1月18日。

 

早朝に起床。今日はツーリストカーでディエン高原に観光に行く。6時、約束の時刻通りに宿の前の小径からマタラム通り沿いに出て、ツーリストドライバーのヤシンさんの車を待つが…来ない。俺より遅く出て来た隣室のインドネシア人カップルの方が、オンラインタクシーで先に出発してしまった。

 

結局、ヤシンさんが到着したのは6:30過ぎであった。聞くと、場所がわかりづらかったとのこと。ヤシンさんは運転していて、マタラム通りのどの辺りに宿のシンガマカナンに通ずる小径があるのかわからず、俺はマタラム通り沿いでずっと立っていたのだが、他に目印になるものも無いため、俺の存在を見過ごしたらしい。

 

マタラム通りはマリオボロ通り同様、一方通行なので、一度俺を見逃すと別の道で大きくぐるっと迂回してマタラム通りに戻らなければならないらしい。1回それをやるだけで少なくとも5~10分くらいかかると思われ、ヤシンさんはそれを繰り返し、俺を見つけることができたのは3回目だったとのこと。

 

一方の俺も、車の色は憶えていたが、車体ナンバーを控えていなかったこともあって、それらしい車が来てもこちらから気づいて合図して停めることができなかったのだ。

 

この日、当初は6:30スタートだったのを、訪れる場所を追加オーダーしたため長丁場になるので、早めて6時スタートにした。実際には30分遅れとなってしまったが、結果、当初通りの6:30スタートで済んだのは逆に良かった。約束を6時に早めておかなかったら、30分遅れだと7時スタートになり、かなり出だしが遅くなっていただろうし。

 

 

車はボロブドゥル遺跡のあるマグラン県へと入る。なお、ディエン高原へはジョグジャよりもボロブドゥルからの方が近い。車でジョグジャからだと片道約3時間半、ボロブドゥルからだと約2時間半なので、ディエン高原へはボロブドゥル滞在中に行った方が時間も早く、その分、旅行代金も安くつく。

 

ただ、この日は元々ジョグジャの市街観光の予定だったのを、「せっかく中部ジャワまで行くのだから」と、日本出国前に急遽気味にディエン高原行きにプランを変更したという経緯があったので、効率の悪い行程となってしまったのはしょうがない。

 

車はさらにローカルへと向かう。途中、トイレで泊まってもらう。トイレはいつもガソリンスタンドで入る。ガソリンスタンドのトイレは無料。スタッフがいて、チップ箱は置いてあるが、あくまでチップであって使用料ではないようだ。

 

 

ガソリンスタンドのワルン(屋台売店)で何やら「ちまき」のようなものを売っていた。今朝はまだ朝食を食べてなくて空腹なので、買うことにした。

 

 

ヤシンさんに聞いたところ、ちまきの名称はアルマルン。1つRp2500で、2個単位からの購入なので2個買い、Rp5000(61.5円)。加えて、タフゴレン(揚げ豆腐)が8個入りでRp5000(61.5円)。合わせてRp10000(123円)で購入。安い。タフゴレンには薬味として青唐辛子が付いていた。

 

 

車の中でアルマルンを食す。ココナッツの風味のついたナシ(白飯)がバナナの葉で包まれており、ナシの中にはテンペ(納豆)が入っている。美味。ヤシンさんいわく、アルマルンはマグラン県のローカルフードだというから、外国人観光客の俺にとってはレアな食べ物だ。ちまきの納豆巻きと厚揚げ豆腐、どちらもベジタリアンフードである。

 

車は山の方へと進み、このエリア最大の街である「ウォノソボ」を通過する。ウォノソボは周囲の高原地帯で採れる野菜、紅茶などの集積地として栄えている街の様子。特にジャガイモが名産のようで、売られているのが目立つ。

 

また、街の道路はけっこう渋滞している。ウォノソボでは公共交通機関が乏しく、バイクタクシーはあるようだが、大型バスも電車もなくて、「アンコット」という黄色い小さいバス(日本でいうコミュニティバス的なもの?)だけが走っていた。個人旅行で自力でウォノソボ及びディエン高原を旅するのは、かなりたいへんなようだ。

 

 

車はディエン高原エリアへと入る。途中、ヤシンさんがRp15000(184.5円)の「車両入域料」を支払う。この後に訪れる観光ポイントには、各々で入場料が必要だが、無料の見所もあり、それらはこの入域料の中に入場料が含まれている、という態らしい。

