文化庁が東京・霞が関から京都に移転した。

 

40代のころ、文部省記者倶楽部で仕事をしたことがあるが、文化庁が京都に行つてしまつてもそのこと自体にとくに感慨はない。

 

びつくりしたのは、移転の記念式典にあらはれた文化庁長官、都倉俊一(とくらしゅんいち)さんの姿である。

 

都倉俊一さんといへば、ピンクレディーの「UFO」や山本リンダ「どうにもとまらない」、ペトロ&カプリシャス「五番街のマリー」など多くのヒット曲を生んだ、昭和の時代の「新進気鋭」の作曲家であり、プライベートでは女優の大信田礼子さんと結婚したり離婚したりと、その洒落た容姿で浮名を流した「稀代のプレイボーイ」の印象が強烈だ。

 

ところが、記念式典に登場した都倉さんは、仕立てのいいスーツを着た「フツーの老人」といふほかはなかつた。

 

貫禄とか風格といふ見方もあるだらうけれど、ひとことで言へばーー老けた。

 

70歳代も半ばになるのだからむりもないが、そこには「新進気鋭」「稀代のプレイボーイ」の面影はまるでない。

 

それを見て、ぼくが何を感じたかといへば、実は妙にホッとしたのである。

 

人間の上に閲(けみ)する歳月といふのは、これほどまでに平等で公平なのかといふ、一種の安堵感とでもいはうか。

 

例の世界的疫病の影響で、ここ数年テレビ画面から遠ざかつてゐたタレントや歌手が、最近、ドラマや歌番組にひさびさ顔を見せるやうになつた。

 

両頬の下にどつぷりと肉をたるませて、整形美容に失敗したかのやうな女がゐるかと思へば、逆に頬骨が無惨にこけて、長い懲役刑から出所してきたかのやうなサスペンスドラマの刑事役がゐる。

 

「あら、この人、ちよつと見てない間に別人みたい」

 

テレビを観てゐた家人が画面を指さして気の毒さうに言ふ。

 

しかし、本当に気の毒と感じてゐるかどうか油断がならない。

 

結構ぼくが都倉俊一さんを見て感じたのと同じやうに、内心ホッとしてゐるのかもしれない。

 

先日、新劇女優の奈良岡朋子さん(93歳)の死が伝へられた。

 

名の知れた人の訃報は新聞の第二社会面かテレビニュースの最後が多い。

 

予期しないニュースだけに目が行くが、その年齢や死因を知ると「やむを得ないか」と納得する。

 

人間はいづれみんな死ぬ。これほどの平等、公平なことは他にない。

 

ときに「この人、意外に早死にだつたなあ」と感じることがあるものの、中にはしばらく名前を聞かないと思つたらまだ生きてゐたのか、と思ふやうな人がゐないでもない。

 

有名人の訃報もまた、人をホッとさせる。私たちは「究極の平等・公平」に接するとなぜか癒される。

 ドアを排して店に入り、最初に目についたのが奥のテーブルにゐる夫婦とおぼしき老人二人だつた。

 

 女性は普通の服装で、まして入口に背を向けてゐるので目立たなかつたが、その横にゐる八十過ぎの男性は一見して異様な風体である。

 

 禿頭(とくとう)を誇らしく光らせ、渋茶のきものに白つぽい帯を締めて、まばゆい銀色の羽織をゆつたりと掛けてゐる。

 

 目は入口の方に向いてゐるものの、そちらに関心がないのは明らかで、ひたすら気むずかしい顔をして携帯電話の相手と声高に話をしてゐる。

 

 ボーイに案内されるままに、ぼくは老夫婦の隣りの席に着いた。

 

 先輩と待ち合はせだつたので、テーブルの奧の席を空けて手前の椅子にかけた。

 

 「――それでだな、最終的には向かふは5億払ふと言つてるらしいが、もう1億くらゐ入つたのか」

 

 「その同意書の偽造の件だけど、完全なんだらうな」

 

 「だから言つてるだろ、今までにいくら手元に入つたのか、だよ。1億は入つたのか」

 

 どうやら不動産売買の話をしてゐるらしい。

 

 声が大きいので奥さんが周りを気にしてゐる。どうみても「ヘンな老人」である。

 

 そこでぼくは、先輩から指定されて初めて入つたその店内をあらためて検分した。

 

