肺がんぶっ飛ばし日記 -5ページ目

TS1に移行する

今日、血液検査があり、白血球の値が基準値より増加したことで、私にとっての新しい抗がん剤TS1を使った治療が始まった。TS1(ティーエスワン)はこれまでの点滴薬ではなく飲み薬である。カプセルタイプでのみにくくはない。飲み込んでしまうから、美味くも不味くもない。この薬の効果を期待するばかりである。

TS1は1回に3錠のむ。食事をしないときでも何かおなかに入れてから飲んでくださいということだった。薬が胃酸に弱いという。点滴と比べるとなにやら風邪薬を飲んでいるようで、頼りない。1クール(1セットの治療)が40日の治療を2回続ける。約3ヶ月だ。今から考えると遠くなるような時間だが、これをやらなくてはいけない。

私は元来、気が短く、じっと耐える性格でもない。しかし、これまでにやった治療を無駄にしないためにも、この治療をやり続けることが必要だ。TS1については医師の説明を聞き、「服用のてびき」も読んだのだが、もう一度インターネットで検索してみようか。ただ、インターネットには根拠のない説明もあったりするので無用意に信用するわけに行かないところが辛いところだ。

今日はお風呂に入ろう

まだ、TS1が始まらない。それは明日の血液検査の結果の如何によって決められる。したがって、今日も昨日に続きOFFである。病室にいてあまり部屋から出ないことを除いては、怠惰な主婦と同じだ。ベッドに横になって、見たくもないテレビを見ている。昨日はヒューザーの社長の証人喚問があって、それなりに面白かった。あれほどマスコミで言いたい放題言っていたのが、刑事犯罪人になるかかどうかで貝のように口をつぐんでしまう。


まあ、誰でも自分がかわいいものさ、というのも簡単すぎる。マンションの建設販売などをしていると、金額も大きいし、儲けも損も大きいはずだから、つい確実に儲かる方法に飛びついてしまったのだなと思う。私がその立場になったら、簡単に日和ってバンバンお金を稼いだかも知れないな、とも。思わない。


お金を儲けたい人は大変だと思う。ヒューザーの社長は私より1歳ぐらい年が若いはずだ。この会社について詳しいことは知らないが、ここまで大きくするのに多少の苦労はしたのだろう。そういう努力も違法行為をすれば一挙に刑事罰を受けねばならない。民事もあるし、会社は倒産、自分の自宅も取り上げられるだろう。くわばら、くわばらである。


今日は水曜日で男性がお風呂に入る順番である。放射線治療のための胸の記号はごしごし洗ってもよくなったし、今はゆっくりとお風呂に入れるようになった。ほかにやることもないし、ゆっくりとお風呂に入ろうと思う。私は、今大きく世間ずれしていると思うし、そういうことは、そういう人に任せば良いではないか。今日はゆったりとお風呂に入ろう。

治療延期される

TS1による治療が延期されている。初期の予定では昨日からやるはずだった。CT写真もまだ予定が入ってこない。治療が延期されたのは昨日の午前中行われた血液検査の結果が芳しくなかったためだ。白血球の値が3100程度で合ったという。現在白血球は増加しつつあるから、あと2,3日たてば治療が可能になるだろうと言う判断で、1がつ19日から治療ができる見込みであるという。なんとも面倒な治療だ。


私は治療を早く進めて欲しいと思っているので、前項のような考え方になってしまう。もう少しのんびり考えたらどうだということもあるだろうけれど、これまで私は十分に待って来た。それでも待つしかない。じっと待つしかないのだ。早く治療に入ったところで、その効果がなければ、早く治療に入ることの意味はない。とにかく待つことにしよう。


昨日は娘夫婦が病院に来てくれた。妻も着てくれたのだが、なぜか午前1時30分というトンでもない時刻に目が覚めた。それで、目が覚め時間を確認し、単に目が覚めただけだということを理解するのに少し時間がかかってしまった。真夜中であることを確認して、もう一度布団に入った。それだけのことだ。


あせってはいけないのだ。私はもともとせっかちだから、そんなにゆったりとした気分でいることは野が手なのだ。ではあるけれどあせってはいけないのだ。ゆったりとして、あるがままの環境を受け入れようと思う。そうすれば治療は必ず成功するのだから。ゆったりと構えてゆこう。

抗がん剤治療第二段階

今日は朝から治療も検査もない日だった。それでも病院にいるのは、職場から見舞い客が5名ほど来るためである。職場からの見舞い客はこれで3回目なのだが、みんな忙しい時間を割いて着てくれるのだから感謝をしなければいけない。見舞い客にはこれまでの治療の経緯と今後の治療の方針、期間について話しておこうと思う。


