ペットショップ巡りを始めた日のこと

 

前の子を亡くしてしばらく経ったころ、気がつくと近所のペットショップをのぞくようになっていました。

「新しい子を迎えよう」と決めていたわけではありません。ただ、犬のいない生活の静けさが、思っていた以上に重くて。「見るだけ」のつもりで、いくつかのお店を回り始めました。

そのとき頭のどこかにあったのは、以前見た動画で語られていた言葉です(下記参照)。「動物は人間より生まれ変わりが早い。そして、以前住んでいた場所の近くに生まれ変わってくることが多い」と。

科学的な根拠があるわけではありません。でもその言葉が、なぜか心に残っていました。

 

 

 

いくつかのお店を回って、ある日ふと立ち寄ったのが、自宅のすぐ近くのペットショップでした。遠くまで探しに行っていたのに、一番近い場所に。

そこで出会ったのが、今一緒にいるトイプードルです。

ガラス越しに目が合った瞬間、うまく言葉にはできないのですが「この子だ」という感覚がありました。以前のコラムで「自己とはトランスパーソナルな次元にも及ぶ広がりを持つ」と書きましたが、あの感覚はまさにそういうものだったかもしれません。論理ではなく、直観的にもっと深いところで何かが動いた感じです。

家族に話すと、会いに来た全員が同じように感じたようで、程なくして家族に迎えることになりました。

 

「前の子に申し訳ない」という気持ち

でも正直に言うと、新しい子を迎えることへの迷いもありました。

「まだ半年も経っていないのに」「前の子のことをもう忘れようとしているみたいで申し訳ない」「新しい子を愛したら、前の子への気持ちが薄まってしまうのではないか」——そんな罪悪感が、心の片隅にありました。

これはペットロスを経験した多くの方が感じることです。カウンセリングの場でも「新しいペットを迎えたいけれど、それは逃げになりますか?」と聞かれることがあります。

 

愛は「移動」するのではなく「増える」

心理学的に言えば、愛着は有限のリソースではありません。

新しい命を愛することは、前の子への愛を「移動」させることではなく、愛する対象が「増える」ことです。前の子への気持ちが薄まるのではなく、そこにまた新しい愛が加わる。愛は足し算なのです。

継続的絆理論(Continuing Bonds)の観点からも、亡くなった存在との絆は「終わらせる」ものではなく「形を変えて続いていく」ものとされています。新しい命を迎えることは、前の子との絆を断ち切ることではなく、前の子を心に抱えながら新しい関係を築いていくことです。

 

生まれ変わりという物語の力

「動物の生まれ変わりは早い」「近くに戻ってくる」——科学的に証明されたことではありません。でも私はこの考え方を、否定する気にはなれません。

ヒプノセラピーや前世療法についての記事でも触れましたが、「科学的に証明できないこと」と「意味がないこと」は別です。その物語が、悲しみの中にいる人の心を支え、一歩を踏み出す力になるなら、それは十分に価値があるものだと思っています。

近所で出会った、あの「なぜか惹かれる」感覚。それが何であったとしても、今この子と一緒にいることには確かな意味があります。

動物病院でも「前の子と似てますよね?」と言われます。性格はだいぶ違いますが・・・(笑)

 

迷っている方へ

「新しいペットを迎えたい気持ちはあるけれど、踏み出せない」という方がいたら、その迷い自体が前の子への深い愛の表れだと伝えたいと思います。

正解はありません。早くても遅くても、あるいは迎えないという選択も、すべてその方にとっての答えです。ただ、罪悪感だけを理由に自分の気持ちを封じ込めないでほしいと思います。

前の子は、あなたが幸せでいることを望んでいるはずだから。

 

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「もう立ち直った」と思っていたのに

 新しい家族を迎えて半年が経ちました。毎日がにぎやかで、楽しいことも増えました。「ああ、少し前に進めたな」と感じることも多くなりました。 でも先日、ふとした瞬間に前の子のことを思い出して、胸がしんとしました。 特別なきっかけがあったわけではありません。新しい子が窓辺で同じような格好で寝ていたとき。散歩中に前の子がよく立ち止まって匂いを嗅いでいた場所の前を通ったとき。 「もう大丈夫だと思っていたのに」という戸惑いが、少しありました。 

 

グリーフの「再燃」は異常ではない

 心理学では、こうした現象をグリーフの再燃(Grief Burst)あるいは記念日反応(Anniversary Reaction)と呼びます。 回復が進んでいても、特定の感覚的なきっかけ——匂い、音、景色、季節の変わり目、特定の日付——によって悲嘆が再び鮮明に呼び起こされることがあります。これは回復が後退したわけではなく、記憶と感情が結びついている証拠です。 むしろ研究が示すのは、「完全に忘れること」が回復ではないということです。 

 

