当時そんな言葉はありませんでしたが、ぼくはいはゆる「宗教2世」でした。

 

 といつても、いま話題の旧統一教会や創価学会といふやうな新興宗教ではなく、京都に本山をもつ日蓮宗の一分派です。

 

 子どものころ、朝、目を覚ますと、離れた和室の仏壇の前に正座した母親が、ひかへめに拍子木を鳴らしながら、「ナンミヨウホウレンゲキヨウ」とくりかへし口唱してゐます。

 

 部屋に顔を出すと、横にならぶやう促されます。

 

 母親はまあまあ熱心な部類に属する信者で、手を引かれて近所の寺によく参詣しました。

 

 冬休みや夏休みには、母に命じられるまま早朝、自転車で十分ほどのところにある寺まで一人で「朝参詣」に通ひました。

 

 「お参り」が済むと、季節によつて信者たちの「ご奉公」で作つた雑煮や汁粉がふるまはれます。

 

 冬の寒い朝、自転車を飛ばして寺を往復するだけで耳たぶに硬いしもやけができ、その痒さに耐へながら「南無妙法蓮華経」を唱へました。

 

 本音は後の汁粉が楽しみで、といふところです。

 

 旧統一教会は巨額献金が問題になつてゐますが、母親の宗派では、ぼくの目から見て、金の取り立ては格別厳しくはありませんでした。

 

 年1回のメーンイヴェントである「御会式」、毎月数回の「お講」、近くの同系列の寺を数人で巡回する「巡業」、持ち回りで信者の自宅でひらかれる「お講」など、なんやかんやと行事のたびに徴される住職(お導師さま)への「お包み」とか賽銭はありましたが、せいぜい千円単位で、信者の生活が脅かされるほどの金額ではありません。

 

 結婚してからは、妻は姑に求められるままに巡業や講に協力し、朝参詣にも出かけてゐました。宗教がどうかうといふよりも、「家のしきたり」に従順に沿つてゐたのです。

 

 しかし、母親が亡くなつてからは、慣習的に続けられてゐた巡業や講に時間を取られるのを煩はしいと感じるやうになり、30代半ばになつたころ、寺を離れました。

 

 導師宛てにワープロ打ちのA4用紙に押印し、脱会の意思を伝へました。なんのリアクションもありませんでした。

 

 先月末、母親の命日に夫婦と娘で墓掃除に行きました。

 

 墓には宗教色は皆無です。水をかけて墓石を浄め、仏花を飾り、線香をあげ、3人で手を合はせます。

 

 かういふとき、なぜか母の宗派のお経の一節がぼくの口から自然に出ます。

 

 ほかに適当な経を知らないからもありますが、子どものころから耳にしてゐたのできちんと覚えてゐるのです。墓の前ではお経が良く似合ひます。

 

 2世信者としては落第生でした。ぼくはもともと何かを「信じる」よりも、何かを「疑ふ」はうが性に合つてゐるやうです。

 

寝床に就くのはたいてい午前一時ごろで、机から隣りの寝室に移動するまへにやらなければならないことがある。

 

書斎は東と南に面してゐる。東側の窓のカーテンをひらいて夜空を見あげると、晴れた日には上空に数個のきらめく星が見える。

 

そのうちのいちばん大きな、光度の高い星を狙ひ、片目を閉ぢて、窓ガラス越しに右手の人差し指の先を合はせる。

 

そのまま一,二,三……と七秒間。それだけの儀式である。

 

アメリカ映画「E.T.」で、宇宙人と遭遇した十歳の少年が、どちらからともなく人差し指の先と先を合はせて、「トモダチ」と交流する場面をおもひゑがきながら、しばしその星と交信した気分にひたる。

 

これをやるとよく眠れる。

 

共に宇宙にある星同士の神秘ではないか、と思ふ。幽遠な宇宙のどこかに、さういふ不思議があつてもいい。

 

寝る前にやる儀式は、実はあと二つある。

 

一つはボールペン磨き。

 

イギリス旅行のおみやげに、ある人からもらつたダンヒル社製の銀のボールペンは、何年使ひ込んでも変はらないキャップの収まり具合、ペン先の湿潤、銀のボディーの徐々に黒ずむ充溢など、これに優るボールペンをぼくは知らない。

 

二十代のをはりごろから、新聞記者としてのメモ書きに四十年余、すべてこれ一本で通した。

 

寝る前に、柔らかな小布にはさみ、指先に力をこめて磨く。その日一日分の汚れが落ちる気がしてほつとする。

 

