スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス(1999) | つぶやキネマ

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スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス(1999)

 

 遠い昔、はるか彼方の銀河系で…。ニモーディアンのヌート・ガンレイ(サイラス・カーソン)が率いる通商連合は、辺境の惑星ナブーを無数の宇宙戦艦によって封鎖し侵略統治の機会をうかがっていた。銀河共和国議会の特使としてヌート・ガンレイの元へ派遣されたジェダイ・マスターのクワイ=ガン・ジン(リーアム・ニーソン)とオビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)は、乗って来たクルーザーを破壊されバトル・ドロイドから襲撃を受け、ナブーへの武力侵略を準備していたバトル・ドロイドのランディング・シップに身を潜めた。ヌート・ガンレイは、1000年前に滅んだと言われていたシスの暗黒卿のダース・シディアス(イアン・マクダーミド)に操られていて、ナブーの統治者であるアミダラ女王(ナタリー・ポートマン)の警告を無視してナブーへの侵略を開始、ランディング・シップで脱出しバトル・ドロイドの追撃を逃れたクワイ=ガンとオビ=ワンは、ナブーの原住民のグンガン族の若者ジャー・ジャー・ビンクス(アーメッド・ベスト)の案内でグンガン族の水中都市へ向かい、族長ボス・ナス(ブライアン・ブレスド)から潜航艇ボンゴを譲り受けると水路を通ってナブーの首都シードへ潜入、バトル・ドロイド軍に制圧され拘束されていたアミダラ女王の一行を救出し、ヌビアン・ ロイヤル・スターシップを奪還してナブーから脱出、宇宙戦艦による封鎖戦を突破する際にハイパー・ドライブに損傷を受け共和国の首都惑星コルサントへの航行が不可能となったために砂漠の惑星タトゥイーンに降り立つ。ジャー・ジャーや侍女のパドメ(ナタリー・ポートマン)とハイパードライブのパーツを求めて無法者の街モス・エスパへと向かったクワイ=ガンは、トイダリアンのワトー(アンドリュー・セコーム)が経営するジャンク・ショップで奴隷として働いている少年アナキン・スカイウォーカー(ジェイク・ロイド)と出会い、彼の中に秘められたフォースを感じる。アナキンが優勝したポッドレースでワトーとの賭けに勝利しハイパードライブのパーツを手に入れたクワイ=ガンは、奴隷から解放されたアナキンを連れて惑星コルサントへ向かおうとするが、シスの暗黒卿ダース・モール(レイ・パーク)に襲撃される…というお話。

 

 16年ぶりのシリーズ再開という事で、映画ファンやマスコミの間では大騒ぎになっていたが、先駆けて公開された旧三部作の「特別編」を観てジョージ・ルーカスの映画に対する姿勢に疑問を感じていたので、過大な期待はしないという心構えで劇場へ足を運んだのを記憶している。結果的には、ストーリーは悪くないと思ったが、予想していた通りの違和感と様々なモヤモヤが残って帰宅する事になった。

 一番の原因は旧三部作とはLOOK(作品の顔)が違いすぎるからで、特にキャラクターやメカのデザイン・コンセプトが「スター・ウォーズ(1977)」の約30年前という時代設定から考えると、どう考えても不自然なのだ(注1)。

それに加えて、描きこみ不足な脚本とポリシーが感じられない行き当たりばったりな演出、メリハリの無い編集等、CGに依存しすぎの薄っぺらな描写が最後までダラダラ続いたという印象だった(注2)。

 特に、新たに付加されたフォースとジェダイの設定は旧三部作と異なる部分も多く、以降のシリーズに大きな混乱を招く事になるし(注3)、C-3POに代わるコメディ・リリーフとして登場させたジャー・ジャー・ビンクスの存在は、ストーリーの流れを断ち切る最悪な存在でしかなく完全に作品を壊してしまっている(注4)。

 エピソードがたっぷり詰め込まれているのにもかかわらず空疎な大作となった本作の中で、大きな見所と言えるのはスピード感と音響効果抜群のタトゥイーンのポッドレースと、クライマックスの二人のジェダイとダースモールとのライト・セイバーによる壮絶なバトルぐらいなのが寂しい(注5)。

