定期的にパソコンのメール添付でエッセーを送信してもらふ。

 

 気がついたところを添削して、やはりメール添付で送り返すといふことを、リタイア後14年ほど続けてゐる。

 

 今月の初め、突然、一通の添付がひらけなくなつた。

 

 これまでと同じやうに、受信したメールから本文とは別の「添付」欄をさがすが、これがどこにもない。

 

 仕事の関係で、パソコンとはもう40年を超す付き合ひだが、いつも同じ単純なことを馬鹿のやうに繰り返してゐるだけで、もとよりパソコンとかネットにはド素人である。

 

 なぜ急に添付文書がひらけなくなったのか見当もつかない。

 

 その方にはメールにエッセーを張り付けてもらつて、当面、用は足りたものの、すつきりしないので、少々IT関係に強い友人に事情を打ち明けた。

 

 友人が言ふには、ネットで文書を閲覧するためのソフトウエア―であるプラウザの「インターネット・エクスプローラー(IE)」が6月中旬を以て終了し、同じくプラウザ「マイクロソフト・エッジ(ME)」に切り換はつた影響ではないか、とのこと。

 

 この友人もそれほど確信を持つた話ではなささうだ。

 

 さて、最初のエッセーを送つてくれた方には、エッセーをコピーしてメールに張り付けるなどいろいろ手間を取らせたので、そのお詫びと、この間に判明したことを説明しなければならない。

 

 「先日のメール添付がうまくひらけなかつた件ですがーー」

 とメールを書き始めて、自分が次第に陰鬱な気分に陥つていくのに気づいた。

 

 「どうやら先月、ネットの閲覧ソフトウエア―であるプラウザのインターネット・エクスプローラーが終了し、マイクロソフト・エッジといふプラウザに切り換はつたことが影響してゐるやうで、その後、いまでも相変はらずメールに『添付欄』は付いてゐないものの、頂いたメールをダブルクリックすると『添付欄』があらはれ、どうにか文書がひらけるやうになりました」

 

 自分で書いてゐて、やたらカタカナが出てくるのと、書いてゐることすべてが不確かで、推測みたいなものだから、文章に締まりがない。

 

 読む人にすれば、なによ、この文章。チンプンカンプンだわ、ではないか、と書き直さうとしたが、カタカナ言葉を排除すると意味が通じなくなる。

 

 学生時代のころから(新聞記事以外では)傲岸に歴史的仮名遣ひを遣つてゐる古風な物書きとしては、こんな文章を他人に見せるのは耐へがたい。意味が通じないのでは文章ではない。

 

 昔、鮎の友釣りをして腰まで流れに浸かつたとき、一緒に釣りをしてゐた先輩から、「万一、足をすくはれて流されたら、すぐ仰向けになるやうに」とアドバイスされたのを思ひ出す。

 

 最近の日本語のをかしな濁流には、仰向けになつて天を仰ぐしか方策はないのだらうか。

 

 

 桜の季と暮れの2回、律義にひらいてきた気の合ふ男女8,9人の会合が、コロナ禍のしわ寄せで2年半もひらけなかつたが、先日やつと復活した。

 

 幹事のぼくがなんとも惰弱で、テレビや新聞の感染者数の動向を横目に、「そろそろやりませうか」とメンバーにメールを打つことができなかつた。

 

 「もうみんな80歳前後なのだから、ぐずぐずしてゐると間に合はなくなるんぢやないかな」

 とメンバーの一人の医師から脅されて、むりやり6月下旬に設定し、連絡した。

 

 その日のうちに全員から「出席」の返信が来た。犬にエサを差し出して「待て!」のポーズをしてゐたのを「よし!」に切り替へた瞬間のやうだつた。

 

 しかし、会合の仕様は昔とだいぶ変はらざるを得なかつた。

 

 会場は古いフレンチのお店で、電話予約の際、マスク着用の徹底を念押しされた。

 

 当日行つてみると、席と席の間隔がまるで抜け落ちた乳歯のやうにズレてゐて、そのあひだには病院のやうな透明のアクリル板が立つてゐる。

 

 やはり、コロナ禍の前と後とでは生活の細部がこれだけ変化したのかと、改めてパンデミックの恐ろしさを感じる。

 

 私たちの生活のなかの様々な常識やスタイルも、この二、三年のあひだにかなり変はつてきてゐるのか。

 

