バスターミナルにて、ジョグジャカルタ(以下ジョグジャ)行きの市バスに乗車。黄色と緑色の車体の「トランスジョグジャ」という名称のバスで、行き先はジョグジャの街の中心地、「マリオボロ通り」の「マリオボロ1」バス停である。急いで飛び乗ったため、バスの外観を撮ることはできなかった。
バスの車内には車掌がいて、乗車時にe-moneyカードを差し出すと、そこから料金を徴収された。プランバナンからジョグジャまでのバス代はRp2,700。なんと33円! ガイドブック等の情報によるとRp3,400~3,600と書いてあるので、こちらも実際の方が安い。これも、この日が祝日ゆえの割引料金なのか…?
そして、俺はこの33円のために、インドネシアに到着した当日、空港内のコンビニのインドマレットでe-moneyカードを買った。現在のジョグジャ(インドネシア都市部の全体が?)では、現金支払いで市バスに乗ることができない。e-moneyカードやその他のICカードなど、キャッシュレス支払いにしか対応していないのだ。
なので、市バスに乗りたいなら旅行者も現地にてe-moneyカード等を購入する必要があるのだが、これがなかなか売っていない。e-moneyカードは「銀行やコンビニで売っている」とされているが、実際には「ほとんどの店で売り切れていて在庫がない」のだ。俺はそのことを事前に知り、Javanava TravelcafeのオーナーNさんから「空港内のインドマレットならe-moneyカードの在庫がある可能性が高い」と教えてもらっていたので、入手することができた。
では、e-moneyカードを持っていない(≒入手できなかった)旅行者はどうすれば市バスに乗れるのか。一説では「車掌によっては現金支払いで乗せてくれる人もいる」という、何とも不安定要素が高い(かつ『インドネシアあるある的』いい加減な)情報もあったのだが、それも少し前までのことである可能性が高く、今は完全キャッシュレス支払いオンリーになっていることが察せられる。
実態として行われているのは「たまたま乗車待ちの列に居合わせた、e-moneyカード等を持っているインドネシア人にお願いして、その人に現金で支払い、その人のe-moneyカードから車掌に同じ料金を支払ってもらう」ということらしい。それがオフィシャル・システムというわけではなかろうが、この方法以外、e-moneyカード等を持っていない外国人旅行者が市バスに乗る方法は無い。
特に、世界中を旅しているバックパッカーで、ジョグジャには寄り道的な観光に訪れた者の中には、運良くe-moneyカードが買える状態にあるとしても、それに金銭を支払うことを勿体無いとして嫌がる人もいる。そういう人は、居合わせたインドネシア人に声をかけまくって、上記の方法で市バスに乗るのが「実態として普通の方法」らしい。
確かに俺自身、インドネシアに来て以来、こっちの人達が親切で優しいことを実感している。勿論、雰囲気や様子で相手を選ぶ必要はあるだろうが、多くの人は快く「代理キャッシュレス支払い」に応じてくれるだろうし、それをきっかけにバスの車内で現地の人と交流することもできるだろう。
その意味では俺も代理キャッシュレス支払いをやってみたかった気もするが、俺は普通にe-moneyカードを持っているので、普通に支払った。ていうか、確実にバスで移動したかったので、e-moneyカードを入手しておいたのは、絶対的に得策であった。
後日、ツーリストドライバーのヤシンさんに聞いたところ、e-moneyカードはジョグジャだけでなく、インドネシア全域で通用するキャッシュレス用カードらしい。てことは、いつかバリ島とかに行った時にも使えるということか。尤も、その頃にはさらにIT化やキャッシュレス化が進み、(日本でテレホンカードが廃れたように)違うシステムに進化しているかもしれないが。
市バス「トランスジョグジャ」の内部を撮影。車内は冷房が効いていて涼しく、座席に座っているだけで良い休憩になる。
バスは大通りの「ラヤソロジョグジャカルタ通り」を西へと進んで行く。バスの車窓から、前日にモーターベチャで訪れたカラサン遺跡の頂部が見えた。その後、ジョグジャが近づくにつれ、乗客が増えて来た。
「マリオボロ1」バス停に到着。下車する。
ジョグジャカルタは日本でいうと京都に匹敵する、歴史のある古都である。ただ実際には、特に旅行者にとっては、現在のジョグジャは世界遺産の観光地であるボロブドゥル遺跡やプランバナン遺跡の「ゲートシティ」としての側面が強い。今回の俺自身も、ジョグジャでは食事や土産購入の目的はあったものの、基本的にはトランジットのための滞在であった。
