●ときどき診てもらつてゐる馴染みの歯医者が、昨秋突然、医院を閉めた。

 

歯医者は町にたくさんある。近ごろ、左下の1本に違和感があるし、そろそろ歯の総点検をし

てもらふ時期かもしれない。

 

こんどはどこの歯医者にするか迷つて、結局わが家から歩いて5,6分のところにある、開業してまだ数年しかたたない真つ白なビルの歯医者のホームページを見る。

 

「最新機器を導入」とあるのに惹かれ、先週末、「初診ですが」と恐々(こはごは)訪れた。

 

まだ30代と思はれる丸顔の先生は、初診患者の歯に1本1本ピンセットを当て、助手の女に何やら専門用語で状態を記入させながら、ぼくの歯の基本台帳のやうなものを作つた。

 

「前はどこの歯医者さんへ行かれてゐましたか」

 

丸顔が訊くので、閉めた歯医者の名前を告げた。ここからさう遠くない。おそらく顔見知りの同業仲間だらう。

 

「ああ、〇〇歯科ね。――ウチは、アソコとは治療方法が全然違ひますよ」

 

どう違ふのか言はないで、「アソコ」にえも言はれぬ侮蔑をこめた。

 

リタイア後10余年、暢達な大声を出す院長が面白くて通つてゐた歯医者が馬鹿にされたやうで心地の良いものではない。

 

「これからウチで治療されるとなると、根本からやり方が違ふから、あちこち全部やり直しになつて、大掛かりなことになりますね」

 

まるで脅しである。もう二度とここには来ないと心を決めて治療台を降りる。

 

ぼくを送り出す丸顔に、診察室を出ながら口癖のやうに言つてしまつた。「ぢやあ、また」

 

●散歩の途中、派手なフランス国旗に目を引かれ、ふと立ち寄つた初めてのフレンチで、ブルーチーズをつまみに赤ワインを飲んでゐると、ボーイが隣りのテーブルにナイフ、フォーク、グラス、皿など、大層なコース料理用のセットをならべ始めた。

 

5人客の予約らしい。

 

一行が到着するまでには時間があるだらうから、来てから退散すればいいと思つて、悠長にワインを飲み続ける。

 

それにしても、ナイフや皿を並べる作業が騒々しい。

 

中年のボーイはよほど慌ててゐるのか、手の動きがきはめて粗放乱雑で、グラスにひびが入つたのではないかと思はず目をやるほど、ナイフとグラスがぶつかり合つて矯激な音を立てる。

 

フォークは幾度となく指を滑つて皿の上に落ちた。

 

隣のテーブルに客がゐることを、ボーイは完全に忘れてゐる。

 

あるいは、さういふ騒がしい状況をわざと作つて一人客を追ひ出しにかかつてゐる。

 

一杯目のワインをかなり残して立ち上がつた。もうこの店には寄らないと思ひながら、目の前でドアを保持してくれた若い女性につぶやいてしまつた。「ぢやあ、また」

 

●「さやうなら」といふことばをいやがる物書きの友人がゐる。

 

ふだん通り気楽に飲んで、地下鉄の駅の改札を入り、さて別々のホームに別れるときに、彼がぼくに言つた。

 

 「いま、『さやうなら』つて言つたけど、何か意味はある?」

 

 「意味? 意味なんてないよ。ただの挨拶」

 

 「だつたら、次から『さやうなら』はやめにしようか。昔からそのことばが大嫌ひでね」

 

 彼は酔つてゐるわりには真率な顔で言ふ。

 

 「見かけによらず繊細なんだねえ。『さやうなら』に、何か悪い思ひ出でもあるの?」

 

 「特別、思ひ出はないけど、わざわざ『さやうなら』なんて言はなくてもいいんぢやないかつて気がするだけ。『さやうなら』つて、語感がすごく重いよね」

 

 「さうかなあ。そんなこと考へたことなかつた。ぢやあ、かういふとき何て言へばいいの?」

 

 「ぢやあ、また」