 新宿から西へ数駅のところにある若者の街の、狭隘な路地奥にある、レストランと呼ぶべきかカフェと呼ぶべきか分からないフランス語名の店内は、まだ黄昏ともいへない時間帯なのにほとんどのテーブルが埋まつてゐた。

 

 客たちをよく見ると、ぼくの極めて凡庸な、常識に毒された目からすると、そこにゐるのは「ヘンな人」ばかりだつた。

 

 ピンクの上下に黒マスクをつけ、白ふちのサンブラスをかけた痩身の女性が、破れたジーンズを履いて毛むくじやらの胸に長い金属を垂らした青年と向ひ合つてゐる。

 

 思はずこちらが視線を外したのは、豊溢の胸をだらしなくのぞかせた老女、その横にはひとり文庫本を読みふける全身黒づくめの若者……。

 

 そんな中に闖入したぼくはといへば、記者時代、あまり着る物に頓着せず、毎日ドブネズミ・ルックだつた先輩に敬意を表して、その日は古いダークスーツにグレーのタイを締めてゐた。

 

 ふと店の隅に陣どつた年配女性4人に目が行つた。

 

 みんな普段着で、ファミレスで井戸端会議をしてゐるおばさんたちといふ風情ーーいはばごく「フツーの人」たちなのだが、この店ではそちらがむしろ「ヘンな人」に映る。

 

 そこでやつと気がついた。

 

 この店にゐる客をぼくは勝手に「ヘンな人」たちと思ってゐたが、ここでは逆転して、「ヘンな人」は間違ひなくぼくの方だつた。

 

 コロナ騒動もあつて暫く会つてゐない元同僚の政治記者に電話した。

 

 まさに春隣りの陽気の午後で、とくに用件があつたわけではなく、要するに暇つぶしの電話だ。

 

 おたがひ80歳を超えて、からうじて健康であることを確認し合つたあと、退屈な昨今の政局、現政権の命運とポスト岸田など、20年も前の仕事を懐かしむやうな話にうつつを抜かした。

 

 会話が一段落したので、ぼくは外交辞令のやうに言つた。

 「――久しぶりに一杯やらうか」

 

 電話をかけたのはこれが目的ではなかつたが、ぼくが最後にそれを口にしたので彼は誤解したらしい。

 

 それも尤もで、現役時代、彼と真面目な話をするとき酒の場以外はまれだつた。

 

 「お酒? えつ、まだやつてるの? 元気だねえ。俺は酒はとつくに卒業」

 

 深くは尋ねなかつたが、ぼくに対して「元気だねえ」と言ふところをみると、胃腸か肝臓でも患つてドクターストップが掛かつてゐるのかもしれない。

 

 電話はそこで終はつた。

 

 ぼくは「卒業」といふ言葉が嫌ひである。

 

 「酒を卒業」はいふまでもなく、「夜の街を卒業」「女を卒業」「競馬を卒業」「テレビを卒」……などと人から聞くと、「卒業」といふことばに漂ふ独善にして尊大、独り善がりの感じが嫌ひだ。

 

 「私はあれはもう卒業したけど、あなたはまだなの」といふニュアンスを感じる。

 

 そこには、「卒業する前の状態」がいかにくだらなくて、下劣で罪深く、一刻も早く「そこから逃げ出すべきもの」といふやうな、あからさまな侮蔑と批判が含まれてゐる。

 

 「私はそこを脱却して、一歩次のステージに上りました。あなたも早くこちらにいらつしやい」といふ余計なお節介を感じる。

 

 そればかりか、「卒業」前の、自分の過去への否定も感じる。

 

 さういへば、ぼくは何事も「卒業」するのが下手で、いつまでも旧態依然、同じことを続けてゐる。

 

 友人は20代のころの同人雑誌時代の仲間や、50年前の予備校時代の同級生、自民党記者倶楽部で一緒に仕事をした通信社記者などと、いまでも時々飲んだり、夫婦での食事会をつづけてゐる。

 

 よく行くバーも、たまに注文するワイシャツ屋も、信頼するファッション・ブランドも、30代から変はらない。

 

 車もワーゲンに25年、ボルボに15年乗つた。

 

 愛用のボールペンは記者時代から銀のダンヒル社製を半世紀使ひつづけてゐる。

 

 臆病ゆゑに次の何かに乗り移れない。現状を変更するのが怖いだけかもしれない。