マリオボロ通りは観光地にして、インドネシア最大の繁華街と言われており、洗練された雰囲気のデパート店から雑多な屋台売店までが軒を連ねている。通りには通行車両も多いが一方通行なので、道路は渡りやすい。一部、物乞いはいるようだが、治安も良くて夜も一人で出歩ける、雰囲気の良い通りである。
マリオボロ通りに「馬車タクシー」が停まっていた。この馬車タクシーはインドネシア各地に広く存在し、それぞれ地域名があるという。ジョグジャ(ジャワ島)の馬車タクシーは「アンドン」といい、ジャワ島の伝統的な交通手段で、俺自身、31年前にジョグジャに来た時も短距離だが乗った憶えがある。
画像のアンドンは観光客向けで、馬の頭や背中に派手な飾り物を装着されている。アンドンは元々は王室用の移動手段だったらしいので、それを模しているのであろう。また、画像のアンドンは車輪が四輪だが、地域によっては二輪のものもあるらしい。
アンドンは馬車ではあるが、速度は遅く、俺が31年前に乗ったアンドンの馬はよぼよぼで痩せた老馬であった。要は動力としてはそれでも事足りる乗り物ということ。ただ、それだとあまりにみずぼらしいからか改善されたようで、現在のアンドンの馬は皆若く、身体のツヤも良かった。
マリオボロ通りにはインドマレットやアルファマートなど、e-monyカードが使えるコンビニが多数あり、同じ通り沿いにいくつもの同系列の店舗がある。インドマレットで紅茶、水、テンペチップスを購入し、通りのベンチで飲食の後、Wi-fiを繋げるために観光局に向かうことにする。
俺のスマホは海外ではWi-fiが通じるエリアでない限り、通信機器としての用途を果たさない。なのに、ここジョグジャで泊まる予定の宿「シンガマカナン」は、スマホ使用のセルフチェックインの宿であった。要は、現地にてチェックイン当日、電話やE-mail、LINEなどで宿のオフィスに連絡を入れ、ボックスキーのナンバーを聞くことで、宿の建物の中に入れるというシステムである。しかも、そういうシステムの宿であるということを知ったのは、行きの飛行機の中で予約票を見ている時だった。
インドネシア到着の日、支払いのためJavanava Travelcafeに寄った時、オーナーのNさんに事情を説明し、その場でスマホで宿の「シンガマカナン」のオフィスへの連絡を試みたのだが、俺のスマホの通信環境は非常に限定的であり、宿のオフィスには繋がらず、LINEも機能しなかった。辛うじて、俺のスマホとNさんのスマホでE-mailのやり取りができることだけは確認できたので、有り難くも当日のセルフチェックインをNさんに助けていただくことになった。
その手順としては、チェックイン時刻は12:30。12:15になったら宿の「シンガマカナン」のオフィスからNさんのスマホにボックスキーのナンバー等についての情報が伝えられる。それをNさんにE-mailで俺のスマホに送ってもらい、俺はそれまでにジョグジャでWi-fiが繋がる場所を確保して、時刻通りにNさんから情報を受け取る、という手筈である。
ジョグジャでWi-fiが繋がる場所に関しては、Nさんから「マリオボロ通り沿いではカフェでも店でも、Wi-fiの電波を引いている。店員に聞けばパスワードを教えてくれる」と聞いていた。ただ俺は正直、インドネシアでなら飲食は屋台でしたい人間であり、カフェに用は無い。なので、他にWi-fiが繋がる場所を想定した時に、「観光局ならどうだろう?」と思っていたのだ。
インドネシア2日め、レンタル自転車返却のためにJavanava Travelcafeに寄り、そのことをNさんに伝えたところ、「こっちの観光局は日本と違って、スタッフが不在のこともあるので、Wi-fiを繋げられるかどうかはわからない」との旨、情報を聞いていたが、ともあれ試しに観光局に行ってみることにした。
マリオボロ通り沿いにある観光局に到着。中に入ると冷房が効いており、女性スタッフが2人いた。俺が「ホテルのチェックインのためにWi-fiを繋げたいんですが」と伝えると、やり方を教えてくれて、「Accept」を押したらパスワード無しで普通にWi-fiに繋ぐことができた。
時刻は11:45。テストメールをNさんに送ったところ、その時点でまだ「シンガマカナンから連絡は来ていない」とのこと。ともあれ、これでセルフチェックインのための通信手段は確保できたので、チェックイン時刻が来るまでの間、いったんどこかで飯でも食べたいと思い、再びマリオボロ通りを歩くことにした。
