ことしに入つて、文庫本ほども厚みのある手帳を持ち歩いてゐる。

 

 手帳の外カヴァーは一昨年暮れ、30代のころから毎年贈つていただいてゐた帝国ホテルから、「来年からはリフィルを作らないかも」といふ断り付きで頂戴した、ほぼ一生使へるやうな典雅で雄勁な黒革である。

 

 付いてきた真つ赤な紙片の説明書きには、「南米産のミモザの樹皮から抽出されたタンニン剤で時間をかけて作り上げた純正ぬめ革」とある。

 

 天然皮革特有の、なんとなくやは肌の温かみを連想させる香りがする。

 

 昨年1年間つかひ、さてことしの分を用意しなければならなくなつた。

 

 どこで製造・販売してゐるのか皆目分からないので、いつも送つてくれた帝国ホテルの元社長秘書にメールで尋ねた。

 

 いまは他の部署に異動になつてゐる女性は、当の黒革カヴァーに適応する手帳の商品名を丁寧に教へてくれた。

 

 ネットですぐに見つかり、届いた製品を手にしておどろいた。重い。

 

 手帳は上着の内ポケットに入れるが、これを入れたが最後、そこにはもう何も入らない。

 

 枚数にして192ページ。並の長編小説の文庫本より、豪壮な黒革のカヴァーの分だけ重い。

 

 昨年の手帳より何が増えたのか。

 

 昨年は見開き2ページに1か月の予定表が収まり、これが12枚。ほかにメモ用紙が数枚付いてゐるだけだつたから、厚さは子どもの学習ノート程度で、重さはとくに意識されなかつた。

 

 こんどの手帳は、見開きページの左半分が1週間7日の予定表、右半分が罫線入りの自由なメモ用紙になつてゐる。

 

 右半分のメモ欄だけで年間50ページ増えたことになる。

 

 実際に書き込んでみると、右半分1週で約600字ほどメモできるので、1週ごとに原稿用紙約1枚半の雑記が可能になる。

 

 ことしに入つて早くも数週間、相変はらず左半分の予定表は空白が多いけれど、右半分のメモ欄には、届いた賀状の枚数やそこから得た初耳の友人の病状、箱根駅伝の結果、人からの頂き物、耳に入つた知人の健康情報、行きつけのワイン屋の改築予定の変更、電気料金の前年との比較……などを書き込んだ。

 

 困惑する事態が生じてゐる。

 

 若いころから「原稿自由日記」といふ、日付は自由で1日260字余、ペンで綴る日記帳をすでに60年続けてゐるが、どうしても「黒革の手帳」と書く内容がダブる。

 

 手帳の数行を260字に引き延ばすのは気がさす。

 

 手帳の数行でこちらの意はかなり言ひ尽くされた感じがしてゐるし、こまめな情報の記録としては、むしろメモ帳のはうが簡明で端正だ。

 

 八十歳の日記帳は黒革の手帳に負けるのか。

 

 どうしても日記として260字余書き遺したいといふだけの感激,高揚が摩耗しつつあるといふことか。

 東京・下町のホテルのレストランで、中堅代議士とワインを飲んでゐた。

 

 取材を申し込んだのではなく、彼から電話をかけてきた。

 

 以前、ある贈収賄事件の関連取材で知り合つた彼とはときどき歓談することがあり、会つても彼の意図がわからないことが多い。

 

 その代議士はぼくが担当の派閥とは別の派閥に属してゐて、その時期はたまたま何の役職にも就いてゐなかつたから、特に聞きたいことがあつたわけではないけれど、彼の属する自民党内最大派閥がいま何に関心を持ち、時の政権に対してどんな感情を抱いてゐるのかを知ることは無駄ではないし、彼は祖父が元総理大臣、父が元外務大臣といふ政界の名門出身だから、声がかかればいつでも馳せ参ずる仲だつた。

 

 そこは一応、フランス料理を表看板にしたレストランで、彼の憩ひの場でもあつた。

 

 住民票を置く地元であり、もちろん自分の選挙区内である。

 

 その日、彼は好物のシーフードのマリネを肴に、フランス・ブルゴーニュの白ワインを飲み、ぼくには蟹のクリームコロッケやチーズを頼んでくれた。

 

 そのとき、中年男に連れられた6人ほどのグループが入つてきた。

 

 中年男は目ざとく「地元の代議士」をみつけ、真つ先に挨拶にきた。

 

 代議士は新聞社名まで明かして、ぼくを男に紹介した。

 

 「新聞記者といつても、特に密談をしてゐるわけぢやないから、みんなでそこへ来れば」

と代議士は、ぼくたちに近い席を勧めた。

 

 と同時に、近くにいたボーイに、代議士の前のマリネの皿と白ワインのグラスを急いで下げるやう依頼した。

 

