ことし頂いた年賀状の中で、手にしただけで衝撃を受けたものがいくつかある。本人の写真入り年賀状である。

 

 昨年夏の東京五輪でボランティア活動をした元同僚の、有明テニスの森会場を背景にした公式ジャンパー姿や、お孫さんを抱いた友人を央にした一家団欒、老夫婦で出かけた沖縄、いつ撮影したものか不明の、南インドの巨大な仏教遺跡を背にしたひとりぽつちの旅行写真……。

 

 いづれもカラー印刷で、あざやかで美しい。

 

 見るからに楽しさうな写真ばかりで、まさに年賀状にふさはしいのだけれど、笑つたりほほ笑んだりしてゐる友人知人の写真に、拡大鏡を近づけてよく見るとびつくりした。

 

 それは僕の知る友人知人とはまつたく別人。この人だれ? といふ感じで、もう何年も会つてゐない、ほぼ同年配の人たちだから無理もないとはいへ、そこに写つてゐるのは僕の知つてゐる彼、彼女ではない。

 

 町で出会つたら知らずに通り過ぎてしまふ顔ばかりだ。

 

 新聞社には珍しい理工系大学出身で、かつては頬のへこんだ細面が知的に見えたのに、いまや丸い両頬が顎の線よりも低いくらゐまでたるみ、布袋様のやうに無惨に、一種病的に赤黒くふくらんで、狭かつた額は顔の半分を占めるほどにひろがり、青白くかがやいてゐる。

 

 かと思へば、大病でも患つたに違ひないと思ふほど痩せてしまつて、そのはかなげな風貌がスリランカ(旧セイロン)の旧跡とみごとにマッチしてゐたりする。

 

 どの友人知人にも昔の面影はまつたくない。そんな年賀状をいくつか眺め、正月早々えもいはれぬ不快な感情に襲はれた。

 

 これは一体何なのだらう、とよくよく考へてみたら、それら数々の写真はまさしくぼくに突きつけられた鏡だと気づいた。

 

 それらの写真から受けたこちらの動揺は、そこにあらはれた金属疲労、そのみつともなさ、そこに潜む長い時間の意地悪など、すべてぼく自身の反映ではないか。

 

 若いころとは思ひも及ばない衰弱、もつとあからさまに言ふなら年齢相応の老醜は、たぶんぼく自身のそれなのだ。

 

 「まあどうせ先が読めない世の中なら、残り少ない八十翁、放恣放胆、不羈奔放に生きるしかないと」

 

 ぼくはことしの年賀状をかう結んだ。

 

 写真とは違つて、人によつて感想がさまざまなのが文章のいいところだが、でもこれを読んだ人は「放恣放胆、不羈奔放」のことばから、「どうにも始末に負へない因業おやぢ」をイメージしたかもしれない。

 

 写真同様、やはり相手に鏡を突きつけて、なんとも不快な感情を与へたかもしれない、と少々反省した。

 

 

 その若いふたりが隣りのテーブルに着いたときから、八十歳に近い老人は落ち着かなくなつた。

 

五階建てビルの結婚式場の二階にあるフレンチだから、若い客が来るのは珍しくないが、「お茶だけでもいいですか」と男がボーイに断つてから店に入つてきたふたりは、コーヒーを注文したきり、ほとんど口をきかない。

 

男に勧められて窓側の椅子にかけた、マスクの上にのぞく目許(めもと)がすつきりした痩身の女は、コーヒーをひとくち口に運ぶと、音立てないやうにカップを皿に置き、店の奥に目をやつたり、客の出入りもない入口の方をながめたりして、目の前の連れの男とは目を合はせようとしない。

 

 黒いセーターに紺のジャケットを羽織つた小太りの男はといへば、ちらちらと連れの女を気遣ひながらも、結局何も言はない。

 

 近ごろ、電車の中でも喫茶店でも、席に腰を下ろすなりお互ひ携帯を取り出し、話もしないで携帯に専念するカップルがめづらしくないけれど、それでもたまには顔をあげて視線を合はせたり一瞬ほほ笑んだりして、それとなくそれぞれの存在を確認する仕草はするだらう。

 

 隣りのテーブルの女は、まるで相手の男を無視して、しかも自分が作つてゐるをかしな場の空気をまるで気にかけていない。

 

 どういふ関係の男女なのだらう。

 

 さつきまでひどい喧嘩でもしてゐたのだらうか。それとも逆に、今までふたり一緒に、内緒の重労働をしたばかりで、疲労困憊、口もききたくないやうな時間なのだらうか。

 

 歳からみて不倫などではなささうだが、などと不道徳なことに思ひをめぐらせてゐると、急に男が手をあげてボーイを呼び、女に

「何か頼まない?」

と問ひかけた。

 

 ボーイが来た。女は黙つてゐる。

 

 「甘い物でもどう?」

 もう一度、男は女に訊く。女は黙つてゐる。

 

 困つた男はボーイに、「アイスクリームをふたつください」と独断で注文した。アイスクリームならこの店にもあるだらうし、女も嫌ひではないと推察したのだらう。

 

