ガーデニング~2017.4~5
庭仕事
4月の初めに芽吹きを認めた柿の木が、今や青葉が生い茂っている。
5月のゴールデンウィーク、幼稚園の年長組となったるいちゃんの帰省に合わせたかのように、赤のシャクヤクが
咲き出した。
シャクヤクと帰省したるいちゃん 5月5日撮影
ゴールデンウィーク時の花々 : 今年はツツジがほんの僅かしか咲かなかった。 5月5日撮影
5月9日、我家の近くで野菜作りをしているSさんから頂いた麦なでしこ(アグロステンマ)が咲き出した。
風に揺れる様はコスモスのようだが、花はなでしこ、花穂は麦に似ている。
麦なでしこ 5月15日撮影
また、るいちゃんの誕生を記念して植えた温州みかんが6年目にして、木が花だらけ状態になった。
昨年は8個の収穫だったが、今年は期待出来そうである。しかし、甘夏は僅かしか花を咲かせず、実の生らし過ぎの弊害が出てしまったようである。
花だらけの温州みかんと柿の若葉 5月11日撮影
我家の庭にも事情や栄枯盛衰があって、ネコヤナギ・ハギ・ウキツリボク(予定)・スズランにはお引き取り願った。
畑仕事
先ずは収穫の話だが、エンドウ3兄弟が絶好調で、今年は駄目だったと言う仲間に、差し上げる(珍事)程であった。サヤエンドウとグリーンピースは5月9日、スナックエンドウは17日まで収穫が続いた。
ジャガイモ(キタアカリ)とエンドウ3兄弟
昨年は分球したりして全く駄目だった玉ネギは、小玉が多いもののまずまずの出来で5月18日に収穫を終えた。
畑の栄枯盛衰はアスパラガスであろう。ついに、僅かしか収穫出来ず、私は更新が必要と判断して、5月17日に
発泡スチロールの箱に種を播いた。
次は植え付けだが、4月5日の長ネギに始まり、例年より早目の28日にサトイモ・ショウガを、29日に種苗店で購入したトマト(大玉・中玉・小玉)・ナス・キュウリ・ピーマンの苗を植え付けた。
るいちゃんは、終日私にべったりなので、早目とはるいちゃんがやって来る前にという意味である。
夏野菜の植え付け 5月5日撮影
そして、5月10日にオクラの種を直播き、14日にポリポットで種から育てたつる有りインゲンを植え付け例年の作業を終えた。ところが、私が野菜の伝道師と呼ぶごっさんから、シシトウの苗の提供があり、急きょ22日に植え付け正真正銘の終わりとなった。
さて、順調な生育のナスとトマトの葉っぱに異常が認められた。原因は病気?肥料過多?が考えられるが、下部の異常な葉っぱを取り除いてから、14日に住友化学の総合殺菌剤ダコニール1,000を1,000倍希釈で噴霧した。一応異常は止まったようで今は生育を続け大きくなってきたのでほっとしている。
ごっさんは、トマトには肥料は殆どやらない、と言う。これから参考にしようと思う。
石堂寺周辺を巡る月イチツアー「丸氏の郷へ」
4月15日(土)、私は「また旅倶楽部」の南房総市の石堂寺周辺を巡る月イチツアー「丸氏の郷へ」に参加した。 かつて、石堂寺を訪れ客殿で波の伊八の彫刻を見たことはあるが、以下に記すガイド内容に興味を持ったからである。
石堂寺は国指定重要文化財など多くの文化財があり、裏山には石堂城跡がある。石堂城跡に登り、かつて
この地域を支配していた豪族丸氏の郷を一望し、丸氏ゆかりの地を歩く。
行程
石堂寺→石堂城跡→旧尾形家住宅→安楽寺・丸城跡→善性寺→諏訪神社→石堂寺
石堂寺
行基による開創(726年)、慈覚大師による再興(851年)、夜盗による火災に遭い(1487年)、当地の豪族丸氏や里見氏によって堂宇を現在地に移して再興(1513年)。
