2023年最初のブログを読み返して、「愛と勇気とガチ対話」をテーマにしていたことを振り返る。

 

果たして、みずからそれができてたんか?

 

組織に風穴を開けることは、少しずつだが出来ているとおもう。

一方で、自分の(心の)中の風通しはめちゃくちゃ悪くなっている。

”求められる役割と責任” VS ”自分らしさ”

正直、分が悪い。(世の中、そんなの当たり前だという見方もあるとは思う。)

 

自分らしさというと、なにかわがままな意味合いもあるかもしれんけど、自分らしさもわがままも、組織のためになったり、人のためになれば、”個性”として認められ、受け入れられる。

 

組織の個個のメンバーが、”自分らしさ”を存分に発揮し、”個性”の塊になって、組織としてパフォーマンスする姿を理想として、その先陣をきることが2024の目標。

 

2024年は、

自分らしく生き

直感に従う

 

一つの結果がでた。

サポーターのみなさま、おめでとうございます。

2021年シーズン(天皇杯)から始まったこの大会と最終的な結果は、2021年から関わったすべての選手、スタッフ、関係者、の総力が積み重なってのもの。また、Jリーグの協力も常に肌で感じさせてもらったし、国内のライバルクラブからのサポートもあった。

まずは、こうした全ての皆様に感謝したい。ありがとうございました。(たくさんメッセージもらっていて、ほんとは個別にメッセージすべきだけど、怠け者ですんません)

そして、みんなで勝ち取った結果という意味で、皆様に言いたい。おめでとうございます。

 

でも、結果はすでに過去。

まだまだ夢の途中。

 

得意澹然

 

One great result for the team.

Congratulation for Urawa Reds Supporters and fans.

This journey began in 2021 Emperor Cup (FA Cup ) and we could win this title with the hard work and support of players, team staffs and people around the club from that season. We could also feel the support from J League and other J League clubs.

I want to say " thank you very much for all of you" and "Congratulation". 

 

But we keep moving forward to our dream.

 

 

 

本日、52回目の誕生日を迎えた。

すっかり不定期の更新になってしまっているこのブログだが、年一の誕生日についてはここ数年継続できているので、今日も少しだけ記しておきたいと思う。

いつものように他愛のないつぶやき、独り言として読んでもらえると助かる。

 

いま、頭にあるワードは、「照らす」「先をみる」「つながる」ということ。

 

「照らす」のは、まず、自分が関わる人たち、周囲にいる人たちが輝けるように、活躍できるように自分に何が出来るかを考えたいと思ってきたし、ますます最近思う。少し前までは、強い推進力を自分にも求めていたが、力尽くで前へ進める推進力ではなく、自発的にメンバーが前へ進む力を発揮出来るようにする推進力もあり、結果的にはそっちの方が大きな力とうねりがでると今は考えてる。そのためには、自分が前にでるよりも、結果的に周りの人々が輝くことで組織が前へ大きく進んでいくことができる。そんなイメージをいまは持っている。

 

「先をみる」

今はとにかく、勝敗に一喜一憂しない。

大切なことはクラブが発展し、チームが成長することであり、同時に個個が学び続けて成長していくこと。

そのために何ができるのか?やらなければならないことは山盛りある。

人生に残された時間がどんどんと減っていくなか、取捨選択も必要だし、優先順位付けも重要。

3歩先をみて、2歩先を照らす!

 

「つながる」ということ。

いまは、これがもっとも大事。

ビジョン、イメージ、おなじものをみれているか?そして、結果、感情においてもつながれているか?

みんながつながったときに組織は絶大なるパワーを発揮する。

その「つながる」ことが大切であるとともに、むずかしい。ほんとに難しい。

同じ仕事をしている仲間と、本当に「つながって」いるか?

監督と選手は「つながる」ことができているか?

選手同士は「つながって」いるか?

クラブは、街は、ファン・サポーターは、「つながる」ことできてるのか?

