前回の記事では、12年間共に過ごしたトイプードルを亡くした体験と、新しい犬を家族に迎えることで悲嘆から少しずつ回復していった過程についてお話ししました。

今回は、その体験の「背景にある科学」として、ペットや動物がなぜこれほど私たちの心を癒やすのか、心理学・医学の研究や代表的な概念をご紹介したいと思います。

 


「人と動物の絆」という研究領域

まず知っておいていただきたいのが、ヒューマン・アニマル・ボンド(Human-Animal Bond) という概念です。

これは、人間と動物の間に築かれる相互的で動的な関係性を指す言葉で、1970年代以降、欧米を中心に研究が蓄積されてきました。アメリカではHABRI(Human Animal Bond Research Institute)という専門の研究機関が設立されるほど、この分野は独立した学術領域として発展しています。

ヒューマン・アニマル・ボンドの特徴は、人間だけでなく動物の側にも心理的・生理的なメリットがある「相互的な関係」という点です。ペットが飼い主に懐くのも、単なる習慣ではなく、深い絆の形成によるものと考えられています。


バイオフィリア仮説――人間は生まれつき動物が好き?

ペットへの愛着の根源を探ると、バイオフィリア(Biophilia)仮説 にたどり着きます。

「バイオフィリア」とは、進化生物学者エドワード・O・ウィルソンが1984年に提唱した概念で、「人間には生命や生き物に対して本能的に引き寄せられる傾向がある」というものです。人類は長い進化の歴史の中で、動物と共に生き、動物を観察し、動物と関わることで生存してきました。その名残として、私たちは動物の存在に対して本能的な親しみや安らぎを感じるのではないか、という考え方です。

赤ちゃんが動物の絵本を見て喜んだり、動物園で子どもたちが目を輝かせたりするのは、この仮説で自然に説明できます。ペットと一緒にいるだけで気持ちが落ち着くのも、私たちの本能に深く刻まれた反応かもしれません。


生理学的にも証明されている「癒やし」

動物との触れ合いが心身に良い影響を与えることは、生理学的な研究でも裏付けられています。

特に注目されているのが、オキシトシンの分泌です。オキシトシンは「愛情ホルモン」「絆ホルモン」とも呼ばれ、親子間や恋人間の愛着形成に関わることで知られていますが、犬や猫などのペットと触れ合ったり、目を合わせたりするだけでも分泌されることが研究で示されています。

また、ペットを撫でたり一緒にいたりすることで、コルチゾール(ストレスホルモン)の低下、血圧・心拍数の安定、免疫機能の向上なども報告されています。犬を飼っている人は心臓病リスクが低いというデータもあり、ペットとの暮らしは文字通り「健康に良い」可能性があります。


アニマル・アシステッド・インターベンション(AAI)

動物の癒やし効果を治療や支援に活用した取り組みが、アニマル・アシステッド・インターベンション(Animal-Assisted Intervention : AAI) です。日本語では「動物介在介入」と呼ばれます。

AAIはさらに以下のように分類されます。

**アニマル・アシステッド・セラピー(AAT)**は、心理士や作業療法士などの専門家が、動物を治療の補助として用いるものです。うつ病・PTSD・認知症・自閉スペクトラム症などへの効果が研究されています。

**アニマル・アシステッド・アクティビティ(AAA)**は、治療目的ではなく、施設訪問などを通じて動物との触れ合いによるQOL(生活の質)向上を目的とした活動です。高齢者施設や児童養護施設での取り組みが代表的です。

日本でも、補助犬(盲導犬・聴導犬・介助犬)や介護施設でのセラピードッグ訪問など、動物の力を生かした活動が広がっています。


「社会的支援」としてのペット

心理学的観点から見ると、ペットは非常に特別な社会的サポート源でもあります。

アメリカの心理学者アレン・マクネイルらの研究では、ストレスを感じる状況下では、人間の友人よりもペットのそばにいるほうが心拍数や血圧の上昇が少なかったという結果が示されています。これは、ペットが「評価しない存在」であることと関係していると考えられています。

人間に話しかけると「どう思われるか」という評価不安が生じますが、ペットはどんな自分でもただそこにいてくれます。この無条件の受容が、ひとりでいるときよりも安心感をもたらし、ストレス反応を和らげるのです。

ペットロスが深刻になりやすい理由も、ここにあります。ペットはただの「動物」ではなく、私たちにとって最も重要な社会的サポート源の一つだったわけです。


私自身の体験から

新しいトイプードルを迎えた後、毎朝の散歩が日課になりました。散歩中に感じる朝の空気、犬が嬉しそうに走る姿、自分自身の体調管理にも役立っています。

これらが、気づかないうちに私の気持ちを前向きにしてくれていたようにも思います。

研究では、犬の飼い主は散歩を通じて地域コミュニティとのつながりが生まれやすいという知見もあります。ペットは「心の支え」であるだけでなく、社会とのつながりを広げる橋渡しでもあるのです。


