どんな仕事でも「公私混同」は良くないが、新聞記者をやりながら一回だけこの禁を犯したことがある。

 

 自民党担当で幹事長番をしていたとき、ある県の県会議員をしてゐた親戚が地元の市長選挙に出馬することになつた。

 

 2期目をめざす現役との一騎打ちで、保守系無所属から出る親戚の苦戦は目に見えてゐた。

 

 この親戚の弟がぼくの姉の連れ合ひ、といふ間柄である。姉の連れ合ひは東京・御茶ノ水にある私立大学の英詩の教授。

 

 ぼくは休暇のたびに教授の信州の別荘を数日借りたり、ぼくのボルボに両夫婦が乗つて旅行したりしてゐたので、この際、義兄のために少し動くかといふ気になつた。

 

 東京近郊とはいへ小さな市長選の応援遊説に、「自民党幹事長」を引つ張り出さうと考へたのである。

 

 時の幹事長の桜内義雄氏は見るからに慶応ボーイで、大蔵大臣までつとめた父親を持つ二世議員だが、その割には廉直にして端正な性格で、よろづ物事の筋道をはつきりさせる人だつた。

 

 番記者だから宝塚歌劇や話題の映画を一緒に観たり、時折赤坂の裏通りにある、芸者上りがやつてゐる桜内氏贔屓の縄のれんで杯を交はす仲なので、臆面もなく市長選の応援を頼み込んだ。

 

 桜内氏は、自民党幹事長が一市長選の、それも無所属候補のために遊説するなんて前例のないことだから、「党執行部の命令、といふ形をとつてくれないか」とあくまで慎重だつた。

 

 「キミが副総裁のところへ直接行つて、『親戚の市長選の応援に幹事長が行くやう副総裁から命じて』と頼んでみてはどうか」

 

 当時、自民党の副総裁は西村英一氏。最大派閥・田中派の重鎮である。

 

 中曾根派担当のぼくは特に親しく話をしたこともなかつたが、アポを取つて党本部総裁室で西村氏と会ふと、開口一番、

 「欲しいのは、カネかね、それともヒトかね」

 と田中角サンの子分らしく話は早い。

 

 新聞記者の身で「カネを」とは言へない。副総裁はその場で桜内幹事長に電話し、市長選の応援遊説に行くやう話をつけてくれた。

 

 遊説当日、ぼくは党本部から幹事長専用車のセンチュリーに同乗させてもらつた。前には運転手と警護員(SP)。後ろの座席に桜内氏とぼく。

 

 桜内氏は市内のあちこちで選挙カーの屋根に上り、「中央と直結する市政を」と、見も知らぬ候補者の手を取つて支持を呼びかけた。

 

 日ごろ直(ぢか)に桜内氏を見たことのない地元の人たちは、芸能人を見るやうな目で眺めてゐた。

 

 最後の街頭演説を終へて車に腰を下ろした桜内氏は、

「ちよつと寄り道したいのだけどーー」

とぼくにささやいた。

 

 運転手もSPもすでに心得てゐる。東京へ帰る道筋にある衆院議長の福永健司邸に寄りたいといふ。

 

 福永議長はそのころ自宅で病気療養中だつた。

 

 桜内氏が広壮な福永邸の中に消えて、ややあつて、車で待つてゐたぼくの前に、松や木斛(もつこく)、黐(もち)などの庭木の下を抜けて、福永、桜内両氏が談笑しながらあらはれた。

 

 病気見舞客を送り出す光景とは思へないほど、二人ともにこやかだつた。

 

 「けふは思ひがけず、いいことができた。まさに善行だ」

 

 車が走り出すと、桜内氏はこの日一番爽快な顔になつた。東京へ帰るまでにこのセリフをもう二回漏らした。

 

 大平派(宏池会)の福永氏と中曽根派の桜内氏は、それまでとりわけ親密なあひだと聞いたことはなかつた。

 

 それから間もなく、「桜内衆院議長」が誕生した。桜内氏が福永氏を見舞つたのは、議長経験者と宏池会の賛同・支持を取り付けるためだつたのではないか。

 

 政界にはこんなヒミツが渦を巻いてゐる。

 

 ぼくは公私混同の恥である「幹事長遊説」についてもちろん誰にも言つてゐないし、桜内氏のひそやかな福永邸訪問は記事にしなかつた。

 

 親戚は残念ながら落選したが、二つの「小さなヒミツ」は保たれた。

 年に何回かしか行かない銀座のワインバーに、数か月前、新しい女性スタッフが入つた。

 

 まだ20代かといふ年頃で、学校時代はソフトボールかバレーボール部で活躍してゐたやうな、胸板が厚く、下腹も豊満、その割に店内での動きは敏捷でフットワークがいい。

 

 前からゐる先輩に遠慮してか、店ではいつもカウンターの端にゐる。

 

 客からワインの注文があると、奥の棚からボトルを探して来て抜栓し、ボトルとグラスを先輩女性やボーイに手わたす。自分で直接、客に差し出すことはほとんどしない。

 

 先輩女性の方は、僕の知る限りもう10年以上この店にゐる。

 

 こちらは冷房の寒気が前から後ろへ通り抜けるのではと思ふくらゐ痩せてゐて、カウンターの光る楢材の上をすべらせたグラスを客の前に置きながら、

 