このクラブは、ポテンシャルにあふれているが、それを顕在化するために大切なことは、「つながる」ことだと思う。

「つながる」ためには、一人一人の意識と行動が必要。

そのためには、丁寧な【対話(ダイアローグ)】も必要。

 

・・・・・・

本当に様々な経験をつうじて成長させてもらっている。大変ではあるが、仕事が楽しくてしょうがない。来年の誕生日までに、どれだけ成長できるのか。どれだけ周りの人を成長させ、組織を発展させられるのか?

 

あかん。

もっと書きたいことたくさんあったけど、わすれてもた。

またかくとしよ。

 

たくさんのおめでとうメッセージありがとうございます。

(個別の返答しておらずすみません。)

 

 

 

 

 

今年のテーマ

 

まず前提として個としても組織としても成長しつづけることが大事。

個も組織も成長するためには、やはり成功よりも失敗から学ばないといけないし、実際、失敗から学ぶ事のほうが山ほどある。

 

失敗から学ぶ方法はたくさんあるとおもうけど、自分自身で振り返ることや、他人の振り返りをもらうことも貴重な成長の源泉。

 

組織として、個の成長を促しながら組織も成長していくためには、メンバー同士の対話が大切だと思う。

組織が成功し、成長していくために、個個のアクションやパフォーマンスがどうだったのかを率直に顔を合わせて話し合う。日々の小さな失敗についても、丁寧に日常的に対話しあう。

簡単なようで、実は難しい。日本人にはとくに。

時には聞き耳の痛いことを言い合わないといけない。(できれば避けたい)

 

言う側は、ただの批難批判で終わらないようにするためには、言い方や言うシチュエーションや、タイミングも考えたほうがいいかもしれない。相手の成長を信じることも必要。そして、もしかしたら、気分を害するかもしれないし、嫌われるかもしれないけど、言ってあげることが必ずその人のためになるという信念も大事。

要するに、相手に対する愛情と、嫌われるかもしれないけど、今言った方がいいから伝えようという勇気が必要。

そして、その二つがめちゃくちゃ重要。

ただの”だめだし”と、”効果的なフィードバック”の違いはそこにあると思う。

 

でも、聞き耳が痛いということは、図星であるからこそ痛く感じる。それをしっかりと自分の真正面(肚)で受け止めることができるかどうか?という受け手側の成熟度も問われる。

 

表面をリスペクトという砂糖でコーティングをされた甘言という無関心ではなく。

愛と勇気を核に燃やし続ける、一見痛くて厳しい(本当は暖かくて長続きする)フィードバック。

それを双方向で実施できれば、それがガチ対話となる。

 

自分の半径5メートル以内にいる人にだけでもそういう関係性を築ければ、楽になるし、組織としても成長できる。

でも、実はそれがめちゃくちゃ難しい。

 

少しずつでよいから増やしていきたい。

愛と勇気とガチ対話!!!

 

追伸

参考までに。

表面的に仲の良いだけの関係性ではなく、愛と勇気とガチ対話ができる組織や関係性になれば、自然と、日常的な思考や行動が変わってくるというセオリー(成功循環モデル)。

(SHC2021講義資料より抜粋)

 

コンセプトって、かなり幅広く理解解釈されるようになっている。

そりゃそうだ、コンセプトが具体的だと、すでにコンセプトではなくなっている。

 

なので、いろいろな解釈、いろいろな理解がされて良いもので。

それぞれが、それぞれの肚落ちをさせて、行動につなげたり、仕事や人生に活かせればよい。

一方で、組織としては、ある程度の幅はあってよいが、同じ方向を向いていた方がよいことは間違いない。

宗教と宗派みたいなものかなと思う。

 

「浦和を背負う責任」というコンセプトが、ネガティブに受け取られることが多々ある。

時間軸の理解が違うからかと勝手に推測している。

浦和がすでに、偉大なクラブでこれからはなんとか維持していけばよいのであれば、今までの歴史や実績(過去)を背負うという意味で良いのかもしれない。

でも、これだけ環境が激変するなかで、新たな形やあり方を探り、チャレンジしていかないと、現状維持すらままならなくなる可能性があるとすれば、これから(将来)の浦和に対しての責任というとらえ方ができる。