おわりに

ペットや動物の癒やし効果は、単なる「気のせい」ではありません。バイオフィリア仮説、ヒューマン・アニマル・ボンド、オキシトシン分泌、AAIの実践……さまざまな角度から、その効果は科学的に裏付けられています。

「動物が好き」という気持ちは、人間としてごく自然で健全な感情です。そして、ペットとの暮らしは、私たちの心と体の健康に、確かな形で貢献してくれています。

次回は、動物の癒やし効果とカウンセリング・心理支援との関連について、さらに掘り下げていきたいと思います。

 

 


ペットロスと悲嘆反応――12年間一緒にいたトイプードルを亡くして

昨年、12年間家族として一緒に過ごしたトイプードルを亡くしました。家族みんなが深いショックを受け、しばらくは気持ちの整理がつかない日々が続きました。いわゆる「ペットロス」と呼ばれる状態です。

臨床心理学の専門家である自分自身がそれを体験することで、改めて「悲嘆反応」というものを身をもって感じました。今回は、その体験をもとに、悲嘆反応について少し解説してみたいと思います。


ペットロスは「悲嘆反応」である

ペットロスという言葉は広く使われていますが、精神医学の観点からは、悲嘆反応(Grief reaction) として理解されます。

悲嘆反応とは、大切な存在を失ったときに生じる、心理的・身体的・行動的な反応の総称です。人間の死別に限らず、ペットの死、離別、大切なものの喪失など、さまざまな「喪失体験」によって引き起こされます。

具体的には、以下のような反応が見られます。

  • 感情面:悲しみ、虚無感、怒り、罪悪感、孤独感
  • 身体面:食欲不振、睡眠障害、疲労感、涙が止まらない
  • 認知面:集中力の低下、亡くなったことが信じられない感覚
  • 行動面:ペットの部屋や持ち物を片づけられない、外出意欲の低下

これらは決して「弱さ」や「おかしな反応」ではありません。大切な存在を失ったときの、ごく自然で正常な心の反応です。


悲嘆のプロセス

悲嘆反応は、時間をかけて段階的に変化していくとされています。有名なのはエリザベス・キューブラー=ロスの「悲嘆の5段階モデル」(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)ですが、現代の研究では必ずしも順番通りには進まず、行きつ戻りつしながら、少しずつ折り合いをつけていくプロセスであると考えられています。

重要なのは、「悲嘆には時間が必要である」ということです。急いで「立ち直ろう」とする必要はなく、悲しみを感じること自体が、喪失と向き合う大切なプロセスです。


「複雑性悲嘆」とは何か

多くの場合、悲嘆反応は時間の経過とともに和らいでいきます。しかし、一部の方では悲嘆が長期化・慢性化し、日常生活に大きな支障をきたすことがあります。これを複雑性悲嘆(Complicated Grief)、あるいは最近では**遷延性悲嘆症(Prolonged Grief Disorder)**と呼びます。

通常の悲嘆との主な違いは以下の通りです。

 

  通常の悲嘆 複雑性悲嘆
期間  数週間〜数ヶ月で徐々に軽減  6ヶ月以上持続・強度が変わらない
日常生活    影響を受けるが徐々に回復 著しく障害される
故人への思い  悲しみながらも現実を受け入れていく    喪失の現実を受け入れられない
感情  悲しみの中にも良い日もある 強い苦痛・絶望が持続する

 

複雑性悲嘆は、喪失の突然さ、関係の密接さ、サポートの乏しさなどが関係すると言われています。ペットロスの場合、「ペットの死で落ち込むのはおかしい」という周囲の無理解が、悲嘆を複雑化させることもあります。

もし悲嘆が半年以上続き、日常生活が困難な状態が続くようであれば、専門家への相談を検討することをおすすめします。


新しいペットを迎えることについて

私自身は、愛犬を亡くして約半年後に、新しいトイプードルの子犬を家族に迎えました。

正直なところ、最初は「前の子に申し訳ない」という気持ちがありました。新しい子を可愛がることが、前の子を忘れることになるのではないか、と。

しかし実際に一緒に暮らし始めると、不思議なことが起きました。新しい子の仕草や行動を見るたびに、前の子のことを思い出すのです。「あのときのあの子もこうだったな」「この子はここが違うな」という比較を通じて、むしろ前の子のことを日常的に思い出す機会が増えました。

新しい命と暮らすことが、亡くなった子の記憶を消すのではなく、心の中に生かし続けることにつながっている、そう感じています。ある意味で、最も身近な形の供養かもしれません。


悲嘆の乗り越え方は人それぞれ

悲嘆の回復に「正解」はありません。

すぐに新しいペットを迎える人、しばらく時間をおく人、もう飼わないと決める人、それぞれに大切な理由があります。大切なのは、自分の気持ちに正直であること、そして周囲の人が「こうすべき」と押しつけないことではないでしょうか。

ペットロスは、れっきとした喪失体験です。その悲しみをしっかり感じ、自分なりのペースで前に進むことが、何よりも大切だと思います。

もし身近に同じ体験をした方がいれば、「気持ち、わかるよ」とそっと寄り添ってあげてください。それだけで、大きな支えになります。


 


 

