東北地方でまた大きな地震が相ついでゐる。年の瀬の極寒の中、停電や断水ではさぞや難渋を余儀なくされることだらう。
今回、大きな被害の出た青森県八戸市には、定年退職直後の60代後半、東北一周ドライブの折に二泊した。
ホテルのフロントに聞いて、カウンター10席ほどの、この町ではまあまあと思はれる寿司屋に行つたら、家内がぼくの横で酒も飲まずに「今度はタコをお願ひ、次はコハダ、その次はアカミーー」と次々注文するので、懇篤さうな六十年配の親方が握りのリズムを狂はされて、
「奧さん、食ふの早いねえ……」
と、訛り丸出しでぼやいた。
家内はこれにいたく傷ついたらしい。ふだん寿司屋でそんなことを言はれたことはなかつただらう。
以後、わが家ではニュースに「八戸市」が登場すると、「あのオヤヂは元気でやつてゐるかな」と話題になる。
関東のほぼ真ん中で80年も生活してゐると、地震や台風、大雨、山崩れなどの自然災害とはほとんど縁がない。
その反面、深山幽谷、温泉、海岸や湖沼の美景などには恵まれないのだが、ぼく個人の趣味でいふと、関東にゐて一番さびしいのは、一年中ほとんど雪らしい雪が降らないことだ。
霞ヶ関の記者倶楽部で知り合つた北海道新聞(本社・札幌)の東京駐在の男と雪の話になつたとき、ぼくが雪への憧れを口にすると、
「いやいや、それは雪を知らない人の言ふことで、一年のうち半年も雪に閉ぢ込められると、人は人生観が変はる」
としみじみ述懐した。どんな人生観になるのかまで詳しくは訊けなかつた。
この時季、雪と闘ふ地方の方には不謹慎と叱られるかもしれないけれど、ぼくの率直な印象を言はせてもらふなら、雪にはロマンがある。
一晩で世界を浄化し、庭の樹々の黒、燐家の瓦屋根の橙色など、目の前のあらゆる色彩を白一色で覆ひ尽くす。
融ければすべては元の姿に戻るのだけれど、たとへ瞬時にしろ、すべてが美化されるといふのはいい。これは雪のロマンといふしかない。
小説の一節みたいに、屋根から垂れた雪庇が少し部屋を暗くしてゐる温泉宿の炬燵で、地元の芸者相手に、塩の効いた土地の漬物を肴に一杯、なんてのもいいし、宿へ行くまでの、路傍の草が雪で覆はれた細い道を、女に手を引かれておつかなびつくり歩くなんていふのも悪くない。
これはやはりロマンだ。
しかし、人間は所詮、運命に左右されるから、すべては“ないものねだり”に終はる。「雪で人生観が変はる」ところに住んで、粋狂で「芸者と炬燵」を楽しむか、雪のロマンや景勝は諦めて自然災害ナシを選ぶかーーどちらか一方で満足しなければならない。
