ゆったり丸山・和田散策
4月10日(火)、私は「また旅倶楽部」のお散歩ツアー「ゆったり丸山・和田散策」に参加した。
パンフレットには、散策の概要が次のように記載されていた。
南房総市の旧丸山町と旧和田町の境にある丸山川沿いを通り、和田町海発地区の神社仏閣を訪ね、
地域に残る 歴史と自然をゆったりのんびり散策します。
行程
ローズマリー公園リバーサイド駐車場→星座刻印の石柱群→子安神社→浅間様→建福寺→
六地蔵と馬頭観音→ 自性禅院→南三原駅→正運寺→南三原聖ルカ教会→牛乳処理工場→
和田海底ケーブル陸揚局・・・・・・→ローズマリー公園リバーサイド駐車場
星座刻印の石柱群
9時30分、ローズマリー公園リバーサイド駐車場を出発。ハマダイコンの咲く丸山川を少し進むと、無造作に放置された石柱群に出くわす。ガイドは道の反対側に回れば星座が刻印されているのが見えると言う。丸山町から廃棄処分になった為のようだ。全部で12基あると言うが今は近所の人がお世話しているようである。
星座刻印の石柱群
子安神社・建福寺
鴨川に向うR128の田んぼに接する旧道を進み、先ずかつて海発神社と呼ばれていた子安神社を案内される。
子安神社
子安様は「安産・子育て」の神様とかで、狛犬も子連れだ。
子安神社 子連れの狛犬
拝殿に向って左側に子授かり石なる石が置かれてあった。
子安神社 子授かり石
建福寺石仏 : 真言宗智山派の寺院
自性禅院
自性院は、禅寺として開創されてから670余年の歴史を持つ臨済宗建長寺派の寺院。
大正4年4月から11年4月までの7年間、地方青年中等教育の塾が自性院内に開設され、安房各町村から男子塾生が多数集まり、論語・孟子など四書五経その他の学問を学んだと言う。
自性禅院
自性院の向拝の龍は、柱をぐるっと一回りしてから長く伸びている。
自性院向拝の龍
自性院向拝の龍 柱をぐるっと一回り
南三原駅~正運寺~南三原聖ルカ教会
自性院の裏からR128に出てJR南三原駅でトイレ休憩。
小さな駅舎なので無人駅かと思ったらそうではなかった。
地元出身の参加者から、近くにある安房拓心高校(旧安房農業高校)の生徒が乗り降りするお陰と聞き納得する。
R128を少し進み折り返し点の旧道に出る少し前で、小さな天台宗の寺院正運寺に立ち寄る。
ここで境内の左側にある将軍(勝軍)地蔵が紹介される。
それは甲冑を身に着け軍馬にまたがった姿の地蔵菩薩が石板に刻印されていた。
この将軍地蔵に祈れば戦に勝つといわれ、鎌倉時代以降武士の間で信仰されていたと言う。
続いて南三原聖ルカ教会が紹介される。館山の城山の東側麓にあるキリスト教共同墓地に眠るコルバン夫妻のコルバン夫人が、夫のコルバン医師の没後、安房各地で伝道を行なって建てた教会と言う。
コルバン夫人の南三原聖ルカ教会
帰路
帰路は旧道で牛乳処理工場・和田海底ケーブル陸揚局を見聞きした後、田んぼ道に入る。
それから波の音が聞こえる林のふちに沿った道を歩いて出発点の駐車場に戻った。
旧道と林の間は区画整理により田んぼが整然と並ぶ広大なエリアだ。
ここで、機械による田んぼの黒塗り作業に出くわす。同行の参加者から黒塗りは今は機械ですよ、と教わる。
そこで、私のウォーキングコースの田んぼの黒塗りがやけに見事なのに合点が行った。
しかし一方、ここでも耕作放棄地を目にし、残念な思いに駆られる。
牧場
また旅倶楽部のガイドツアーでは、メインのガイドの他にサブガイドが何人も居て質問に答えてくれたり
エピソードを語ってくれる。
その一つ、太平洋戦争の末期、米軍の上陸予定地は九十九里浜かこの林の先の白子海岸と言われていた、
と話す。そういえば、旧道から眺めた時、沖縄に似ているなぁ~、と思った。
