寝床に就くのはたいてい午前一時ごろで、机から隣りの寝室に移動するまへにやらなければならないことがある。

 

書斎は東と南に面してゐる。東側の窓のカーテンをひらいて夜空を見あげると、晴れた日には上空に数個のきらめく星が見える。

 

そのうちのいちばん大きな、光度の高い星を狙ひ、片目を閉ぢて、窓ガラス越しに右手の人差し指の先を合はせる。

 

そのまま一,二,三……と七秒間。それだけの儀式である。

 

アメリカ映画「E.T.」で、宇宙人と遭遇した十歳の少年が、どちらからともなく人差し指の先と先を合はせて、「トモダチ」と交流する場面をおもひゑがきながら、しばしその星と交信した気分にひたる。

 

これをやるとよく眠れる。

 

共に宇宙にある星同士の神秘ではないか、と思ふ。幽遠な宇宙のどこかに、さういふ不思議があつてもいい。

 

寝る前にやる儀式は、実はあと二つある。

 

一つはボールペン磨き。

 

イギリス旅行のおみやげに、ある人からもらつたダンヒル社製の銀のボールペンは、何年使ひ込んでも変はらないキャップの収まり具合、ペン先の湿潤、銀のボディーの徐々に黒ずむ充溢など、これに優るボールペンをぼくは知らない。

 

二十代のをはりごろから、新聞記者としてのメモ書きに四十年余、すべてこれ一本で通した。

 

寝る前に、柔らかな小布にはさみ、指先に力をこめて磨く。その日一日分の汚れが落ちる気がしてほつとする。

 

もう一つは窓辺の鉢のオリーヴの幼木に指を触れてあげることで、濃緑に光る小さな葉を、一枚一枚、そつと指の腹で撫でて埃をはらふ。

 

まだ心もとない太さの幹を指でつまみ、少し左右に揺すつて根の張り具合をたしかめる。

 

いづれもまったく意味のないことだ。やらなくても何の支障もないし、やつたからといつてどうといふことでもない。

 

歳のせゐか、このところ「意味のないこと」に惹かれるやうになつた。

 

友だちと話してゐて、「そんなこと、何の意味もないぢやないか」と思ふと、急にその行為がいとほしく感じられたりする。

 

小説やエッセーを読んでも、以前だつたら「この筆者は一体何を言はうとしてゐるのか」とすぐ放り投げたやうな作品がこのごろ好きになつた。

 

この季節、黄落の道をあるく情趣とか、時雨の哀切を綴つた、何といふことのない文章に感動をおぼえる。

 

本を読んでもテレビを観ても、だれもが「意味」に重点を置きすぎ、自分のやること為すことに意味を求め、自分の行動を意義づけしようとする、「インテリ病」とでもいふべきこんな風潮に飽き飽きしたからか。

 

「意味のないこと」にこそ、点数をあげたいと感じるやうになつた。

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