 私自身は催眠療法は実施していませんが,下記の日本医療催眠学会に関わらせていただいています。

この学会は不思議な学会で,ヒプノセラピー,退行催眠などの実践を行っている支援者の方たちが研鑽する学術団体です。

今年度の学会は胎内記憶研究で有名な池川明先生の特別講演などもあり,必見です(オンラインでのアーカイブ視聴も可)

      ↓

2025年10月12日(日)開催 日本医療催眠学会 第12回学会学術大会

 

 支援者が自己(わたし)をどのように捉えるかによって,その扱いうる対象や現象は異なります。下記をお読みいただければと思いますが,ヒプノセラピーでは自己(わたし)というものを,次元や時空をも超えた存在として扱っていると考えられます(以下参照)。

 

 対人支援に関わるに際して,自己(わたし)というものをどのように理解したら良いでしょうか。これは意外に難しい問題で,心理学の理論によってもいまだ共通認識を得るには至っていません。自己は単純に「心」や「身体」といった一側面で説明できるものではなく,むしろ多層的で変化し続ける存在であると考えられます。

私自身は,自己(わたし)とは何かについて,従来の心理学研究,脳科学研究,西洋哲学,そしてホロニカル・アプローチの視点をふまえて,以下のように整理しています。

 

心理学研究の視点

  従来の心理学研究においては,自己は大きく二つに区別されます。ひとつは「ミニマル・セルフ」と呼ばれるもので,今この瞬間に生きている「わたし」の感覚を指します。これは,例えば「ここに自分がいる」と実感する最小単位の自己です。他方は「ナラティブ・セルフ」であり,過去の人生経験を物語として積み重ねてきた「わたし」の姿,すなわち人格的な自己を意味します。パーソナリティというとわかりやすいかもしれません。人は日々の中で,瞬間ごとに生きる「ミニマル・セルフ」と,記憶や物語として積み上げられた「ナラティブ・セルフ」との間を往復しながら,「わたしらしさ」を形づくっていると考えられます。

 

脳科学・身体研究の視点

  次に,脳科学や身体研究の領域から見てみましょう。私たちの自己は身体に根ざしていることは確かです。例えば「手を動かす」「声を出す」といった感覚を通して,「これは自分の身体だ」と感じています。しかし脳の研究によれば,必ずしもその感覚は確実ではないことがわかっています。有名な「ラバーハンド・イリュージョン」実験では,ゴムの手を自分の手であるかのように錯覚してしまう現象が確認されています。つまり脳は,外界からの刺激や文脈によって「これは自分の身体だ」と容易に思い込んでしまうのです。こうしたことから,自己は単に脳機能や身体だけでは説明しきれない複雑な存在であることがわかります。

 

多層性と関係性の視点

  このようなことをホロニカル・アプローチの視点も踏まえて考えると,自己(わたし)とは意識から無意識に至るまで多層的な広がりを持つ存在だと理解できます。そして同時に,自己は決して孤立して存在するものではありません。家族や友人,同僚といった周囲の人々との関係,職場や地域社会といった場とのつながり,さらには文化的背景や歴史的文脈など,多次元的な関係性の中で形づくられるのが「わたし」といえるでしょう。ホロニカル・アプローチの視点からは,自己は身体という制約を超えて,より大きな自然や宇宙とのつながり,いわゆるトランスパーソナルな領域をも包含しうると考えられます。自己は境界のある固定的な実体ではなく,常に生成し続ける動的なプロセスだと考えられます。

 

臨床実践における意義
  以上のように多面的に捉えた自己観は,心理臨床の実践においても重要です。公認心理師や臨床心理士などの心理臨床家は,自らが依拠する理論や技法を通じて「自己」をどのように捉えているのかを明確にしておく必要があります。例えば,精神分析的アプローチであれば「無意識に潜む自己の力動」に焦点を当てるでしょうし,認知行動療法であれば「認知や行動のパターンを通じた自己理解」が重視されるでしょう。ナラティヴ・アプローチでは「語り直しを通じた自己の再構築」が鍵となります。いずれにしても,支援者が自己の多層性や関係性を理解し,自分自身がどの立場からクライエントの「わたし」を見ているのかを自覚しておくことが,その後の臨床活動を展開するうえで欠かせません。

 

まとめ

まとめると,自己(わたし)とは,①現在の瞬間を生きる「ミニマル・セルフ」と,②物語として積み重ねられた「ナラティブ・セルフ」,③身体と脳のはたらきに支えられつつもそれを超えて多層的に広がる存在,④他者や社会との関係性の中で常に生成され続けるプロセス,さらに⑤時にトランスパーソナルな次元にも及ぶ広がりを持つものといえるでしょう。少々難解かもしれませんが,自己をこのように多角的に理解することは,支援者にとって人間理解の深まりをもたらし,クライエントに寄り添う際の視座を豊かにしてくれます。

自己(わたし)とは,固定された実体ではなく,時間と関係性の中で常に変化し続けるプロセスである。その視点を持ちながら対人支援に関わることこそ,心理臨床家に求められる基本的な姿勢であると私は考えます。