午前中、ひまだと庭へ出る。

 

ささやかな庭だが、今の季節には、紅く色づいた柘榴(ざくろ)の実を三個、四個……と確認するのが面白い。

 

その実がやがて熟して二つに割れ、中から血に染まった歯列のやうな粒々がひしめくのを覗き込むのも楽しいが、柘榴だけが主役ではない。

 

その下にある五葉松の世話が、今のぼくの主たる庭仕事になつてゐる。

 

元々は父が愛した盆栽で、「どうせお前は盆栽の世話なんかやらないだらうから」と、84歳で亡くなる寸前、五葉松を鉢から外し、庭の南の目付きに地植ゑした。

 

それから半世紀、五葉松は鉢の囲繞(いによう)を脱して、大地の恵みを謳歌するやうに奔放に育ち、いまでは縦横一メートルほどの一端(いつぱし)の庭木になつた。

 

まう盆栽の面影はほとんどないが、唯一、出自をうかがわせるのは根元で、大蛇がとぐろを巻いたみたいな、少々グロテスクな「威容」を見せてゐる。

 

いまぼくがやらなければならないのは、五葉松の枯葉を取り除くのと、上から降り落ちる柘榴や枝垂れ桜や白梅の落葉の掃除、の二つである。

 

それには両手だけでは足りない。先がVの字型の、一メートルほどの小枝が必要で、庭中さがして二、三本見つけてきた。

 

Vの字型の小枝を上から横から五葉松に突つ込み、枯れた松葉や落葉に当てて下に落とす。

 

一度落ちた枯葉などは、また下の松に引つかかる。そこで腕をひねりながら小枝の先端をうまく枯葉に当て、思ひきり左右に払ふ。

 

枯葉はやつと覚悟したやうに、さらにいくつかの枝葉にぶつかりながらも、いづれは地面に落下する。

 

二重三重に降り積もつた松葉や枯葉を放置すると、雨風に打たれて、やがて五葉松の葉むらの中に小さな溜まり場を作り、そのうちそこが腐葉土のやうな真つ黒な塊りになる。なんとも汚らしい。

 

四十代で県警本部の刑事部長を退職した父は、警察官などといふゴツイ仕事をやりながら家では庭の手入れが趣味で、たぶん外で泥棒やヤクザを荒々しく逮捕したその手で、家では優しく庭木に触れた。

 

俗塵にまみれて働いたブンヤあがりが、老いて庭木の世話をするやうになつたのと似てゐるか。

 

枯れた松葉や落葉を払はれた五葉松は、初冬だといふのに、真夏のやうな青々とした葉むらを陽にかがやかせる。

 

盆栽を楽しむ人のよろこびがわかる気がする。

 

ぼくは家も土地も父から相続した。

 

家は四十代に改築したが、自分の稼ぎで買つた家や土地ではない。

 

つい最近まであまりかういふことは考へなかつたけれど、近ごろ「頂き物」の有難さをあらためて意識するやうになつた。

 

 

殺人的な猛暑だつたこの夏開けなかつたから、と忘年会シーズンも近い今ごろになつて、昔の記者仲間の「暑気払ひ」が企画された。

 

80歳を超えたひま人10人ほどが、かつて馴染みにしてゐた赤坂の料理屋に参集した。

 

乾杯からしばらくは、高市政権の命運だとか株高、トランプ関税、クマ被害などビビッドな話で飲んだり食べたりしてゐたが、2時間もするとさすがに歳は争へず、老人らしい貧寒な話題が場を独占し始めた。

 

「膝が痛い」「耳が遠くなつた」「歯医者はカネがかかる」といふやうな病気の話と、「こんど孫がニューヨーク支店に異動になつて」「私の血かな。孫の女の子が東大で経済の研究をしてゐる」など、つまりは孫自慢である。

 

かうなると、ぼくの「老骨の嫌味」が鬱勃と顔をもたげる。

 

そんな話、いい加減にしてよ、といふ思ひである。

 

いはゆる「破調」といふか、俳句でいふなら「定型崩し」、ジャズでいふならシンコペーション……、どの世界にもある、それまでの流れを急に転換して、その場の流れを断絶する「型破り」をこの場でやりたくなる。

 

「ちよつといいかな。ひとつ提案があるのだけどーー」

 