月曜日から、TS1の治療が始まることになった。宙ぶらりんになっていたCTの検査はその後適当にあいている時間を見計らって行うらしい。問題はTS1だ。これまで胃がん。結腸・直腸がん、頭頸部がん、非小細胞がん、手術ができない又は再発性乳がんの治療に使われているとのことだが、肺がんに使われた実績が少ないのだ。医師からはそれらしい説明はあることはあったが、肺がんにどのように聞くのかその判定はどのようにするのかなど、疑問点は多い。


そういう新しい治療を受け入れたのは、従来の抗がん剤治療を続けると白血球の減少の副作用がきつくなって、その治療を続けられなくなるから、という医師の意見があったためである。TS1が有効に作用することを祈るのみである。そういえば、入院してから、神に祈ることが多くなった。自分の努力で何もできないことが多いからだ。世の中には自分の努力、実力だけでできないことは山ほどもある。そういうことも強く感ずるのだ。


今、自分がしている努力というのは、食事と酒である。食事というのは、少なくとも病院に入院している限りだされた食事は全部食べるということである。これは結構辛い時もある。好きなものでないものが大量に出された時などだ。10月に入院して以来これはずっと続けている。酒については、病院の中ではもちろん、家にいるときでも1滴も呑まないことを守っている。医師が言うのには、抗がん剤の治療は肝臓を使うのでアルコールで肝臓に余計な負担をかけたくないということで、なるほどと思い、禁酒を続けている。まあ、これも奏功すると良いなと思う。

検査・検査

今までの点滴による抗がん剤治療と放射線照射による治療が終わった。それから新しい治療に入る前にいろいろ検査をしておきたいということで昨日から、種々の検査を行っている。胸部レントゲン検査、血液検査、尿検査、心電図、心臓のエコーである。さらに、今日か明日にCT検査をやりたいという。これまで心電図、心臓のエコーはとったことがなかったのだが、極正常に動いていることがわかった。


胸部レントゲン検査では、やはりまだ影が残っているということで完治はしていないことがわかった。血液検査の結果では、白血球が通常の範囲より少ないところにある。そのほかの指標については十分な説明を受けていない。尿の検査では何を測ったのか、よくわからない。心臓の検査は、レントゲンやCTの検査の際に肥大している恐れがあるとのことで測ったのだが、結果はオーライで正常とのことである。


CTをやるのは、今日か明日になると考えられるが、今日時は未定である。CTは最近検査をやったばかりだが、医師は新しい治療を行う前のデータが欲しいらしい。同意書にはサインをしたが、余り納得のいくものではなかった。こんなところは、医療の進歩によりいろいろな検査が可能になってデータの入手ができるようになったための弊害かなと思う。


とにかく以上の検査でわかったのは、現在の私は胸部のがんとリンパ節に転移したがん以外は正常であることだ。新しい治療を加えて完全に治したいという思いが今の私を支えている。「ティーエスワンカプセル服用のてびき」なるマニュアルが医師から渡された。例によって副作用がいろいろ書いてある。この副作用が全て現れたら最悪である。どうもがんのマニュアルは副作用のあること、副作用の内容など、詳しく書かれすぎている嫌いがある。もっとも、書いておかないでその副作用が出たら、医師の責任問題になるからであろうが、それにしても書きようがあると思うのだ。

放射線治療が終わる。

年明けの騒ぎもそろそろと終わろうとしている。私の治療に変化が見られようとしている。まず、放射線治療であるが、今日の午後に行ったものが最後の一回前。つまり、明日で最後だということだ。合計で30日照射をやったことになる。放射線科の先生、技師の方ご苦労様といいたい。


放射線治療で一番厳しかったのは、食べ物を飲み込むときに痛かったことだ。これは照射をやり始めて1週間ぐらいしてから始まった。始まってからずっと、軽くなることはなかった。その代わり、物がて食べられないほどきつくなることはなかった。それがありがたかった。看護師からは、ご飯をやわらかいものに変えようかとか、暖かいそうめんにしましょうかという提案があったが、わたしは普通のご飯にこだわった。そのほうが食欲が落ちることを防げるという思いからだった。


放射線治療事態は単純な作業の連続だし、体が痛くなる副作用は喉を除いてなかった。そのことは幸いだった。また、この治療を通じて、放射線技師の自分の仕事に対する誠実さも知った。この病院にいる多くの職員がこのような仕事をしているのであろう。


次に待っているのは新しい治療である。TS1という。1回やり終わるのに6週間かかる。これを2セット行う。つまり12週間である。まだ、言い渡されたばかりでこころの準備はできていない。終わるのは4月に入ってからか。新しい治療に入る前に血液検査、尿検査、心電図などの検査を行うという。新しい治療に移る前に現在の状態を知っておきたいのだと思う。

治療方針が変わる?

