昼さがり、出かけようとして玄関のドアをあけると、一羽の細身なキジバトが芝生の上を飛びはねてゐる。

 

 わが家の庭に遊びにくる常連で、華奢な首のところに水色や茶色の美しい縞模様がある。

 

 「何してるの?」

 いつまでも出かけないぼくを訝(いぶか)つて、家人が顔を出した。

 

 「いつもの鳩が来てる。たのしさうにしてゐるのを邪魔しても悪いかと思つて」

 

 鳩はぴよんぴよん飛びながら、ときどき嘴を芝生に突き刺す。

 

 節分の夜、「鬼は~ソト、福は~ウチ」と八十男が蛮声を張り上げて撒いた豆をついばんでゐる。

 

 「生まれ故郷を忘れないのね」

と言つて家人は家に引つ込んだので、ぼくは門のはうに歩きかけたが、鳩は豆さがしをやめない。

 

 それどころか、だんだんぼくの方に近寄つてきて、こちらが立ち止まらざるを得なくなる。人を怖れないのだ。

 

 もう10年以上前のことだが、庭の紅白2本の梅の白梅のはうの茂みの中に鳩の巣があるのを見つけた。

 

 太い幹が二つ三つに枝分かれする安定の良い分岐点に、鳩夫婦がどこからか小枝類を運んできて、周囲に縁どりのあるマットレスのやうな居心地の良ささうな巣を作つた。

 

 やがて、枝の隙間から、巣の中に白い卵がいくつかあるのが分かつた。

 

 庭には近所の官幣大社の鎮守の森に集団で住むカラスたちがうろうろしてゐる。

 

 あるときは大柄なカラスが羽音もやかましく飛来、白梅の頂きに着地するのを居間で見たぼくが、あわてて箒を持つて追ひ払つたこともあつた。

 

 鳩の卵は二つ孵化した。一つは巣から落ちたかカラスの餌食になつたか、いつの間にか見えなくなつたが、一羽は順調に生育した。

 

 毎日こちらが監視するなかで、ある日、親鳥の片方がせはしない鳴き声を立てた。ひな鳥を急き立てて、門懸かりの松の下枝まで、わづか10メートルほどの空間を先導して飛翔させた。

 

 「巣立ちの儀式」である。

 

 この白梅は一時は旺盛に実をつけた。家人が梅干しを作ろうとして、実の一個一個を傷つけないやう養生しながら収穫、最盛期には蕎麦打ちに使ふ大笊(おおざる)でも並べきれないくらゐだつた。

 

 ところが、いかに丹誠をつくした梅干しとはいへ、もともと園芸用の、花を愛でる梅の木だから、実は種ばかりが大きく、肝心の肉は種にへばりついてゐるだけで、しかも塩を効かせ過ぎたのか極端にしよつぱく、翌年からは作るのをやめた。

 

 いま庭に遊びに来るキジバトは、自分の故郷でそんなことがあつたとは知る由もないだらう。

 白梅はその後こちらの手入れが悪いせゐで、枝が放埓に上へ上へと一直線に伸び上がり、親鳥が巣を造つた、太い幹から枝分かれする辺りはほぼそのまま残つてゐるけれど、あのマットレスのやうな温かみのある営巣の場はもうない。

 

 それでもこのキジバトにすれば、ときどき生まれ故郷の白梅を見に来て、それが昔と同じ位置にあり、季節には同じやうに花を咲かせるのを見てホッとするのかもしれない。

 

 こちらとしては少々心苦しいのだけれど。

 

●深夜、書斎で机にむかつてゐると、只ならぬ乾いた音が天井近くではじまり、数秒して止みます。

 

無音の部屋のなかで、その音はつねに突然発生します。

 

音源をたどつていく。枝の先端が天井まで届いた珈琲の木から、からからに枯れた一枚の葉がたうたう枝から離脱、途中でほかの枝葉にぶつかりながら床に落ちたのです。

 

園芸店で鉢に3本植ゑられてゐたのをそれぞれ独立させたら、10年ほどのあひだに部屋のなかでぐんぐん育ち、やがて白い花を咲かせ、次いで赤い実をつけ、放つておいたらコーヒーの豆になります。

 

焙煎機がないので珈琲豆として味はつたことはありませんが、老木は時々かうして予告もなく葉を落とします。

 

枯葉が元気な葉に別れを告げるやうに触れ合ふ音は不気味です。

 

●ワインレストランの窓側の席にひとりでゐたら、午後3時半、快晴だつた空に北の方から雪崩のやうに黒い雲が押し寄せてきて、10分もしないうちに空一面が鼠色に変はり、午後4時、どこからともなく強風がレストランの玄関の松を激しく揺らしたかと思ふと、不意に暗雲のあひだから放射線のやうな明るい光が斜めに射し入り、午後4時半、こんどは東の空から白い積乱雲が迫り出してきました。空で何か起きてゐるのでせうか。

 

●就寝前の儀式です。

 