由来の話の中で、特に興味深く聞いたのは次の2点。
①創建当時の寺名は石塔寺。水晶で作られた宝塔(お釈迦様のお骨が納められている)を祀っていることに由来
する。滋賀県、群馬県にも同じ宝塔を蔵する寺院があり、日本三石塔寺と呼ばれる。
②室町時代末期に足利頼氏を養育した縁に因み、頼氏の幼名「石堂丸」をもらい受け「石堂寺」と改称。
仁王門 : 民話によれば、ここの仁王は「蛭(ひる)取り仁王」と言われ蛭を退治したという。
本堂 : 国指定重要文化財
石堂寺は天台宗の寺院で本尊は十一面観世音菩薩(国指定重要文化財)
境内の建造物に対するメインガイドの話の中で、興味をそそられたのは多宝塔である。
多宝塔 : 国指定重要文化財
①丸珠師谷氏(まるしゅしがやし)を大旦那とした丸一族が里見義堯・正木時茂等の協力を得て建立した。
(1545年)
平成元年~2年の解体工事により室町末期の創建時に復旧された。建立当時の姿に戻すため、回廊部分に
飾られていた初代伊八の欄間彫刻16枚は取りはずされ、客殿に展示されている。
②塔頂部の相輪のレプリカが館山市立博物館にあると言うので、行ってみたところ、基部の露盤に丸珠師谷や
里見義堯・正木時茂等の刻銘が見られた。
桜と多宝塔
石堂城跡~旧尾形家住宅
桜やシャガが咲く境内を後にして、裏山に登り石堂城跡を目指す。山道は整備されているが結構きつい。
ガイドより空堀とか土橋の説明を聞きながら山頂展望台のある平場に着く。丸氏の郷が一望である!!
しかし、南西の強風が吹き荒れ帽子が飛ばされそうで、カメラを構えるのに難儀する。
丸氏の郷
メインガイドは丸氏の郷を指差し、多宝塔建立時丸氏は分家して五家あったと言い、丸珠師谷・丸(本家)・丸宮下
・丸石堂・丸岩糸と説明する。
再び山道を進みさらに奥の第二の平場を見てから、本堂裏境内に戻る。
そこには、梅園が広がり旧尾形家住宅と花観音が立つ。
旧尾形家住宅 : 国指定重要文化財
江戸時代中期の建築(1728年)で主屋と土間とが棟を別にして建てられているのが特徴。
花観音 : 傍らの満開の枝垂れ桜が見事であった。
殿の居住地は?との私の問い掛けに、ガイドは梅園でしょう、と答える。
ここに至って、私は石堂寺は城郭だ!と思った。
安楽寺・丸城跡~善性寺
丸山川の流れる穀倉地帯を歩き、丸郷神社経由で安楽寺に到着。安楽寺は丸一族の菩提寺で裏山は丸城跡と
言う。
安楽寺山門
昼食後、丸氏のご先祖を祀るやぐらを見学してから善性寺(ぜんしょうじ)に向う。途中、路傍の石仏群を見学。
善性寺の地は豪族丸一族の中でも最も有力であった珠師谷氏の屋敷跡とされ、やぐらがいくつもあった。
一際大きなやぐらには扉があり鍵が掛けられてあった。珠師谷氏の累代の墓で宝篋印塔や五輪塔が見られた。
善性寺のやぐらの一つ
善性寺大黒堂の大黒天 : 後藤義光作と言う。
帰路は諏訪神社に参拝後、石堂寺の塔頭(たっちゅう)という普賢寺跡に寄り、出発点の石堂寺駐車場に戻った。
一万歩を超えるウォーキングを終え、ブログに書き留めている内に、豪族丸氏や里見氏、そして小弓公方足利氏
の室町時代にタイムスリップしたのは、歴史散歩故であろうか。
また、石堂寺には貴重な文化財が数多くあることは承知していたが、小弓公方足利氏ゆかりの寺として幼い里見義康と青岳尼が共に遊んだ所との話や石堂城跡を見るに及んで、石堂寺のイメージが一変した月イチツアーだったな~、と思った。
三芳・中堰歴史と自然探訪
