昔話の残酷さについて述べている

前回➡昔話の残酷さが問題ない理由 

前々回➡昔話の残酷さ 

 

 

昔話というものは、この世の理(ことわり)や人間の真実を大げさ且つわかりやすく描くため、残酷さを描くこともある。

そして、その残酷な出来事があればこそ、結末が満足できたり、安心できるものになるのだ。

 

そんな残酷な話を子どもたちに聞かせても大丈夫な理由の続き。

 

 

 

 

③スキャンダラスな出来事よりも、その物語が伝える真のメッセージを子どもたちは受け取るから

 


大人は昔話の残酷な場面だけを取り上げて、道徳的にとか、子どもへの影響は などと騒ぎ立てる。

 

確かに、残酷な出来事や言動があるにはあるが、前回、前々回に述べた通り

生々しさや具体性に欠けており、しかも視覚に訴えないので、子どもたちへの心理的問題はないと言える。

 

全てが”事実”とはかけ離れたメタファーなのだ。

動物たちが人間のように家に住んだり、会話し合ったり、魔法がかかったり とけたり、全ては作り話なのだ。

 

けれど、ほとんどの昔話はその作り話の中に、大人が子どもに伝えたいメッセージを仕込んである。

しかも、子どもがワクワクドキドキ、聞きたくなる魅力的な話に仕立て上げてあるのだ。

 

 

 

例えば、「おおかみと七ひきのこやぎ」

これは、子ども7人をシングルマザーもしくはワンオペで育てている健気な母親の家庭の話だ。

幼い子どもたちを置いて出かける時も、他に頼める相手もいない。

そんな状況でも、子どもたちを愛してやまない母親は食べ物を求めて出かけるのだ。

子どもたちは、ちゃんと言いつけを守ったにもかかわらず、運悪く災難(狼)に合う。

それを、母親の知恵と勇気で切り抜けて、最後には、その災難(狼)は去り、完全な平和が訪れる。

災難が完全に無くなる イコール 狼が死ぬ なのだ。

 

 

この物語を子どもたちは、子ヤギの気持ちで聞く。

ハラハラドキドキ、息をのんで聞く。

最終的に狼が死んで安堵し、心から満足するのだ。

 

 

 

 

右から

日本の昔話シリーズ 

おざわとしお 再話  赤羽末吉 画  福音館書店

 

『子どもの聞かせる世界の民話』

矢崎源九郎 編  実業之日本社

 

『イギリスとアイルランドの昔話』

石井桃子 編・訳  福音館書店

 

 

 

こういう話を聞いて、

「ありえない!」とか「残酷!」

 

などと言うのは、頭でっかちで、お話を聞き馴れない子と決まっている。

 

そして、道徳や倫理観が先に立つ大人たちだ。

 

 

 

先に述べた通り、昔話には大人が子どもに伝えたいメッセージが込められている。

 

それはたいてい、子どもたちに勇気を与えるものだ。

 

人生における困難、それを耐え忍び、乗り越え、チャンスをものにし、人生を切り開くという話が多い。

 

その時、ただの偶然だけでなく、心がけや知恵や勇気など、自分の持ち合わせたものを最大限に使うというところも 聴き手に勇気を与えるものだ。

 

 

 

 

昔話は、何百年、時には千年単位の長い時の洗練を受けてもなお、大人が子どもに語って聞かせる価値があるものだけが、現代に語り継がれている。

 

ただの古臭い時代遅れの代物ではない。

古くて新しい。

事実ではなく真実を語っているからだ。

 

 

 

子どもを取り巻く様々な問題の多い現代にこそ、

昔話を子どもたちに語りたい。

 

覚えて語る必要はない。

文字になった昔話の本がたくさんあるのだから、それを読んであげればいいのだ。

 

 

 

是非、ご家庭でもたくさんの昔話を読んで欲しいと思う。