12時出発点の駐車場に戻り、8,400歩の和田町海発地区を巡ったゆったりのんびりの散策は終わりとなった。
ガーデニング~2018・春到来
春到来で、今年も我家の入口には、5点セットで花木が咲き競った。
5点セットで咲き競う花木 3月22日撮影
今年はアップの写真も掲載しよう。
ボケ
ツバキ : 大島の旅で購入、背丈90cmに成長して全身花だらけとなる。
ユキヤナギとニワウメ
今年が一番の咲きっぷりで目を引いたのは、ムスカリとキバナスイセン。そして少し大きくなった日向ミズキであった。
ムスカリとキバナスイセン 3月22日撮影
日向ミズキ 3月22日撮影
新たな花木では、昨年義姉から頂いた盆栽仕立てのカイドウが、庭に移植して世話をしたのに答えて、
沢山の花を咲かせてくれた。背丈が25cmたらずだが、これから楽しみである。
カイドウ 3月31日撮影
さて、畑ではエンドウ3兄弟(スナックエンドウ・サヤエンドウ・グリーンピース)と早生の玉ネギの成育が大変良い。
しかし、ジャガイモがいまだ発芽したのがわずかで、雨続きで種イモが腐ってしまったかもしれない。
成育良好なエンドウ3兄弟 4月4日撮影
桜にも異変ありであった。我家近くの城山公園(館山市)の桜は実に見事であったが、3月の最後の週で見頃は
終ってしまった。
でも、4月に入り、隣の本家では山桜が咲き誇り、今はやはり隣のSINOさん宅で八重桜が花開き、
私は、自宅に居ながらにして花見を続けている。
ベランダで花見 : 隣の本家の桜 4月4日撮影
小谷家住宅・青木繁「海の幸」記念館
小谷家住宅(館山市布良)は、明治37(1904)年青木繁が写生旅行でひと夏滞在し、「海の幸」(国重要文化財)
を描いたことで知られる。
また、安房地域の漁村を代表する分棟型民家として館山市の有形文化財に指定されている。
そして、この度築130年を経て老朽化した小谷家住宅は、2年がかりの修復で平成28年4月に青木繁「海の幸」記念館としてオープンした。
小谷家住宅・青木繁「海の幸」記念館 2月24日撮影
私は、昨年11月5日に館山市立博物館による「わたしの町の歴史探訪~富崎地区(布良・相浜)」で小谷家住宅を外から眺めたが、今度は中に入ってみたいと思い、2月24日(土)に訪問した。
私達3人は幸運にも現当主で館長の小谷福哲さんの丁寧な案内で館内を巡ることが出来た。
先ず、青木繁等4人が滞在したといわれる奥2間に通されて「海の幸」と「わだつみのいろこの宮」の複製画を見る。
青木繁「海の幸」複製画 : 布良崎神社の祭礼では大神輿を担いで海に向う御浜くだりがあります。
この神事にインスピレーションを得て「海の幸」が生まれたと考えられています。
また、掲示されている「日本重要水産動植物之図」は、日本初のカラー魚類図で水産伝習所(東京海洋大学の前身)の初代所長関澤明清から漁業実習指導のお礼として明治23年9月に小谷喜録へ贈られたものという。
続いて、北側の納戸で「海」、「海景(布良の海)」の複製画を見る。
それから、板の間に回り小谷家の家系図の説明を受ける。その中で、青木繁が滞在した時の当主・小谷喜録は富崎村会議員や帝国水難救済会布良救難所看守長など要職を歴任し、日本でも先駆的な村政を牽引したという。
また、ひな祭りの時期に合わせて、数年前に納戸から見つかった明治期のひな人形の展示もあった。
古風なひな人形の展示
外に出て主屋の右手にあるブロンズレリーフの写真を撮っていると、今度は館長の奥様が説明してくれた。
それは、館山市在住の彫刻家船田正廣氏による石膏の塑像をもとに製作された同寸大の「刻画・海の幸」で、戦後70年と日韓国交正常化50周年を記念し、秀林文化財団理事長の河正雄(ハ・ジョンウン)氏の資金提供により日韓5ヶ所に設置されたものの一つという。