言い難さうに切り出す。

 

「折角かうして久しぶりに昔の“敏腕記者”が顔を合はせたのだから、ここでは病気や孫の話ぢやなくて、もつと今風な話をしない?」

 

ワイワイと口角泡を飛ばしていた一同が、おどろいて僕を見る。

 

「悪いけど、ここでは病気と孫自慢の話は禁句にしない? キリがないから」

 

もちろんこんな提案はきはめて奇異で、偏頗で、わがままであることは承知してゐる。

 

案の定、蚊の飛び交つてゐた真夏の夕方の庭に、一瞬バケツで打ち水をしたかのやうに座が冷えた。

 

♪ しらけ鳥 飛んでいく 南の空へ ♪

 

ふと30年ほど前に流行つた戯(ざ)れ唄を思ひ出した。ご存じのやうに、その次は「みじめ、みじめ」である。

 

一人がトイレに立ち、もう一人続いたりして、宴席はにはかに落ち着かなくなる。そろそろ会計、そしてお開きか、といふ空気になる。

 

数人が割り勘を払つて帰り、残つた者だけで椅子を寄せ合ふが、まるで取締役会みたいな数人でいまさら何を語り合はうか、と微妙な沈黙が来る。

 

ここでだれかが腕時計でも覗いたら、それが「ぢやあ、そろそろ」といふ終宴の合図になる。

 

帰り道、二度とさつきのやうな提案はやめようと自戒する。

 

しかし、そのときになればまた我慢できないかもしれない。

「もうしばらく書いてないんぢやない?」

 

 昼下がりの居間で、夫婦の話題が途切れたとき、ふとかう言はれた。

 

「分かる?」

 

書いてない、とは小説の話である。

 

コロナ禍で世の中が騒然となつた数年前から、「書く」と言へるものは月に800字ほどのエッセーと、趣味のブログを月に2本だけ。ブログはエッセーを流用することが多い。

 

他はパソコンでメールを日に数本打つのと、必要に迫られてたまに書く短い封書、はがき程度で、小説のやうな長いものは書いてゐない。

 

似たやうな質問は外でも受ける。

 

15年ほど前に某文学賞(賞金100万円)をもらって、ネットの自己紹介欄の「職業」におこがましくも「作家」と記してゐるので、初対面で名刺交換した方などから、

「最近はどういふものをお書きになつてゐるのですか」

と問はれる。

 

今、自分にとつてこの質問ほど「イタイ」ものはない。

 

ここ数年、「新潮」「文学界」など文芸誌への掲載も、小説本の出版もない。

 

ネットの職業欄の「作家」は、多くの「作家」がさうのやうに、ほとんど“自称”になりかけてゐる。

 

コロナ禍がきつかけで小説が書けなくなつた。

 

小説には人間が登場するが、その言動、風俗などを書くのにコロナが致命的な障害となつた。

 

たとへば人物の風体を描くとき、顔を覆ふマスクは絶対に欠かせない部品になつたし、人と人が以前のやうにいつでもどこでも自由に会へる状況ではなくなつた。

 

小説の中で、いちいち「コロナ禍で」と断り書きを付けなければならない。

 

鬱陶しかつた。マスクをしている女性の表情をこまかく描写するのは難しい。

 

会話の中でも流行中の疫病に触れないわけにはいかない。それがイヤだつた。

 

かつて結核が世に蔓延したころ、堀辰雄や太宰治、梶井基次郎など、作家は臆せずに結核といふ病を小説に書いた。

 

コロナと同様、書き難かつたり気が進まない作家もゐただらうが、ともかく「肺病病み」の小説を大量に世に遺した。

 

正直に言ふなら、ぼくがコロナ以来小説を書けなくなつたのは、実はこの疫病のせゐなんかではなくて、齢70代の後半に差しかかつてゐた身の精神、創作意欲が減退し始めてゐたからかも、と白状しなければならない。

 

コロナ禍が一応鎮かになつた今、まるでその後遺症のやうに、依然として創作意欲が縮んだままなのは、もしや単に老いのせゐなのか。

 

「別に気にしないでね。いま、小説はあなたの仕事ぢやないんだから」

 

家人はさう付け加へたが、彼女は一体ぼくの何を見て、どこを見てさう言つたのか不安になつた。