大臣室を訪ねると、文部大臣がひまさうにしてゐた。
1週間前、九州出身のその老政治家が、大臣就任後初の選挙区入り(俗にいふ”故郷(おくに)帰り”)するのに、所属してゐた文部省記者倶楽部からただ一人同行取材し、3泊4日いろいろ迷惑をかけたので、その詫びをまづ述べた。
「いや、私が選挙区の後援会回りに忙しくて、何もおもてなしできないで失礼しました」
確かにその通りだつたが、新任の大臣と親しくなるのが目的の同行取材だつたから、『おもてなし』はこれからだと思つてゐた。
「大臣、先日、国会の文教委員会で取り上げられた私学助成金の件ですがーー」
ぼくが40歳のころの話である。いまも、日大の前理事長、元理事の不祥事で私学助成金90億円の不交付が決定するなど生々しい話題だが、当時、東京の二、三の私大で入試不正が発覚した。
私学助成は国民の税金の遣ひ道にかかはることだから重大な問題で、新任の文部大臣は国会で、「慎重に検討中」などと曖昧な答弁で逃げてゐた。
「新たに就任された大臣がスパッと決断して、存在を世間にアピールする絶好の機会ですよ」
ぼくは「後付けのおもてなし」を期待して、さう唆(そそのか)した。
「さう思ふかね。この間、地元でもこの話題に関心が高かつたな」
「スキャンダル大学の助成金に断、なんて、大臣の初仕事としてカッコいいぢやないですか」
「マスコミとしてさう思ふかね。反響は大きいかもね――それでいくか」
ぼくの書いた記事は一面のトップを飾つた。
朝、記者倶楽部へ出ていくと、ライバルの記者たちはぼくと目を合はせない。――喧嘩が始まつた。
その日から二日間、ライバルA紙の痩せた記者は、記者倶楽部の奧の麻雀室や、文部省の暗い廊下の隅で、他社の記者数人とひそひそ話をしては、こちらの顔を見ると連れ立つて姿を隠した。
ぼくひとりを除外するかたちで、記者倶楽部の数社が何かを画策してゐるのが分かつた。
記者倶楽部は時に陰湿な戦場になる。
省庁、警察署、政党本部、地方自治体など、全国どこにもある記者倶楽部では、特ダネ競争のゴングが鳴ると、各社が神経質に敵の動きに神経をとがらせ始める。
早朝、政治部のデスクから自宅に電話をもらつた。「A紙、読んだ?」
起きたばかりで、まだ読んでゐない。「夕刊で追つかけないわけにはいかないだらう。問題が問題だし、各紙がそろつて取り上げてゐるから、一応”特オチ”みたいな形になつてるし」
郵便受けからライバルA紙とB紙を持つてくる。
1面トップ、大きな活字で『政府与党、公立校6・3・3制見直しへ』。
現行の小学6年、中学3年、高校3年の「6・3・3制」を、中等教育の充実強化を狙ひに「6・6制」に改革するといふ考へ方は、以前から政府、自民党内にあつた。一部の私立学校ではすでに中高一貫教育として導入されてゐる。
記事には「自民党文教族を中心に学制改革の声が高まり、政府部内でも検討を始めた」とある。
これはウソだ。ぼくも文部省を担当するやうになつてから、学制改革には大きな関心を払つてゐた。
戦後から続く今の日本の社会・教育体制を大きく変へるもので、必要なことかもしれないけれど、10年や20年でさう簡単にできるものでないことは明白で、一度も記事にしたことはなかつた。
出勤し、デスクの厳命で仕方なしに、「自民党の一部に公立校の学制改革を望む声も」といふ、意味不明な、中途半端な記事を夕刊に数行書いた。
「これは2日前に『私大助成金カット』を抜いたぼくに対する記者倶楽部内のいやがらせで、A紙らが“みんなで渡れば”ででつちあげたデタラメ記事です」
デスクや部長に説明したが、「かう全紙が書いてるとな」と、結局“特オチ”の心象は払拭できなかつた。
あれから40年経つた今も、公立校の「6・3・3制」は一ミリも変はつてゐない。
