極寒の最中、書斎のエアコンが故障した。

 

「運転」のランプは点滅するものの、いつまで待つてもそれだけで、肝心の暖気が吹き出さない。

 

寒くてすぐにも困るので、近くの電気屋に連絡したら、「製造年月日はいつですか」と聞かれた。

 

「2010年10月、と書いてあります」

 

「ああ、15年物ですか。寿命ですね」

 

「寿命ですか。それでは仕方ないですね。入れ替へるしかないですね」

 

「新しいエアコンの設置には、この時季、一週間はみていただかないと」

 

一週間! それまで書斎を使はないわけにはいかない。

 

18年目に入つたエッセー塾の塾生からは日々パソコンに何通ものエッセーの送信がある。

 

添削して、メール添付で返信しなければならない。書斎に入らなければ、本も読めない。

 

最低限の日常生活は書斎の外でも可能だが、人間、一日三食の食事が摂れて、トイレに行けて、風呂に入れて、テレビが観られて、ベッドで寝られればそれで十分かといへば、さういふものでもない。

 

数日前には、裏の駐車場にある防犯灯が壊れた。

 

例の“トクリュウ”の大親分は先日奄美大島で逮捕されたが、押し入り強盗事件が全国で相つぐ物騒な世の中、防犯灯がないといふのは危ない。ご近所にも申し訳が立たない。

 

最近、パソコンの誤作動が目立つて頻発する。

 

ネットをのぞいてゐる最中に、「申し訳ありませんが、予想外の事情で」と突然、接続中断の画面に切り替はる。

 

パソコンの古さに原因があるのか、ネット仲介会社のせゐかは不明だけれど、これも「2010年製」。そろそろ寿命なのかもしれない。

 

しばらく前から、門とリビングをつなぐインターフォンが使へなくなつてゐる。

 

来訪者が門のインターフォンを押すと、「ピンポーン」といふ、普段あまり聴かれない凄絶な高音がリビングにひびく。

 

ところが、その後の肝心の通話が不能で、いちいち門まで顔を出さなければならない。

 

さらに昨年ごろから、二階へ上がる階段の木製の手擦りがミシッと頼りない軋みを立てる。

 

築40年迢の家だし、一番下の手擦りだから、上り下りの際にかなり負担がかかるに違ひない。

 

もし何かの拍子に、体重を預けた手擦りが落下したら、と思ふと怖ろしい。

 

日ごろから、いま不都合なことや、今後起きるかもしれない苦難をあれこれと“重層的に案じる”のは良くない、目の前で遭遇することを、一つ一つ解決していくしかない

 

ーーといふ信念で生きてゐるのだが、80歳を過ぎてから、大小さまざまな不都合が、あたかも悪の浸潤のやうに次々やつて来る。

 

家人とテレビを観てゐると、久々にドラマに出演した中年女優を指さす。

 

「あら、この人、ちよつとテレビに出ない間に急に老けた。首筋なんか、ホラッ」

 

その声はなんとなく嬉しさうにひびく。

 

眠つてゐた男を愛人が包丁で刺したニュースでは、「昔は女が刃物を使つても、お腹とか足に怪我をさせるのが精々で、殺すまでは行かなかつたけど、このごろは女が本当に男を殺しちやふのね。女が強くなつたのかしら」。

 

衆院解散の話が流れれば、「高市さんつて、あんなに働いて、働いて、よく病気にならないものね。もう若くはないのに」――。

 

ぼくは一応、耳を傾けてはゐるけれど、実はあまり聞いてゐない。

 

同意する点はあつても、わざわざ相槌を打つほどのことでもないから、会話は続かない。

 

ここで一つ、ぼくのプライバシーに関する「秘密の暴露」をすると、八十余年、ぼくの特技は必要に応じて、他人の話を「うはのそら」で聞くことである。

 

もちろん、このことを人には言はない。言へば顰蹙を買ふに決まつてゐる。

 

ついでにもう一つ「秘密の暴露」をするなら、誰かと話をしてゐるとき、「うはのそら」で聞き流していい事柄と、テークノートすべき事柄を、ほぼ自動的に分別する「内なるAI」が多少達者なのかもしれない。

 

これは暴露といふより自惚(うぬぼ)れ。

 

このワザを身に着けたのは、41年間続けた仕事のお陰だ。

 