マリオボロ通りを歩いていると、「パサール・ブリンガルジョ」の看板を発見。パサールとは「市場」のこと。市場の中にはフードコート的な屋台売店があるはずなので、入ってみることにする。
中に入ると、衣類や布生地を中心に売っている市場である。事前に情報収集をしていた際に、YouTubeで観たことがある。
階段で3階に上がるとフードコート的な場所があったので、ここで昼食を取ることにした。
フードコートにはそれぞれ店舗を構える店があるのだが、その中に敢えて(?)屋台売店の店があったので、ここで買って食べることにする。屋台には「SOTO KUDUS」とある。ソト・クドゥス。この屋台で供する料理名のようだ。ソトとはインドネシア語でスープのこと。クドゥスとは、この時はわからなかったが後日にツーリストドライバーのヤシンさんに聞いたところ、中部ジャワの北岸の町の名称らしい。
ナシプティ(白米)、チキンカリースープ、テンペゴレン(揚げ納豆)の他、腸・砂肝・心臓・ウズラ卵のサテ(串焼き)を各1本、計4本。これにエステー(アイスティー)をつけて、Rp43,000(529円)。美味。
ただ、どの店もそうだけど、安いと思って調子に乗ってトッピングを付け過ぎると当然に高くつく。また、屋台でも店内食事ではドリンクを付けると高くつく。まあ、食いたいから良いんだけど。
食後、せっかくなので市場内の眼鏡屋にて、安かったのでゴーグルタイプのサングラスを購入した。Rp45,000(553.5円)。登山をする俺にとって、サングラスはすぐに傷む消耗品なので、安いもので良い。
13時頃、観光局へと戻りWi-fiを繋ぐと、Nさんから連絡が来ていた。セルフチェックイン用のボックスキーのナンバーが伝えられたので、宿のシンガマカナンへと向かう。
宿のシンガマカナンに到着。シンガマカナンはマリオボロ通りの東側に平行して伸びるマタラム通り沿いの小径を入ったところにあるのだが、小径の入口には目印もないので場所が非常にわかりにくい。一応、小径の入口には安食堂があるものの、この地域には安食堂は他にも多数あるので、目印にならない。それでも、俺は事前によく調べておいたので、到着することができた。
シンガマカナンの玄関脇のボックスキーのナンバーをNさんから伝えられた番号で合わせるとボックスが開き、玄関と部屋の鍵が出て来た。これでセルフチェックイン完了。中に入ると…凄い、本当に誰もいない。これをホテルと言って良いのだろうか?という感じの、まるで空き家である。
シンガマカナンの玄関&応接間を撮影。戸棚の中には装飾品等が収められており、キッチュ(紛い物風・安っぽい)だがそれなり風のものもある。元々金持ちの家→普通のホテル→無人ホテルへと変わってきたのだろうか? それにしてもこんなスタイルの宿は初めてだ。フロント無し、スタッフ不在って、山の避難小屋かよ、と。
キッチンにはフリードリンクのインスタントコーヒーや紅茶が置かれており、湯も沸かせるので、滞在中、がぶがぶと飲んだ。
2階に上がると広めの共用スペース(兼、廊下)があり、客室4つのドアが面していた。
客室の内部を撮影。部屋の中にはエアコンは無く、玩具みたいな扇風機があるだけで、暑い。ただ、蚊はいなくて、共用スペースには殺虫剤も常備してあった。これで1泊1287円(予約時クレカ決済)。まあ、お手頃価格ではある。
この後、1階に移動してシャワーを浴び、洗濯をしていると、2階から物音がした。どうやら俺以外にも他3つの部屋のどこかに宿泊者がいることが伺えた。
身支度を整え、再びジョグジャの町にジャランジャラン(散歩・散策)へと出る。目的地はクランガン市場。繁華街中心部から北の方にある、生鮮食品等を中心に扱う市場で、俺はそこで日本への土産用のコーヒーやジャワティーを買うつもりでいた。
ジョグジャカルタのサインボードがあったので撮影。ちなみにスペルは「Yogyakarta」なので、普通に読むと「ヨグヤカルタ」と読めてしまう。実際、ジョグジャカルタの「英語表記」は「Jogjakarta」と書き、現在の現地では英語の「J」の方のスペルで商標登録している店や法人も多いのだという。
列車の「トゥグ駅」近くの踏切を渡る。ここの踏切は、柵が自動で横にスライドして開閉するシステムとなっている。色も従来の踏切の色である黄・黒の部分もあるが、メイン配色は赤・白となっており、ぱっと見ではこれが踏切とは気づけない。赤・白なのは、インドネシア国旗の配色だからだろうか?
