1月19日
朝起きても、建物内の一部停電は直っていない。まあ、いい。今日の俺は、後は日本に帰るだけだ。
ヤシンさんが空港送迎に来るのは10時。それまでは自由行動が取れる。7時に宿を出て、日曜日の朝のマリオボロ道路周辺のジャランジャラン(散歩・散策)に向かった。とりあえずは朝食である。
宿から通ずる小径を歩き、マタラム通りに出ると、屋台売店があった。
屋台売店の店員はおばちゃんが2人。テーブル1つだけの売店前方には「ロントン・サユール」との表示がある。
ロントンはバナナの葉で包んだ「ちまき」、サユールは野菜のこと。カレーっぽいスープがついており、これが野菜の煮込みスープということのようだ。食べる場所がないので、テイクアウトで購入する。合わせてRp12000(147.6円)。店員のおばちゃんが、ロントンはバナナの葉から出して切ってくれて、プラスチックパックに入れてくれた。カレーっぽいスープはビニール袋に入れてくれた。
いったん宿に戻り、キッチンにてビニール袋に入っていたカレーっぽいスープを椀に移し、ロントンと一緒に食す。スープの具は大根のような野菜、タフゴレン(揚げ豆腐)、茹で卵。素朴で美味な味だ。
これらの料理は、おそらく屋台売店のおばちゃんが前夜に調理し、早朝から売って、売れ残りは自分達で食べるのであろう。実にシンプルな屋台売店の在り方だ。
ロントンとカレーっぽいスープを食べ終えて、再び宿から外に出る。ちまきとスープだけでは正直、俺には足りないので、何か他の屋台売店がないか、マリオボロ通りへと向かった。
マリオボロ通りを歩いていると、何やら行列ができている。その先を見ると、屋台で何らかの食料を配布していた。場所柄的にも、客層的にも、貧困層への炊き出しではない。怪しい雰囲気はなくて和やかなので、せっかくなので並んでみることにした。
屋台には「ゲロバック・スハット」と「サラパン・グラティス・グラティス」と表示されている。事後調べによると、ゲロバックはインドネシア語で「健康」、スハットは「カート」の意味。「健康カート」…これは企業名か? サラパンは「朝食」、グラティスは「無料」の意味。どうやら、食品メーカーだか飲食店だかのキャンペーンで日曜の朝のフリーサービスであった様子。
提供されたのはコーン、キノコ、ニンジン等が入ったクリームシチューみたいなもの。まあ、普通に美味い。
屋台の周囲のベンチには、このクリームシチューを食べている多数の人達が座っていた。俺もクリームシチューを貰って、座る場所がなくて立ち食いしていたら、インドネシア人男性の1人が「こっち空いてるよ(座って食えよ)」と言ってくれた。こっちには本当に、親切で優しい人が多い。
さらにジャランジャラン(散歩・散策)をし、昨夜にナシ・グドッを食べた店があるダゲン通りに来た。そこに「ナシ・ソト(白飯・スープ)」の屋台があり、「ソト・アヤム(スープ・チキン)Rp12000」の表示が為されていたため、食べることにした。
「ナシ・ソト」「ソト・アヤムRp12000」の表示がある屋台。座って食べるための椅子とテーブルもある。「サヤ・インギン・マカン・ソトアヤム(チキンスープが食べたい)、ミー(麺も入れて)、ヒア!(ここで食う!)」と注文。屋台のおばちゃんは英語を解さなかったが、注文はできた。
「ソト・アヤム」、Rp12000(147.6円)。ミー(麺)も入れてもらったが、同じ料金であった。しかも、ミー以外にもナシ(白飯)が入っていた。いわば「鶏肉汁かけ飯・麺」か。
空いていた席に座って食べようとしたら、同じテーブルの男性食事客が「これも食えよ」といって、テーブルの上にあったタッパーの蓋を開けて見せてくれた。中には小さな揚げ物が入っており、食べてみるとプルケデル(コロッケ)だった。食べても追加料金無しのフリーサービスであった。
食べていると、屋台のおばちゃんに「ダリマナ?(どこから?)」と聞かれたので、「ダリジュパン(日本から)」と返事した。俺にとってインドネシアが快適なのは、単に英語以外の外国語で、片言でも自力で使えるのがインドネシア語だけだから、っていうことかもしれん。俺は翻訳アプリとか入れてないし、あってもたぶん使えないし。
インドネシアには英語がまったく話せない屋台の人も普通にいる。そういう場合、支払い時、値段を伝えるために電卓表示してくれる屋台や店も少なくない。また、一方でこちらが片言のインドネシア語を話すと、普通に喋れると思ってバーッと話してくる人もいる。インドネシアは各地に多種多様な人種が住む他民族国家で、各民族に独自の言語があり、インドネシア語はそれらすべての人種の「共通語」という認識があるから…だろうか。
