殺人的な猛暑だつたこの夏開けなかつたから、と忘年会シーズンも近い今ごろになつて、昔の記者仲間の「暑気払ひ」が企画された。

 

80歳を超えたひま人10人ほどが、かつて馴染みにしてゐた赤坂の料理屋に参集した。

 

乾杯からしばらくは、高市政権の命運だとか株高、トランプ関税、クマ被害などビビッドな話で飲んだり食べたりしてゐたが、2時間もするとさすがに歳は争へず、老人らしい貧寒な話題が場を独占し始めた。

 

「膝が痛い」「耳が遠くなつた」「歯医者はカネがかかる」といふやうな病気の話と、「こんど孫がニューヨーク支店に異動になつて」「私の血かな。孫の女の子が東大で経済の研究をしてゐる」など、つまりは孫自慢である。

 

かうなると、ぼくの「老骨の嫌味」が鬱勃と顔をもたげる。

 

そんな話、いい加減にしてよ、といふ思ひである。

 

いはゆる「破調」といふか、俳句でいふなら「定型崩し」、ジャズでいふならシンコペーション……、どの世界にもある、それまでの流れを急に転換して、その場の流れを断絶する「型破り」をこの場でやりたくなる。

 

「ちよつといいかな。ひとつ提案があるのだけどーー」

 

言い難さうに切り出す。

 

「折角かうして久しぶりに昔の“敏腕記者”が顔を合はせたのだから、ここでは病気や孫の話ぢやなくて、もつと今風な話をしない?」

 

ワイワイと口角泡を飛ばしていた一同が、おどろいて僕を見る。

 

「悪いけど、ここでは病気と孫自慢の話は禁句にしない? キリがないから」

 

もちろんこんな提案はきはめて奇異で、偏頗で、わがままであることは承知してゐる。

 

案の定、蚊の飛び交つてゐた真夏の夕方の庭に、一瞬バケツで打ち水をしたかのやうに座が冷えた。

 

♪ しらけ鳥 飛んでいく 南の空へ ♪

 

ふと30年ほど前に流行つた戯(ざ)れ唄を思ひ出した。ご存じのやうに、その次は「みじめ、みじめ」である。

 

一人がトイレに立ち、もう一人続いたりして、宴席はにはかに落ち着かなくなる。そろそろ会計、そしてお開きか、といふ空気になる。

 

数人が割り勘を払つて帰り、残つた者だけで椅子を寄せ合ふが、まるで取締役会みたいな数人でいまさら何を語り合はうか、と微妙な沈黙が来る。

 

ここでだれかが腕時計でも覗いたら、それが「ぢやあ、そろそろ」といふ終宴の合図になる。

 

帰り道、二度とさつきのやうな提案はやめようと自戒する。

 

しかし、そのときになればまた我慢できないかもしれない。

「もうしばらく書いてないんぢやない?」

 

 昼下がりの居間で、夫婦の話題が途切れたとき、ふとかう言はれた。

 

「分かる?」

 

書いてない、とは小説の話である。

 

コロナ禍で世の中が騒然となつた数年前から、「書く」と言へるものは月に800字ほどのエッセーと、趣味のブログを月に2本だけ。ブログはエッセーを流用することが多い。

 

他はパソコンでメールを日に数本打つのと、必要に迫られてたまに書く短い封書、はがき程度で、小説のやうな長いものは書いてゐない。

 

似たやうな質問は外でも受ける。

 

15年ほど前に某文学賞(賞金100万円)をもらって、ネットの自己紹介欄の「職業」におこがましくも「作家」と記してゐるので、初対面で名刺交換した方などから、

「最近はどういふものをお書きになつてゐるのですか」

と問はれる。

 

今、自分にとつてこの質問ほど「イタイ」ものはない。

 

ここ数年、「新潮」「文学界」など文芸誌への掲載も、小説本の出版もない。

 

ネットの職業欄の「作家」は、多くの「作家」がさうのやうに、ほとんど“自称”になりかけてゐる。

 

コロナ禍がきつかけで小説が書けなくなつた。

 

小説には人間が登場するが、その言動、風俗などを書くのにコロナが致命的な障害となつた。

 