3月29日(水)、私は「また旅倶楽部」のお散歩ツアー「三芳・中堰歴史と自然探訪」に参加して、南房総市三芳・
中地区周辺を巡った。
行程
中堰駐車場→中堰親水公園(遊遊の里)→九兵衛の墓碑→駒形神社→中堰駐車場
中堰親水公園(遊遊の里)
中堰は農業用ため池であるが、県による改修工事により水辺の親水公園として整備され、遊歩道により約1kmの周囲を巡ることが出来る。
いざ出発!: 左側土手の上が中堰。右側桜並木の上が帰路の最後。足元には水生生物生息地をイノシシから
守る電気柵。
ヘラブナ釣りという。
堰中央に突き出た東屋
対岸の遊びの広場に到着。遊具が設置されていた。ここで、まっすぐ伸びた大木がメタセコイヤと聞く。
ここから山道に入り、自然探訪がスタートする。
小高い山に登り出発点の中堰駐車場(トイレあり)方面を望む。
ガイドは、ここは山びこの丘と言い、ヤッホー!と叫ぶ。
山道で、私がメモしたものは次の通り。トサミズキ、キブシ、マムシグサ、ホタルカズラ、キクラゲ。
中でも興味を引いたのは、トサミズキとヒュウガミズキの違いの話であろうか。
下向きの花をのぞき込んで芯が紅色ならトサミズキで黄色ならヒュウガミズキと言う。
帰宅後、我家の庭のヒュウガミズキをのぞき込んだら、確かに黄色であった。
中堰→九兵衛の墓碑
中堰を後にして田園地帯を歩き九兵衛の墓碑へ向う。
中地区は、里見氏時代末はご隠居様(里見義康の母)の知行地で、江戸時代中期の万石騒動の27ヶ村の一つ、
と言う。 *万石騒動とは、江戸時代中期の正徳元年(1711)に安房国北条藩1万石の所領27ヶ村全体の農民が起こした一揆。
途中目に止まったのは、イノシシ対策の電気柵と道端の馬頭観音、お地蔵さま、青面金剛であろう。
青面金剛(しょうめんこんごう)は庚申講の本尊として知られ、三尸(さんし)を抑える神と言う。
村人の庚申信仰が偲ばれる。
九兵衛の墓碑に到着。吉田九兵衛は名主で万石騒動直訴の一人。斬首は免れたが、江戸10里四方と安房国
追放の刑に処せられた、とのこと。命がけの名主に墓碑だけとは寂しい思いがするが・・・・・・。
駒形神社
駒形神社は中地区の鎮守で「駒形」の名で呼ばれるのは、かつて神馬を差し出した競馬を行なったことからと
思われる、と言う。神殿は質素な佇まいで、境内には三山講碑等多くの石碑が見られた。
駒形神社鳥居 : 桜が咲いていれば、格好な写真スポットであろう。
駒形神社 急階段の参道
無事参拝を終え、鳥居越しに田園風景を望む。
鳥居脇の出羽三山講碑(月山・湯殿山・羽黒山)
「三芳・中堰歴史と自然探訪」は7,271歩をもって終了したが、中堰や駒形神社の桜が咲いていれば、と悔やまれるお散歩ツアーであった。
ガーデニング 2017.2~3
庭仕事
1月31日~2月1日にかけて、柿の木の剪定を行なう。
今年は、葉っぱが生い茂った時の風通しや光の差し具合を考慮して、例年より
強めとしたが、果たしてどうなるであろうか。
さて、我家では庭と畑の境にマサキの垣根がある。
地元ではピーピーガラと呼ぶこのマサキは暖かくなると虫が湧く。
そこで、私が死んだ後の消毒と剪定の手間を省くため、我家を作ってくれた棟梁にお願いして撤去してもらうことにした。
マサキの垣根撤去前 : 2月6日 畑側より撮る
撤去作業はジャガイモを植える前にということで、2月8日に行われた。
最後は根元を切断して、全てのマサキがトラックに積まれ清掃センターへと運ばれた。撤去により我家は丸見えとなったが、家の中から畑の様子が分かり、今の