ブロンズ「刻画・海の幸」
ブロンズレリーフとクロガネモチの大木
ブロンズレリーフの右隣りの苗木は、小谷家の大木と同種のクロガネモチで、ノーベル賞受賞者の大村智氏による記念植樹という。
*大村智氏は、小谷家住宅の修復・保存に向けて全国の画家で組織したNPO法人青木繁「海の幸」会の理事長
おわりに
小谷家は、江戸期より昭和初期まで続いた上層漁家とのことだが、それを引き継いだ当主としての自覚や富崎地区を盛り上げていきたいという意気込みを感じさせる館長の語りと展示に感謝して青木繁「海の幸」記念館を辞したのであった。
水辺の鳥~2018
冬になると、私はリビングの炬燵のそばに双眼鏡を置く。庭にやって来る小鳥をすぐに識別出来るようにする為である。
今年も、沼の里山(館山市)散策道分を合わせると、お馴染みの鳥が22種類識別出来た。
今年の特徴と良かった事と言えば、庭ではアカハラが多く見られ、柿の木で何とも可愛いシジュウカラの幼鳥が見られたこと。沼の里山散策道では、スズメの大群と道路脇の藪でキリットした姿勢のウグイスに出くわしたことであろうか。
さて、本題に移ろう。2月20日(火)晴れ、穏やかで暖かい陽気に、私は久し振りにカモを識別しようと、双眼鏡と日本野鳥の会のハンディ図鑑水辺の鳥を持って、湊川河口(館山市)へ車を走らせた。
途中、汐入川河口の導流堤の先端に驚くほどのカモメの群れを認める。即北条海岸の浜辺の駐車場に車を止めて、導流堤の基部から観察した。飛び交うカモメは、小型で赤いくちばしと赤い足。群れはユリカモメだ!!
絵になる光景に、カメラを持ってこなかったのを悔やむ。
湊川河口に到着。予想通り多くのカモが川面に浮かぶ。カモメとユリカモメが少し混じっている。
私は、河口をさかのぼって老人福祉センター前まで足を伸ばして観察した。カモは大きいので識別しやすい。
ここで識別出来た水辺の鳥は、次の9種類であった。
マガモ・カルガモ・キンクロハジロ・スズガモ・オオバン・ホシハジロ・ヒドリガモ・カモメ・ユリカモメ。
2月23日(金)、やっと晴れ間が出たので、私はカモメの群れを写真におさめようと汐入川河口に行った。
しかし、カモメの群れは少し小さくなっていて、しかも飛び立とうとしない。
仕方なく湊川河口へ向う。すると、前回と異なりカモは少なく、ユリカモメとカモメが多く浮かび断続的に飛び立っていた。私は、初め橋の上から川面の群れを撮っていたが、遠くの波打ち際の大群も撮ろうと思い立ち、堤防から浜辺に出て撮ったのが次の写真である。
カモメの大群 : 湊川河口波打ち際にて 2月23日撮影
カモも見上げるカモメの群舞 : 湊川河口にて 2月23日撮影
その後、3月1日(木)に春一番が吹き荒れた。カモメは渡り鳥とのことなので、今は写真のような光景はないかも知れない。でも、沼の里山からウグイスの鳴き声が聞こえるのはもうすぐである。
春近し~2018
私共夫婦のウォーキングコースである沼の里山で、随所に咲く梅を見ると、春近しを思う。
でも、梅の観賞となると城山公園(館山市)の梅園となる。
2月14日(水)、この日のウォーキングは梅の花見を兼ねて城山に登る。
咲き具合はまちまちだが、暖かい日差しの下、春色の景観を十分に楽しむことが出来た。
城山公園の梅 2月14日撮影
城山公園の梅 2月14日撮影
もう一つ、春近しと思うのは館山城の下・城山の中腹に咲く河津桜である。
バス通りを車を運転していて認め、そう思う。
バス通りから見える城山の河津桜 : 館山神社から2月18日撮影
2月18日(日)穏やかな日和に、私はウォーキングを兼ねてこの河津桜をまじかに見ようと、城山に登り
