「秋の長雨が上がり、心地よい秋風の候となりましたら、ご夫妻でごゆつくりお楽しみください」

 

 といふ懇篤な手紙と一緒に、ある人から東京・丸の内にある高級フレンチのディナー券を頂戴した。

 

その名も知られたフレンチ店といふだけで緊張するが、折角頂いたのだからと長雨の終はるのも待てず、JR東京駅にほど近い店に夫婦で出かけた。

 

案内された席は窓側で、夕空に東京タワーのネオンが輝いてゐる。

 

「最初に、何かお飲み物でも」

 

 店長だといふフランス人シェフにさう言はれたら「結構です」と断るわけにはいかない。

 

 黒い本革製の飲み物メニューを手渡された。

 

 それは単に「メニュー」といふより、どの家にも一冊はある「家族のアルバム」みたいな体裁で、片手で受け取つたら落としさうになるほど重い。

 

 近所のワインバーに毎日のやうに通ふほどのワイン好きなのだが、かういふ格式の高い店での食前酒となるとまるで知識も経験もない。

 

 「もしハウスワインがあれば、その赤をください」

 

 飲み物はディナー券とは別会計と聞いてゐたのでおづおづさう言ふと、シェフは無表情に「承知しました」と、まだこちらが表紙を開いてもゐない飲み物メニューをぼくから取り返した。

 

 さて、次に渡されたのは食事のメニュー本である。ディナー券持参なら料理は限定されてゐるのかと思つたらこれが大間違ひ。

 

 前菜からスープ、魚料理、肉料理、サラダ、食後のデザートまで、みんな分厚いメニュー本から選ばなければならない。

 

 実際に料理が目の前に運ばれてくるころには、ぼくは精神的にぐつたりと疲れ、次々供される料理はもちろん美味しいのだけれど、ひと口食べるたびにハウスワインをひと口含んで、その親しみのある安直な酔ひでそれまでの“メニュー疲れ”を癒さないと心の平静が保てなかつた。

 

 ふと思つた。さういへば、わが83年の人生そのものの、なんと貧寒なメニューだつたことよ。

 

 高校、大学、就職まで、選択すべきメニューなんてなくて、道はほぼ一本道。

 

 わづかに自分で選んだといへるのは、大学受験の第一志望に落ちたとき、すでに合格してゐた学部に甘んじることなく、一年浪人して第一志望に再挑戦する道を選んだことくらゐだ。

 

 といつて、そんな“貧寒メニュー”の人生を後悔はしてゐない。むしろ選択肢が少なかつたのは楽で良かった。

 

 さるにても、今ごろになつてディナーのメニュー選びでこれほど難儀するとは!

 

 小学生のころ、秋から冬にかけてと早春の季に、毎年4,5日続けて学校を休まなければならなかつた。

 

 喉の扁桃腺が赤く腫れて、38,39度の熱が出た。

 

 定期的にしばしば長期欠席するから、おそらく学校では「虚弱児」のレッテルを張られてゐたに違ひない。

 

 それは自分でも認めざるを得なかつたが、この持病は自分では防ぎやうがなかつた。

 

 学校の健康診断で、口の中を見た校医は必ず「扁桃腺肥大」と記入した。

 

 母親が校医に相談したところ、手術で扁桃腺を切除する手もあると言はれた。

 

 「手術? いやだ。扁桃腺と一生付き合つていくから手術はしない」

 

 と言ふぼくに、母親は、

 

 「一生付き合つていくなんて、一生のハンデキャップになるのよ。たとへば高校や大学入試の日に扁桃腺が腫れて高熱が出たらどうするの?」

 

 「大丈夫。気をつける」

 

 ぼくは母親の勧めを突つぱねた。

 

 「あなたは他に体に弱いところはないのに、喉だけがすぐ腫れるから……」

 

 母親は心配さうだつたが、それ以上手術を強ひることはしなかつた。

 

 その「虚弱児」が長じて、いはゆる社会人になつたら、夜が主たる仕事時間で睡眠も満足にとれないにもかかはらず、定年退職するまで41年間、「病気欠席ゼロ」だつた。

 

 扁桃腺で熱が出ることはあつて、数日声が出難くて電話に出られないことも何度かあつたが、仕事は休まなかつた。

 

 「自分で気をつける」と母親に宣言した以上、ふだんから喉への気配りには人一倍意を用いた。

 

 いま83歳。偉さうに言ふほどのことではないけれど、日本人男子の平均寿命(81歳)を超えた。

 

 虚弱児がなぜここまで大病もせずに生きられたかといへば、ひたすら「喉への養生」に尽きる。

 

 夜ベッドへ入るときは、夏は別にして欠かさず首に何か布を巻き、口にマスクを着ける。

 