ところ満足している。
マサキの垣根撤去後 : 2月11日 畑側より撮る
マサキの垣根撤去後 : 2月22日 庭側ベランダより撮る
3月下旬には、喜ばしいことにリビングの炬燵から次の写真のような景色が見られるようになった。
マサキの垣根撤去後 ; ラッパスイセンの先に本家のモクレンとツバキを見る。
3月23日撮影
マサキの垣根跡地の活用だが、先ず2月15日に地域の役員仲間のMさんから届いたスカシユリの球根34個を植えた。
そして、3月22日に大葉にらの種を株間20cmで3列14箇所にまいた。根元や根っ子の除去は重労働であったが、成育が楽しみである。
今年は全てが遅れ気味であったが、我家の庭では3月中旬頃より次々と花が咲き出した。それも今は終わり、清々しい柿の木の芽吹きが始まったところである。
ボケ : 見事な咲きっぷりに道行く人が足を止める。 3月17日撮影
アシビ : 3月17日撮影 その後ノースポール(白)の中にチューリップ(赤)が
咲いた。
畑仕事
植え付けだが、ジャガイモは2月26日にキタアカリ3kgを3列に植えた。
初めての試みとしては、3月20日に九条太ねぎ苗を株間20cmで1列5本ずつを7箇所に植えた。たまたまコメリで収穫は7~10月とあったので、長ねぎの前に食べられると思い購入したのだが、ネットで調べたら葉ねぎとのことで植え方も
長ねぎとは全く異なっていた。どんな具合に育つのか注視したい。
2月17日 断続的な雨を伴って春一番が吹き荒れた。
成育が遅れ気味だった玉ねぎとエンドウ三兄弟(スナックエンドウ・サヤエンドウ・グリーンピース)が3月に入るや勢いづき成長を続けている。
収穫だが、次々と出て来る茎ブロッコリーとリーフレタスが、朝食の野菜サラダとして重宝した。リーフレタス(サニーレタス)は、11月15日に種をまき12月20日にトンネルを厚手のビニールシートに替えて育てたところ、1月14日の初収穫以来青々とした葉っぱが取れ続け、春休みでやって来た幼稚園生の孫が帰った4月5日まで食べ続けた。ビニールシートのトンネルの効き目には驚くばかりであった。
神余の古道を歩き伝説の地をめぐる
2月22日(水)、私はガイドツアーを展開するまた旅倶楽部のお散歩ツアー「神余の古道を歩き伝説の地をめぐる」に参加した。
そこで、神余(館山市)についてのいくつかの知見を得たので書き留めておきたい。
① 神余(かなまり)は館山市の南東部の豊房地区の南部に位置する。
奈良時代から平安時代の頃、安房神社に仕えた人々を神戸(かんべ)といった。
巴川の中流域に住んでいたが、やがて人口があふれ上流にも住むようになった。
それが神戸郷の余戸(あまりべ)である神余(かむのあまり=かなまり)の誕生であった。
* 1つの郷(ごう)は戸数が50戸までと定められており、50を超えると分割され新たな
郷が作られる。その郷を余戸と呼ぶ。
② 房州初代金丸氏は、東国鎮護のときに坂上田村麻呂将軍に仕え活躍したので、神余の
地をもらい延暦23年(804)に甲斐より移転してきました。名前は金丸巨麻太藤原宗光
(かなまるこまたふじわらのむねみつ)と名乗りました。
室町時代の26代神余城主神余景貞が家臣山下定兼の謀反に遭い自害、国(安房郡)を
奪われる。その話が滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の題材にもなっている。
行程は、神余地区の自然の中の高台分譲地・東虹苑内にあるキッチンカフェ・マリヌス近くに