失敗することも、責任の範疇だと言ってもよい。チャレンジしないよりはね。

 

過去や歴史、現状に対する敬意を土台に。

新しい(将来の)浦和を、喜々としてチャレンジをいとわずに背負っていく姿勢がより重要だと思うし、その責任をよろこんで負うひとであふれてほしい。

 

これが、私の、今の解釈。

(明け方の独り言)

日本代表選手のインタビューを聞いていて思う。

しっかりとした自己表現が出来てる。自分を開示し、表現できる。

もちろん、その先には賛同の声や、その反対もありえるが、しっかりと自分というものを伝えている。

 

20年前にイギリス留学したときのことを思い出す。

しばらく、仲間にはなかなかいれてもらえなかったが、英語力がついて、自分の意見をいうことができるようになってはじめて、学生たちの会話に入ることができ、理解し合うことができ、友達になれた。

自分の考えや意見が正しい正しくないではなく、考えや意見をもち、それを表現してつたえることができるか?が大事だし、問われる。

 

今回、ベルギーへ選手を派遣して、トレーニング参加させてもらったが、先方のSDに選手の評価をしてもらうときに、Adaptationという言葉が出てきた。要するに、「適応」ということ。僕の勝手な解釈は、自己開示することにより相手を受け入れる姿勢を持つこと。要するに、技術やフィジカルももちろん大事だが、チームスポーツであるサッカーにおいて、チームにはいれるかどうか?受け入れられるかどうか?を評価されていると言うこと。

 

強い個があり、その表現があり、はじめて、チームとしてのまとまりが問われる。

高いレベルでの一体感。それが真のプロフェッショナルだと仮説をおく。

強い個と個が衝突しながら、相互理解をふかめて、チームとして機能させていく。

日本代表の選手達は、ヨーロッパのトップレベルの”真のプロフェッショナル”環境で、日々、トレーニングにおいても、生活においても自分を表現することを求められ、その習慣が彼らを鍛えているのだろうと推測する。

 

Top of Topを目指すチームとして。

真のプロフェッショナルとして、強い個であるか?

組織として必要な衝突(Conflict)を避けていないか?

一体感を表面的な「仲良し」と勘違いしていないか?

 

監督が替わっても、選手が入れ替わっても、そこが変わらなければTop of Top にはなれない。

 

強い個 を求む。

強い個 になることを求む。

 

自分にもね!

 

 

組織として、個として、物事を決断するときに、このフレーズが頭に浮かぶ。

 

組織が戦略に従うのか?

戦略が組織に従うのか?

 

もちろん、二元論ではない。

組織の経営は、膨大な数の連立方程式だ。

 

組織のあり方も関係してくる。

自分が100%所有のオーナーであれば、「戦略が組織に従う」でいい。要するに、やりたいようにやれば良いと思う。

公的な組織であれば、逆に、目標設定と戦略の策定が難しくなるが、本来は、「組織が戦略に従う」べき。

 

半公半民的な組織であれば、これがまたさらにややこしい。

オーナーシップの意向も重要だが、多くのステークホルダーの意向もさまざま。

もしかしたら、目標すらもまちまちかもしれない。

 

今目の前にある組織と環境に忠実であること

将来の組織の目標にむけて忠実であること

 

両方大事やけど、両立は難しい。

どっちが大事か?ときかれたら、間違いなく、将来の組織の目標に忠実であることやと思ってる。

けど、両方だいじやねんで。

 

 

 

 

【伝統】の定義を考える。

 

過去の遺物、滅びた文明、過ぎ去りし日々(歴史)や栄光、、、どれもそれだけでは、伝統ではない。

新しい、変化していく時代に対して、しなやかに、柔軟に対応し、適応していくことで、歴史(過去)は伝統に変えていくことができる。

伝統をもち、継承していくには、言葉をかえると、まだ見ぬ未来に対しての飽くなき変化への挑戦が求められる。

歴史(過去)への敬意と、変化に対する意欲。そのバランス感覚が重要である。

 