 ジョージ・ルーカスは「アメリカングラフィティ(1973)」で採用して以降、旧三部作でも顕著だった複数のエピソードが同時進行する構成が大好きなのだが、今回もクライマックスで4つのエピソードが並行して描かれていて、将軍に任命されたジャージャーが率いるグンガン族の大部隊がバトル・ドロイド軍と戦闘を開始、宮殿を奪還しようとするクワイ=ガンたちの前にダースモールが再登場し二人のジェダイ・マスターとのバトル、N-1スターファイターに乗り込んだアナキンがパイロット達と軌道上のドロイド制御艦を攻撃、アミダラ女王が率いる精鋭部隊はバトル・ドロイドを撃退しつつヌート・ガンレイのいる玉座の間へ向かう、という4エピソードが切り替わる度に盛り上がったハラハラドキドキ感が何度も断ち切られてイライラしてしまうのだ(注6)。

 ラストは、祝賀パレードとアミダラ女王がグンガン族長ボスナスに共存の印として光る球体を送り感謝を述べるという、「スター・ウォーズ(1977)」とよく似たエンディングを迎えるのだが、銀河共和国の最高議長になったパルパティーンがシスの暗黒卿ダース・シディアスである事をクワイ=ガンの葬儀の席で匂わせるという蛇足でしかないシーンも追加されて萎えさせてくれます…「そんなの知ってるぞ」という観客の声が聞こえた気がしました。という事で、この新三部作も期待してはいけないという「見えざる脅威(ファントム・メナス)」な想いに襲われ劇場を後にしたのであった。

 

●スタッフ

製作総指揮・脚本・監督:ジョージ・ルーカス

製作:リック・マッカラム

撮影:デヴィッド・タッターサル

特撮:ILM

音楽:ジョン・ウィリアムズ

 

●キャスト

リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー

ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド

イアン・マクダーミド、ペルニラ・アウグスト

アーメッド・ベスト、ヒュー・クァーシー、

アンソニー・ダニエルズ、ケニー・ベイカー

テレンス・スタンプ、レイ・パーク

フランク・オズ、サミュエル・L・ジャクソン

ワーウィック・デイヴィス、アンドリュー・セコーム

ブライアン・ブレッスド、オリヴァー・フォード・デイヴィス

 

◎注1; 

作品冒頭で気になったのは、二人のジェダイが乗ってきたクルーザーやC-3POと同型のメイド・ロボットは旧三部作と同じデザイン・コンセプトなのに、新たに登場したバトル・ドロイドと回転しながら登場するドロイディカは旧三部作よりも科学技術が進化していてコンセプトが明らかに違う。特にドロイディカはブラスター(光線銃)を受け付けないシールドを装備していて、こんな強力なドロイドを旧三部作の帝国軍は何故配備しなかったのかが大きな謎。そして量産型のバトル・ドロイドを配備せずに、何故あまり役には立っていなかったストーム・トルーパーで軍隊を組織していたのか。何よりこのバトル・ドロイド、全く強そうに見えないボンクラで、声やデザイン、歩き方や戦闘スタイルがどう見ても”お笑い要員”でしかないのだ…そういう意味では一見怖そうなストーム・トルーパーの方がナンボかマシだとは思う。このバトル・ドロイド軍はクライマックスで軌道上の制御艦からコントロールされている事がわかるのだが、バトル・ドロイドの隊長(?)がヌート・ガンレイからのナブーの首都侵攻の指令をホログラムで受けていたのは何だったのか(笑)。さらに、ナブーからの逃亡に使うヌビアン・ ロイヤル・スターシップやアナキンがパイロットとして活躍するN-1スターファイターのデザインは別の作品を見ているようだった。旧三部作のジョージ・ルーカスの設定では、共和国軍は銀河に散逸していた戦闘機やクルーザーを集め整備して戦っているはずだったのに、「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐(1983)」には、ヌビアン・ ロイヤル・スターシップやN-1スターファイターのようなタイプは一機も登場していない。こういう矛盾は登場キャラクターにも及んでいて、各種の生物たちも旧三部作とはコンセプトが違いすぎる。旧三部作では全て特殊メイクやパペットで表現されていたのに対し、グンガン族のような架空の生物たちもCGで描くことが可能になった事で、明らかに”やり過ぎ”なシーンも目立つのだ。ジャージャービンクス(後述)やジャンク・ショップを経営するワトーの動作、ポットレースの場面に多数登場する人型ではない生き物たちは、本作の中だけに限っても”浮いている”感じが強かった…アナキンの友人であるウォルドは「スター・ウォーズ(1977)」でハン・ソロ( ハリソン・フォード)が射殺した賞金稼ぎグリードと同種族の子供で従来のラテックス製マスクを着用したワーウィック・デイヴィスが演じている。このようにメカ・デザインや架空の生物たちのコンセプトが混在した事で統一感が失われ、結果的に作品の全体像が旧三部作とはかなり違った物になったのが、シリーズ作品としては致命的と感じてしまった。

