近ごろ世間を賑はした三つ騒動が、ぼくの中で一つにつながった。
三つとも、「これぞ人間」といふことである。
人間には「昼の顔」と「夜の顔」がある。「おもて」と「うら」と言つてもいい。どちらが欠けても人間ではない。
市川猿之助の自殺未遂と両親の死については、事件後かなり経つのに警察から明確な発表はないが、その背後に、芸の苦悩と遺産相続など金銭問題があることは間違ひないだらう。
どちらも人間の「夜の顔」の情念がもたらす結果だ。
実はぼくの三人姉弟の長姉の孫が三味線弾きで、猿之助の明治座公演にも出演してゐた。
6月の歌舞伎座公演にも出る予定だという。
舞台の後ろのはうにならんで三味線を弾いてゐるだけで、出演といふのはをこがましいけれど、一応、松竹・歌舞伎座の仲間であり、今回の事件に関してもある程度の裏話は聞き及んでゐるらしい。
猿之助は劇場の宙を舞つたりして、なんとか伝統芸能を今に沿ふものにしようと苦闘してゐた人だけに、今回の事件の背後に、歌舞伎界との確執や、金にまつはる煩瑣な問題があることは想像できる。
警察から公表されてゐる「遺産は第三者に」といふ遺書も何やら謎めいてゐる。
人には誰でも秘しておきたいことがある。
死ねば自力では隠せ覆せなくなるけれど、できれば最後の一瞬まで「裏」に仕舞つておきたい、そんな「夜の顔」が、今回の騒動で露呈した。
ジャニーズ事務所の男性タレント性被害事件は、言ふまでもなく人間の欲望があらはになつたもので、ある男の「夜の顔」が被害者の証言によつてこれほどリアルに暴かれた事例も珍しい。
人の名誉や廉恥は亡くなつたのちも存在しつづけるのではないか、と少々同情したくもなるが、時代は故人の名誉や恥よりも、真相究明、再発防止が大事といふ風潮だから仕方がない。
「夜の顔」は誰もが抱へるものとして大目に見てあげようといふ温情がもはや許されなくなつてゐるらしい。
これとは正反対に、人間が正々堂々、臆面もなく「昼の顔」の顔を見せたのが広島サミットだ。
交響曲の締めにシンバルや大太鼓を狂ほしく打ち鳴らすがごとく、「侵略戦争反対」「核兵器廃絶」を前面に掲げて、戦時下のウクライナ大統領まで招いて誇らかに喧伝された。
だれも正面切つて反対しがたい「戦争反対」や「核廃絶」。これを表看板にすれば怖いものはない。
正義は我にあり、まさしく人間の「昼の顔」を真つ昼間の原爆公園で、これでもかとばかり世界中に見せつけた。
人間には猿之助やジャニーズ騒ぎのやうな裸の「夜」もあり、一方で、広島サミットのやうなお澄ましした「昼」もある。
だから人間は面白い。
