家が住宅街の角地にあるので、北に面した二階の寝室の窓を開けると、左右五軒の家が丸見えになる。

 

 深夜、ベッドへ入る前に、ついこの窓を開けてご近所の様子を窺つてしまふ。

 

 流行の「トクリュウ」強盗がどこかの家に入つてはゐないか、どこかでボヤが起きてはゐないかなど、ごくありふれた防犯心なのだけれど、家人は「よして。もし誰かが見ていたら夜中に何をしてるのと思ふぢやないの」と止める。

 

 子どものころ、母に連れられて親戚の家を訪問した時も叱られた。

 

 「よしなさい。よそのお宅へ来たら、そんなにキョロキョロするもんぢやないの! 品が悪いでしよ」

 

  しかし、「キョロキョロ癖」は子供のころから80余年一向に改まらない。

 

 それどころか、41年間の新聞記者生活では、むしろこの癖が情報を得る手段として役立つた気さへする。

 

 国政選挙が終はつて初当選した議員は、数日のうちに、落選した議員と入れ違ひに、永田町の国会議事堂裏にある衆参三棟の議員会館に自分の部屋を開設する。

 

 住居は九段や赤坂にある議員宿舎をあてがはれるが、ふだん政務をこなすのはこの議員会館が主舞台となる。

 

 国会内の記者倶楽部に所属する政治記者は、新人議員たちが議員会館に入居するのを待ち構へて、担当する政党や派閥と関係のある議員の部屋を訪問する。

 

 これから足しげく通ふことになる議員、秘書への「ご挨拶」だが、実はこの初訪問で、ぼくは臆面もなく部屋の中をキョロキョロした。

 

 議員会館の部屋の様子を見れば、議員本人の氏素性がだいたい分かる。

 

 もし彼が親などのの地盤を引き継いで当選した二世三世議員なら、部屋の中央に親や先代の写真を掲げる。

 

 もし市議、県議など地方議員を永らく務めて、地方政界のボスのために尽瘁し、その甲斐あつて今回晴れて後を継いで当選した人なら、ボスの勲章写真や、彼が揮毫した格言などを、部屋の最も目立つところに飾る。

 

 何度も落選したことのある苦労人なら、地元の有力者、たとへば婦人会の名物会長で婦人票を束ねる老女など、選挙で世話になつてきた人の写真を壁高く掲示する。

 

 中には中央では無名の陶芸家の茶碗や、地元限定で「文人」と尊崇される俳人の書などを、議員が接客の折に腰を下ろす応接セットの背後に置く。

 

 「……何か普通の議員会館と違ふところがありますか」

 

 名刺交換を終へて席に着いた新人議員が、部屋中をキョロキョロ見渡してゐるぼくに、不安さうに訊ねる。

 

 「いや、皆さん、こんなものですよ。――まあ、今後よろしくお願ひします」

と握手を求めると、彼はほつとしてぼくを廊下まで送り出す。

 

いつもの「4時5時オトコ」は、ワインバーへ行くのにわざとスマホを持たないで出かけてみた。

 

40代の終はり頃から世の中に携帯電話なるものが流行り出して、「みんな持ってゐるんぢや持つか」くらゐの気持ちで持ち始めたが、以来30年、財布と同じく、時に腕時計代はり時に手帳代はりとして、日常生活の中でスマホは手離すことのない小道具となつた。

 

街へ出れば、いまや老いも若きもみんなスマホを手にしてゐる。

 

ワインバーでも、ワインに失礼ぢやないかと思ふくらゐ、誰もがスマホをワイングラスと並べて目の前に置いたり、中には右手にワイングラス、左手にスマホなんていふ男もゐる。

 

これはいくら何でもヘンぢやないのか。

 

ぼくは腕時計も持たない。

 

リタイアして83歳にもなると、日常の予定や約束はあまりない。

 

月に4日のエッセー塾の日程と、近所の掛かりつけ医に薬をもらひに行くのさへ忘れなければ、社会生活に重大な支障はない。

 

他人から始終連絡の入る身ではないし、一瞬でも知るのが遅れて困るやうなニューズもない。

 

だつたら、もしかしたらスマホなんて常時携帯してゐなくても不自由しないのではないかと、あるとき思つた。

 

その日もいざワインバーへ入ると、カウンターの隣りの男性がやはり片手にスマホを持つてゐる。

 

脇のテーブル席の若い男女も、ふたりしてそれぞれのスマホをのぞいてゐる。

 