ツバキの径を歩く。
バス通りから見える城山の河津桜 : 城山公園ツバキの径にて2月18日撮影
さて、我家の話に移ろう。12月2日(土)に剪定した南高梅が沢山の花を咲かせている。
城山公園の梅の剪定を参考にしたのが良かったようだ。
我家の南高梅 2月17日撮影
私にとって、春の前の庭の大仕事は柿の剪定である。
私はネット検索で学習して、2本の柿を1月27日(土)から29日(月)まで3日間掛けて、いつになく強めの剪定を
実施した。今はリビングの炬燵から一人納得して眺めている。
一方、畑仕事はジャガイモの植え付けから春は始まる。
我家の柿 : 剪定後2月22日撮影
鴨川 東条海岸&菜な畑ロード
2月16日(金)、今日は我家から車で1時間の鴨川亀田総合病院への通院日である。
通常、私は妻の診察が終わるまで、見晴らし抜群の亀田クリニック4階のラウンジで、海を眺めながら
新聞を読んだり、お茶を飲んだりして過ごす。
でも、今日は連日の風がおさまったこともあり、妻を待つ間に写真でも撮ろうかと、カメラを持参した。
亀田クリニック4階ラウンジからの眺め : 遠く左端は太海の仁右衛門島
芝生の円はドクターヘリのヘリポート
東条海岸
前回の12月1日(金)は、晴れで青い空青い海にヒラメねらい(?)の漁船が行き交う光景に見とれたものだが、
今回はどんよりしたくもり空でイマイチな光景であるが、サーファーが見えたので海岸に下りてみた。
西側 前原方面を望む
東側 天津方面を望む :: 多くのサーファーで賑わっていた。サーファー等はマルキポイントと呼ぶようだ。
日が差した時、「光る海にサーファー」の光景を撮る。
菜な畑ロード
帰路に鴨川市役所近くの菜な畑(ななばたけ)ロードに寄ってみた。
一面黄色のじゅうたんとなった畑は1万坪という。
花摘みや特産品の販売の受付のご婦人は、今年は台風21号による被害で背丈が低い、と言う。
また、彼女はお撮りしましょうか、と言い我等ジジババのツーショット写真をバチバチ撮ってくれた。
そんなこともあって、私は好印象を抱いて春色の菜な畑ロードを後にしたのであった。
菜な畑ロード
海岸の夕景
今年の冬は、気象予報士の檜山さんが「極寒の週・・・・・」と解説するように寒~い日が多い。
寒いということは、館山では海岸に出ると富士山がはっきり見えることになる。強風の翌日などはなおさらである。
しかし、昼間は見た目通りに写真を撮ることは難しい。でも夕方のシルエット富士なら何とか撮れる。
そこで、私は寒い夕方に目星を付けていた写真スポットに行ってみた。
北条桟橋と富士山の夕景~館山市の北条海岸
北条海岸 1月25日 17:00撮影
今は昔、大勢の海水浴客で賑わっていた頃、私は友達と木製の桟橋から飛び込んで泳いだりして夏休みを満喫していた。桟橋の入口近くには立教大学広告研究会の海の家があり、何ともモダンな曲を流していた。後年、それはハワイアンの「真珠貝の歌」であることを知った。
岡本桟橋と富士山の夕景~南房総市富浦町の原岡海岸
原岡海岸 2月7日 17:15撮影
私は、館山から国道127号線で富浦町に入り、友人から聞かされていた標識12番を左折して狭い路地を抜けて原岡海岸に到着、桟橋駐車場に車を止める。狭い路地は対向車が来たらアウトであろう。
駐車場で車から降りた時はっと気付いた。そこは昔、会社勤務の頃、釣り仲間と釣り宿三久丸を訪れた際に車を止めた駐車場だったのである。我々は翌早朝海岸沿いの通りに車を走らせて富浦漁港に向かい、仕立ての三久丸に乗船して釣りに興じたのであった。
原岡海岸は、桟橋と富士山の夕景の後の桟橋に連なる電柱の灯りもまた、写真のねらい目のようである。
しかし、私は海岸沿いの通りの確認を優先させ館山への家路についた。