 ♪あなたは男でしよ 強く生きなきやダメなの

 ♪お酒もちよつぴり 控へめにして 

 などと、古い演歌の一節を蓮つ葉な低音で歌ふ。

 

 ワイン一杯ごとに別の演歌である。ワインバーで「お酒は控へめにして」などと要らぬお説教をされて、客は思はず苦笑する。

 

 「よくああやつて、次々と別の歌が出てくるよねえ」

 

 ぼくは感心して、目の前の店長に話しかける。

 

 「レパートリーは百曲を越すと豪語してゐます」

 

 店長も呆れてゐる。

 

 「あちらの新入りさんにはお客サーヴィスのいい勉強になるね」

とぼくは、いつの間にかカウンターから奥に引つ込んだ部活系の女を目で追ふ。

 

 「……人それぞれですね」

 

 店長は近くにゐる演歌女には聞こえないやうに小声でつぶやく。

 

 「ワインバーに演歌といふのも面白いぢやないの。愛嬌があつていいよ」

 

 「……さうですか」

 

 店長はさう言つて顔を曇らせる。

 

 「まあ、やりたいやうにやらせてゐますが、愛嬌といふ点でいへばこの二人、いい勝負ぢやないですか」

 

 「といふと、あちらにも何か愛嬌があるの?」

 

 店長によれば、部活系も入店以来、店の顧客に気に入られようとそれなりに努力してゐて、たとへばワインをグラスで頼むと、彼女のそそぐワインの量はやや多めなのだといふ。

 

 前回この店に来たときのことをふと思ひ出した。

 

 ぼくが注文したいつものハウスワインの赤は、カウンターの隅で部活系が注(つ)いでくれたのだが、その量が明らかに多い。

 

 赤ワインはふつう、(店にもよるけれど)底からすり鉢状に展がるグラスの傾斜が縦に転じる辺りまでしか入れない。

 

 部活系が注いだ赤ワインは、自分の下腹部のやうに急にふくらみ始めるグラスの少々上の方まで満たされてゐる。あまり見かけない大サーヴィスだ。

 

 ぼくは部活系の方を向いて高くグラスを掲げ、無言でお礼の意をあらはした。

 

 意味が分かつたのか、部活系は恥づかしさうに会釈し、ほほ笑んだ。

 

 これが彼女なりの愛嬌なのだらう。

 

 演歌の一節を歌つてもらつても別段トクはないが、供されたワインの分量がちよつと多いのは嬉しい。

 

 定期的にパソコンのメール添付でエッセーを送信してもらふ。

 

 気がついたところを添削して、やはりメール添付で送り返すといふことを、リタイア後14年ほど続けてゐる。

 

 今月の初め、突然、一通の添付がひらけなくなつた。

 

 これまでと同じやうに、受信したメールから本文とは別の「添付」欄をさがすが、これがどこにもない。

 

 仕事の関係で、パソコンとはもう40年を超す付き合ひだが、いつも同じ単純なことを馬鹿のやうに繰り返してゐるだけで、もとよりパソコンとかネットにはド素人である。

 

 なぜ急に添付文書がひらけなくなったのか見当もつかない。

 

 その方にはメールにエッセーを張り付けてもらつて、当面、用は足りたものの、すつきりしないので、少々IT関係に強い友人に事情を打ち明けた。

 

 友人が言ふには、ネットで文書を閲覧するためのソフトウエア―であるプラウザの「インターネット・エクスプローラー(IE)」が6月中旬を以て終了し、同じくプラウザ「マイクロソフト・エッジ(ME)」に切り換はつた影響ではないか、とのこと。

 

 この友人もそれほど確信を持つた話ではなささうだ。

 

 さて、最初のエッセーを送つてくれた方には、エッセーをコピーしてメールに張り付けるなどいろいろ手間を取らせたので、そのお詫びと、この間に判明したことを説明しなければならない。

 

 「先日のメール添付がうまくひらけなかつた件ですがーー」

 とメールを書き始めて、自分が次第に陰鬱な気分に陥つていくのに気づいた。

 

 「どうやら先月、ネットの閲覧ソフトウエア―であるプラウザのインターネット・エクスプローラーが終了し、マイクロソフト・エッジといふプラウザに切り換はつたことが影響してゐるやうで、その後、いまでも相変はらずメールに『添付欄』は付いてゐないものの、頂いたメールをダブルクリックすると『添付欄』があらはれ、どうにか文書がひらけるやうになりました」

 

 自分で書いてゐて、やたらカタカナが出てくるのと、書いてゐることすべてが不確かで、推測みたいなものだから、文章に締まりがない。

 

 読む人にすれば、なによ、この文章。チンプンカンプンだわ、ではないか、と書き直さうとしたが、カタカナ言葉を排除すると意味が通じなくなる。

 

 学生時代のころから(新聞記事以外では)傲岸に歴史的仮名遣ひを遣つてゐる古風な物書きとしては、こんな文章を他人に見せるのは耐へがたい。意味が通じないのでは文章ではない。

 

 昔、鮎の友釣りをして腰まで流れに浸かつたとき、一緒に釣りをしてゐた先輩から、「万一、足をすくはれて流されたら、すぐ仰向けになるやうに」とアドバイスされたのを思ひ出す。

 

 最近の日本語のをかしな濁流には、仰向けになつて天を仰ぐしか方策はないのだらうか。