◎注2; 

各エピソードはそれなりに面白いのだが、ストーリーを追うのに精一杯な感じで、登場人物の思いや葛藤等の心理描写や台詞の工夫が足りないのに加えて、緩急のない演出やシーンごとに演出の方向性が変わったりで、ストーリー展開にリズムが生まれないのだ。各エピソードの連続性も希薄で、「はい、次はこれです」みたいな展開ばかりが続き、クライマックスに向かって徐々に盛り上がって行くような感じは皆無。ジョージ・ルーカスにとっては22年ぶりの脚本・監督作という事で映像作家としての感性が戻らなかったのではないか、ドラマ部分でもCGを多用するという撮影方法を選択したために、セットは最低限必要な部分だけ作りグリーンバックで撮影するという特殊な環境に、ルーカス自身が順応出来ていなかったのではないかと想像している。リーアム・ニーソンは当初は新三部作に出演する事を承諾していたようだが、グリーンバックでの撮影は演技に集中出来なかったからか本作のみの出演になった…旧三部作のオビ=ワンのようにフォースと一体化した姿で再登場させる構想だったらしい。

◎注3; 

フォースとジェダイ騎士団の関連で、ファンを唖然とさせたのが「ミディ=クロリアン」という新たな設定だった。アナキンの出生の秘密と関連づけるために考え出したアイデアだったようだが、旧三部作でオビ=ワン(アレック・ギネス)やヨーダが語っていた設定とは大きく異なっていただけでなく、フォースの重要な設定との関連でも矛盾が生じていたのだ。公開後に熱烈ファンからの批判・非難が殺到したために、ルーカスは次作からはこの新設定は無かった事にしてしまった。さらに、フォースで操れない種族の存在や、アナキンをジェダイとして育てるかどうかを透視能力の判定に使うESPカードのようなテストをしていたり、ワトーとの賭けの場面ではクワイ=ガンがダイスを操ったり、そのクワイ=ガン本人もジェダイ・マスターたちの決定に異を唱える”破戒僧”だったりと、崇高な存在だったはずのジェダイ騎士団が下世話な超能力集団にしか見えなくなってしまった。このフォースとジェダイ騎士団の関連の曖昧な設定は、以降のシリーズでも曖昧なままで、配給権をディズニーに売却した後の新たなシリーズでも脚本家や監督の悩みのタネになり数多くの混乱が生じる事になる。

◎注4; 

シリーズ全作に登場するキャラクターとしてルーカスが設定したC-3PO(アンソニー・ダニエルズ)とR2-D2(ケニー・ベイカー)は、旧三部作でコメディ・リリーフとして大活躍したのだが、本作ではC-3POは少年時代のアナキンが組み立てたという新設定が登場してこのコンビの活躍場面は消滅。このコンビに代わるコメディ・リリーフとして登場させたのがジャー・ジャー・ビンクスだったのだが、ルーカスがコメディ・リリーフの意味を理解していなかったのか、無駄なギャグや奇妙な動作の連続でとにかく鬱陶しい。しっとりした雰囲気の場面やシリアスな場面にも介入して来て物語の流れを破壊してしまうし、作品全体のイメージからも浮いた存在でしかなく、ストーリー的には居なくても良かったぐらいなのだ。公開後は熱心なファンから非難の嵐で、ルーカスは次作からのジャー・ジャーの登場場面の見直しを余儀なくされてしまった。

