今回はいつもと少し外れてファンタジーでよくある設定を元に社会がどのようになるか少し考えてみたい。
その設定とは魔法だ。
もちろん世界観によってまったく異なるが、ある市民レベルでも魔法というものが認知され、魔法を使えるものは少ないとはいえ単騎で強力な力を発揮するのが一般的ではないだろうか?
当然ながら魔法には戦闘以外にも様々な用途に効果を発揮する。
だが共通するのは使えるものと使えないものの絶対的な差だ。
利便性を考えても魔法の有用性は高い。
身につけたものは社会的に優位に立てる可能性が高く、またその力故に警戒されるだろう。
場合によっては魔法使いだけのコミュニティを作る可能性もある。
またその力を背景にある程度の人数があつまれば国家からの独立も可能かもしれない。
魔法が使えない為政者は魔法を有効利用するか、または危険因子として排除する方向に向かうはずだ。
放置は愚策。
設定によっては魔法を使えるものが支配者層である証の場合もある。
その場合不幸になるのは魔法が使えない市民だろう。
公権力の暴力が暴走する可能性は高い。
追い詰めすぎれば革命も起こりうる。
また一般市民レベルで魔法が使える場合はどうだろう?
その場合使う魔法が個人の資質や特性によって違うのかある程度普遍化されているのかで社会のあり方が変わってくるだろう。
どちらも実力に差が出てしまうだけでなく力を持つ個人が多いので個人主義的な発想に陥りやすいのは確かだろう。
だが前者の場合は個々の魔法の特性に違いがあるので、場合によっては共助というものが多少は発生しやすいと思われる。
しかし後者の場合は極めて個人主義になりやすそうだ。
皆が同じ魔法を使えるのであれば後は才能や努力によってその威力や精度が変わるはずだ。
そして個人個人が力を持っているということは自衛も自身で行うような風潮になりやすいだろう。
これは為政者が市民を個人主義への誘導することでコミュニティの力を弱める為によく使う手段だ。
一部の魔法の実力者を優遇し、市民にサクセスストーリーをみせることで自身が社会でうまく行かないのは努力が足りないと認識させるのだ。
そうすると為政者は弱者を努力不足、自己責任と切り捨てることで救済をする必要がなくなり、さらには社会の不満を為政者ではなく努力不足と切って捨てた同じ市民に目を向けさせることができるのだ。
なんと恐ろしい社会なのだろうか!
剣と魔法の世界とはファンタジーだからこそ楽しいのだ。
今回は特に
だがどちらにしても科学の方が良い。