集合し、神余地区の南東部の山奥をめぐる、と言った感じのものであった。
マリヌス→航空無線標識所跡→地蔵畑の地蔵→御腹やぐら・・・・・折り返し・・・・・→
浅間神社→マリヌス
地蔵畑の地蔵・御腹やぐら
地蔵畑の地蔵を見学後、御腹やぐらに向う。
地蔵畑の地蔵 : 石のお地蔵様が2基あるので、この辺を地蔵畑と呼ぶ。
立像はは頭部が欠損している。
御腹やぐら : 内部に宝篋印塔がある。
神余城主神余景貞が家臣山下定兼の謀反によって追い詰められ、たどり着いた所が
地蔵畑の地蔵。しかし、もはやこれまでと修験僧自性坊の介錯により切腹した洞窟が
御腹やぐら。その後、自性坊は地蔵畑の地蔵の地に供養のため自性院を創建。
それは元禄地震後、現在の地に移ったという。
御腹やぐらを見学後、山中(?)の住宅を望み、折り返してマリヌスに戻る前に浅間神社を
訪れる。途中、東虹苑を見下ろせる高台で「八犬伝は神余から始まった」と題する紙芝居が
あり一服する。
浅間神社
神余地域は浅間信仰の盛んな土地柄という。我々の訪れたのは神余地区の最高峰京塚山
(161m)の浅間神社。
浅間神社の鳥居 : 山道に鳥居が出現。山道は参道ということか。
浅間神社 : この浅間祠は富士山に対して真正面を向いていると言うが、この日は
あいにく富士山は見えなかった。
浅間神社を後にしてマリヌスに向う途中、千両小屋に出くわす。神余地区は千両とカナリヤ
ナスの栽培が盛んと言う。
竹すだれで組んだ千両小屋
かくして、約8,000歩の伝説の山里・神余の歴史散策は終わった。
距離4km高低差ありとの情報に、健康状態からして一抹の不安があったが、杖のお陰か
無事歩き終えることが出来て、少し自信になったのが良かったと思う。
保田川の頼朝桜
2月13日(月)晴れ、鋸南町の頼朝桜が例年より早く見頃との報道に、我等夫婦は保田川の
頼朝桜を目指して自宅(館山市)を9時15分に出発する。
石橋山の戦いに敗れ、真鶴より海路小舟で逃れた源頼朝が、鋸南町の竜島海岸に上陸し、
再起を図ったという史実にちなみ、鋸南町では河津桜の愛称を「頼朝桜」とした、という。
先ず、中橋近くに車を止め(10時05分)、ローカルな景観を望める上流へと向う。
中橋付近では見頃なものもあったが、上流へ行くにつれて5分咲き程度となる。
中橋~保田川上流 : 上流に行くほど5分咲き程度
中橋~保田川上流 : 里山風景も見られた
そこで、保田川上流を断念して下流へ行くことにした。
鋸南町保健福祉センターに車を止め、天王橋へと向う。
暖かな日差しにほぼ満開で、木にもよるがメジロが群れて飛び交っている。
ゆるい坂道を上り権現橋まで歩を進め、Uターンして天王橋に戻る。
かくして、見事な桜並木を堪能することが出来た。
保田川下流 : 権現橋近くの東屋からの眺め
保田川下流 : 頼朝桜と菜の花の競演
さて、我妻を連れ出すにはコマセをまかねばならない。この日のコマセは保田漁協直営の
ばんやの朝獲れ寿司。平日というのに混雑している。ばんやの人気は大したものだ。
館山への帰路は寄り道して国道127号線からさらに海岸線に車を走らせた。
源頼朝上陸地 : 鋸南町竜島海岸
竜島海岸からの水平線上の富士山をはじめとする山々の眺めは、先日洲崎神社下で見た
絶景とほぼ同じである。違うのは勝山沖に浮島が見られることであろうか。
竜島海岸から富士山を望む : 三浦半島がまじかに見える
竜島海岸から浮島を望む