ときどきお互ひのスマホに目を飛ばし合つて、相手のスマホの画面に手を伸ばして何かささやいたりしてゐる。

 

会話らしい会話はない。だつたらわざわざワインバーへ来ることないんぢやないか。

 

公園のベンチでも十分ぢやないか。

 

スマホを持たないぼくは、いつものやうに一杯目の赤ワインを飲みながらーーそして、やることはない。

 

まはりの客や店内の造作、シェフやスタッフにちらちらと目を向けるが、数分で終はる。

 

目の前にはいつものやうに赤ワインの入つたグラスがあるだけだ。

 

スマホを持たないことで、なんとも間がもたない。

 

いつもこんなときスマホを眺めてゐたのは、単に所在なさを糊塗するためだつたのだ、と初めて認識する。

 

それからの時間、ぼくがそこで何をしたかといふと、ふたたび店内のありやうと、その日そこにゐる客たちの観察である。

 

やることはそれしかない。それで何か不都合があつたかといへば、何もない。

 

客の一人であるぼくには、客たち男女の風体から連想するあらぬ妄想でも、けふの店の稼ぎ高でも、いまぼくが飲んでゐる赤ワイン1本の仕入れ値と店のメニューの価格との差額でも……なんでも想ひ描く自由がある。

 

でもそれがナンボのものかといへば、ナンボのものでもない。

 

このカウンターでいつもスマホを見つめてゐた時間と同じ無為である。

 

かくて「脱スマホ」の一日はプラマイ・ゼロに終はつた。

 

家の裏手にある大きな公園内に、J1の公式戦が定期的に行はれるサッカー場がある。

 

その横にはふだん高校野球、たまにプロ野球が使ふスタジアムがある。

 

 ワインバーの自称「4時5時男」は、試合開始前やゲーム終了後、サッカーかプロ野球のファンたちと正面衝突する。

 

JR駅から公園への近道とわが家からワインバーへの近道が、どちらもたまたま同じ官幣大社の参道なのだ。

 

サッカーも野球も、ファンはみんな若い。

 

その集団とまともにぶつかれば80翁はひとたまりもないから、若者の隊列を避けなければならない。

 

前から来る一団は男中心か女中心か、何歳ぐらいか、ぶつかりさうになつたら道を譲つてくれさうな人種かーーを一瞬のうちに見極めなければならない。

 

こんな時に、いまさら自覚するのはわが運動神経の鈍さだ。

 

子どものころから、学校の授業で何が嫌いかといへば、二番三番がない断トツの一番が「体育」だつた。

 

砂場の脇にある鉄棒や、年に何回か学校の倉庫から引つ張り出される跳び箱など、目にするだけで身の毛がよだつ思ひだつた。

 

「明日は親戚に葬式ができて、母と一緒に行くのでーー」

 

運動会は、理由を付けて毎年欠席した。

 

ヴェテラン女教師には、「その親戚の方、たしか去年の運動会の日もお葬式ぢやなかつたかしら」と笑はれた。

 

日ごろ仲が良くない悪童どもが、その日だけ「クラス対抗リレー」の代表選手としてクラスのゼッケンを付け、ぼくが日ごろひそかに想ひを寄せてゐた女子生徒が彼らに黄色い声援を浴びせるのを見るのは忍びなかつた。

 

歳をとつて思ふのは、幼いころ運動神経の悪かつた人間ほど、歳よりも早く足腰が傷み、身のこなしが緩慢になつて、要するに「老け込むのが早い」やうな気がする。

 

バーのーの高椅子への乗り降り、町のエスカレーターを降りて、さて前の人を追ひ抜かうとするときの速足の一歩がスムーズに出ない。

 

老人の挙措(きょそ)は、もしかすると生まれつきの運動神経の良し悪しに関係するのではないか。

 

若い頃から運動神経の良かつた人は、齢を取つても案外動きが軽捷なのではないか。

 

これは両親に恨みを向けるしかない。

 

いま思へば、父も母も運動神経が良い方ではなかつた。

 

父は剣道の有段者だつたが、80歳を超えたころから、歩く一歩ごとに右に左にぐらついて、後ろから見てゐてひやひやした。

 

病弱だつた母はきもの愛一筋で、スポーツは何もやらなかつた。

 

もちろん親に感謝してゐることもある。

 

いまだにアルコール分解酵素がどうやら人並み以上なのは父親譲りといふしかないし、遊びでも人との交際でも「危ないことには手を出さない主義」は、よろずに不器用だつた母親の教へだつた。

 

老いによる不都合を今さら親のせゐにはできない。耐えるしかない。