踏切を渡って少し歩いたところにある「トゥグの塔」。外観を撮影。こんなんだけど、「世界遺産」に認定される「ジョグジャカルタの歴史的建造物群」を構成する1つである。
1750年代の当時の王によって建てられたのが始まりで、その後、地震による崩壊等で建て替えられたりして、その際にデザインも変えらて現在に至る。ジョグジャのシンボルである歴史的なランドマークらしい。正式名称は「トゥグ・パル・プティ」。トゥグ自体に「塔」という意味があり、プティは「白」で、パルは「最も」を示す様子。すなわち、和訳すると「最白塔」。なるほど、外観をそのまま表した名称である。
ただ、外国人観光客に示すこの塔の通称は「トゥグの塔(トゥグ・タワー)」である。これを和訳すると「塔塔」。なんじゃいそりゃ、という感じだが、他民族国家にはよくあるネーミングでもある。
例えば、マレーシアのクアラルンプル郊外にある「バトゥ・ケイブ」はバトゥ=マレー語で洞窟、ケイブ=英語で洞窟、だからバトゥ・ケイブを和訳すると「洞窟洞窟になる」と、昔、留学生の中華系マレーシア人の友人に教わったことを思い出す。ちなみに俺は当時、その友人の母国の実家にホームステイさせてもらった。そして、インドネシア語とマレー語はほぼ同じである。
尤も、このすぐ近くにある駅の名称は「トゥグ駅」なので、「トゥグ=塔」自体がすでに地名になっている可能性はある。沖縄の世界遺産「琉球王国のグスク関連遺産群」を構成する1つの「中城城」みたいな感じか。「中城」の地名の由来自体がその地にある城にあるわけだ。トゥグ・タワーやバトウ・ケイブもたぶん、それと同じようなこと。鑑みると、中城城は現在、「なかぐすくじょう」と読むが、正式には「なかぐすく・ぐすく」と読むのが筋であろう。
そして、俺は今回、ジョグジャの世界遺産にして観光地のクラトン(王宮)とタマンサリ(水の離宮)は訪れていない。このトゥグの塔1ヶ所を観ただけで、俺は「ジョグジャの世界遺産を訪れた」ということができるのであろうか? 一部を訪れたことには間違いないが…と思ったりした。
クランガン市場に到着。早速、中に入ってみるが…
市場の店はそのほとんどが閉まっていた…。いや、事前情報で14時には多くの店が閉まっているとは知っていたのだが。コーヒーや紅茶を売る乾物店の類の1つくらいは開いているだろう、と思っていたら、見込みが甘かった。しょうがない、日本への土産のコーヒー・紅茶は明日、ツーリストドライバーのヤシンさんに頼み、ディエン高原に行く途中で買うことにし、クランガン市場を出て、いったん宿に戻ることにする。
市場の周囲は半露天の歩道が囲んでいる。そして、そこに残された「台」を見るに、午前から昼にかけてはこの歩道にも数多くの売店が並ぶことが伺えた。
そして…ハッキリと思い出した。俺は31年前に、この市場にジャカルタのホームステイ先のファミリーと一緒に来たことがある。半露天の歩道の柱の様子に憶えがある。確か、この半露天の売店の1つに本屋みたいなのがあって、使えないインドネシア語の辞書を買った。そして、てことは俺が31年前にサラック(スネークフルーツ)を買ったのは、このクランガン市場だったということがわかった。
クランガン市場の近くには中国寺院がある。門が閉まっていて敷地内に入れなかったので、本堂を敷地の外から撮影。この中国寺院の存在も、31年前に見聞きしていたと思われるが、さすがに記憶には無い。
午後の散策では行きも帰りも、コンビニのインドマレットやアルファマートにて、e-moneyカードで水、コーラ、オレンジジュースなどドリンクを購入した。途中でe-moneyのチャージが足りなくなり、現金で支払ったりした。午後は雨には降られなかったものの、足裏にマメができてきて、痛み出した。
宿に到着。部屋に入って着替えや片付けをしていたところ、玩具みたいな扇風機のコードに足を引っかけてしまい、玩具の扇風機が倒れて大破してしまった。