車は勝山海岸(鋸南町)に進み、灯篭流しのみさご島を見て、捕鯨の歴史を刻む天守閣風の展望台のある大黒山のふもとを通り勝山漁港で一服後、再び国道127号線に出る。
鋸南町を抜け南房総市に入り、岩井神社(南房総市高崎)に参拝することにした。
平成26年1月24日付け房日新聞に「ふさのくに神社御朱印めぐり」県内37社で立春から
スタート、の記事で安房国では次の6社とあった。
即ち、安房神社(館山市)鶴谷八幡宮(同)岩井神社(南房総市)高家神社(同)莫越山神社
(同)天津神明宮(鴨川市)とあった。
私は折に触れてこれらの神社に参拝し、残すは岩井神社のみとなっていた。
岩井神社(南房総市高崎) : 岩井郷総社とあった
岩井神社を辞して、再び国道267号線を進み一路館山へ向う。
自宅に到着したのは13時36分、約4時間半のドライブであったが、振り返ってみて、
いいところへ行ったな~、と思った。
洲崎散策
洲崎神社下
1月25日(水)冷え込みの強い朝、快晴の空に私は今日は富士山が撮れるな、と思った。
そして、地域の役員仲間でアマチュア写真家のSさんから聞いた、鳥居と富士山という年賀状向きの写真が撮れると言う洲崎神社下(館山市)に行くことにした。
洲崎神社下 : 浜鳥居(一の鳥居)と富士山
富士山を見た目通りに大きく撮ることは難しいものである。
でも、鳥居から少し離れてズームを効かせたらかなり大きく撮ることが出来た。
それから、浜に下りようと片付けていたら、船がやって来て慌ててシャッターを切る。
洲崎神社下 : 浜鳥居と富士山と船
浜鳥居をくぐって浜に出たら、水平線上に大きな富士山の他に丹沢、箱根、伊豆半島、天城山、大島、利島の大パノラマが待ち構えていた。思わず声を上げる絶景である!!
洲崎神社下 : 岩場と富士山と行き交う船
洲崎神社下 : 岩場と大島
私の立つ絶景広場は、洲崎神社のお祭りで、神社の急階段をもみながら下りたお神輿が納まり海上安全と大漁祈願のお浜出しと呼ぶ神事が執り行われるところ、と知る。
洲崎神社下 : 御神石
ここで、御神石(ごしんせき)の案内板の文面をそのまま書き留めよう。
「浜に祀られている長さ2.5mの丸みを帯びた細長い石は付近の岩石と異なり、竜宮から洲崎大明神に奉納された二つの石のひとつとされ、、もうひとつは三浦半島に飛んでいったと言われています。三浦半島に飛んでいった石は、浦賀の西にある安房口神社にあり、先端に円い窪みがあることから「阿形(あぎょう)」にたとえられ、この洲崎の石が口を閉じたような裂け目があることから「吽形(うんぎょう)」となり、東京湾の入口を守る狛犬のように祀られています。」
洲崎灯台
想定外の絶景に気を良くした我等夫婦は、帰り道に洲崎灯台に寄ることにした。
洲崎灯台からは、富士山や館山湾の絶景を望むことが出来る。
それ故、ここは館山市にある三つの恋人の聖地のひとつである。
洲崎灯台 : 恋人の聖地
洲崎灯台から栄ノ浦漁港を望む : 私が利用するイサキやカワハギ釣りの早川丸が
出船する港
沼の里山~イノシシ出没
私の住む岡沼区(館山市)は城山の西側に位置し、自然豊かな場所として枇杷山や谷津田、
沼のサンゴ層、沼のヒカリモ、沼のビャクシン等がある。
即ち、のどかな里山と呼べるエリアがあって、私はそこでウォーキングを楽しむ人々の一人である。
南房総市の富浦や三芳では、イノシシによる甚大な被害をこうむっていると聞く。
10月のことだが、農家組合の方から岡沼にイノシシ出没の知らせが届く。
