年度替りの人事の季節で、テレビでは番組スタッフの交代がにぎやかだ。

 

朝から夜までひまとは言つても、テレビは時間の無駄だから、ふだんは朝晩の定時ニュース、午後の報道バラエティー、たまに大相撲やプロ野球、サッカーくらゐしか観ない。

 

その中でも、番組を仕切るMCやコメンテーターなど画面に登場する人間に対する好悪の感情が、歳とともに神経質かつ過激になつてきた。

 

「またコイツが出てゐる」と思ふと、数秒でスイッチを切る。他のチャネルに回すことはしない。

 

さういふ時間帯はだいたいどこの局も似たり寄つたりの出演者だからだ。

 

「どうしたの?」――スイッチを切るぼくの仕草があまりにエキセントリックだつたのか、一緒に観てゐた家人が思はずぼくの顔をのぞき込む。

 

「いや、つまらないから切つただけ」と言つて一度や二度はごまかせるものの、スイッチを切つた最後の画面に、いつも同じアナウンサーやタレントが映つてゐると、さすがに家人も気がつく。

 

「あの人、嫌ひみたいね」――そして「ウフフ」と笑ふ。

 

「いや、特に彼女が嫌ひといふわけではないけどーー」

 

特定の人間をあらはに嫌悪するのは大人気ないと思つてさう弁明する。

 

本当のことを言へば、家人の言ふとほり、その女子アナが嫌ひでテレビを切つた。

 

アナウンサーにしてもタレントにしても、ぼくが毛嫌ひするのは、第一に親や兄弟が超大物の俳優やタレント、スポーツ選手、政治家、評論家……要するに、俗にいふ「七光り」の方々だ。

 

彼、彼女らは、自分の才覚でそこに出演できるまでに漕ぎつけたわけではないのに、自分がいまそこにゐるのは、自分の力量の成果だと勘違ひしてゐるやうなところがある。

 

百歩譲つて、全部が自分の力量だとは思はず、そこまで売れた契機を作つてくれたのは親や兄弟かもしれないと認めつつ、実は自分はもともとかうなる運命にあつたし、もともとその素地はあつたし、自分もそれなりに努力はした、と錯覚してゐるのではないか。

 

ぼくが毛嫌ひするもうひとつのタイプは、今の業界からこぼれ落ちないやう必死なあまり、番組中、自分のキャラクターを売り込むのに恥も外聞もなくなつてゐる人たちだ。

 

観てゐるこちらが恥づかしくなるほど視聴者に媚びを売り、微笑を押し付ける。

 

あとで自分の出演場面の録画を点検したら、とても正気ではゐられないだらうなと心配するくらゐ、目立たうとして何でもやる。

 

軽躁な芸能番組ならそれもアリかもしれないが、ニュースや報道番組ではその人が馬鹿に見えるだけなのに、そんなことお構ひなしに自分の売り込みに励む。

 

反対に、ニュースや報道バラエティー番組の出演者で好きになるのは、なんとなく自然な人である。

 

一歩外に出れば、そこの道を歩いてゐさうな、平凡な、どこにでもゐさうな人――さういふ彼、彼女の本質が、番組中に垣間見えると、俄然、その人のファンになる。

 

「この後は天気予報です」

 

とニュースの最後に告げて、やつと自分の責任の時間が終はる安堵感から、思はず唇の端をゆるめるやうな、そんなアナウンサーがいい。

 

●ときどき診てもらつてゐる馴染みの歯医者が、昨秋突然、医院を閉めた。

 

歯医者は町にたくさんある。近ごろ、左下の1本に違和感があるし、そろそろ歯の総点検をし

てもらふ時期かもしれない。

 

こんどはどこの歯医者にするか迷つて、結局わが家から歩いて5,6分のところにある、開業してまだ数年しかたたない真つ白なビルの歯医者のホームページを見る。

 

「最新機器を導入」とあるのに惹かれ、先週末、「初診ですが」と恐々(こはごは)訪れた。

 

まだ30代と思はれる丸顔の先生は、初診患者の歯に1本1本ピンセットを当て、助手の女に何やら専門用語で状態を記入させながら、ぼくの歯の基本台帳のやうなものを作つた。

 

「前はどこの歯医者さんへ行かれてゐましたか」

 

丸顔が訊くので、閉めた歯医者の名前を告げた。ここからさう遠くない。おそらく顔見知りの同業仲間だらう。

 

「ああ、〇〇歯科ね。――ウチは、アソコとは治療方法が全然違ひますよ」

 

どう違ふのか言はないで、「アソコ」にえも言はれぬ侮蔑をこめた。

 

リタイア後10余年、暢達な大声を出す院長が面白くて通つてゐた歯医者が馬鹿にされたやうで心地の良いものではない。

 

「これからウチで治療されるとなると、根本からやり方が違ふから、あちこち全部やり直しになつて、大掛かりなことになりますね」

 

まるで脅しである。もう二度とここには来ないと心を決めて治療台を降りる。

 

ぼくを送り出す丸顔に、診察室を出ながら口癖のやうに言つてしまつた。「ぢやあ、また」

 