玩具みたいな扇風機、在りし日の姿。
玩具みたいな扇風機、倒れて大破した姿。
扇風機の5枚の羽根のうち、3枚が根本から割れて取れてしまった。羽根が外れたのではなく、割れている。って、いや、これ悪いの俺か? 確かにコードに蹴つまづいたのは俺の不注意だが、この扇風機が低品質過ぎるだろ? 本当にオモチャみたいな扇風機で、羽根の周りにカバーも無い。羽根が折れたのも、プラスチック製の羽根の材質が劣化していたからだ。
いや、そんなことより、だ。この暑いインドネシアで、部屋にエアコン無し、扇風機無しじゃさすがに暑くて寝られたもんじゃない。壊れた責任だの弁償だのの前に、この夜にいかにして快眠を取るかの方が当面の解決すべき事項だ。そう思いつつ、部屋の外の共用スペースに替えの扇風機でも無いか探したが、見当たらない。ただ、替わりに共用スペースの天井部に大きいファンが付いており、壁のスイッチを押すと動くことが判明した。
どうやら、この天井部の大きいファンの下にベッドを持って来れば、夜に寝ることができそうだ。少なくとも扇風機が無い客室内で寝るよりは快適に寝れる。ただ、それには一応、隣の部屋に泊まっている客に事情を説明し、事前に承諾を得た方が後々のトラブルにならないだろう。そう思い、隣の部屋をノックして、声をかけた。すると、出て来たのは若いインドネシア人女性で、どうやらカップルで泊まっている様子であった。
俺が事情を話して、「この共有スペースで寝て良いか?」と言うと、その女性が英語で「ホテルのオフィスに連絡してみたら?」と。俺が「俺のスマホはインドネシアでは通信機能として機能しない」との旨、英語で伝えたところ、その女性が自身のスマホを使って、壊れた扇風機の写メを撮り、LINEでホテルのオフィスに連絡を入れてくれて、「これでオフィスから連絡があると思う。連絡が来たら伝えるわね」と言ってくれた。有り難い。
かつ、女性の部屋にあった扇風機も貸してくれた。良いの? いや、ありがたい。女性は「私達(インドネシア人)は暑さには慣れてるからしばらくは大丈夫よ」と。しかも、その女性の部屋にあった扇風機は、俺の部屋にあったオモチャみたいなのと違って高性能で本格的な家電製品である。俺はこの後は夕食を食べに外に出るつもりだったが、室内で扇風機を回しておけば洗濯物が早く乾くので助かる。
その女性はバリ島から来ているインドネシア人で、「バリ島にはサーフィンで来る日本人がよくいる。私にはヤスコという名の日本人女性の友人がいる」等、話していた。インドネシア人は本当に優しくて親切だ。有り難い。そして、このシンガマカナンのような類の宿も、インドネシア人が泊まる分には何の差し障りも無いのであろう。
日が暮れてだいぶ涼しくなったので、夕食がてら夜のジャランジャラン(散歩・散策)へと出た。
ところで、ジョグジャの名物料理に「ナシ・グドゥッ」というのがある。グドゥッとはジャックフルーツ(現地名ナンカ)を甘辛く煮たもの。他に、やはり甘辛く煮たチキンや茹で卵などと合わせてナシ(ご飯)と一緒に1プレートにしたものがナシ・グドゥッである。俺は31年前にナシ・グドゥを食べたことがあるのだが、その時の感想は「甘いカレー」と。
そして、ナシ・グドゥッはジョグジャ以外では食べられる店がほとんどない。俺自身、31年前以来、ナシ・グドゥを食べることはなかったので、今回、ジョグジャでの滞在中、改めてナシ・グドゥがどんな味だったかを食べて確認しようと思っていた。ところが…そのナシ・グドゥッを出す店がなかなか見つからない。ナシ・グドゥッを出す店がある地域には、出す店が複数密集しているということらしいのだが。
店を探しながら歩いていると、「グドゥッ」との表示がある屋台を発見。てことは、この屋台でナシ・グドゥッを食べることができるはず。片言のインドネシア語と指さしで注文した。
