初対面の政治家に取材のアポイントをとり、国会議事堂裏の議員会館の部屋を訪ねて、型通り名刺交換する。

 

政治家は当然、「新聞記者がなぜ自分のところに取材に来たのか」と緊張するし、ぼくはどんな感触の政治家だらうかと警戒する。

 

「“おくに”はどちらですか?」

 

手渡したばかりの名刺に目を落しながら、ほとんどの政治家がさう言ふ。

 

もちろん国籍ではない。生まれ故郷、出身地はどこかといふ意味で、実はぼくにとつてはこの質問ほど当惑することはない。

 

初めての人と会ったとき、政治家の最大の関心事はその人の郷里だ。

 

端的に言へば選挙区である。

 

自分の地元ならベストだが、「おくに」を問ふことで、その地が輩出した過去の有力政治家、俳優、その地方が直面する懸案、話題になつた事件事故……などが気まづい空気を和らげる話の接ぎ穂になる。

 

「私には『おくに』と言えるほどのものがなくて。生まれた土地で今も生活してゐます」

 

素つ気ないぼくの答へに、

「おう、さうですか。それは結構なことですな」

などと応じながら、政治家は次のことばに詰まつて、緊張の針は下がらない。。

 

愛想がないかもしれないけれど、正直なところ、ぼくには人に向かつて「おくに」と言へるやうなところがないのだから仕方ない。

 

生まれた地には、日本全国誰もが知る名山や河川、風光明媚な温泉や観光地、名の知れた「郷土の味」など、いはゆる「おくにの話題」がない。

 

生まれた土地は関東平野の恐るべき平面都市。あるのは無粋で巨細なビル群と舗装道路、埋め立てられた側溝、高低差数メートルの坂道……くらゐで、地図に名前が載るやうな川も丘も海岸もない。

 

「台風は来ないし、集中豪雨もなしで、自然災害がなくていいですね」

 

「住みたい町ランキングではいつも上位ですね」

 

褒めようがなくて人はさう言つてくれるが、自然災害がないのは生まれたときからだから特別うれしいとも思はないし、「住みたい町」に名前が挙がるのは、地価公示の坪単価が上がり、それだけ固定資産税が高くなるだけで、住んでゐる人間にとってメリットは一つもない。

 

しかし、「おくに」のない人間なんて、まるで本籍不詳、路地裏で生まれた犬や猫同様、生誕のルーツがないやうで、一抹の寂しさがなくもないが、他の土地に住んだことがないのだから、どこが「おくに」だつたら良かつたといふ気持ちもない。

 

結局、生まれて80年余生活する場所が「おくに」といふしかないのかなあ。

 

アイドルグループ「嵐」が来春解散、といふ話が、芸能ニュースではなく一般ニュースとして流れた。

 

これって、トランプ関税やインド・パキスタン紛争などと並ぶ大ニュースなのか? と傍(そば)にゐた娘(50女)に疑問を呈したら、「元新聞記者もニュース感覚が鈍つたわねえ」と笑われた。

 

「嵐解散」は今の「ふつう人の感覚」からすれば十分にトランプ関税などと並ぶ大ニュースなのだといふ。

 

SMAP解散のときもさうだつたが、その辺のぼくの感度が本当に鈍くなつてゐるのか、あるいは娘が自負するやうな「ふつうの人の感覚」のはうがをかしいのか。

 

夕食後、見るともなくテレビを見てゐると、最近、毎日のやうに顔を見るお笑ひ芸人やタレントたちが何人もひな壇にたむろして、次々と流される曲のイントロの1,2音を聴いて曲名を当てるゲームをやつてゐる。

 

ポポン、ザザザ、などといふ1,2秒の音を聴いただけで、どうして曲名が分かるのか。

 

出演者には予(あらかじ)め、どんな曲が出題されるか予備知識を与へておくのではないか、とつぶやくと、こんどはやはり横にゐた80媼が反論した。

 

「そんなことないでしよ。どれもこれも一世を風靡した有名な曲ですもの、分かる人には分かるのよ」

 