そして、経験で問われるのは、量ではなく、質である。

 

長く、同じ場所にいると、その大切なバランス感覚を失い、過去や歴史、自分の経験(量)に対しての敬意を過度に求めるようになる。

経験は、量ではなく、質が重要であるのに。

えてして、それは個人のエゴであり、組織の伝統を紡ぐことにつながるわけではない。

 

常に自分に問いかけている。

この決断は、エゴではないか?(私心なかりしか?)

組織の伝統を紡ぐことにつながっているか?

みんなが大切にしているものを、自分の手のひらにいれて、自分のポッケにしまおうとしてないか?

 

追伸

こんなこと考えてたら寝れんようなった。

しらんけど。

 

 

大人になればなるほど、アンラーン(学習棄却)が難しくなる、がそれがより重要になると思ってる。

自分の人生を振り返ると、なんどか、アンラーンできた機会がおもいだされる。

 

サッカー選手を引退してから、何をして生きていけば良いかわからずに途方に暮れる時間をすごしながら、とにかく頼まれる仕事、目の前にある仕事は好き嫌い問わずなんでも取り組んできた。だいたいが、「元サッカー選手」「元浦和レッズの選手」ということでいただいた仕事だった。そんな期間が何年あったかなあ。

そのなかで、サッカースクールのイベントを企画し、運営し、めちゃ大変な思いをしながら、多くの人を巻き込んで参加してもらって無事にイベントが終わり、一組の親子が「楽しかったね」という言葉を交わしながら帰って行く後ろ姿をみて、感激したことを思い出す。サッカーをプレーしたり、元サッカー選手として指導する以外の仕事で、やりがいを感じた出来事だった。仕事するってこういうことなんだって実感できた。

”(元)サッカー選手”という鎧を、一つ脱ぐことができた機会だったと思う。

 

もう一つは、社会人向けの講座のファシリテーターとして仕事をはじめて、2年くらい経ったとき。

大学の教職も長くやっていて、人に何かを伝えるという仕事は慣れていた。

あるミーティングで、「おまえのファシリは、30点だよ」って言われたとき、頭を10キロくらいの鉄アレイで、ガ〜〜〜ンって殴られた気分になった。実際にそうだとおもったし、はっとさせられた。

そこから、大人が学ぶということについて、より深く考えるようになったし、インプットも大量にしたし、ただ、講義で前にたって話すだけでなく、準備、コースデザイン、効果的なフィードバック等について学び実践するようになった。学びを提供する側が、学んでなくてどうすんねん???って気がついた。
それまでは、言い訳たくさんで、やらされている仕事だったが、自分事としてその仕事に取り組むことで、仕事がより楽しくやりがいがあるものになった。

 

ほかにもいくつかあるけど、こうした機会がもてたのも、おそらく、とにかくいろいろなことにチャレンジし続けてきたからだとおもう。

ほんまにいろいろやってきた。

寄り道だらけやった。

失敗だらけやった。

でも、結果、いまの仕事と人生にめちゃくちゃ役に立ってることは間違いない。

 

寄り道してええんやとおもう。できるだけ若い内に、たくさん。

 

しらんけど。。。。

 

「ガチ対話」のわかりやすく、これだ〜〜〜っていう説明がみつかったから引用してみる。

 

「現実に向き合うなかで直感した本質を錬磨するためには、同調圧力を避け、みなが知恵をもちよって、徹底的に対話しなければならない。共通善の実現のためには、異質な主観、思い、意見を持つ他者と、自己のエゴを超えた無我の境地忖度も妥協もない、命がけの熟議をしなければ、善後策は見えてこない」

(野性の経営 野仲郁次郎著 より引用)

 

【命がけの熟議】できてますか???(自分への問い)