平島灯台の夕景~館山市船形の堂ノ下海岸
私は、夏が近づくと釣り友Kさんのお誘いで、堂ノ下海岸でカヌーに乗りシロギス釣りを楽しむ。
そして、沖の岩場に立つ小さな灯台を眺め、富士山を絡めればいい写真が撮れるのでは、と思うのであった。
しかし、先日、下見でそれは無理なことが分かった。そこで、私の住む館山市沼のアマチュア写真家のSさんの言う水平線に落ちるダルマ夕日と灯台を撮ることに切り替えた。
平島灯台 : 堂ノ下海岸近くの防波堤より 2月8日 16:37撮影
夕日が水平線に落ちるのが期待された。
平島灯台 : 堂ノ下海岸近くの防波堤より 2月8日 17:12撮影
日の入りが近づき夕日は伊豆半島(天城山)の裾に落ちて行き、ダルマ夕日は出現しなかった。
るいちゃんのお正月~2018
幼稚園年長組のるいちゃんは、12月30日にやって来て1月4日に帰るまでジジ、ババの住む館山で過ごした。
相変らず、るいちゃんからジジオと命名された私にべったりの生活であったが、ディズニーの本を読んだり絵を描いて一人で遊ぶ時間が増えて、私は少し解放され、孫の成長を実感した。
るいちゃんの一日は、朝食後近所のSさんの好意で愛犬のりんごちゃんの手綱を持っての散歩から始まり、よくしゃべり、歌い、ジジオとのたわいない話や遊びにゲラゲラ笑い、実に楽しそうであった。
大晦日、パパを館山駅に出迎えるはずのるいちゃんは強制的な昼寝。夜NHKの紅白歌合戦を見てから沼の天満神社での除夜祭に行くためである。
除夜祭では、愛嬌のあるるいちゃんはおたき火の前で、ババちゃんと同級生の崇敬会長にあいさつして抱き上げられる。
0時、皆が社殿前に集まり崇敬会長の音頭で二礼二拍手一礼の合同参拝。それから天神会の若者達がさすお神輿の胴体くぐりを体験。
そして、甘酒とみかんをもらって、沼の大寺(総持院)に行き家族それぞれ鐘を突いて、月あかりの田んぼ道を歩いて家に戻った。神社やお寺でのるいちゃんの参拝は堂に入っている。いつも熱心にお祈りするので、何をお祈りしたのか、と聞いたらそれは言ってはいけない事で秘密だと言う。
1月1日、快晴穏やかなお正月である。るいちゃんは庭で縄跳びと館山小学校のグランドで凧揚げに挑戦。
夕方、いつになく大きな月にジジオとパパとるいちゃんは、家のそばの田んぼ道に出て眺める。
沼のアマチュア写真家のSさんが居て、スーパームーンだと言う。
里見の城(館山城)を照らす月
2日、庭での縄跳びは、ババちゃんの教えが良いのか大分うまくなった。凧揚げは館山小学校のグランドが野球の練習に使っていたので、城山公園の芝生広場で挑戦。この日も風がなくるいちゃんは両親が見守る中走り回る。
城山公園芝生広場で走り回る凧揚げ
方角を変えて走り、少し凧が揚がる
午後、パパを駅で見送った後、るいちゃんの大好きなイオンタウンに行く。
るいちゃんは、百円ショップでママから一つだよ、と言われているのに、お姫様の(?)スカートと水でふくらむスポンジを買う。それから、偶然の出会いだが、キラキラ プリキュア アラモードのショーを大勢の子供達と熱心に見る。
3日、風の冷たい日だった。明日帰るので荷作りをして郵便局から送ってから、トランプ遊びをする。ママから負けても泣かないこと、と言われるいちゃんは真剣なまなざし。神経衰弱ではジジオは認知症気味。そこを突かれ立て続けにるいちゃんの逆襲にあい、るいちゃん3位ジジオは4位のペケとなった。
夜、ババちゃんの手伝ってくれると助かるわ、の言葉に気を良くして料理を手伝う。ササミチーズ揚げで小麦粉をまぶす手つきなど堂に入って来た。
料理手伝い
寝床では、今日はオドヤ(スーパー)に行けなかった、と悔しがっていたという。???
