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対馬シーロード

国境の島:長崎県対馬市から発信。
朝鮮通信史絵巻の人形300体を制作中。
















     

 

2月10日は旧正月でした。

私が子供の頃の対馬は旧正月でしたから

旧正月と聞くと、懐かしい響きです。

私は

大家族で育ちましたから

旧正月と言う響きは今は亡き家族との楽しい思い出です。

 

曽祖父がいて昔話を毎日してくれました。

祖父母はまかないが好きな親方で

いつも宴会を始めます。

旧正月は七日正月までは挨拶に来られる人のまかないです。

 

旧正月の頃は対馬の海の幸は豊富でした。

瀬かき、たこ、イカ、魚、アワビ、とこぼし、さざえ

一年中で一番おいしいころ

今は美味しいと感じません。

私の感度がよくないのか?

海中の環境が変わってしまったようです。

 

 

赤ナマコはなかなか少なくて入りません。

旧正月に対馬の地図で言うと下の方の遠方から

わざわざ届けてくださいました。

 

物の味より

人の情けの快い事に

胸が詰まるほど感動します。

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

同じような絵に見えますが

よく見ると微妙に違いがあります。

 

長い行列を見ながら当時の絵描きは

どんな工夫をこらしたのかは当時の

記録にもあまり残ってないようです。

 

私の想像ではたくさんの絵描きが

各班に分かれて記録絵にしたと想像します。

 

対馬藩の武士がたいてい素足に描かれています。

裃を着た武士は草履らしきをはいています。

それから判断するに

道に砂を敷き詰めた記録もあるようですが

まだはっきりしたものは

私は分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通信使は演奏の姿がよくありますが

書物で楽譜を私は見たことは、まだありません。

このころの、演奏もきいたこともありません。

 

対馬藩の武士

 

まだ見ぬ人からの贈り物

お会いしたこともなく

声が聞ける人でもない

毎年下げものが届く。

 

手作りをする人は

器用なばかりではなく

気持ちが作品に出るような心の持ち

 

心豊かで

温かい心

思いは深く

心は天まで届く

丁寧さが伝わり

言葉はなくても作品で言葉が届く。

 

 

古代中国より伝わる陰陽五行説に由来する要素で

世の中は回ってると言う

 

 

 

通信使の人形も

下げものに並べてみました。

音譜音譜音譜音譜音譜

 

 

 

 

 

 

 

五色は

私の魔除け

有難く身近に置いています。

 

 

 

 

 

 

仕事の関係で各地から取引先が来られます。

たいてい手土産をいただきます。

その中でなぜか佐世保のひとは

九十九島せんぺいです。

 

私は甘党ですから

あっさりしたこの甘さが好きです。

美味しい日本茶でいただきます。

歯はまだ、親からもらったままで丈夫ですから

歯ごたえのあるものを美味しくいただけます。

 

まだ歯医者さんには行くことはありませんが

「歯がいいからと硬いものを、かみ砕くのはよくない年齢です」

注意を受けています。

歯ごたえのあるものが美味しいです。

 

10年も前になりますが

福岡に行ったついでに佐世保まで行き

九十九島をめぐりました。

昨日のようにありますが、また行けたら嬉しいです。

いつも仕事で行きますら

急ぎ足、一人旅です。

今度はゆっくり回りたいです。

 

 

 

 

 

 

広報 つ し ま

 

回覧板と一緒に毎月広報が回ってきます。

2024の1月号

二十歳を祝う会が

1月3日,シャインドームみねで

301人のうち224名が出席でした。

 

 

表紙の写真です。

人口減少と言う中、私が思ったよりも

大勢です。

若い人は島には残らず。

帰る人もいますが、ほとんど島外に行きます。

 

 

 

人口所帯数は毎月減少ですが

転入される人います。

転出の人も多いです。

対馬も人口73000人以上の時もありました。

50年前くらいでしょうか。

 

子供も家族に3人から7人はいました。

10人家族もいました。

 

子供が多いお家は一枚の布団に3人で寝ると話す

友達もいました。

戦後はみんな貧しい生活でしたが

大きな声で笑う友達のことが今でも懐かしいです。

 

あの時のみんなは お元気でしょうか。

やがて後期高齢者になる時です。