出された料理。画像右側にある黄色いのがチキン、左側のブヨブヨしたものが正体不明であったが、後日にヤシンさんに聞いたところ「クレチェック」という名称の「牛の皮(ゼラチン?脂肪?)」とのこと。その下にサユール(野菜)、グドゥッ(ジャックフルーツの甘辛煮)、鶏のレバー、茹で卵、ナシ(飯)ががっつりと入っており、Rp41,000(504円)。ここで食べると言ったが、基本、テイクアウト用の屋台のようで、紙の中に包むようにして提供してくれた。
屋台の女性店員(おそらく店主)に「これってナシ・グドゥッなの?」と聞いたら、「ナシ・プチェルよ」と。確かに、屋台の表示は「グドゥッ&プチェル」とある。この場合のナシ・プチェルというのは、要は「おかず乗せご飯」のような意味と思われる。つまり、提供する料理の中にグドゥッ=ジャックフルーツの甘辛煮があるのは事実だが、それは多数ある惣菜のうちの1つだから、正しくはナシ・プチェルである、と。
ただ、グドゥッも売っている以上は、屋台の表示の「グドゥッ&プチェル」に偽りは無い、ということのようだ…なんかよくわからんというか、聞いた時に「ええ、これがナシ・グドゥッよ」と言ってくれた方が単純でわかりやすかったのだが。
屋台の周りには椅子があるが、すべて客で埋まっていたので、俺は立って食べていた。すると屋台の男性店員が客に声をかけて、椅子を1つ譲ってくれて、俺に座らさせてくれた。インドネシア人は優しい。
食後、マリオボロ通りの周辺を散策していたところ、マリオボロ通りと交差する小径のダゲン通りにナシ・グドゥッの店が密集しているのを発見した。残念だが、今は屋台で「ほぼナシ・グドゥッのナシ・プチェル」を食べたばかりなので、明日の夕食で食べることにし、散策しながら宿へと戻った。
マタラム通りから宿のシンガマカナンに通ずる小径の入口にある安食堂が開いていた。食堂の名称は不明。「事実上ナシ・グドゥッであるナシ・プチェル」は食べたものの、その後もけっこう歩いて小腹が空いていたため、この安食堂に入って軽く食べてから帰ることにする。
食堂内部の壁に張られていたメニューポスター。大きく「スブラック」とある。スブラック…? 画像を見る限り、どうやらインスタントラーメンのことをスブラックというのだろうか? 値段も多くのメニューがRp9,000(111円)と安い。店員にオススメを聞くと、「スブラック・チェッカーはどうだい?」と言われた。上から3つめのメニューで、値段はRp9,000である。
チェッカーが何を指すのかは知らないが、それを注文。店員に「ドリンクは?」と聞かれたので、英語で「俺はすぐそこの宿に泊まっている。ドリンクは宿にたくさんあるから、ここでは要らない」と返答した。実際、店ではドリンクを頼まなければ、値段をかなり安く上げることができる。
スブラック・チェッカーが出て来た。まずは1口。少し辛めのインスタントラーメンで普通に美味い。ところが2口め、インスタントラーメンの中から「鶏の足」が出て来て驚いた。チェッカーとは「鶏の足」のことだったのだ。後日、ヤシンさんに聞いたところ、鶏足はバンドゥン(ジャカルタに近いジャワ西部の大都市)地方でよく食べられる食材らしい。
宿に戻ると、1階の応接間に隣の部屋の女性宿泊客がいて、「宿のオフィスから連絡があった」と教えてくれた。「扇風機の替りに、1階にある空気清浄機を使え」とのことで、そのようにする。1階の空気清浄機を俺の部屋に持ち込み、隣の部屋から借りていた高性能の扇風機は隣の女性宿泊者に返却したのだが…正直、空気清浄機よりも、この隣の部屋の高性能の扇風機の方が断然に良かったなあ、と。
夜、1階の応接間で日記を書いていると、外は雨が降って来た。玄関の扉を開けておくと涼しくて良い。そして、足のマメが痛い。日記を書き終え、部屋に戻って就寝。旅も終盤に入り、明日はツーリストカーでディエン高原の観光である。
続く。