 頂きのとんがつた山盛りのアイスクリームの中腹に、緑のウエハースと、おそらく甘味料の赤い粉がまぶされた小皿がふたりの前に置かれた。

 

 ボーイが去ると、隣りのテーブルはまた異様な沈黙に包まれた。

 

 ――そのまま、かなりの時間が過ぎた。

 

 「なんか、すつきり、しないなあ」

 

 一語一語、絞り出すやうに男が言つた。男はもうアイスクリームを食べ切つてゐた。

 

 女の小皿には、だらしなく形を崩したアイスクリームが、危険な、触れてはならない乳白色の毒物のやうに末広がりに不気味に溶けてゐた。

 

 頂きの赤い粉粒だけが、溶けずに、何かを警告するやうに光つてゐる。

 

 長い沈黙の時間に寄り切られるやうに、つひに男が勘定書きを持つて立ち上がつた。

 

 「ごめんなさい」

と女は小声でつぶやいて、後に従つた。

 

 愚鈍な八十翁にもやつと事態が飲み込めた。

 

 別れ話を切り出したのはもちろん女の方で、まだ未練のある男は、事情を問ひ詰めようとしてこの店に女を呼び出したのだらう。

 

 女は最後まで別れる理由を説明しなかつた。

 

 それでいいのかもしれない。

 美しい山を成してゐたアイスクリームだつて、小一時間もすれば変質する。美しい女も心変はりすることはあるだらう。

 

 万事、変はるから魅力的といふこともある。

「次の部長は誰だか知つてる?」

 

 ランチのあとの喫茶店で、5年先輩のキャップが話しかけてきた。

 

 そろそろ政治部長が交代の時期だとは周囲の噂で感じてゐたが、4人ゐる次長の誰が昇格するのかは予想したこともなかつた。

 

 「もう決まつてゐるのですか」

 

 「決まつてるさ。次の部長、そのあとの次長は誰かなんて、何年も前から既定路線として決まつてゐるんだよ。新聞記者だつたら、自分の部の人事の先くらゐ読めなくちやあな」

 

 東大卒で痩身の、記事を書くのはあまり達者ではないが何かと目端の効く男は、ふだんから「俺は2年後にはデスク、5年後くらゐには政治部長」などと臆面もなく野心を語つてゐた。

 

 事実、彼はその通りに昇進し、政治部長を3年ほどつとめると新聞記者のトップである編集局長に昇進した。

 

 その年の暮れ、皇居に近いホテルの大宴会場を借り切つて、社の部長以上の約200人が招待されて忘年会がひらかれた。

 

 その年は、この新聞社の発行部数が初めて1000万部を超え、所有するプロ野球チームが日本シリーズで優勝し、系列テレビ局がゴールデンタイムの視聴率で全国ネットの1位にかがやくといふ、この新聞社にとつてかつてない「おめでたいこと」の重なつた年だつた。

 

 世間にその名も知られた、今風に言ふなら“ビッグボス”のワンマン社長は、宴に先だつ挨拶で、誇らかにこのことを口にした。

 

 「ここに集ふ社員のリーダー格である諸君は、かういふおめでたいことがこれからも毎年毎年つづくやうに、みんなで知恵を出し合つてほしい」

 

 社長はさう当たり前に結んだ。

 

 次に、招かれた側を代表して例の編集局長がお礼の挨拶に立つた。

 

 「けふはお招きいただいてありがたうございます」

と尋常に切り出したが、一呼吸おいて声音を切り替へた。

 

 「社長は今、ことしのやうな社の隆盛を継続するために、われわれ社員に知恵を出し合つてほしいと言はれましたが、それは逆です。知恵を出し合ふのは、社長以下役員の方々です。われわれはその方針、指示に従つて働きます。それが会社といふものです」

 

 社員がワンマン社長を諭すかのやうなこのスピーチで、場内は一瞬にして凍りつき、宴の前のざわめきは消し飛んだ。

 

 調子に乗つた若い編集局長はさらに、

「いま、社長が挙げられた3つのおめでたいことはまことに結構なことですが、わたしはここで、敢へて藤原道長の歌を読み上げさせていただきます」

と、平安時代の貴族・道長が栄華のきはみに詠んだ歌を、ことさら大声で披露した。

 

 「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」

 

 満月はいづれ欠けていくものだといふ警告とも釈(と)れる歌である。

 

 宴席が死んだやうな静寂に落ちたのに気を良くしたか、顔が小さくて痩せた新聞記者は壇上の社長の顔を正視しつづけ、「もう一度読み上げます」と再度、「この世をば」と声を張り上げた。

 

 ビッグボスがそのとき、どんな思ひでその歌を聞いたかは分からないけれど、約一か月後の2月1日付で、彼は西の方の支社の、肩書は同じ編集局長に飛ばされ、その後二度と本社に戻ることはなかつた。

 

 彼にすれば、年に一度の大忘年会の、広告、販売、業務まで幹部社員が全員そろつたところで、みんなが恐れる豪腕社長に冷水を浴びせ、前から秘めてゐた野望を果たしたのかもしれない。

 

 先日、朝刊の第2社会面下の亡者欄で、「83歳、無職」の彼が心原性脳梗塞のため死去したといふ数行の記事を見た。