総理番を担当した俊傑・田中角栄氏に始まつて、自民党幹事長から総理大臣に昇りつめた怜悧・中曽根康弘氏まで、多くの政治家から学ぶことは多かった。

 

中でも最も勉強になつたのは、朝から晩までほとんど分刻みで重要人物と会ひつづける彼らの「秘技」。

 

人間だれしも理解力、記憶力には限界がある。

 

面会する人すべての言ふことをまともに聞いて、すべて記憶しようとしたら身がもたない。

 

人と会ふことが職業の政治家たちは、そこをどう工夫してゐるか。ひと言でいふと、会ふ人会ふ人からもたらされる膨大な情報に、瞬時に軽重の評価をつけて、記憶すべきこととその必要はないことを峻別する。

 

どうでもいい話は「上の空」で聞き流し、これは「役立つ情報」と思ふと、頭の芯につなぐ。

 

有力で有能な政治家の一つのワザが、ここでモノを言ふ。

 

それはこちらが「上の空」で聞いてゐることを相手に察知されないテクニックで、これこそ有能政治家の必須科目である。

 

選挙区から上京した支持者が、郷里に帰つて「あのセンセイは私の話を真摯に聞いてくれた」と周囲に報告してもらへるやうに、ときに机上のメモ用紙に「お孫さん修君は3歳」などと鉛筆を走らせたり、いま話に出た政治家や役所などに、即刻、その場から電話をかける。

 

いづれも有能な政治家の“伝統的詐術”だ。

 

家人の話を聞きながら、まさかメモをとるわけにもいかないけれど、少なくとも家人の言ふ感想や評価に共感するやうな表情、身ぶりを見せなければならない。

 

それが老夫婦の智慧といふもので、人心掌握術に長けた政治家には教へられるところが多い。

「やめるのなら、『今年限りでやめます』つて、あと1回出すのがマナーぢやないの?」

 

娘にさう言はれました。

 

近年、多くの方からさういふ「年賀状仕舞」を頂きます。

 

「喜寿になつたので」「八十歳を超えたので」「仕事は子供にまかせて、現役を退いたので」――「やめるわけ」はいろいろあるやうです。

 

永年つづけてきたことを終はりにするのですから、娘の言ふやうに、前年に一言お断りするのが普通だし、マナーなのかもしれません。

 

でも、ぼくは特にさういふ宣言をしないで、今年、静かに年賀状をやめることにしました。

 

ずつとつづけてきたことを「やめる」と人に告げて、いやな思ひをし、反省をしたことがあるのです。

 

昼の仕事はむろんのこと、夜の遊びでも何かとお世話になつてゐた大先輩に、季節ごとにお中元、お歳暮をお贈りしてゐたのですが、ぼくが65歳の役員定年で新聞社を辞めた夏、「大変失礼ながらこれを最後にご無礼させて頂きます」といふ挨拶状を添へました。

 

するとその先輩から折り返し、「人への感謝は退職しても一生つづくものではないのか。妙に寂しい思ひがした」といふ趣旨の長文の封書を頂戴したのです。

 

尊崇やまない大先輩に「寂しい思ひがした」なんて言はせるとは!

 

 どうお詫びすればいいか。「では、贈り物はつづけさせていただきます」なんて前言を翻すのもヘンだし、困惑しました。

 

もし年賀状仕舞を出すと、ひよつとして受け取つた友人・知人の中にも「寂しい思ひ」をする人がゐるかもしれない。

 

それならいつそ、何の連絡もしないで、静かにやめようと考へました。

 

柄に似合はず“筆まめ”なぼくは、中学生のころから先生や同級生に年賀状を出してゐました。

 

以来ほぼ70年、冬の年賀状、夏の暑中見舞ひ状をつづけてきました。(暑中見舞ひは昨年からやめました)

 

「年賀状仕舞」を出さないのには、他にこんな気持ちもあります。

 

「年賀状は今年限りにします」と一方的に通告するのは、理由はとまれ、なんとなく尊大な感じがしないか、と思ふのが一つ。

 

それと、ぶつちやけた話、「いまや朝から晩までパソコン、スマホの電子メールの時代に、郵便局に配達をお世話になる年賀状つて、少々気褄が合はなくなつてゐるのでは」といふ思ひもあります。

 

と見かう見、特段の事情があるわけではないのですが、つまりは「なんとなく自分勝手に」、形の上では「静かに」、ことしから年賀状を書くのをやめます。