継続的絆理論(Continuing Bonds)という考え方 

かつての悲嘆研究では、「亡くなった存在から気持ちを切り離すこと(脱愛着)」が回復の目標とされていました。しかし1990年代以降の研究によって、この考え方は大きく転換しています。 キャシー・クラス(Klass)らが提唱した継続的絆理論では、亡くなった存在との絆を「終わらせる」のではなく、形を変えながら「続けていくこと」が、健全な悲嘆のプロセスであるとされています。 「心の中に生き続けている」という感覚は、病理ではありません。それは愛着が持つ本質的な力です。 ふとしたときに思い出す。胸がしんとする。涙が出る。それは「まだ立ち直れていない」のではなく、その存在があなたの人生に深く刻まれているということです。 

 

思い出すことが「供養」になる 

私自身の体験として、新しい子と生活する中で前の子をよく思い出します。 「あの子はこういうとき、こうしていたな」「この子はあの子と違って、こんな反応をするんだな」——比べることも含めて、前の子を思い出すことが日常の中に自然に織り込まれていきました。 これは悲しいことではなく、前の子が今の生活の中にも確かに存在し続けているということだと感じています。思い出すたびに「また会えた」という感覚に少しずつ近づいてきた気がします。 

 

「思い出す自分」を責めないために 

「もう新しい子がいるのに、前の子を思い出して涙が出るのはおかしいのかな」と感じている方がいたら、どうかそんな自分を責めないでほしいと思います。 二つの命を同時に愛することは、何も矛盾しません。新しい命への愛が深まることと、前の子への思いが続くことは、どちらかを消さなければ成り立たないものではないのです。 愛は足し算です。

 

 悲嘆が「再燃」し続けるとき 

ただ一つ、正直に添えておきたいことがあります。 グリーフの再燃が頻繁で強く、日常生活への影響が長期間続く場合は、一人で抱えずに専門家に相談することを考えていただければと思います。「これくらいで相談してもいいのかな」と思うような段階でも、話を聞いてもらうだけで楽になることがあります。 ペットロスに関するご相談は、カウンセリングルーム結でも対応しています。 

 

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「1年経てば楽になる」は本当か

ペットを亡くした方からよく聞かれることがあります。「1年経てば、少しは楽になりますか?」と。

私自身、12年間家族として一緒に過ごしたトイプードルを亡くして、もうすぐ1年が経とうとしています。心理の専門家として、そして当事者として、この問いに今だからこそ正直に答えてみたいと思います。

 

変わったこと、変わらなかったこと

1年前と今を比べると、確かに変わったことがあります。

あの頃は、朝起きるたびにいないことを思い知らされるような感覚がありました。ごはんの準備をしようとして手が止まる。家に帰ってももうそこには居ない・・・。そういった日常の中の感覚が、今はずいぶん少なくなりました。

 

今でも、ふとした瞬間に思い出すことがあります。新しく迎えた子が同じような仕草をしたとき。前の犬とは晩年になるまで,夜も一緒に布団で寝ていました。新しい犬は,飼い主と一緒に寝ると犬にとってはストレスになるということを動画で知り,夜一緒に寝ることはしていませんが,時々一緒に昼寝をする時などふと思い出します。

「あ、そういえば」と胸の奥がしんとする感覚は、1年経った今も変わらずそこにあります。

それがなくなることが「回復」だとは、私はもう思っていません。

 

悲嘆研究が示す「1年」という節目

心理学・精神医学の研究では、ペットロスを含む悲嘆反応において、「1年」という時間は一つの意味ある節目として捉えられています。

それは「1年で悲しみが終わる」からではありません。四季がひと巡りすること——一緒に過ごした春・夏・秋・冬をそれぞれ「初めて一人で迎える」という体験を通じて、悲嘆のプロセスが一段階進むとされているからです。

「去年の今頃はまだいたのに」という感覚を持ちながら季節を渡ることは、決して後退ではありません。それは悲嘆を丁寧に生きているということです。

 

「1年経ったのにまだ悲しい」と感じている方へ

1年という節目を迎えて、「もうそろそろ立ち直らなければ」「いつまでも引きずっているのはおかしいのかな」と感じている方もいるかもしれません。

でも悲嘆に「いつまで」という期限はありません。特に長年を共に過ごしたパートナーであれば、1年で「終わる」ほうが不自然とも言えます。

「まだ悲しい自分」を責めないでください。それだけ深く愛した、ということです。

一方で、1年以上経っても日常生活に著しい支障が続いている場合——眠れない、食べられない、外に出られない、死にたいという気持ちが出てくる——は、複雑性悲嘆として専門家への相談を考えていただく目安になります。

 

次回予告

1年という節目を経て、今私の家には新しいトイプードルの子がいます。新しい命を迎えることへの迷い、そして「前の子と比べてしまう」という正直な気持ちについて、次回お伝えします。

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