4日、字が書けるようになったるいちゃんは、ジジオとババちゃんの絵にありがとう、こんどくるね、だいすきだよの手紙を残して、9時の高速バスで鎌倉へ帰って行った。
ガーデニング~2017・10~12
10月23日(月)未明、台風21号による暴風雨に見舞われ、我家の畑と庭は初めて体験する大きなダメージを受けた。
畑仕事
種を播いたコマツナ・ホウレンソウ・ミズナ・シュンギクは全滅。
10月29日(日)夜の大雨の台風22号の通過を待って、31日に再度種を播いた。
種から育て3回の間引きを経て、やっと1本立ちに育ったダイコンも塩害により葉っぱがしおれた。
でも、種の播き直しは時期遅しと判断し、生育を見守ることにしたが、生育は不良となった。
苗を植え付けたブロッコリー・ハクサイ(早生と中生)・ナバナは何とか持ちこたえた。しかし、植え付けの遅かったハクサイ中生は生育不良。ナバナには例年の勢いが見られない。
11月に入り、例年通り玉ネギの苗に始まり、ポリポットで種から育てたサニーレタスとエンドウ3兄弟即ちスナックエンドウ・サヤエンドウ・グリーンピースを植え付けた。
それから、防寒を意識した工夫をしてみた。
コマツナ・ホウレンソウ : トンネル支柱に防虫ネット掛け
ミズナ・シュンギク : トンネル支柱に防虫ネット掛けと薄手の半透明のビニール掛け
エダマメ跡地のコマツナ・ホウレンソウの種まき : トンネル支柱に厚手のビニール掛け
生育に厚手のビニール掛けは効果大で、種まきが一番遅かったのに、コマツナは一番早く食すことが出来た。
11月20日 生育不良のダイコン、コマツナ・ホウレンソウ(右)とミズナ・シュンギク(左)の防虫ネット掛け
11月20日 何とか持ちこたえたハクサイとブロッコリー
エンドウ3兄弟の奥がコマツナ・ホウレンソウの厚手のビニール掛け
さて、収穫に移ろう。今年こそはと意気込んだエダマメは10月30日~11月2日に掛けて収穫したが、虫食いの実が多く今年も駄目。打つ手なしの思いである。
台風被害のダイコンは、タクワンを漬けるサイズに至らなかった。しかし、時期は遅れたが、早生のハクサイはハクサイを漬けることが出来、ブロッコリーは美味しく食べられるまでになった。
救いはサトイモと長ネギで共にお正月には重宝した。特にサトイモは上出来であった。
今年は我家の台風被害を知る多くの友人・知人から、ダイコン・ハクサイ・ブロッコリー・ナバナ・コマツナ等を頂いた。
ありがたく、「あったか ふるさと館山」を実感したのであった。
庭仕事
シオンと柿 10月5日
コムラサキとクジャクソウ 10月6日
フジバカマと柿 10月8日
ウキツリボクと柿 10月13日
例年、10月の終わりから11月の初めに掛けて、美味しい柿が収穫出来る。
台風の予報に、少し早めだが10月21日(土)、雨がやんだので私は妻を助手に柿を取りまくった。
そして、その日の内にお世話になっている方々に配り回り、喜んでもらえた。
でも、この日里見まつりの見学を兼ねて千葉から来る予定だった弟が雨のため延期したので、弟と姉の分を取らずに残しておいた。これが失敗であった。それらは台風の塩害により、黒ずみ実がやわらかくなり甘味も落ち、人様に差し上げることは出来ない物になってしまった。
