青年は幼いころから家が貧しかつたので、いつもおカネが欲しいと思つてゐました。

 

 大人になつて、毎日、一生懸命働きましたが、おカネはなかなか貯まりません。

 

 給料日近くになると、銀行口座の残高はいつもさびしく、競馬やパチンコなど好きなギャンブルにも行けずに、家で悶々としてゐました。

 

 4月の金曜日の朝の出来事でした。

 

 何気なくスマホで自分の銀行口座を確認した青年は、思はず、まだ眠気の残る目をなん度もこすりました。そこには、きのう見た「665円」ではない数字が並んでゐました。

 

 「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……」

 

 口座にはこれまで、「じゅうまん」単位より大きな金額が記入されることはなかつたものですから、青年はなん度もなん度もかぞへ直しました。

 

 「……じゆうまん、ひやくまん、せんまん」

 

 なんと、「665」の代はりに「46300665」といふ数字が並んでゐるではないですか。

 

 4630万! もちろん、青年にはなじみのない数字です。

 

 張り裂けるやうな心臓の鼓動を意識しながら、青年はその金額の「振込元」を確認しました。

 

 「こんな大金をオレにくれるなんて誰だらう。オレにもやつと神サマの恵みの手が巡つてきたか」

 

 青年の心は高鳴りました。

 

 振り込み元は「アブナイ町」とありました。

 

 2年前、青年が過疎地域への移住を勧奨する「空き家バンク」制度を利用して、県庁所在地の市から、日本海に面する人口3000人の小さな町に引つ越してきたその町名です。

 

 「な~んだ、びつくりすることはない。町からオレへのプレゼントか」

 

 自治体の存亡にかかはる過疎解消のために、都市部から若者を呼びたい、定住してもらひたいところでは、こんなプレゼントを用意してゐるのか、気前がいいもんだーー青年は自分勝手な解釈をして納得しました。

 

 その日の昼下がり、「誤送金でした」と詫びに来た町役場の職員が、青年を車に乗せると、青年の口座がある銀行まで行き、返還の手続きを促しました。

 

 「返還? いや、これはこの小さな町へ移住してきた者へのご褒美なのでせう」

 と青年は返還に応じませんでした。

 

 さあ、翌日から青年の心は天国です。

 

 4630万円ものおカネが自由に使えるのです。ずつと我慢してゐたギャンブルが、まさに誰に遠慮することなく、自分のやりたい放題、自由奔放、放恣放胆にやれるのです。

 

 そこで青年はしばし考へました。

 

 パチンコで4630万円遊ぶには何日かかるだらう。競馬場で百万円の馬券を46回も買つて、それが全部外れなければ費やし切れない。

 

 青年はインターネットを使つてバカラやポーカーに賭ける「ネットカジノ」について、遊び友達から聞いたことがあるのを思ひ出しました。

 

 一度に賭ける金額も、当たつたときの金額も、パチンコや競馬・競輪の比ではないことも知つてゐました。

 

 しかし、青年は「ネットカジノ」が日本では賭博行為の犯罪に当たることは知りませんでした。

 

 「みんなやつてゐるのだから大丈夫だらう」

 

 銀行口座に大金が振り込まれてから40日後、警察が来て、青年は電子計算機使用詐欺容疑で逮捕されました。

 

 大金の大半は、結局町に戻されたさうです。古来、好事魔多し、と申しますな。

 

〇大いにウソをつくべし

〇約束を守るなかれ

〇人の不幸を喜ぶべし

〇スープは音を立てて吸ふべし

〇友人を裏切るべし

〇女には暴力を用ゐるべし

 

 ――世間の常識に刃向かつて、いはゆる「非常識」を実践する大切さを三十項目にもにわたり、具体的に、警抜な発想で、ややペダンチックに、しかし理路整然と説いたのは、かの三島由紀夫である(1959年中央公論社刊「不道徳教育講座」)。

 

 東京・市ヶ谷台の自衛隊駐屯地で自刃して生涯を終へた作家は、もとより「非常識」の実践者だつたといへるが、逆に見れば、世の「常識」といふものがそれだけ凄絶にこの作家の感性の前に聳え立つてゐたといふことかもしれない。

 

 たとへば「スープは音を立てて吸ふべし」の章ではかう言ふ。

 

 一般にレストランでスープを吸ふとき、音を立てないマナーは、自分は社会的なオオカミではなく、をとなしいヒツジであることの身分証明であり、反対に人前で「音を立ててスープを吸ふ」ことは、自分はヒツジではないといふ「不断のつぶやき」であり、それは社会に対する勇気、抵抗、いやがらせの一種、すなはち「人間に欠くべからざるもののささやかな見本」なのである。

 