 マフラーやスカーフは、材質、柄、長短それぞれ、ネクタイと同様、ウオーキングクロゼットに3,40本ぶらさがつてゐる。

 

 龍角散など喉に効く常備薬も切らしたことがない。

 

 戦国の世、戦ふ武士たちはまず喉を護つたといふが、ぼくも社会に出て「まず喉を護る」ことに専念した。

 

 体の不調は喉に出る。

 

 何となくいがらつぽい、朝の嗽(うがひ)に違和感がある、妙に喉が渇く、咳き込むーーなどはぼくが体得した黄信号だから、すぐ対処する。

 

 これが元虚弱児の唯一の健康法である。

 土曜日の昼過ぎ、夫婦でゆつたり居間で昼食を摂つてゐた。テレビがついてゐる。

 

 地上波では、NHKが甲子園の高校野球を中継してゐるが。つまらないのでチャンネルを回す。

 

 民放各局では、名も知らないタレント3人の旅番組、漫才あがりが雛壇にならぶクイズ番組、さらには、いまや「世界の二軍」としか言ひやうのない「日本のプロ野球」の試合などを流してゐる。

 

 「ううーん、特に見たい番組はないな」

 

 僕が言ふと、家人はあらためて新聞の中面をひろげてレビ欄を見る。

 

 「……どこも似たり寄つたりね。平日と違つて、定時のニュースも少ないしーー」

 

 そしてなんと、言つたのである。それもはつきりと自分の言葉で。

 

 「なんなら、消してもいいわよ」

 

 わが家ではテレビのチャンネル権は家人にある。

 

 朝起きて、彼女が一階の居間に降りてスイッチを入れると、深夜に寝室に上がるまでテレビは付けつ放しになる。

 

 自称“終身ジャーナリスト”としては、老後といへども世界でいつ何が起きるか神経過敏でありたい。

 

 イラン情勢はどうか、トランプ大統領がまた何かヘンなことを言つたか。地球の気候変動は?

 

  ――テレビはそんな情報の入手手段として欠かせない。

 

 家人もぼくのささやかな矜持は理解してゐるから、街角のラーメン屋みたいに一日中テレビをつけつ放しにすることに異存はない。

 

 しかし、である。最近のテレビの放映内容のお粗末さは、「ヒドイ」の程度を超えてゐるのではないか。

 

 各局とも、のつぴきならない財政事情で番組制作の経費をケチらざるを得ないのは分かるけれど、それにしても、もはや「テレビ番組としてつまらない」段階を通り越して、「目にすることが苦痛になる」やうな内容が多すぎる。

 

 家人がやつと、「消してもいいわよ」と言つたのにはかういふ背景がある。

 

 その一言を待ち構へてゐたかのやうに、ぼくはテレビのスイッチを切った。

 

 さて、突如そこに生じた静謐は、わが家にとつては画期的な出来事だつた。

 

 16畳の居間が、一瞬にして深い森の中のやうな無音に包まれた。

 

 夫婦の間に、稀有な、奇妙な無音が出現したのだ。

 

 そこでは、コーヒーカップをテーブルに置く音も、サラダを食べた後のフォークを皿に戻す音も想像以上の音に化ける。

 

 カリカリに焼いたベーコンを二つに畳んだナイフを皿に置くとき、ナイフがチンと尖つた音を立てる。

 

 ばくがサラダ菜を咀嚼する音も部屋中に聞こえる気がする。

 

 「インスタントのでいいけど、今からスープは出来る?」

 

 そこに訪れた奇異な静謐に間がもたなくなつたぼくは、日ごろあまり口にしたことのないスープを家人に所望した。

 

 「ランチにスープなんて、珍しいわね」と言ひながら、家人はそれでも夫婦の間に生まれた無音を糊塗する絶好のネタを得たかのやうに、調理場に立つて湯を沸かし始めた。

 

 「9月に転職すると言つてゐた隣りのシンちゃんは、もう新しい職場へ移つたのかな」

 

 就職のとき、ぼくがちよつと口をきいてあげた近所の40男の話。

 

 「暁からは何か連絡があつたかな。今年も夏休みは一家でどこかへ出かけるのかなあ」

 

 ここしばらく電話もない長男一家の話。

 

 「扇は最近、帰りが遅くなると、寝る前に腹いつぱい食べるけど、あれは健康に良くないよね」

 

 50歳を超えて独身の長女の話。

 

 テレビといふBGMがなくなつた間を埋めるやうに、夫婦の口から次々と世間話が飛び出す。

 

 テレビの選局は1、4、6、8など、局ごとに銀行の暗証番号みたいな数字が並ぶけれど、夫婦の間に新たな静謐を生むには暗証番号は要らない。

 

 ポンとテレビのスイッチを切ればいい。