●散歩の途中、派手なフランス国旗に目を引かれ、ふと立ち寄つた初めてのフレンチで、ブルーチーズをつまみに赤ワインを飲んでゐると、ボーイが隣りのテーブルにナイフ、フォーク、グラス、皿など、大層なコース料理用のセットをならべ始めた。

 

5人客の予約らしい。

 

一行が到着するまでには時間があるだらうから、来てから退散すればいいと思つて、悠長にワインを飲み続ける。

 

それにしても、ナイフや皿を並べる作業が騒々しい。

 

中年のボーイはよほど慌ててゐるのか、手の動きがきはめて粗放乱雑で、グラスにひびが入つたのではないかと思はず目をやるほど、ナイフとグラスがぶつかり合つて矯激な音を立てる。

 

フォークは幾度となく指を滑つて皿の上に落ちた。

 

隣のテーブルに客がゐることを、ボーイは完全に忘れてゐる。

 

あるいは、さういふ騒がしい状況をわざと作つて一人客を追ひ出しにかかつてゐる。

 

一杯目のワインをかなり残して立ち上がつた。もうこの店には寄らないと思ひながら、目の前でドアを保持してくれた若い女性につぶやいてしまつた。「ぢやあ、また」

 

●「さやうなら」といふことばをいやがる物書きの友人がゐる。

 

ふだん通り気楽に飲んで、地下鉄の駅の改札を入り、さて別々のホームに別れるときに、彼がぼくに言つた。

 

 「いま、『さやうなら』つて言つたけど、何か意味はある?」

 

 「意味? 意味なんてないよ。ただの挨拶」

 

 「だつたら、次から『さやうなら』はやめにしようか。昔からそのことばが大嫌ひでね」

 

 彼は酔つてゐるわりには真率な顔で言ふ。

 

 「見かけによらず繊細なんだねえ。『さやうなら』に、何か悪い思ひ出でもあるの?」

 

 「特別、思ひ出はないけど、わざわざ『さやうなら』なんて言はなくてもいいんぢやないかつて気がするだけ。『さやうなら』つて、語感がすごく重いよね」

 

 「さうかなあ。そんなこと考へたことなかつた。ぢやあ、かういふとき何て言へばいいの?」

 

 「ぢやあ、また」

さしづめ今なら、ロシアのプーチン大統領といふところだらうか、ぼくの母親はしばしば「ハヅレモン」といふことばを遣つた。

 

息子に対してではない。

 

事件のニュースで若い犯人の素性が明かされたり、隣近所の子どもが登校拒否になつて毎日家にゐるなどといふ噂を耳にすると、「ハヅレモンなんぢやないの」といふ具合に、明治生まれの人らしい侮蔑と偏見をあらはにした。

 

明治生まれといふだけでなく、「模範村の校長の娘」を唯一の矜持に育ち、やがては真面目で真率だけが取り柄みたいな警察官の妻になつた母親は、法を犯したり、いはゆる世間の正道を踏み外したりした人間を、臆することなくそんなことばでひと括りにしてゐた。

 

子どものころはそれがどういふ意味か正確にはわからず、「とにかくさうなつてはいけない人間」の総称らしいと理解してゐたが、やがて「ハヅレモン」は「外れ者」からの転だと知った。

 

仕事で東京・永田町に出入りするやうになつたら、そこでも同じやうなことばに接した。

 

こちらは「側線(そくせん)」といふ。列車のレールの引き込み線のことで、ハヅレモンと同じく、本線の「正道」を外れた人間に対する蔑称である。

 

国政選挙に当選して永田町にやつて来たときから、その議員の前には一つの正道(こちらは「政道」と言つてもいいか)が敷かれる。

 

当選2,3回生になると党役員、4,5回生になると党組織(たとへば総務会)や国会の委員会(たとへば衆院予算委員会)などの役職、内閣の副大臣などが用意される。

 

そこを無事抜ければ、所属する派閥の順番待ちで、初当選以来悲願の大臣ポストが回つてくる。

 

これが国会議員の正道、本線、出世街道である。

 

ところが途中で落選したり、衆院から参院に転じたり、参院の中でも比例区に回されたり、スキャンダルで世間を騒がせたり、いつになつても大臣の声がかからなかつたりすると、「ヤツも側線に入つたな」といふ目で見られる。

 

良からぬスジとの関係でもあるのか、健康に問題でもあるのか、身内で深刻な裁判でも抱へてゐるのか、国会でまともな答弁もできないアホかーー。

 

地元でいかに選挙に強くても、永田町には永田町なりの才覚が必要で、そこを外れて一度「側線入り」すると、「正道」に戻るのはかなり難しい。そのうち落選して消えていく。

 

いや、「ハヅレモン」はどこにもゐる。

 

「模範村の校長の娘」が今のぼくを見たら、ブンヤ稼業を定年退職して十余年、ワイン漬けの、パッとしない小説ばかり書いてゐる老人。

 

「私もとんだハヅレモンを育てたものね」と笑ふだらう。