屋台での朝食のハシゴをして、十分に満腹になった。続いては、e-moneyカードの中に入っている金を使い切るため、コンビニのインドマレットへと向かう。その時点で、e-moneyの中にはRp10600が入っていた。
インドマレットにて、「ブアヴィタ」なる商品名のライチジュースをe-moneyカードで購入。Rp10300(126.7円)。これでe-moneyの中にはRp300(37円)のみが残った。なお、e-moneyカードで支払う場合、足りない分を現金で支払うということができない。まあ、ほぼ使い切ったと言えるだろう。e-moneyカード自体は、次にインドネシアに来る機会があるなら使えるし。ライチジュースは即行で飲み干し、普通に美味かった。
さらに別のインドマレットに寄り、日本への土産用として、「Qtela」のテンペチップスを購入。1袋Rp11200、それを5袋購入してRp56000(688.8円)。現金で支払った。
これにて朝のジャランジャラン終了。宿のシンガマカナンへと戻る。相変わらず、建物内の一部停電によりお湯シャワーは出ない。荷物をまとめて、ナンバーキーボックスに鍵を戻し、セルフチェックアウトが完了した。
ヤシンさんとの約束の時刻である10時に合わせて、7分前にマタラム通り沿いに出たところ、すでに近くにJavanava Travelcafeの車が停まっていた。ヤシンさんは昨日、遅刻したからか、今日は約束時刻の7分前にはすでに来て、待っていてくれていた。
車に乗り、出発。空港に行く前に、ジョグジャの名菓である「バッピア」の直営店に寄ってもらうこととする。なお、昨夜、ヤシンさんがボロブドゥルにある自宅に帰ったのは22時であったとのこと。
バッピアとは「おやき」と「パイの実」を合わせたような味で、日本でいうと東京ばなな、仙台の萩の月、広島のもみじ饅頭のようなご当地名菓である。ただ、萩の月ももみじ饅頭も、探せば東京でも東京駅とかで買える。
一方、このバッピアは、ジョグジャの街の中のどこにでも看板が出ていて、どこでも買えるが、一歩ジョグジャの外に出ると売っている店が一切なくて、買えないらしい。だからご当地名菓としての価値が高いようだ。
バッピアには「バッピア・パソク25」という有名な老舗店があり、1981年創業らしい。31年前に俺がジョグジャに来た時にも存在していたことになるが、当時のバッピアなんてメジャーではなくて、名前も聞かなかったため、俺は買ったことも食べたこともなかった。今回、事前調べの情報により、ジョグジャの土産としてバッピアが名高いことを知り、日本への土産として買って帰ることに決めていた。
当初、バッピアは空港でも売っているので、空港にて余った現金の消化を兼ねて買えば良いと思っていた。しかし、初日の空港からの送迎の際、車中でヤシンさんが「空港のバッピアは高い。ジョグジャの街の中にはバッピアの直営店がある。直営店だから安いし、工場に併設されている店なので出来立てが買えて、種類も豊富だ。最終日、空港に戻る前に寄れるよ」と言ってくれていたので、そうすることにした。
それで、最終日の待ち合わせ時刻は元々は10:30だったのだが、バッピアの直営店に寄るために出発時刻を30分早めて、10時待ち合わせに変更していたのであった。
ジョグジャカルタにある「バッピア・パソク25」の直営店に到着。
「パソク」とはここのエリア名で、現在もバッピアを製造して市場等に卸す家内工業の店が並んでいるという。25という数字は番地名で、この店は工場の所在地をそのまま企業・ブランド名として付けたらしい。他にも有名なバッピアの店で「バッピア・パトゥク75(パトゥクはパソクの別名or旧名?)」というのもあるようなので、そういうトレンドか、地域ならではのしきたりがあるのかもしれない。
日曜日の午前中ということもあり、店内は多人数の購入客でごった返していた。
直営店なので、出来立てでまだ温かいバッピアが多量に積まれており、それが端から売れまくっていた。なお、以前は工場での製造過程の様子が見学可能だったらしいが、コロナ禍もあってか、現在は衛生面を考慮して見学できなくなったのだという。
