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対馬シーロード

国境の島:長崎県対馬市から発信。
朝鮮通信史絵巻の人形300体を制作中。
















     

 

我が家に魚料理を時々届けてくれる80歳は過ぎてる素人料理人。

私は「〇〇兄さん}と呼んでます。

必ず「ジュンコちゃ~ん

と言いながら届けてくれます。

小さいころからの私のイメージが強いのでしょう。(笑う)

 

 

 

対馬ではクロ魚と呼んでる

通称メジナとかグレと言う

私はから揚げにしたり、煮物にします。

 

 

でもいつもの素人料理人は

湯引きして

丁寧に皿に盛りつけ

レモンの輪切りかと思えば

柚子を添えて。

 

 

 

見た感じは黒

美味しそうには見えないが

料理の仕方で美味しくもなる魚です。

この魚をいただくときに

「クロだけれど食べてね。」

下さる人が気を使いながら。。。有難い。

 

 

 

 

 

 

 

朝鮮通信使絵巻はたくさんの種類が残されています。

その中で

私が人形で絵巻を再現しようと思ったこの絵巻です。

一番色鮮やかに

どこからか音楽が聞こえて

ひとびとの会話が聞こえそうな絵巻です。

 

(先頭を行くのは対馬藩です。)

 

 

私は歴史のことを語るほど知識はありませんが

絵にして歴史を残した画家も素晴らしい

260年間余りも続いた大陸と日本の平和の記録です。

 

(馬を引くのは対馬藩)

馬上は朝鮮王朝の兵士です。

 

 

この絵巻は最後まで、載せていきます。

 

通信使は

朝鮮海峡、対馬海峡、玄海を越え門司より

瀬戸内海に入り。大阪 京都 東京までを

300人から500人の通信使が対馬藩とともに行列したのです。

260年余り続いた平和の記録です。

 

朝鮮王朝と徳川幕府の間で苦労の多かった対馬藩

大陸文化に触れたかった道中の藩の歓迎ぶり

映像のない時代

500人余る行列を記録画に残した画家の感性。

民族は異なることでも両国間の

平和へのあり方が一致したのです。

世界のリーダーは通信使の事を学んでほしい。

 

私は何もない一個人です。

でも我流の三流ではありますが

平和のあり方が通信使の教えにあるような。

平和のために命かけた通信使

長い巻物絵を見て思わず感動しました。

通信使絵巻を平和の表現として人形で再現しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バラの枝が折れていましたから

挿し木をしていました。

元気を貰えることの一つ。

 

北風の中でおれたバラの枝

捨てようと思いながらも土に挿し木しました。

寒中に芽を出すことは無いでしょう

そう思いながらも。

外は寒いから事務所に置きました。

 

 

寒中は駄目だとか言わずに芽を出せ

土には根を出せ

この枝のどこかに魂はあるはず

 

枯れるだろう枝

枯れた枝から小さな新芽が出てる

老眼鏡をかけて見直す

 

手のはらにのるような小さい枝

そんな小さな生きもの

なぜか感動で涙があふれる

 

言葉こそ通じないが生きていくと言うことは

そんな事なんだね。

 

 

 

金のなる木が届きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日午後から佐賀診療所に薬をもらいに行きました。

筋肉痛が治らなくて椅子に座るのが

苦痛なのです。

 

昨年12がつ中頃

事務所のかたずけをしました。その時はよかったのですが。

その後筋肉痛のような症状になりました。

まだ治りません。

 

峰町佐賀診療所は毎週火曜日だけ

対馬病院から担当医が来ています。

痛み止めを出してもらいました。

 

 

午前中は予約でいっぱいです。

お年寄りには近くて都合の良い病院です。

 

40年前くらいまでは産婦人科の先生が常時居られ

人気もよく、私もこの病院でお産しました。

 

 

 

5年ごとに接種する球菌ワクチンも済めてきました。

次回ワクチンは令和11年1月16日以降と書いてありました。

思わず笑いしました。

後5年生きてるのかな。

 

 

散歩に出ることはほとんどないので

銀行や、郵便局、などは出来るだけ歩いていきます。

 

道路沿いのお家の庭をのぞいたり。

空き家でも庭の花は咲いています。

冬に木に咲く花は強いです。

 

 

 

正月休みはしたい事がありましたが

気が付いたら何も出来ませんでした。

平日の私の担当仕事がどうしても残って、その分は済みました。

理由は私が仕事のスピードが遅くなったことです。

 

お正月休みをかねて、普段会えない方も来てくださったり。

今日は長い事お会いしなかったご夫婦。

手土産もたくさん。

その中に最近は対馬で正月に見かけなくなった

ナマコ。

 

 

家庭の魚の料理はたいてい、私がします。

対馬では魚を料理することを

「魚をさばく」

と言います。

実家は網元でしたから小さい時から見ています。

今はそうでもありませんが

魚をあらさばきするのは男性でした。

大きな魚は力がいりますし

料理する包丁は重くて鋭くて危険だからでしょう。

それと女性は危険なことはしなくていいと言う視線でしょう

 

 

 

ナマコは海低の泥を餌にしてると思い込んでる私には

気持ちよくない生き物ですが。

ナマコの内臓や茹でて天日製造は高価なものでした。

子供心に誰がこんなもの食べるのかなと、思ったものです。

 

 

ナマコも種類がありますが

赤ナマコは美味しい事になっていました。

加工しても値段がよかったようです。

 

 

下手がナマコを料理すると生臭く

上手な人の手にかかると上品な味がしたような。

調理して味見しましたが

どうも子供の頃のおいしさはありませんでした。

 

 

 

ナマコはゆでるとまた別の味わいがあるようです。