 

なお、この日にかかる観光の入場料は当然に、すべて事前にJavanava Travelcafeに支払った旅行代金の中に含まれている。そのため、ヤシンさんに「チケットの半券、記念で貰えるか?」と聞いたところ、「経費精算のレシートとして必要なので渡せない」とのことなので、その場でチケットの撮影だけさせてもらった。

 

 

ディエン高原の周囲の景色は、山の斜面を利した野菜の段々畑となっている。ところで、俺はそれまで「サユール」という名称の野菜があるのかと思っていたのだが、インドネシア語では「野菜」全般のことを「サユール」と言う、とのことを、このエリアを移動中にヤシンさんに聞いた。

 

ディエン高原の標高は約2000m。山ヤの俺には馴染みのある高さだ。ディエンの意味はサンスクリット語で「神々の住処」とのことで、古くから山岳崇拝の聖地であったという。太古の頃に火山の噴火によりできた、いわゆるカルデラ地帯とのこと。このエリアの三大観光スポットはヒンドゥー教寺院遺跡群、地熱地帯の熱噴泉、湖(の景色)。加えて、ジャガイモを始めとする高原野菜が名産品として名高いらしい。

 

ヒンズー教寺院遺跡群は、ボロブドゥルやプランバナンよりも早い時代の7~8世紀に建てられた、ジャワ島最古のもの。その昔、7世紀頃の人々がカルデラ湖の水を抜いて都を作り、多くの寺院群が建てられたらしい。その後、11世紀頃に都は放棄され、以後に再び水が溜まって湖となっていたのを、現在では再び水を抜いて「避暑地的観光地」になっているのだという。

 

また、ディエン高原は涼しい山地だけに、霧がかかることが多いという。この日もばっちりと(?)霧がかかり、途中で雨も降り出して来た。ヤシンさんによれば「ディエンで雨が振ってる時は、ジョグジャも酷暑晴天ではない(=曇りor雨)」とのこと。

 

 

ディエン高原最初の観光ポイントである「ワルナ湖が見える丘」に到着。

 

 

「ワルナ湖が見える丘」のチケット。入場料Rp15000(184.5円)。こちらもヤシンさんが経費精算用に回収するので、撮影だけさせてもらった。

 

なお、この場所の正式名称は「バトゥ・パンダン・ラタパン・アンギン」とのこと。日本語訳(事後調べ)すると「嘆きの丘の展望台」。…いや、えらく仰々しい名前だな。

 

 

ヤシンさんは途中まで案内してくれて、俺は1人で「嘆きの丘の展望台」へと登って行く。ゲートを通過。

 

 

雨こそまだ降っていないが、景色は霧で真っ白である。ただ、おかげで暑くはない。

 

 

展望台の下まで上がって来た。なお、展望台の周囲にも野菜畑があり、ジャガイモの他、小さいキャロットが土から抜かれたまま放置されていたりした。

 

 

展望台から望む「テラガ・ワルナ」=ワルナ湖の景色。正直…真っ白。この湖景色の画像は、風により辛うじてガスが薄くなった時に、急いで撮影したもの。

 

テラガは「湖」で、ワルナとは「色」という意味。いわば「彩湖」。陽の当たり具合で、湖面の色が緑や青に変化することがその名の由来らしいが、この日は太陽が隠れたまま真っ白で、湖面の色が変わることはなかった。

 

 

この日は土曜日ということもあってか、「嘆きの丘の展望台」にはインドネシア人観光客がたくさん来ていた。外国人観光客は俺1人?っぽい。そういや、同じインドネシアの西スマトラ州のパガルユン王宮を訪れた時も、結構な人数のインドネシア人観光客がいたけど、あからさまな外国人は俺1人だったな…ということを思い出した。どちらの観光地も、知る日本人はごく少ないであろう。

 

そして、どうやらディエン高原に来るインドネシア人は、景色や遺跡よりも涼しさそのものを楽しみに来ている様子が窺えた。また、展望台を下りたところではフクロウとの記念撮影が行われていて、けっこうな客だかりになっていた。なぜここでフクロウ? 何かの由来か所縁があるのかもしれんが、わからん。確実に有料であろうから、撮らなかったが。

 

 