 いつもワインを飲みに行く店の入つてゐる結婚式場では、かつてのやうに百人を超えるやうな披露宴や派手な歌舞音曲はほとんど姿を消したといふし、最近は恩ある先輩や知人が亡くなつても、遺族の方から「葬儀等は身内だけで済ませましたので」と言はれてお線香を上げにもいけない。

 

 コロナ禍の前と後とで、私たちの生き方は変質を余儀なくされてゐるらしい。

 

 会合の最中、メンバーの一人の80女がぼくの席に近寄つてきた。

 

 「けふ、わたしがここに参加したことはAさんには内緒にしておいてくれますか」

 

 Aはかつてこの会の中枢メンバーだつたが、ある日、政治的な話から論争が始まり、とくに少々偏頗な者同士のAと彼女が、ヒステリックな口喧嘩になつた。

 

 以後、Aはこの会に出て来なくなり、独自に数人に声をかけて別の飲み会を持つやうになつた。

 

 ぼくがこの会を連絡するメールを出したのとほぼ同じころ、Aから80女に連絡があり、数年ぶりにAの飲み会を開くといふ誘ひだつた。

 

 彼女は体よくそれを断つたので、けふこちらに参加したことは伏せておいてといふわけだ。

 

 人間社会ではどこにもよくある「好き嫌ひ」の話である。

 

 私たちの生活スタイルは変質を余儀なくされても、人間には変はらない「棒の如きもの」があるのを感じてホッとした。

 

 例年、10個ほど花が咲き、そのうちの3,4個が実になる庭のザクロが、ことしはどういふ風の吹き回しか、ざつと数へて100個以上もの花がつき、緑いろの葉むらのあひだから朱いろの花を競つてゐる。

 

 親の代からある樹だが、これほど多くの花が咲いたのは初めてだ。

 

 パーティーのシャンパン・サービスのやうに、上のはうから末ひろがりに朱いろが展がつたかと思ふと、数日するうちに頂きの一本の枝がさらに突兀(とつこつ)と伸びて、先端に一対の花をひらく。

 

 赤い花だけれども明朗な赤ではない。神社の朱に似て、深遠な橙いろが混じつてゐる。

 

 ぼくはこの花と、やがて熟した実が真つ赤な口を開けるのを見ると、新人記者のころ仕事で遭遇した自殺女の肉片を連想する。

 

 「女の飛び込みだつて。ただの自殺だらうけど、現場を踏むのも勉強だと思つて見て来て」

 

 県警の記者倶楽部にゐると、3年先輩のキャップに命じられた。

 

 50年も前のことだから、地方都市では電車への飛び込み自殺は珍しい「事件」だつた。

 

 50㏄のバイクに乗つて現場に向かふ。

 

 私鉄の単線の小さな駅にはどこにも「事件」らしい気配はなく、無人の改札口を抜けてホームに出てみると、線路上に降りた一人の駅員が、パスタを食べるときのトングの親玉のやうなものと、錆びたトタンのバケツを持つて、線路脇から何かを拾つてゐる。

 

 許可も得ずに、ぼくも線路上に降りた。

 

 「見ない方がいいですよ。飯が喉を通らなくなりますよ」

 と中年の駅員が言ふ。

 

 彼がときどき線路脇から拾ひ上げてゐるのは、飛び込んだ女が着てゐたものとみられる衣服の端切れと、電車に弾きとばされた大小の肉片だつた。

 

 肉片は、よく焼肉屋でお目にかかる、まだ焼く前の、赤黒いタレを浴びてかがやくカルビのやうな微小なものから、人間のどこの部位だらうと首をかしげるやうな大きなものまでさまざまで、どれも鮮やかな血の色をしてゐる。

 

 駅員がとりわけ大ぶりな肉塊を、トングの親玉で何度かつかみ直して、わざわざ僕に見せるやうにバケツに投げ入れた。

 

 バケツはぼくの目の前だつた。

 

 どこが口で、どこが耳かも不分明な人の顔ほどの大きさの朱いろの肉のかたまりは、まるで血みどろな女が上を向き、大口を開けて笑つてゐるやうに見えた。

 

 電車に飛びこむ最後の瞬間、この女は笑つたのだらうか。

 

 そんなことを思ひ出しながら庭のザクロを見てゐたら、家人が部屋に入つて来て受話器を差し出す。息子から電話だといふ。

 

 「19日の『父の日』は焼肉にしたいけど、どうかつて」