午前1時過ぎ、書斎の窓から夜空を見上げ、一つでも星が見えると、カーテンをひらいて、窓ガラス越しにその星とぼくの人差し指の先を重ねます。

 

アメリカ映画「E.T.」の真似です。

 

7秒数えます。たいていはそれで儀式を終へ、静かに床に入ります。

 

ところがたまに、人差し指の先つぽから星の瞬きが爆発したやうにはみ出して、騒々しく四方に弾けることがあります。

 

そのままでは眠れません。ひと休みして、もう一度同じことを繰り返します。

 

また指先の星が弾けたら、止むまで繰り返します。

 

●ワインのコルク栓を抜くワザには自信があつて、50代のころ、店や自宅で年間400本の栓を抜いた記録が手帳に残つてゐます(あくまで抜栓した数で、全部ひとりで飲んだわけではありません、念のため)。

 

ソムリエナイフの螺旋状の針をコルクの中央に刺し、鉤型の金具をボトルの口に引つ掛けて、梃子の原理で引き上げるだけのことですが、ごくごく稀(まれ)に、刺した針がコルクの中で中心から外れ、引き上げる途中のコルクがちぎれることがあります。

 

切り離されたコルクの下半分がボトルの首に残つてしまひ、その残骸を満足に取り出すのは至難の苦労です。

 

何が悪かつたのか。なぜ針は途中で曲がつたのか、最初からコルクの中心に刺さつてゐなかつたのか、コルク栓の劣化か、――それとも、何かの前触れか。

 

格別親しいわけではないけれど、まあ生涯の友人といへる同年配の日曜画家が、東京・六本木で、「わが一生のささやかな画業をここに」といふ、大層な意気込みの個展をひらいた。

 

ぼくくらゐの歳になると、政治家や実業家は言ふに及ばず、サラリーマンでずつと静謐に暮らしてきた人間まで、これまでの人生をエッセー集や歌集、句集など自費出版したくなる人が少なくないが、首都圏に住むこの日曜画家も、一生に一度は「花の都の六本木」に自作の絵を展示してみたくなつたにちがひない。

 

お祝のプレゼントは何にしようか迷つて、結局、彼の好きなボルドーの赤ワインと、夫人向けに春隣りの花を束ねたのを手に、六本木ヒルズからちよつと青山寄りのビル内の会場に着き、一歩足を踏み入れておどろいた。

 

そこに展示された絵の数に、である。

 

昔の小学校の教室ほどの広さの部屋に、迷路のやうに木製の衝立が立ちならび、その裏表に隙間なく無数の絵が紐で吊り下げられてゐる。

 

作品には名刺ほどの紙片に、作品名、制作年、地域名、建造物名などがペン字で記されてゐる。

 

彼は風景画が好きで、かつて勤務したヨーロッパや、旅で訪れた国内の山河を描いたものが多い。

 

いづれも精緻な筆致の力作で、絵はがきみたいな流麗なスケッチもあればモノクロ写真に近い具象画もある 

 

彼が地元の街で初の個展を開催したときにメーンに掲げてゐた50号くらゐの大作も数点あるが、大半は旅先で絵筆をとつたか、自宅のアトリエに持ち帰つて描き上げたと思はれる小品。

 

どれをみても絵にかける彼の情熱と技量は疑ふ余地がない。まさに玄人はだしの出来映えである。

 

しかし、敢へてあらはなことを言はせてもらふなら、百点もあらうかといふ展示画の中に、とくにこれが観る者の心をゆさぶる、あるいは思はずその前で立ち止まりたくなるやうな、激越した印象を残す絵がない。

 

みんな同じやうに力作、同じやうに美しく、同じやうに魅力的なのだ。

 

会場を一回りしてぼくが抱いた直截な感想は、「これはいはゆる『おせち料理』ではないか」といふことだった。

 

ことしに入つてはや半月が過ぎ、おせちが食卓にならぶことや、餅、雑煮、七草がゆといふやうな正月料理の季節は過ぎた。

 

実はぼくは子どものころから今に至るまでおせち料理は苦手で、元旦の食卓におせちの重箱を見ると気が重くなる。

 

おせち料理はどれもこれも手が込んでゐて、ふだんの食卓には見かけない豪奢なご馳走が詰め合はされてゐる。

 

ただその中に、これだけは何を措いてもいま食べたいといふ、競つて箸を伸ばしたくなるやうな料理がない。

 

もともと正月中の保存食だから、どれも味つけがややきつく、塩味、醤油味を効かせてゐる。

 

ぼくはそんなおせち料理よりも、ワインや日本酒に合ふ一片のチーズや、刺身、漬物、上等な塩辛などが一品あれば、その方がうれしい。

 

それでも、帰り道に考へ直した。

 

彼のやうに、これでもかこれでもかと沢山の絵を描き遺して、そのボリューム感で「おせち料理の風格」を導き出す画風も、さらに言へばそんな生き方も、それはそれで味のある人生ではないか。