 これを書いた当時の三島氏の倍以上も生きた人間からみると、ぼくはまるきり「常識」に凭(もた)れかかつた仕事をしてきた。

 

 新聞といふのは、謂(い)はば「スープは音を立てないで飲め」と叫ぶ方の代表だ。

 

 永田町で政界をながめてきて、常に「音を立てて飲む」人間の行動を難詰する記事を書いた。

 自民党の派閥抗争華やかなりし時代で、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘ら「三角大福中」がそれぞれ群雄割拠し、構成員数、資金力、ポストをめぐつて暗闘をくりかへした。

 

 今でもぼくの本音は変はらないのだけれど、派閥抗争こそが日本を担ふ自民党の生命線であり、エネルギー源である。

 

 しかし、新聞はさうは書けない。三島氏なら「派閥抗争はどんどんやるべし」と書いたことだらうが、ぼくは「いつまで続く国民不在の党内政争」などと口当たりのいい批判記事を書いた。

 

 新聞はふつうの記事も社説も、世の「常識」といふ“きれいごと”に縛られる。

 

 たとへさう思つても、「スープは音を立てて吸ふべし」とは書けない。

 

 マスコミは常に陳腐で退屈な常識を後ろ盾にしてゐる。

 

 新聞とかテレビの論調が常に陳腐で退屈なのはそのせゐだ。

 

 魅力的な真理は非常識の側にある。

 

 

街をあるいてゐて、ふと杉の木目の美しい外構へに気を惹かれ、初めての寿司屋に入る。

 

寿司屋はメニューを置いてゐないところもあるし、値段もピンキリだから、初めての店は多少緊張する。

 

入口に近いカウンターの端に腰かけ、目の前の透明のケースに並んだネタをながめる。

 

お銚子を注文し、お絞りを使つて一呼吸すると、カウンターの中の若い板さんと目が合ふ。

 

「さあ、何から行きませうか」と相手の目がネタの選択をぼくに迫つてゐる。

 

寿司屋で、この瞬間がいちばん嫌いだ。

 

行きつけの店ならかういふことはない。ぼくが何から注文するかも、最初の一貫は酒に口をつけた後か先かも、店が心得てゐる。

 

初めての客だと、板さんはごく短い時間に客を品定めすると同時に、その客がどんな手順でコースを終へるのか感知しなければならないから、向うも緊張するのは分かる。

 

それにしても、けふのネタはこんなにある、さあ、よりどりみどりだ、とケースの中を誇らしげに見せておいて、すぐに何か選べといふのは、いささか店側の傲慢ではないか。

 

初めての店だから、こちら側には何の情報もない。

 

その店がどの地方の魚を得意とし、魚市場のどんな筋と昵懇か、けさ入荷した中では何が旨いか、鮮度はどうかーー何も分からない状況では最初のネタを注文しやうがない。

 

もうずいぶん前のことになるけれど、日本橋・人形町に九十歳、つまり卒寿になる女が一人で経営する寿司屋があつた。

 

「女は手が脂つぽいので寿司を握つちやいけないなんて言はれるけど、私くらゐの歳になると、脂なんてどこにもないからへつちやら」

 

旦那が六十代で亡くなつた後を継ぎ、毎日早起きしてきちんと化粧し、正絹のきものに季節の帯を締めて、地下鉄を数駅乗つて築地へネタの仕入れに通ふ。

 

気心の知れた贔屓客だけが相手の殿様商売で、店のケースの中は、店独自の味付けが問はれる二品、アナゴとコハダのほか、彼女が吟味して仕入れてきたクロマグロなど「その日の逸品」3種か4種だけである。

 

よりどりみどりではない。客は何も注文しなくていい。

 

老女と無駄話をしてゐるうちに、カウンターに差し出されるのがこれまたどれもこれも、一度口にしたら忘れられない尤物(ゆうぶつ)の味。

 

やはり寿司ネタは客が選ぶものではなく、寿司のことは寿司屋に任せるに限るといふ気持ちになる。

 

夜遅く、客がゐなくなると、彼女は左右の手擦りが照りかがやいた籐の椅子に腰をおろし、旦那譲りの包丁を黙々と研ぎ始める。

 

とりわけ上客でもないぼくが、なぜかその神がかつた秘儀のやうな静寂の場にゐることを許された。

 

老女とぼくしかゐない店で、包丁の銀色の刃が、ときをり仄かな明かりを浴びながら、砥石の上を滑るやうに往復する「シー、シー」といふ、わけなくおそろしく玄妙な音がひびく。

 

食べる物、着る物、使ふ物……生活のなかで迫られるいろいろな選択は、もしかすると自分で迷つたり悩んだりするよりも、その道の確かな目利きに二,三品選んでもらふ方が、概して失敗がないし、なにより楽でいいといふぼくの狡猾な世知は、彼女の影響が大きい。