道端には紫陽花が咲いていて、霧雨の天気に良く似合っていた。ヤシンさんに聞いたところ、現地名「エーデリス」とのこと。

 

続いて車で移動し、ビーマ寺院遺跡へと向かう。

 

 

ビーマ寺院遺跡に到着。外観を撮影。ヒンドゥー寺院で、ディエン高原の遺跡の中では新しい方のものらしい。入場無料。建物の中に彫像等は無し。

 

続いて車で「シキダン・クレーター」へと向かう。

 

 

 

シキダン・クレーターは地熱地帯の硫黄噴泉である。入場料Rp5000(61.5円)。チケットには正式名称の「カワー・シキダン」と書いてある。シキダンとは地名(たぶん)で、カワーはインドネシア語で「火口」の意味らしい。

 

 

シキダン・クレーターの入口。ヤシンさんに「マスク要るか?」と聞かれ、おそらく有料なので「要らない」と返答。ヤシンさん自身は持参していたマスクをして、ここでは敷地内まで俺と一緒に付いて来た。ヤシンさんの入場料は「(ガイドではないが)観光業従事者」として無料だった様子。

 

 

中に入って長い木道の遊歩道を進むと、テントがかなり密集した箇所があり、硫黄採取のテントか、岩盤浴のオンドルか?と思ったが、すべて観光客相手の飲食物販売や土産物屋のテントであった。

 

 

長い木道の遊歩道を歩き、噴泉池へと向かう。日本では「地獄谷」などと呼ばれているものが、ジャワにもあった。ただ、温泉としては使われていない様子。また、少し離れたところで硫黄の採取は行われているが、すべて大規模な重機によるものであったようだ。

 

 

噴泉池に到着。凄え。画像では写らないが、池の中では噴熱泉がボコボコと沸き立っている様子が肉眼で見える。なかなか貴重な見所だ。ドライバーのヤシンさんも、仕事でもここに来るのは稀なのか、スマホで噴泉池の撮影をしていた。

 

ただ、噴泉池の周りに柵は設置されているものの、日本と違ってガス発生地帯に近づく基準が緩いのか、硫黄臭が非常に強い。源泉掛け流しの温泉が大好きな俺でも硫黄ガスにやられたのか、少し気持ち悪くなった。この場にもたくさんのインドネシア人観光客が来ていたが、全観光客の3割くらいがマスクをしており(ヤシンさん含む)、噴泉池の周囲で物売りが売っているマスクがそこそこ売れていた。後に、敷地出口の近くでは、硫黄の臭気にやられたのか、嘔吐している人もいた。

 

木道の遊歩道に沿って、噴泉池の周囲を撮影しながら歩く。すると、ムスリム(イスラム教徒)の女性が遊歩道の上から折り畳み傘を遊歩道の外側に落としてしまっていた。遊歩道には高さがあるので、けっこう下の方に落ちてしまった。

 

遊歩道の外側といっても、噴泉池とは逆側なので、取りに下りても熱泉に落ちるような心配はない。傘の持ち主の女性は思案の上、柵を乗り越えて傘を取りに行こうとしていた。ただ、柵を乗り越えなくても、遠回りをすれば柵をくぐって段差なく遊歩道の外側に下りて、傘を拾うことができる。とはいえ、ムスリム女性の服装では、それも難しそうだ。

 

なので、俺が「待ってなよ」と言って、さっと遠回りし、柵をくぐって外側に下り、傘を拾って来てやった。すると、そのムスリム女性にえらく感謝されて、記念撮影をお願いされて応じたりした。

 

シキダン・クレーターから退場するため、ヤシンさんに付いて行って出口に向かうも、道に迷ってしまう。どうやら来た道を引き返すのではなく、先に見たテント群の飲食物・土産物販売の通りの中を通らないと出口に出られないらしい。「ジャワ島の観光地あるある、入口と出口が違いがち」。なるほど、だからここでは、ちゃんと駐車場に戻れるように、敷地の中をヤシンさんが同行してくれたのか…って、そのヤシンさんも迷ってたんだけど。

 

 

引き返して出口に向かう最中に見かけた、別の小さな噴熱泉池群。日本の「大涌谷」などを思い出す。陽の当たり具合で色が変わるワルン湖は日本の「五色沼」だし、いわゆる見所の内容が日本とインドネシアとで共通しているのは面白い。