 「私にはビールのジョッキ。それからヤキトリ2人前。あちらの席にはジョッキ人数分と、ヤキトリを適当に10人前くらゐ。大急ぎで頼むよ」

 

 代議士の指示で、まだ半分は残つてゐたマリネの皿は片づけられ、代はりにヤキトリの小皿が運ばれてきた。

 

 「これ、どうですか」

 

 代議士はぼくの蟹クリームコロッケの皿の脇に、ネギ間のヤキトリ1本を置いた。

 

 間もなく中年男たちのテーブルにも、熱帯地方の国の国旗を思はせる、中心から放射線状に並べられたヤキトリの大皿が運ばれてきた。

 

 「昔から私はここのヤキトリが大好きなんですよ。ホテルでヤキトリがうまいなんて素晴らしい。このタレは江戸時代からの秘伝だといふことで」

 

 と、代議士は下腹の出た中年男に向かつてヤキトリの串を掲げる。

 

 「さすが下町のセンセイ。ヤキトリの味が分からなければ、庶民の気持ちなんて分かりませんよね」

 と中年男は言ひ、左手に串、右手にビールのコップを持つて、ふたりで乾杯した。

 

 おそらく名も知らないだらうが、選挙区の人間相手だとこんなこともしなければならないのか、と無理して「大衆の味方」をアピールする名門御曹司がちよつと気の毒になり、そんな詐術の道具に使はれるヤキトリが何より気の毒になつた。

そのカップルは、店の入口で店長と話をしたあと、ワインを飲んでゐるぼくの斜め前のテーブルに案内されてきた。

 

 結婚式場に併設されてゐるこのフレンチでは、いちばん値の張る「記念日ディナー」を予約すると、5階にある写真室でプロカメラマンに記念写真を撮つてもらふか、店の横にある専属の花屋がつくる花束か、どちらか一つのサーヴィスが付く。

 

記念写真を希望する客が多く、店に着くとまづ店長に促されてエレベーターで写真室のスタジオへ上がるのが普通だが、そのカップルは女性の方が花束を選んだらしい。

 

余計なお節介を言ふなら、真率なサラリーマン風の30男はこの時点で、相手の女性の変化を察知すべきだつた。女性はふたりの写真が残るのを嫌つたのではないか。

 

誤解されないやうに言つておくと、その店に毎日ワインを飲みにいく「売れない老作家」は、そこで出会ふ客たちをながめて楽しむ嗜欲があるわけでもなければ、ことさら客の会話に聞き耳を立てるわけでもない。

 

ただ、近くのテーブルの若い男女などに対して、それなりに関心がわくのは致し方のないことで、ましてこの日、女は白い胸から深い谷間がのぞく赤い服を着てゐた。

 

料理が始まつても、ふたりはぽつぽつとしか話をしない。

 

30男はサッカーW杯の話や数日前のJR駅前の薬屋の火災など、なんとか会話をつながうとするのだけれど、女は「さうね」とか「ええ」などと短く応答するだけで、コロナ禍の小学校の給食のやうに、ほとんど「黙食」状態である。

 

女が水しか頼まないので、男もコップの水を何度も口に運んで間を持たせてゐる。

 

女は魚料理も肉料理も端のはうにちよつとフォークを付けるだけだ。

 

そのとき、女が口に出した言葉が、やけに鮮明にぼくの耳まで届いた。

 

「さつき、ホテルを予約してあるつて言つてたけど、キャンセルはできるの?」

 

女は一語一語、事務的な口調で質問した。

 

男もやつと女の態度が妙なことに気づき、

「どうかした? 気分でも悪い?」

とフォークの手をとめて女の顔色をうかがつた。

 

「ええ、さつきから急に頭が痛くなつて。よくあることなの」

 

女はつぶやき、「悪いわね。こんな時にーー」とつけ加へた。。

 

「いや、突然の頭痛ぢや仕方ないよ」

 

男は相手をいたはり、「食事を終へたら家まで送るから、けふはすぐ寝た方がいいよ」と、ボーイを呼んでデザートのコーヒーを急かした。

 

「この後のことは、またの機会にしよう」

 

男のその言葉よりも、ぼくの頭には赤い服の女がさつき言つた「ホテル」「キャンセル」がまだ尾を曳いてゐた。

 

女の方からそんなことを訊ねるのが驚きだつたし、近くのテーブルにゐる客を特に気にするでもなく、そんなことを口にできる女の野卑がまぶしかつた。

 

男は信じてゐるのかもしれないが、ふたりのあひだで「この後のこと」は永遠にない予感がした。

 

頭痛といふのは便利な病気である。

 

怪我などとちがひ他人にはまつたく分からないし、「嘘も方便」で使へば、その苦痛は知れた病気だから説得力がある。

 

仮病にはもつてこいだ。