徒歩でカイラサ博物館へ。ヤシンさんが入場料を支払い、俺1人で入館する。入場料の額は不明。

 

 

カイラサ博物館の外観。廃れた感じであったボロブドゥルの博物館と違い、中は清潔で明るかった。

 

 

 

館内にはこの地域から出土・発掘された多数のヒンドゥー彫刻が整然と展示されていた。

 

 

 

ガネシャ=象とナンディ=牛の姿はやはりわかりやすい。

 

 


他にはリンガ=男根像や歴史を現在に伝える碑文など。シヴァ神の彫刻などには、顔がないものも複数あった。

 

 

博物館の屋外にも、複数の彫像が置き晒しになっていた。横置きにされた石臼らしきものは何であろうか?

 

博物館を出るとヤシンさんが待っており、続いてディエン高原観光のハイライトである「アルジュナ寺院遺跡群」へと向かう。入場券窓口でヤシンさんが入場料を支払った後、「このチケット持って1人で観に行けるか?」と言うので、「いいよ」と言って同意。チケットは感熱レシートだったので撮影はせず、入場料の額も不明。1人で入口へと向かった。

 

 

アルジュナ寺院遺跡群のチケットチェック入口に向かって石畳の小径を進む。小径の両脇には黄色いトランペットフラワーや紫陽花が咲いていた。

 

 

さらには、小径にはバッタモンのピカチュウ着ぐるみがいて、子どもと記念撮影をしていた。当然、近くにはチップ入れ箱が置いてあった。

 

 

アルジュナ寺院遺跡群の入口に到着。ただ、ここを通ってアルジュナ寺院遺跡群の敷地内に入る前に、この手前で細道を左に進むとストヤキ寺院遺跡がある旨を示す道標があったので、まずは先にそちらに向かうことにする。

 

ストヤキ寺院遺跡に向かう細道は意外に長い。しかも周囲は霧で真っ白。ゆえに視界が効かず、なかなかストヤキ寺院の姿が見えなかった。

 

 

ストヤキ寺院遺跡に到着。ヒンドゥー教寺院で、入場無料。外観を撮影するも、周囲があまりにも真っ白で、画像がクリアに写らず。この日に観た見所の中で、周囲が最も真っ白だったのがこのストヤキ寺院であった。ちなみに、「『すき焼き』じゃなくて『ストヤキ』寺院」と覚えた。

 

ストヤキ寺院はヒンドゥー寺院の割には胴長な作りをしている。内部には台座と彫像の足のみ(?)が残っていた。この地域には、かつては近くのアルジュナ寺院群以外にも寺院群が形成されていたらしいが、現存するのはこのストヤキ寺院と先に訪れたガトッカチャ寺院のみとのこと。

 

細道を引き返し、アルジュナ寺院群の入口へと戻り、敷地内へと入場する。

 

 

アルジュナ寺院遺跡群の敷地内には多数の黄色いトランペットフラワーが咲いていた。日本では園芸種として存在する花だが、ヤシンさんに確認したところ、ディエン高原のそれは野生種とのこと。

 

 

アルジュナ寺院遺跡群はジャワ島最古のヒンドゥー寺院で、5つの寺院遺跡で形成されている。外観は撮影できるが、遺跡保護のためであろうか、寺院にはそれぞれ柵が張られており、いずれも建物の内部に入ることはできない。もし晴れていたなら、周囲の段々畑の山景色とも相まって、良い雰囲気が望めたのであろうが、残念ながら霧で真っ白であった。

 

 

アルジュナ寺院群を含めたディエン高原の遺跡は、プランバナン寺院と同じヒンドゥー教寺院なのだが、プランバナンよりも時代が前のものであるため、プランバナン寺院に比べると装彫は地味で、高さも低い。歴史的な価値はあるのだろうが、観光地としての国際的な知名度は低い。ただ、その分レアとは言える。

 

 

敷地入口側に建つ2塔。左がプンタドゥワ寺院で、建物入口の階段の手すりが2段で高くて立派。右がスンバドゥラ寺院で、建物入口の階段が低くて手すりが無い。正直、後で画像を見返して、各寺院遺跡の区別をつける判断材料はその程度しかない。

 

 

そして、敷地奥側の別の2塔。左がアルジュナ寺院で、建物入口の階段の手すりが1段。右がスマール寺院。スマール寺院は小窓が複数ある低い曲面屋根の寺院で、中部ジャワ様式の建物ではない。

 

 

上記2塔ずつの寺院の間に位置する、スリカンディ寺院。ここは土台以外が崩れていて、修復中の様子。俺が持っている30年前のガイドブック(地球の歩き方)には寺院の建物が存在して、載っている。どうやらこの30年の間に地震か何かで崩れた? 事後、YouTubeで1993年撮影のこの寺院群の動画を観たら、それにもこの寺院の建物が映っていたので、そうなんだろう。

 

ただ、30年前の資料だと、スマール寺院以外の中部ジャワ様式の寺院4塔は塔頂部が「まだ」無い、すなわち、石組が組まれていない。当時、30年前の時点では遺跡はまだ修復中で、塔頂部は修復前だったのであろう。