 

ていうか、美しいとか、興味深いって対象の性質は、人類共通なのかもしれない。昔、ホームステイ先の南海ミクロネシアの島民が、水平線から上がり下がりする朝日・夕陽を「観慣れているけど、それでも美しい」と言っていたっけ。

 

 

テント群の飲食物・土産物販売の通りの中を、ヤシンさんの後ろに付いて進んで行く。売り物の飲食物に興味はあったのだが、見ていたらキリがないのでスルーして進んだ。

 

敷地出口から退場する。ところが、入口と出口が違うため、ヤシンさんにも車を停めた駐車場がどこにあるのかがわからなくなっていた。車を探し、見つかり、乗る前にトイレに行くために駐車場近くの食堂・屋台エリアに寄る。そこには揚げ物を売っているワルン(屋台売店)があった。

 

 

屋台で売っていたタフゴレン(揚げ豆腐)。1個Rp3000で、3個単位からの購入でRp9000(110.7円)とのこと。腹が空いていたので購入する。最初、タフゴレン3つを注文したら、隣にテンペゴレン(揚げ納豆)があり、同じ値段だというので、1つをタフゴレンと交換した。

 

すると、売店のお姉さんが別の揚げ物を指して「これも美味しいわよ」と。これも同じ値段だというので、これも残り2つのタフゴレンのうちの1つと交換しようしたところ、売店のお姉さんが「これは私からのサービスよ」と言って、くれた。そして、隣にいる店主と思われるお婆ちゃんに「いいでしょ?」と。お婆ちゃんも「いいよ」と。

 

え? 結果、3つRp9000の揚げ物を、同じ値段で4つゲットしてしまった。これはありがたいサービス…ていうか、凄え、良いのかインドネシア? 馴染みの店ならまだしも、観光地前の売店でディスカウントってのが凄い…。

 

 

揚げ物をおまけしてくれた屋台売店。左側に立っているのが、おまけしてくれたお姉さん。ムスリムのスカーフとマスクで顔がよく見えないが、たぶん俺よりは年下だろう。中央に立っているのが、おまけをOKしてくれた店主らしきお婆ちゃん。多謝。なお、おまけしてくれた揚げ物は、車内で食べたら「かき揚げ」であった。

 

俺はインドネシアに来て以来、会うのは良い人ばかりで、「恩を受けてばかりじゃいられない」という思いもあった。だから、シキダン・クレーターで傘を落としたムスリム女性がいた時は、ムスリムの服装では取りに行くのも難儀だろうと思い、自発的に手助けをした。「恩返し」ならぬ「恩送り」。ところが…俺が恩を送った、その直後に、恩が巡り巡って、少額とはいえ「揚げ物おまけ1つ」という形で早くも俺の元にやって来た。インドネシア、凄すぎる…。

 

車に乗り、次の目的地であるガトッカチャ寺院遺跡への移動中、買った揚げ物を食す。

 

 

 

タフゴレン(揚げ豆腐)とテンペゴレン(揚げ納豆)。美味。

 

 

そして、かき揚げ。ヤシンさんに聞いたらインドネシア語で「バックワン」という名称らしい。美味。

 

ガトッカチャ寺院遺跡に到着。ヒンドゥー教寺院で入場無料。建物の塔上部が修復されておらず、寺院の中には台座のみがあり、彫像は無し。

 

ガトッカチャ寺院遺跡の観光を終え、隣の駐車場に戻ると、ヤシンさんがガラムを吸って休憩していた。ヤシンさんが次に進もうとするので、「いいよ、煙草吸い終わってからで」と言って留める。俺は煙草は吸わないが、ガラムの煙の甘い匂いからは31年前のジャカルタでのホームステイの頃が思い出されて懐かしい。

 

ヤシンさんは英語は上手いが、日本語は一言も話さない。18歳からドライバーの仕事をしていて、キャリア15年の33歳。ツーリストドライバーとしては、その都度、いろんな旅行会社と提携して働いているという。コロナ前はツーリストドライバーとしての仕事も結構あったらしいが、コロナ解除になった今も日本人客は「全然来なくなった」と話していた。

 

この後、車は駐車場に停めたまま、俺は徒歩で1人でカイラサ博物館、ストヤキ寺院、アルジュナ寺院群を巡ることとなった。

 

続く。