ドラゴンボールの主人公孫悟空の師匠亀仙人は
そしてその亀仙人の師匠が
武泰斗一門に亀仙人と鶴仙人以外に居たかどうかは不明だがピッコロ大魔王に魔封波を仕掛け、その生命が尽きる際に傍らに居たのはこの2名だけのようだ。
ということは少なくともこの2名が武泰斗の弟子の中でもトップ2であることは間違いなさそうである。
ところでこの2人は天下一武道会には出場したのだろうか?
亀仙人が嘗て出場していたという話は特にない。
だが悟空たちに大会出場を示唆したということはそれなりに意識されている大会ということだろう。
何せ他にも同規模の大会があるにも関わらず天下一武道会を選んだのだ。
もちろん他の大会の開催時期や、そもそも歴史が浅い、ルールに合わないなどの理由で選択肢に入ってなかった可能性もある。
当時の天下一武道会は5年に1回であり、既に20回までは開催済みである。
つまり100年の歴史があるのだ。
その間に天下一武道会に出場はしていた可能性は高い。
それは鶴仙人のこの発言だ。
つまり嘗てはハイレベルな戦いがあったことが伺える。
おそらくは「自分たちが出場していた当時に比べて」というニュアンスが含まれているのではないだろうか?
そして鶴仙人の態度からして天下一武道会で優勝したことがあるのかもしれない。
例えば鶴仙人と亀仙人が両方出場して亀仙人が優勝したとなれば鶴仙人はもっと恨み節が利いた言葉を吐いていたはずだ。
なので第何回かはわからないが鶴仙人が優勝、亀仙人が準優勝という結果があった可能性が高い。
本編では亀仙人の方が戦闘力が上だが以前は鶴仙人の方が上であっても不思議ではない。
その後鶴仙人が一線を退いた後に亀仙人がカリン塔に登るなどして更に力を付け、嘗て優勝できなかった天下一武道会に挑み圧勝したのだろう。
もしかしたら何度か優勝し続けていたのかもしれない。
そしてかめはめ波の地名度から考えても天下一武道会で使用している可能性が高い。
以前のエントリーでも述べたが、かめはめ波は武泰斗死後に開発されてた可能性が高く、そもそも会得するのに50年掛かっている。
なのでそれなりの年齢で出場したことは間違いない。
故に高齢にも関わらずその圧倒的な強さから「武天老師」と呼ばれるようになったと妄想してしまったのであった。