さしづめ今なら、ロシアのプーチン大統領といふところだらうか、ぼくの母親はしばしば「ハヅレモン」といふことばを遣つた。
息子に対してではない。
事件のニュースで若い犯人の素性が明かされたり、隣近所の子どもが登校拒否になつて毎日家にゐるなどといふ噂を耳にすると、「ハヅレモンなんぢやないの」といふ具合に、明治生まれの人らしい侮蔑と偏見をあらはにした。
明治生まれといふだけでなく、「模範村の校長の娘」を唯一の矜持に育ち、やがては真面目で真率だけが取り柄みたいな警察官の妻になつた母親は、法を犯したり、いはゆる世間の正道を踏み外したりした人間を、臆することなくそんなことばでひと括りにしてゐた。
子どものころはそれがどういふ意味か正確にはわからず、「とにかくさうなつてはいけない人間」の総称らしいと理解してゐたが、やがて「ハヅレモン」は「外れ者」からの転だと知った。
仕事で東京・永田町に出入りするやうになつたら、そこでも同じやうなことばに接した。
こちらは「側線(そくせん)」といふ。列車のレールの引き込み線のことで、ハヅレモンと同じく、本線の「正道」を外れた人間に対する蔑称である。
国政選挙に当選して永田町にやつて来たときから、その議員の前には一つの正道(こちらは「政道」と言つてもいいか)が敷かれる。
当選2,3回生になると党役員、4,5回生になると党組織(たとへば総務会)や国会の委員会(たとへば衆院予算委員会)などの役職、内閣の副大臣などが用意される。
そこを無事抜ければ、所属する派閥の順番待ちで、初当選以来悲願の大臣ポストが回つてくる。
これが国会議員の正道、本線、出世街道である。
ところが途中で落選したり、衆院から参院に転じたり、参院の中でも比例区に回されたり、スキャンダルで世間を騒がせたり、いつになつても大臣の声がかからなかつたりすると、「ヤツも側線に入つたな」といふ目で見られる。
良からぬスジとの関係でもあるのか、健康に問題でもあるのか、身内で深刻な裁判でも抱へてゐるのか、国会でまともな答弁もできないアホかーー。
地元でいかに選挙に強くても、永田町には永田町なりの才覚が必要で、そこを外れて一度「側線入り」すると、「正道」に戻るのはかなり難しい。そのうち落選して消えていく。
いや、「ハヅレモン」はどこにもゐる。
「模範村の校長の娘」が今のぼくを見たら、ブンヤ稼業を定年退職して十余年、ワイン漬けの、パッとしない小説ばかり書いてゐる老人。
「私もとんだハヅレモンを育てたものね」と笑ふだらう。