 

それが現在はアルジュナ寺院、プンタドゥワ寺院、スンバドゥラ寺院の3塔は塔頂部の修復が為されていて、立派な造形をしている。スリカンディ寺院は崩れてしまったが、造形が立派な状態になった他3塔の寺院遺跡を観れたのは良かった。まあ、いずれも中には入れないんだが。

 

なお、アルジュナ寺院遺跡群は、30年前のガイドブックには「パンダワ寺院遺跡群」と記されている。これらの寺院それぞれの名称は、ワヤン(影絵芝居)「マハーバーラタ」に出て来る「パンダワ家」の登場人物らしい。だから、この遺跡群の昔の名称は「パンダワ寺院遺跡群」であった。

 

ただ、後にわかりやすいよう、最も代表的な寺院遺跡であるアルジュナの名を取って、「パンダワ寺院群」から「アルジュナ寺院群」に名称を変えたのであろう。実際、現在の現地の表示看板も「アルジュナ寺院遺跡群」とあった。

 

事後に「マハーバーラタ」について調べたことを具体的に説明すると、アルジュナはパンダワ兄弟の三男。ビーマが次男で、ビーマは一家で最も有名な英雄なのだが、ゆえにか、ビーマの名はこのアルジュナ寺院遺跡群内の建物ではなく、2km離れた高台にある別の寺院の方に与えられた(ビーマ寺院はワルナ湖の後、シキダン噴泉地の前に観光済み)。

 

プンタドゥワはパンダワ兄弟の長男。スリカンディはアルジュナの妻で、戦士でもあり、インドの原典ではシカンディンなる男性らしい。スンバドゥラもアルジュナの妻。スマールはパンダワ家の家臣で、インドの原典には登場しない。スマールはマハーバーラタの物語において道化的な役割を果たし、何より家族ではなく家臣なので、寺院も中部ジャワ様式ではないのであろう。

 

しかも、さらに調べると、これらのネーミングはすべて後の時代になってから、便宜上で付けられただけとのこと。名称は番号の替わりのようなもので、名称と建物自体には何の所縁も関連性もないらしい。

 

そういや南インドのマハバリプラムでも、それぞれの寺院の建物の名称がここと似てる遺跡群があったような。その遺跡の名称は「ファイブ・ラタ」。そこはその名が示す通り、5塔から成る寺院群で、ここアルジュナ寺院群と同じだったが…。まあ、そういうもんなんだろう。

 

アルジュナ寺院群の観光中、雨が強く降って来た。この日、霧で最も真っ白だったのがストヤキ寺院で、雨で最も身体が濡れたのがこのアルジュナ寺院群だった。雨が降ると霧が晴れて、霧が晴れると綺麗に撮影ができるのだが、雨がレンズに付いて画像にボヤケが入ってしまう。そして、濡れるから寒い。それでも、たくさんの画像を撮影した。

 

 


敷地の入口と反対側の出口には紫陽花が咲いていた。

 

ここアルジュナ寺院群にもたくさんのインドネシア人観光客が来ていて、レインポンチョを着込んで散策していた。一方、俺は半袖のTシャツ。まさかここまで雨が降るとは…。アルジュナ寺院群はディエン高原観光のハイライトなのに、この雨は残念。

 

しかもこんな時に限って、日本から持参したゴアテックス製のレインウェアをホテルに置いて来てしまった。まあ、でも、霧雨はディエン高原の「通常仕様の天候」だ。これがスタンダード、いつものディエン高原を体験できたのだから、それはそれで良しとしよう。

 

アルジュナ寺院群を後にする。今までの「ジャワ島の観光地あるある、入口と出口が違いがち」を考慮し、入口の反対側の北側の出口から敷地外に出た。

 

 

北側の出口から敷地外に出て遊歩道を進んでいると、金網越しにアルジュナ寺院群が見える。その時、霧が薄くなっていたので、金網の隙間越しに寺院群(左スンワドゥラ寺院、右プンタドゥワ寺院)を撮影。クリアに撮れた。

 

 

 

その先には、「ダルマサラ」なる遺跡があった。未修復で、あるのは土台と瓦礫だけだったが。

 

その後も駐車場を目指し、遺跡群の敷地の周囲をぐるっと歩いて回ったのだが…売店があって、その後、道が無くなった。無くなった? しょうがないので引き返し、感熱紙レシートのチケットを見せて再び遺跡群の敷地内に入り、引き返して元の入口から出た。なんだよ、ここは「ジャワ島観光地あるある」じゃないのか。しかもその間ずっと雨、身体はびしょ濡れ。

 

車に着き、まず忘れずに感熱紙レシートのチケットをヤシンさんに返却。車の中でTシャツを脱ぎ、タオルで身体を拭き、替えの衣類はホテルにあるので素肌の上にジャンパーを着て、来ていたTシャツを後部座席で広げて乾かした。その後、ディエン高原内のさらに標高が高い地域へと車で移動し、別の遺跡を観に向かった。

 

続く。