せっかく多くの実を付けた温州ミカンも柿と同様で11月11日に全て取り除いた。
11月5日 ツワブキと年長組の幼稚園生のるいちゃん
右端はるいちゃん誕生記念樹の温州ミカン。11月26日温州ミカンのため、ツワブキにはお引き取り願った。
11月20日 畑と台風被害で花々の早々の株元カットにより冬模様となった庭
ウキツリボクにはお引き取り願ってドウダンツツジを植えた(11月16日)
わたしの町の歴史探訪~富崎地区(布良・相浜)
私は、館山市立博物館の新・地区展「富崎~海と生きる人々」の展示解説会(10月28日)に続いて、11月5日に同博物館のイラストマップを片手に学芸員の解説を聞きながら巡る「わたしの町の歴史探訪~富崎地区(布良・相浜)」に参加した。
富崎は妻の家族のルーツであり、その寺社や史跡めぐりは興味深いものであった。
「富崎」という地名は、天富命が上陸した岬であるという安房開拓神話に基づいて、明治22年(1889)に相浜村と布良村が合併した際に付けられた村名です。太平洋に面した山際にある両村は耕地が少なく、海の恵みを生活の糧としてきました。相浜は西岬地区伊戸までの平砂浦沿岸を、布良は布良瀬という魚の豊富な磯場を漁場とし、江戸時代以降、漁業を生業とする多くの人々が暮らしてきました。
行程
(布良エリア)・・・安房自然村→布良崎神社→道路元標→小谷家住宅→向の墓地(女神堂)→青木繁記念碑→幕末砲台跡→駒ヶ崎神社→富士見の地蔵→(相浜エリア)・・・鮪延縄船・安房節発祥の地碑→蓮壽院→相浜神社(旧感満寺)→松崎弁天(厳島神社)→楫取神社跡→旧富崎小学校→)(布良エリア)・・・神田町の墓地→龍樹院→本郷の墓地(観音堂)→安房自然村
それでは、行程を学芸員の解説とイラストマップや地区展のパンフレットの解説文を読み返しながら、振り返ってみよう。
布良エリア
布良崎神社
祭神は天富命。先ず、学芸員より岩座(いわくら)を案内される。
岩座 : 神様の鎮座する岩
この岩座は西暦800年頃に祀られました。古代の民族風習においては、自然物に神が鎮座するとして岩や山に祈りをささげてきました。
多くの神社の原点は祀られているのが岩座であり社殿や鳥居は後から作られたものです。
(案内板より)
布良崎神社
7月20日前後に社殿から望むと二の鳥居~一の鳥居の中に夕陽と富士山が見られると言う。
富崎村道路元標(げんぴょう)
富崎村と他町村の距離を測る際の基準となった道路元標(石柱)から、かつての布良のメイン通りを望む。
かつての布良のメイン通り : 道路元標より望む
小谷家(こたにけ)住宅
小谷家住宅
明治中期の上層漁家で、明治37(1904)年に洋画家の青木繁が2ヶ月逗留した建物で重要文化財「海の幸」を構想したことで知られている。
青木繁「海の幸」記念碑・阿由戸(あゆど)の浜
阿由戸の浜へ下る途中で青木繁「海の幸」記念碑に出くわす。阿由戸の浜は風光明媚なところで、「海の幸」は阿由戸の浜の情景で、四国から渡海した天富命の上陸場所と伝えられている。
青木繁「海の幸」記念碑
阿由戸の浜 南端(?)