たとへば人物の風体を描くとき、顔を覆ふマスクは絶対に欠かせない部品になつたし、人と人が以前のやうにいつでもどこでも自由に会へる状況ではなくなつた。

 

小説の中で、いちいち「コロナ禍で」と断り書きを付けなければならない。

 

鬱陶しかつた。マスクをしている女性の表情をこまかく描写するのは難しい。

 

会話の中でも流行中の疫病に触れないわけにはいかない。それがイヤだつた。

 

かつて結核が世に蔓延したころ、堀辰雄や太宰治、梶井基次郎など、作家は臆せずに結核といふ病を小説に書いた。

 

コロナと同様、書き難かつたり気が進まない作家もゐただらうが、ともかく「肺病病み」の小説を大量に世に遺した。

 

正直に言ふなら、ぼくがコロナ以来小説を書けなくなつたのは、実はこの疫病のせゐなんかではなくて、齢70代の後半に差しかかつてゐた身の精神、創作意欲が減退し始めてゐたからかも、と白状しなければならない。

 

コロナ禍が一応鎮かになつた今、まるでその後遺症のやうに、依然として創作意欲が縮んだままなのは、もしや単に老いのせゐなのか。

 

「別に気にしないでね。いま、小説はあなたの仕事ぢやないんだから」

 

家人はさう付け加へたが、彼女は一体ぼくの何を見て、どこを見てさう言つたのか不安になつた。

 

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 友人に案内されて、初めての寿司屋に入る。

 

「お客さん、何から行きますか」

 

酒が来ると、カウンターの親方が注文を問ふ。

 

「さうね、とりあへずアナゴにコハダかな」

 

このくらゐの寿司屋になると、アナゴもコハダもたぶん、市場で買つて来たままのネタではない。

 

買つて来た生のアナゴと酢に馴染ませてゐないコハダを持ち帰つて、店で独自に味付けしたに違ひない。

 

このどちらか、できれば両方を食べると、その寿司屋の大体の「品定め」ができる、とぼくは考へてゐる。

 

 「つまみは何か行きますか」

 

酒はまだあるのに、鮨がなくなつたのを見て親方が言ふ。

 

「さうね、玉子焼き」

 

出てくるのは厚焼き玉子か、出汁巻き玉子。地方によつて異なる。

 

皿の上に折り畳まれた玉子焼きの、焦げ目がついたのが厚焼き玉子、女性の肌のやうに乳白色のまま、焦げ目をつけないで、大根おろしなどを添へて供されるのが出汁巻き玉子。

 

「玉子焼き」と注文したら、普通このどちらかが出てくる。目玉焼きやスクランブル・エッグは寿司屋には普通ない。

 

どちらもまさに「卵の味と香り」が素朴に出て、ウマい。

 

店によつては醤油味が濃すぎる厚焼き玉子や、だしの旨みを強調し過ぎた出汁巻き玉子もあるが、これだと折角の純米大吟醸の豊穣な味はひを潰してしまふ。

 

玉子焼きは、できればあまり自己主張しないで、お皿の上でぢつとこちらの箸を待つのがいい。

 

 玉子焼きについては、「旨い」とか「不味い」などと客が純朴な感想を言ふのは控へた方がいい。

 

店には店の味があり、親方には親方の流儀がある。玉子焼きが不味かつたら、「この店は自分には合はない」と黙つて諦めるしかない。

 

 万人に愛されるものの代表として、かつて「巨人、大鵬、玉子焼き」といふフレーズがあった。

 

当時、プロ野球の常勝チーム・ジャイアンツ、大相撲で優勝を重ねる横綱・大鵬、それと並んで、誰もに愛された料理が玉子焼きだつた。

 

大鵬は大相撲を去り、巨人はこのところパッとしない中、玉子焼きだけはいまだに簡便な家庭料理の雄として君臨してゐる。

 

「何かもうちよつと」の料理の一つとして欠かすことのできない一品だ。

 

ところで、玉子焼きの魅力つて一体何なのだらう。

 

素材の値段の安さか。それだけではない。このナゾは深い。