 そんなジャー・ジャーだが、創造主であるルーカス本人はひどく気に入っていたようで、スタッフたちに絶対人気者になると豪語していたらしい。旧三部作の製作時に語られていた、ルーカスは幼稚で稚拙なアイデアばかり出してくるので、プロデューサーやスタッフたちから却下されていたという噂を証明する形になった。これはジャー・ジャーのアイデアに限った事だけでなく、デザイン・コンセプトの違和感や脚本の不備に対して助言するスタッフがいなかった事とも関係していると思われる。本作を含む新三部作はルーカスの完全なプライベート・フィルムで、 「スター・ ウォーズ・シリーズ」の利益でハリウッド一の大富豪となったルーカスはカリフォルニアのマリン・カウンティに「スカイウォーカーランチ」と命名された広大なスタジオを構え、本作の製作費の全てを負担し脚本と監督も兼任、特撮は自前のILM、スタッフはルーカスに憧れて入社して来た若手ばかりで旧三部作から継続して参加しているのはILMのデニス・ミューレンぐらい。周りをNoと言えないスタッフで固めた完全な”裸の王様”状態だった事が想像出来る。製作費の高騰でハリウッド・メジャーも自己資金だけでは大作の製作が不可能になっていた時代に、映画史に残る大ヒット・シリーズを個人資産のみで完成させたのは凄い事なんだけどねぇ。

 ジャー・ジャー・ビンクスを演じたアーメッド・ベストは、「ワイルト・チェンジ(1989)」にエキストラとして出演してはいたが本作が本格デビュー作で、シリーズ3作でジャー・ジャー・ビンクスを演じた後は、劇場映画はサミュエル・L・ジャクソンと共演した「愛する人(2009)」ぐらいでテレビ界を中心に活躍。本作ではCG合成用のスーツとかぶり物を装着して演じているので実質的には声優のようなポジションですが、彼の演技や動作はCGキャラクターに活かされているそうです。

◎注5; 

本作の数少ない見所と言えるのはタトゥイーンのポッドレースの場面。「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐(1983)」のスピーダーバイク・チェイスを凌駕するスピード感と重厚な音響効果は本当に素晴らしく、これで変なCGキャラクター達や無駄なギャグが無ければ最高だったのにと思わせてくれる…首が二本ある実況アナウンサーとかホントに止めて欲しいよね。ポッドレースの場面には、主催者として若きジャバ・ザ・ハットや執事のビブ・フォチューナも登場しているが重要な役とは言えない登場の仕方で、このためだけに第1作の「特別編」にジャバ・ザ・ハットを登場させたのかと思うと再び怒りがこみ上げてくる…ここでも謎の存在にしておけばファンのお楽しみが失われずに済んだのに。そしてもう一つはクライマックスの二人のジェダイとダースモールとのライト・セイバーによる対決。ここでも音響効果が素晴らしく、ブンブン唸るライト・セイバーには大興奮、レーザーディスクが発売された時はこの場面ばかり繰り返し見ていた。本作の音響効果を担当したのは旧三部作でも大活躍だったベン・バートで、本作からは編集も担当するようになった。 スタント・コーディネーターのニック・ジラードが考案した殺陣は迫力満点でホントに凄いのだが、ここでも旧三部作との整合性が失われてしまっていて、この三部作の最後に言い訳的な描写が付加される結果となった。シーンの後半で二人のジェダイは電磁波シールド(?)で分断され、クワイ=ガンはダース・モールと単独で戦う事になるのだが、互角に戦っていたクワイ=ガンがジェダイ・マスターらしからぬウッカリ・ミスのような感じで倒されてしまう。ちゃんと観客が納得出来る理由を用意して丁寧に演出しなければいけない場面なのに…ここもルーカスのボンクラ演出が噴出した感じですな。それに続くオビ=ワンとダース・モールの対決の結末ももう一工夫欲しかった。

