(現地名ナンカ)を甘辛く煮たもの。他に、やはり甘辛く煮たチキンや茹で卵などと合わせてナシ(ご飯)と一緒に1プレートにしたものがナシ・グドゥッである。俺は31年前にナシ・グドゥを食べたことがあるのだが、その時の感想は「甘いカレー」と。

 

そして、ナシ・グドゥッはジョグジャ以外では食べられる店がほとんどない。俺自身、31年前以来、ナシ・グドゥを食べることはなかったので、今回、ジョグジャでの滞在中、改めてナシ・グドゥがどんな味だったかを食べて確認しようと思っていた。ところが…そのナシ・グドゥッを出す店がなかなか見つからない。ナシ・グドゥッを出す店がある地域には、出す店が複数密集しているということらしいのだが。

 

 

店を探しながら歩いていると、「グドゥッ」との表示がある屋台を発見。てことは、この屋台でナシ・グドゥッを食べることができるはず。片言のインドネシア語と指さしで注文した。

 

 

出された料理。画像右側にある黄色いのがチキン、左側のブヨブヨしたものが正体不明であったが、後日にヤシンさんに聞いたところ「クレチェック」という名称の「牛の皮(ゼラチン?脂肪?)」とのこと。その下にサユール(野菜)、グドゥッ(ジャックフルーツの甘辛煮)、鶏のレバー、茹で卵、ナシ(飯)ががっつりと入っており、Rp41,000(504円)。ここで食べると言ったが、基本、テイクアウト用の屋台のようで、紙の中に包むようにして提供してくれた。

 

屋台の女性店員(おそらく店主)に「これってナシ・グドゥッなの?」と聞いたら、「ナシ・プチェルよ」と。確かに、屋台の表示は「グドゥッ&プチェル」とある。この場合のナシ・プチェルというのは、要は「おかず乗せご飯」のような意味と思われる。つまり、提供する料理の中にグドゥッ=ジャックフルーツの甘辛煮があるのは事実だが、それは多数ある惣菜のうちの1つだから、正しくはナシ・プチェルである、と。

 

ただ、グドゥッも売っている以上は、屋台の表示の「グドゥッ&プチェル」に偽りは無い、ということのようだ…なんかよくわからんというか、聞いた時に「ええ、これがナシ・グドゥッよ」と言ってくれた方が単純でわかりやすかったのだが。

 

屋台の周りには椅子があるが、すべて客で埋まっていたので、俺は立って食べていた。すると屋台の男性店員が客に声をかけて、椅子を1つ譲ってくれて、俺に座らさせてくれた。インドネシア人は優しい。

 

食後、マリオボロ通りの周辺を散策していたところ、マリオボロ通りと交差する小径のダゲン通りにナシ・グドゥッの店が密集しているのを発見した。残念だが、今は屋台で「ほぼナシ・グドゥッのナシ・プチェル」を食べたばかりなので、明日の夕食で食べることにし、散策しながら宿へと戻った。

 

 

マタラム通りから宿のシンガマカナンに通ずる小径の入口にある安食堂が開いていた。食堂の名称は不明。「事実上ナシ・グドゥッであるナシ・プチェル」は食べたものの、その後もけっこう歩いて小腹が空いていたため、この安食堂に入って軽く食べてから帰ることにする。

 

 

食堂内部の壁に張られていたメニューポスター。大きく「スブラック」とある。スブラック…? 画像を見る限り、どうやらインスタントラーメンのことをスブラックというのだろうか? 値段も多くのメニューがRp9,000(111円)と安い。店員にオススメを聞くと、「スブラック・チェッカーはどうだい?」と言われた。上から3つめのメニューで、値段はRp9,000である。

 

チェッカーが何を指すのかは知らないが、それを注文。店員に「ドリンクは?」と聞かれたので、英語で「俺はすぐそこの宿に泊まっている。ドリンクは宿にたくさんあるから、ここでは要らない」と返答した。実際、店ではドリンクを頼まなければ、値段をかなり安く上げることができる。

 

 

スブラック・チェッカーが出て来た。まずは1口。少し辛めのインスタントラーメンで普通に美味い。ところが2口め、インスタントラーメンの中から「鶏の足」が出て来て驚いた。チェッカーとは「鶏の足」のことだったのだ。後日、ヤシンさんに聞いたところ、鶏足はバンドゥン(ジャカルタに近いジャワ西部の大都市)地方でよく食べられる食材らしい。

 

宿に戻ると、1階の応接間に隣の部屋の女性宿泊客がいて、「宿のオフィスから連絡があった」と教えてくれた。「扇風機の替りに、1階にある空気清浄機を使え」とのことで、そのようにする。1階の空気清浄機を俺の部屋に持ち込み、隣の部屋から借りていた高性能の扇風機は隣の女性宿泊者に返却したのだが…正直、空気清浄機よりも、この隣の部屋の高性能の扇風機の方が断然に良かったなあ、と。

 

夜、1階の応接間で日記を書いていると、外は雨が降って来た。玄関の扉を開けておくと涼しくて良い。そして、足のマメが痛い。日記を書き終え、部屋に戻って就寝。旅も終盤に入り、明日はツーリストカーでディエン高原の観光である。

 

続く。