そこで、我等地域役員は現場を視察後、区民及び訪れる人々の安全確保のために、以下の段取りでイノシシ注意の回覧と立看板設置に取り組んだ。
イノシシ出没現場視察と対応協議(10月8日)→市役所に出向き報告と対応協議→各班に
注意喚起の回覧→立看板設置に関する打ち合わせ→イノシシ注意の立看板設置完了
(10月21日)
立看板設置場所その1 : 沼のヒカリモ地先大谷津の堰そば
立看板右側の道を進んだ休耕田に一番目の出没の跡が確認された。
立看板左側に入り進むと沼のサンゴ層の展示小屋がある。
立看板設置場所その2 : 沼のビャクシン・十二天神社入口
立看板右側に入ると沼のビャクシン・十二天神社がある。
立看板をまっすぐ進めば谷津田が広がる。
*立看板の文書は市役所のIさんに、組立て設置は岡沼区の大工Sさんにお願いして出来上
りました。
谷津田と沼の里山の紅葉
写真右側の奥の休耕田で二番目の出没の跡が確認された。
沼のビャクシンをご神木とする十二天神社
私はウォーキングの終わりに、ここに寄り家内安全と岡沼区の安寧を祈ります。
*写真は12月6日~7日に撮影
今年も残すところあとわずかとなったが、イノシシ出没騒ぎ以降現在まで被害はなく、いつもと変わることなく年が暮れようとしている。
洲崎沖のカワハギ釣り~2016・12
今年も例年通り、釣りの納めはカワハギと決めた。
12月12日(月)、私は釣り友Kさんを誘って洲崎早川丸へ釣行した。
畑に霜が降りる寒い朝だったが、遠くに富士山や伊豆半島、大島を眺める館山湾の絶景の中での釣りに心が弾む。
釣果は、目標の半分という残念な結果に終わったが、カワハギの煮付け・唐揚げ、外道のホウボウの刺身の美味しさが帳消しにしてくれた。
カワハギ釣りの釣果 : カワハギ10匹(16~23cm)、ホウボウ1匹(30cm)
天候 : 晴れ 初め少し白波立つも、その後ナギとなる。
潮 : 大潮 干潮 8時46分 満潮 14時31分
釣り場 : 港から近場の洲崎の東側 水深 25~40m
仕掛け : 3本針の胴付き仕掛け 針5号 オモリ30号 エサはアサリ
釣りタイム: 出船 6時30分 沖上がり 13時
前半は休暇村を眺めての釣りであった。
スタートして間もなく、強い引きで良型のホウボウが釣れる。しかし、カワハギは喰い渋り
苦戦。前半の終わり近くになって食いが立ち、タタキ釣り中心で8匹をゲット。
後半は少し深場の富浦ロイヤルホテルを眺めての釣りであった。
しかし、またまた喰い渋り苦戦。11時30分、船長はこの釣り場に見切りを付けて、前半の釣り場に移動。私もハワセ釣りを意識して、仕掛けの集魚板をチェーン重りに替えてタタキとハワセをミックスして挑むことにした。しかし、やはり喰い渋り苦戦。
逆に後半の終わり近くに食いが立った時、アタリを感じるもヒットさせることが出来ないことが
何度かあった。釣法の切り替えは失敗である。
でも、一度だけググッ、ググッとしめ込む強い引きで23cmの良型をゲット。
カワハギ釣りの醍醐味を体感することが出来た。
さて、Kさんはと言えば、前半本人曰く「こんなはずじゃない・・・・」という不調。
しかし、後半復調して終わってみればカワハギ10匹、外道にフグ・ホウボウ・シマダイ・ハタの五目釣り。ぶれることなく釣りを楽しむ姿勢は立派である。
お互い年を重ねた今、この度の釣行は釣りが出来た健康に感謝であろう。




























































