格別親しいわけではないけれど、まあ生涯の友人といへる同年配の日曜画家が、東京・六本木で、「わが一生のささやかな画業をここに」といふ、大層な意気込みの個展をひらいた。
ぼくくらゐの歳になると、政治家や実業家は言ふに及ばず、サラリーマンでずつと静謐に暮らしてきた人間まで、これまでの人生をエッセー集や歌集、句集など自費出版したくなる人が少なくないが、首都圏に住むこの日曜画家も、一生に一度は「花の都の六本木」に自作の絵を展示してみたくなつたにちがひない。
お祝のプレゼントは何にしようか迷つて、結局、彼の好きなボルドーの赤ワインと、夫人向けに春隣りの花を束ねたのを手に、六本木ヒルズからちよつと青山寄りのビル内の会場に着き、一歩足を踏み入れておどろいた。
そこに展示された絵の数に、である。
昔の小学校の教室ほどの広さの部屋に、迷路のやうに木製の衝立が立ちならび、その裏表に隙間なく無数の絵が紐で吊り下げられてゐる。
作品には名刺ほどの紙片に、作品名、制作年、地域名、建造物名などがペン字で記されてゐる。
彼は風景画が好きで、かつて勤務したヨーロッパや、旅で訪れた国内の山河を描いたものが多い。
いづれも精緻な筆致の力作で、絵はがきみたいな流麗なスケッチもあればモノクロ写真に近い具象画もある
彼が地元の街で初の個展を開催したときにメーンに掲げてゐた50号くらゐの大作も数点あるが、大半は旅先で絵筆をとつたか、自宅のアトリエに持ち帰つて描き上げたと思はれる小品。
どれをみても絵にかける彼の情熱と技量は疑ふ余地がない。まさに玄人はだしの出来映えである。
しかし、敢へてあらはなことを言はせてもらふなら、百点もあらうかといふ展示画の中に、とくにこれが観る者の心をゆさぶる、あるいは思はずその前で立ち止まりたくなるやうな、激越した印象を残す絵がない。
みんな同じやうに力作、同じやうに美しく、同じやうに魅力的なのだ。
会場を一回りしてぼくが抱いた直截な感想は、「これはいはゆる『おせち料理』ではないか」といふことだった。
ことしに入つてはや半月が過ぎ、おせちが食卓にならぶことや、餅、雑煮、七草がゆといふやうな正月料理の季節は過ぎた。
実はぼくは子どものころから今に至るまでおせち料理は苦手で、元旦の食卓におせちの重箱を見ると気が重くなる。
おせち料理はどれもこれも手が込んでゐて、ふだんの食卓には見かけない豪奢なご馳走が詰め合はされてゐる。
ただその中に、これだけは何を措いてもいま食べたいといふ、競つて箸を伸ばしたくなるやうな料理がない。
もともと正月中の保存食だから、どれも味つけがややきつく、塩味、醤油味を効かせてゐる。
ぼくはそんなおせち料理よりも、ワインや日本酒に合ふ一片のチーズや、刺身、漬物、上等な塩辛などが一品あれば、その方がうれしい。
それでも、帰り道に考へ直した。
彼のやうに、これでもかこれでもかと沢山の絵を描き遺して、そのボリューム感で「おせち料理の風格」を導き出す画風も、さらに言へばそんな生き方も、それはそれで味のある人生ではないか。