今週の末から来週にかけての都合のよい日に家族を交えて今後の治療計画について相談したいと言う。今抗がん剤治療の2クール目を行っているところだ。放射線治療の方も一段落するらしい。そんなこともあって、今後の治療計画について相談したいと言うのだ。


私の意見があるのだとすれば、抗がん剤治療の3クール目、4クール目を行った方がよい治療ができるのだとすれば、そうして欲しいということだ。それが不要であると言うことならば、医師の指示にしたがえば良い。私が気兼ねなく職場を休めるのは3月までだ。それまでの治療であれば、問題は小さいのだ。問題があるとすれば経済的(医療費)の問題か。


こういうことは結構迷うことなのだなということがわかった。誰だって治療を続けるのは不快に決まっている。それを続けるのは辛抱の要ることなのだ。それは、これまでの治療で十分にわかった。あと2クールやる気力はあると思う。できればできるだけ完全に近い体を取り戻したい、これも強い気持ちだ。


結局、私はまだ情報不足だということだ。これまでどれほどの治療の成果が得られたか全く知らされていないし、今後2クールの治療でどのような治療効果が得られるのかもよくわからない。そういうことで私、妻、医師の3者が医師からの情報を元に決断を下すほかはないと思う。

年末・年始の外泊

年末・年始の外泊が昨日から始まった。1月4日の午前中まで外泊が続く。それでも、抗がん剤の副作用で白血球が少なくなっているはずだし、無理はできない。外出は最低限にし、風邪などひくことなく過ごしたい。病院と比べて自宅は寒い、暖房が不完全だからだ。昨日寝る時にも寒さを感じた。よほど注意しないと風邪をひく。


今日は良い天気だ。この時期には珍しく太陽の光がある。


昨日、S市に住む旧友から電話があった。病気のことは伝えてあったのだが連絡がなかったのだ。それでも気にはかけてくれたのだなと思う。病気でなければ、S市に帰省して、また、一杯と言ったところだ。今年ばかりはそれはできない。病気の治療が終われば、また、そううこともできるのだろう。


また、正月には高校の同級会がある。これも今年は欠席だ。お祭り好きの人間にとって、こういう会に出席できないのも辛いのだ。

年末・年始の外泊

年末・年始の外泊が昨日から始まった。1月4日の午前中まで外泊が続く。それでも、抗がん剤の副作用で白血球が少なくなっているはずだし、無理はできない。外出は最低限にし、風邪などひくことなく過ごしたい。病院と比べて自宅は寒い、暖房が不完全だからだ。昨日寝る時にも寒さを感じた。よほど注意しないと風邪をひく。


今日は良い天気だ。この時期には珍しく太陽の光がある。


昨日、S市に住む旧友から電話があった。病気のことは伝えてあったのだが連絡がなかったのだ。それでも気にはかけてくれたのだなと思う。病気でなければ、S市に帰省して、また、一杯と言ったところだ。今年ばかりはそれはできない。病気の治療が終われば、また、そううこともできるのだろう。


また、正月には高校の同級会がある。これも今年は欠席だ。お祭り好きの人間にとって、こういう会に出席できないのも辛いのだ。

今年最後の治療

今日28日は、今年最後の治療(放射線治療)だ。今、放射線治療も第2段階にあり、斜めからの照射と頸部の真上からの照射を行っている。昨日の放射線科の医師の診断で、頸部の照射は今日までということになった。来年の治療は1月4日から始まる。したがって、年末・年始の休みは今日の放射線治療後から、1月3日までとなる。

これまでの治療を総括してみよう。治療は生検後の抗がん剤治療から始まった。前日の予備点滴を含む計4日間の大量の点滴、それから1週間後の点滴、白血球増加のための注射、注射による痛みを抑える座薬の使用、また、この間月曜日から、金曜日まで続く放射線治療である。これまででも道半ばというわけに行かない。3月まで治療計画がある。

しかし、年末のこの治療を終え、正月を迎えれば、3月までの見通しがつくように思える。時間が進まないと先は見えないものだ。内科の医師にはその全体像が見えるのかも知れないが、私は患者であり、医学的な知識も薄い。だから、具体的な治療計画を明確に示してもらっても、時間がたちあと、これこれをするのだと思っていなければ先は見えない。いま、その出口が見えてきたような気がする。

世の中ではいろいろなことが起こる。テレビでは山形の列車脱線事故の詳細を報道している。病気でなくとも人はこのように死んでしまう。事故死ほど突然のできごともまたないだろう。私は私にできることを着実にしていけば良いのだ、それが私の道を作る。私の生き様を決めて行く。私には明日があるのだから、今日を一生懸命生きなくてはいけない。