バッピアは「おやき」と「パイの実」を合わせたような菓子なので、饅頭同様、中に「味」が入っている。基本形である「オリジナル」にはインゲンマメとココナッツの餡子が入っており、他にもチーズ、チョコ、パイナップル、アラカルト(左記3種の混合)等があった。他の業者の商品のバッピアには、カスタードクリームやドリアンが入っている種類もあるという。元々は中国からの移住者が持ち込んだもので、中には豚肉が入っていたが、ローカル発展してスイーツに変わったらしい。
「バッピア・パソク25」直営店のバッピアは、味の種類に関わらず、15個入り1箱でRp35000(430.5円)。菓子1個ずつの個別包装はされていないが、これはお国柄的に仕方がない。ていうか、「配り土産用」に菓子1つずつを個別包装しているのなんて、日本だけだ。そして、賞味期限は3日程度しか保たないらしいので、近々会う予定のある人に向けての土産としてしか買えない。
ここは工場に併設された直営店だけあり、出来立ての試食もたくさん食べることができて良かった。出来立ての名菓は温かくて美味い! この多種多数の試食ができたことが、直営店に連れて来てもらえたことの何よりのメリットであった。ヤシンさんに感謝である。
自分用と友人や職場への土産用として、オリジナル2箱、チーズ2箱、パイナップル2箱、アラカルト2箱を購入。計8箱でRp280000(3444円)、現金で支払った。手提げ箱は本来Rp6000(73.8円)のようだが、無料で入れてくれた。この後、ジョグジャの空港では、この手提げ箱でバッピアを多量に持っている人が大勢いた。また、非常に混み合い、購入に時間がかかったので、宿からの出発時刻を30分早めたのは正解であった。
その後、いよいよ空港へと向かう。今日も道は事故で渋滞していたが、良い頃合いで空港に到着した。
ジョグジャカルタ空港に到着。王宮?を模したオブジェを撮影。
手元に残った現金はRp97000(1193円)。約Rp10万である。空港にて、これを「今、俺の手元に残ったキャッシュの全部」と言って、チップとしてヤシンさんに渡した。ヤシンさんは喜んで、自身のスマホでセルフで俺と一緒に記念撮影していた。まあ、正直、俺は良い客であったろう、とは思う。俺のリクエストに応じていろんな便宜を図ってくれたヤシンさん、及び、旅において諸々の手助けをしてくれたJavanava TravelcafeオーナーのNさんには感謝である。
ジョグジャの空港で飛行機に乗り、ジャカルタ、シンガポールと飛行機を2回乗り換えて、翌日に羽田空港に到着した。
1月20日
行きは成田空港だったのに、帰りは羽田空港。個人的には初めての経験だが、今時の日本からの海外旅行では普通にあることらしい。帰りもコスト重視で、特急などの追加料金の無い電車を乗り継いで帰宅した。
俺がインドネシア自体を訪れるのは、これで4回めだったのだが、今回の俺はちょっと、バックパッカー旅行をするにしても時代遅れであることを痛感した。現地・出先でのSMS認証、ワンタイムパスワード、Wi-fi、SIMカード、オンラインチェックイン。正直、わけわからん。老害になりつつある自分には、使いこなすのは無理だ…。
そして、ただでさえ俺は時代遅れなのに、発展途上国においては、そういう最新機器の扱いに長けた人であっても、現地での電話番号を所有していないとできないこと、買えないものがあったり、前日までオンラインでクレカが使えたのに翌日になり突然使えなくなることもあるという。AIやらITやらの導入具合が変にアンバランスで、消費者にとって使い勝手が良くない状況であることは事実と言える。
ただ、それはそれとして、今回の俺の中での中部ジャワ、ジョグジャカルタの印象は素晴らしかった。とにかく何よりも、一般の人が親切で優しい。思い出すに、31年前もそうだった。俺が「旅こそ人生」になったのは、31年前に初めて行った海外がインドネシア(ジャカルタ、中部ジャワ)だったからかもしれない。
そして俺は、決してインドネシアでへらへら遊んでいたわけではない。大袈裟に言えば、バックパッカー1人旅は命懸け。ちっとも豪華じゃない。汗臭くて、泥臭い。でも、豪華でなくても、それが俺の贅沢。普段は施設職員として働く俺にとっての、何にも替え難い非日常的体験。
しかも、それができるのは今のうち。もう50代も半ばに入る。この年齢になると、こういう旅ができるのはせいぜいあと数年、ってことを実感している。2024年度は海外に3回行ったが、今後「(人生の)その先」があるとの保証はない。そのことには若干の虚しさも感じるが…。まあ、人生、そんなもんなんだろう。年齢取って、太っても、夢は荒野を駆け巡る…。
以上です。長々と失礼しました。