もう一つは窓辺の鉢のオリーヴの幼木に指を触れてあげることで、濃緑に光る小さな葉を、一枚一枚、そつと指の腹で撫でて埃をはらふ。

 

まだ心もとない太さの幹を指でつまみ、少し左右に揺すつて根の張り具合をたしかめる。

 

いづれもまったく意味のないことだ。やらなくても何の支障もないし、やつたからといつてどうといふことでもない。

 

歳のせゐか、このところ「意味のないこと」に惹かれるやうになつた。

 

友だちと話してゐて、「そんなこと、何の意味もないぢやないか」と思ふと、急にその行為がいとほしく感じられたりする。

 

小説やエッセーを読んでも、以前だつたら「この筆者は一体何を言はうとしてゐるのか」とすぐ放り投げたやうな作品がこのごろ好きになつた。

 

この季節、黄落の道をあるく情趣とか、時雨の哀切を綴つた、何といふことのない文章に感動をおぼえる。

 

本を読んでもテレビを観ても、だれもが「意味」に重点を置きすぎ、自分のやること為すことに意味を求め、自分の行動を意義づけしようとする、「インテリ病」とでもいふべきこんな風潮に飽き飽きしたからか。

 

「意味のないこと」にこそ、点数をあげたいと感じるやうになつた。

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 サラリーマンのころ、夏休みが一週間とれると、信州・小諸から車で蓼科方向へ1時間近く山道を入つた望月町(現佐久市)春日で家族と過ごした。

 

 大学教授の義兄が持つてゐた別荘(見方によれば山小屋)を借りた。

 

 滞在中の食料品の買ひ入れは、小諸駅に近いスーパーを利用した。

 

 旧国鉄の線路の反対側には懐古園、その先には千曲川が流れてゐる。家人が買ひ物をしてゐるあひだ、ぼくは国道のガソリンスタンドまで行つて満タンにしてくる。

 

 「このチーズ、カビてるぞ」

 

 山小屋に到着して、ワインでひと休みしようとスーパーのレジ袋をあけたら、家人が買つてきたチーズが無惨にカビてゐた。

 

 日ごろつまみにするカマンベールの乳白色の中に、上から横から、まるでわざわざカビ菌を織り込んだやうに、青い、奇異な寄生虫のやうな形状のものが繁殖、浸透してゐる。

 

 「これは食べられない。田舎だからつて、カビたチーズを平気で店に出すなんてひどいな。あす軽井沢へ遊びに行く途中に小諸に寄るから、文句言つて返してきてよ」

 

 「あら、気がつかなかつたけど、これは気持ち悪いわね。こんなチーズ見たことない」

 と家人も憤慨してゐる。

 

 翌日、スーパーの駐車場で待つてゐると、チーズを返しに行つた家人が真つ赤な顔をして戻つて来た。

 

 「ああ、大恥をかいちやつた。このチーズはかういふものなんですつて」

 

 「かういふもの?」

 

 「売り場の女の子は『あらほんと、カビてますね』と返品に応じてくれようとしたの。そしたら奥から責任者らしい男の人が出てきて、『これはブルーチーズと言つて、このカビが売り物なんです』つて言はれちやつた。恥づかしかつた」

 

 今から50年も昔の話である。

 

 ワインさへ置いてある酒屋が稀な時代で、チーズといへば雪印や森永の、紙箱入りのプロセスチーズが普通だつた。ナチュラルチーズを置いてある店がほとんどなかつた。

 

 今でこそチーズは沢庵並みに普及、チーズの専門店も増えて、やれゴルゴンゾーラだのロックフォールだのスティルトンだのと、ブルーチーズのコーナーで選択に迷ふ。

 

 ワイン友だちの会で「チーズの盛り合はせ」の皿が出てくると、カマンベールより先にブルーチーズがなくなる。

 

 その魅力は要するにカビの旨みだ。

 

 日ごろ私たちの生活のなかで、カビは大敵。パンや麺類、衣料品、家具、革製品など、カビ対策が欠かせない。カビが原因で剥げたり変色したりして処分しなければならなくなる。

 

 カビが歓迎されるのはチーズくらゐか。

 

 しかし待てよ、と考へ直す。

 

 ぼくも生まれて80年もたつのだから、そろそろ人間として好ましいカビが熟成して、ゴルゴンゾーラ程度の味はひが出てきてもいいのではないか。

 

 時にドルチェの湿潤さ、時にピカンテの精妙な塩味をなんて、贅沢は申しませんけど。