 クワイ=ガンを演じたリーアム・ニーソンは、ジョン・ブアマン監督の「エクスカリバー(1981)」で劇場映画デビュー、「銀河伝説クルール(1983)」「ミッション(1986)」「ダーティハリー5(1988)」等に出演し「ダークマン(1990)」では初主演、「シンドラーのリスト(1993)」ではアカデミー主演男優賞の候補になっている。本作出演後はシリーズ化された「96時間(2008)」や「特攻野郎Aチーム THE MOVIE(2010)」等のアクション俳優としても大活躍中。

 オビ=ワンを演じたユアン・マクレガーは、TV俳優として活躍後に主演作「トレインスポッティング(1996)」で大ブレイク、「ブラックホーク・ダウン(2001)」「アイランド(2005)」「天使と悪魔(2009)」「ゴーストライター(2010)」等に出演し活躍中。

 ダース・モールを存在感たっぷりに演じたニック・パークは、スタントマンと兼任で「モータルコンバット2(1997)」で劇場映画デビュー。本作以降も「X-メン(2000)」「G.I.ジョー(2009)」等で活躍、「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー(2018)」では復活したダース・モールを演じる事に…本作と同年公開の「 スリーピー・ホロウ(1999)」ではスタントマンとして首なし騎士を演じています。

◎注6; 

 クライマックスは4エピソードが交差する展開で、しかも演出や編集があまり上手く行っていないという体たらく。グンガン族とバトル・ドロイド軍の戦闘場面は、生身の俳優が一切登場しないCGキャラクターだけのドタバタを延々観せられるという苦行…特にCGで描かれた風景はリアリティに乏しく空気感が感じられないのだ。本作が批評家から”CGの箱庭”と揶揄された最大の原因はこの場面だと思われる…霧の中からグンガン族が現れる冒頭は黒澤映画みたいで良かったんだけどね。

 アナキンがN-1スターファイターで軌道上のドロイド制御艦を攻撃し破壊する場面は、状況や感情を全部台詞で喋ってしまうという脚本と演出で「観てればわかるよ」という気分にさせられる…破壊場面は「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐(1983)」のデス・スター破壊の再現だし。

アミダラ女王率いる部隊が玉座の間へ向かう場面は、古臭い銃撃アクションに終始するだけでスピード感や迫力に欠けていて、ワイヤーを打ち込んで上層階へ登る場面や、ヌート・ガンレイを騙す手段には眩暈がします。前半のアミダラ女王救出場面も同様に陳腐だった事を考えると、ルーカスは旧三部作以降の16年間のアクション映画の進化の過程を観て来なかったのではないかと勘ぐってしまうのだよ。

 アナキンを演じたジェイク・ロイドは、聡明な中の無邪気さと邪悪な雰囲気が共存していて雰囲気は良かったのだが、演技はもう少し監督が指導するべきだったと思いますね。本作以前にはシュワちゃんの息子役で「ジングル・オール・ザ・ウェイ(1996)」に出演、本作後は

「プライド・オブ・マディソン/栄光への挑戦(2001)」「スペース・ミッション 宇宙への挑戦(2001)」に出演したぐらいで映画界には残らなかったようだ。

 アミダラ女王=パドメを演じたナタリー・ポートマンは、13歳の時に「レオン(1994)」で劇場映画デビュー、「ヒート(1995)」「マーズ・アタック!(1996)」「世界中がアイ・ラヴ・ユー(1996)」等に出演、本作後は「Vフォー・ヴェンデッタ(2005)」「マイ・ブルーベリー・ナイツ(2007)」等に、オムニバス映画「ニューヨーク、アイラブユー(2008)」では監督としてデビュー、「ブラック・スワン(2010)」ではアカデミー賞主演女優賞を受賞している。

 アミダラ女王の侍女で影武者のサーベを無名時代のキーラ・ナイトレイが、同じく待女のサーチェをフランシス・フォード・コッポラの娘で後に映画監督になるソフィア・コッポラが演じています。

 

 

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