マスコミの仕事をしてゐたころは、これも給料の内と思つて芸能ニュースや歌謡番組にも耳を傾けたが、リタイアしてからといふもの、観ようと思つてチャンネルを回すのは定時ニュースとスポーツ中継くらゐ。

 

あとは「なんとなくテレビが点いてゐるな」程度の認識しかない。

 

わけても芸能関係のニュースは、もう数十年、ほとんど“ほつたらかし”状態と言つていい。

 

それでも日々の生活――毎日通ふワイン屋のシェフやスタッフとの懇談、友人や道で行き交ふ近所の人との無駄話などには何の支障もない。

 

芸能関係のニュースとは無縁でも生きていくのに差し障りはない。

 

いや待てよ、と反省する。

 

もしかして、これは芸能ニュースに限つたことではないのかもしれない。

 

毎日、新聞、テレビ、パソコン、スマホなどを通じて、「気になる見出し」に気を惹かれ、目を奪われる事件、事故、スキャンダルといふやうなニュースの大半は、実はほったらかしにしておいてもほとんど困らないのではないか。

 

雑多な情報を始終見たり聞いたりしてゐないと時代に遅れる気がして、不安になつて、なんとなく落ち着かないのは、いつの間にか現代社会に瀰漫してゐる「ビョーキ」の一種ではないのか。

 

子どものころから一日でいちばん充実した時間と感じるのは、周囲が寝静まる真夜中だつた。

 

窓越しに闇を見る。近所の灯はもう消えて、住宅街の角の灯りだけが忘れ去られたやうに灯つてゐる。

 

時折、隣りの家の犬が寂しさうに遠吠への声をあげる。

 

中学3年になつて受験勉強をしてゐるときも、外が明るい時間は机の前でボケーッと過ごし、夜中になつてから集中することが多かつた。

 

大学受験に失敗して一浪、昼間、予備校へ行つてもボケーッとしてゐた。

 

そんなとき、木造外階段の二階で知り合ひになつた男と、帰りに高田馬場駅に近い喫茶店で話をするのが予備校へ通ふ唯一の憩ひだつた。

 

18歳の男ふたりの雑談。それこそ神羅万象、なんでも材料になつた。

 

横須賀生まれの彼とは嗜好や思想はまるきり異なるが、翌春同じ学部に合格して以来60年、雑談懇はつづき、今でも年に1回、夫婦で銀座でランチを楽しむ友となつてゐる。

 

頭を使ふ作業は、外が暗くなつてからやるものだ、と体が勝手に決めてゐて、明るい時間にはどうしても気持ちが入らない。

 

この癖はその後もつづいた。

 

就職した仕事が、主として深夜に人と面談し、それを元に記事を書いて、ぼくなりの「商品」を作り、朝になつて会社がそれを各家庭に配達するといふシステム。

 

この会社を定年退職するまで41年間、これが夜型体質にうまく適合した。

 

もちろん、この時間帯は仕事ばかりではなく、縄のれんやバー、カラオケなど夜の街にゐた時間も少なくないが、これまた言ひやうもなく充溢した時間だつた。

 

65歳でリタイアしてからは昼も夜も自由時間となつたが、相変はらず昼間はボケーッとしてゐる。

 

パソコンに向かふ作業は、やはり深夜でないと環境が整はない気がする。

 

それまではいはば予備運動の時間だ。

 

夕食で少々酒を飲み、眠くなると1時間半ほどベッドに入る。

 

若いころから眠りはだいたい1時間半刻みだから、午後11時ごろには目覚める。

 

さあ、ここからが「わがフリータイム」である。

 

初対面の人には作家などと自称してゐるものの、15年ほど前に賞金100万円ナリの某文学賞を頂いたのを最後にさつぱりパッとしない作家業を続けるのも、17年目に入つた「エッセー塾」の、塾生の作品を添削したり自分のエッセーの執筆に取りかかるのも、「午前零時」前後である。

 

80翁にとつて、「午前零時」はまさに豊穣の時間だ。