男神山・女神山を眺めながら進む途中、幕末の東京湾警備のための砲台跡の話を聞く。
男神山(左)と女神山(右) : 阿由戸の浜北端(?)上
駒ヶ崎神社
駒ヶ崎神社 : 社殿の裏で海食洞穴を見る
駒ヶ崎神社前の海 : 右上は平砂浦
駒ヶ崎神社は漁師の強い信仰があり、新造船は神社前の海で安全豊漁の祈願を行うと言う。
相浜(あいのはま)エリア
鮪延縄船(まぐろはえなわせん)・安房節発祥の地碑
江戸中期に富崎で鮪延縄漁がはじまり、明治時代にはヤンノーと呼ばれる大型の改良鮪延縄船を建造し、沖泊まりで操業して豊漁を続けたが、事故も多発し後家船と呼ばれた。
安房節は寒い時期の漁の士気を高めるために歌った労働歌。
鮪延縄船・安房節発祥の地碑
蓮壽院(れんじゅいん)・相浜神社
浄土宗の蓮壽院で、元禄地震の大津波の犠牲者86名を供養する正徳5年の名号塔(みょうごうとう)が案内される。
蓮壽院名号塔
相浜神社
相浜神社は感満寺(修験の寺)→浪除(なみよけ)神社→相浜神社(かつての鎮守楫取(かんどり)神社を合祀)の歴史を持つと言う。
数年前、私の住む館山市沼の神輿の修復記念祭で、相浜の青年達が駆け付けて浪除丸の旗の下、お囃子と踊りを披露してくれたが、ここにきて相浜神社の御船浪除丸のいわれが分かった。
旧富崎小学校
今年(平成29年)の3月で廃校となった。校舎入口前に富崎村の近代化に貢献した初代村長神田吉右衛門の碑と二宮金次郎像が立つ。
神田吉右衛門は、有力者の独占状態にあったアワビ漁収益を村の共有資産として、インフラ整備を行ったと言う。
布良エリア
神田町の墓地
殉職警察官4名の慰霊碑が並び、毎年供養祭が行われると言う。その一つ、日本が幕末に開港して以来、港から広まる新たな流行病となったコレラに、明治12年布良で防疫活動中に感染殉職した左右田(そうだ)豊巡査の碑が紹介された。
龍樹院
曹洞宗の寺院で、向拝の龍は後藤義光の兄弟子にあたる後藤恒徳の作と言う。
龍樹院向拝の龍
本郷の墓地
由緒あるものが点在する中、俵光石制作による酒樽型の墓石が面白い。
さて、妻の家族のルーツの話だが、妻は住居はどこ?との問いに布良と言うだけ。そこで、義兄にイラストマップを見せて聞いたところ、即本郷の墓地の下を指差して教えてくれた。
その後転勤により住まいを変えていったようだが、生まれたのはどこ?との問いに妻は分からないと言う。
そこで、才色兼備の義姉のケイコさんに聞いたところ、即布良の本郷との答えが返ってきた。
かくして、私は歴史探訪のお陰で、妻の生い立ちを知ることが出来たのであった。
おわりに
富崎の歴史探訪は、13時00分から16時15分、8,800歩で終わりとなったが、私は相浜に入ってから疲れが出て寄る年波を痛感する羽目になった。
昭和初期には、海と共に生活する模範村として評判になったというが、海にせり出した崖の上と下に展開する富崎地区の現状は、空き家の目立つ集落との感がぬぐえない。

































































