恵翠(けいすい)書道教室 -19ページ目

恵翠(けいすい)書道教室

盛岡市のお習字教室 / 滝沢市のお習字教室  盛岡市の書道教室 / 滝沢市の書道教室  盛岡市の書道塾 / 滝沢市の書道塾

シュタイナー教育入門講座 No.4 「むすんで ひらいて」
 2014年8月2日(日) 紫波町情報交流館 オガール2F 小スタジオ


故・鳥山 敏子先生(東京賢治シュタイナー学校創立者)と板垣 寛氏(鳥山先生ゆかりの人物で、紫波町の名士で板垣農場の5代目)との対話より。
 ※メモを取らなかったので、正確な内容ではありませんが…


板垣氏:何でシュタイナー学校を建てようと思ったのですか?

鳥山先生;教育現場は常にその時の政治体制の影響を強く受けています。大戦前は、軍国主義的な影響。大戦後は、高度成長期とあいまって経団連の影響。だから、政治体制に振り回されない教育がこの国にはなくてはならないのです。世界にはいろいろな教育システムが存在しますが、ある教育システムは、幼児偏重のもの、ある教育システムは高校までと、人間の一生をサポートする教育となるとあるようでないのです。シュタイナー教育は一生涯の教育だったので、そこが決め手となりました。これからは、シュタイナー教育が世界の教育の中心になると信じています。


板垣氏:あなたは、宮沢賢治研究家として多くの映画を制作していますが、なぜ賢治に注目したのですか?

鳥山先生:私は宮沢賢治研究科ではありません。宮沢賢治そのものになりたかったのです。小学校に入る前に父から買ってもらった宮沢賢治の本に強く感動して、それ以後、賢治の作品が自分の中で一番優れたものとなっていきました。だから、賢治と同じように生き、賢治と同じように自然と対話ができて、教え子たちと心から語り合える。できることなら賢治と同じように37歳で死にたかったのですが、残念ながら70を過ぎても生きているわけです。賢治は、自然を愛し、未来を担う子供たちをとても大切に思っていました。こういった愛が奇跡を起こすのです。悪者を打倒すことで平和が来るのではありません。どんな厳しい時代が来ようとも、愛が不可能を可能に変えてくれるのです。シュタイナーと賢治の教えの接点はそこにあります。


次に、私個人の話となります。今年に入ってからの安倍総理の動きに対し、私はかなり批判的でした。しかし、悪者を打倒すことで平和が来るのではないとなると、私たち一人一人が愛に生きる人にならなくてはなりません。政治家が平和を担っているのではなく、私たち一人一人が平和を担っているのですから。私たちは、そのことに気付かなくてはならないのです。

とはいえ、私たち一人一人が、具体的に自分にできる平和活動をしなくては、悪い体制を良い方向へと導けるような奇跡は起こせません。相手を打ちのめすのではなく、世界中の人が愛し合えることを信じて行動に移さなくてはならないと思うのです。


今日は、午前中に、おばあちゃん先生の個展の件で、お店はお休みの日ですが打ち合わせがあってCafe Jazz開運橋のジョニーに行きました。おばあちゃん先生の若い頃の作品も素晴らしいことながら、長いこと眠っていた作品を見事に生き返らせるマスターの照井さんの展示センスに感動を覚えました。音楽プロデューサーでもある照井さんは、アーティストの良い面を感動的に引き立てる天才だと思いました。帰りには、おばあちゃん先生と照井さんとで記念写真を撮りました。その時の様子については、写真を交えて、後日記事でお知らせしたいと思います。


「佐藤文子の恵翠刻字展」(個展) Café Jazz開運橋のジョニーにて
8月1日(土)~30日(日)





お盆休みは、8月12日(水)~16日(日)です。



恵翠書院 盛岡教室

恵翠書院 滝沢教室
我が国にとって、8月は平和を考える月間といえるのかもしれない。

2015年1月20日 安倍総理のイスラエル訪問 総額2億ドルの新規支援を約束 ⇒ 同日、ISが湯川遥菜さん(42)と後藤健二さん(47)の二人の日本人の殺害を警告 72時間以内に2億ドルを要求。1月24日 ISによる湯川遥菜さん殺害。2月1日 後藤健二さん殺害。

★このことにより日本人がテロの標的とされるようになる。

2015年7月15日 安倍自民党・公明党連立内閣、集団的自衛権法案の強行採決 ⇒ 憲法9条(戦争放棄=私たちは誰の敵でもないというアピールによる平和維持だった筈)による平和の時代が終わる。

★後方支援=兵站(へいたん)をするということは、対する国から日本は「敵国と見なされる」という意味でもある。つまり戦争に巻き込まれる可能性が極めて高くなったといえるのだ。

被爆国でもあり、東日本大震災で原発事故を体験している日本は、世界の悪い流れを阻止するための役割を担える唯一の国であった筈である。その役割が、この一連の出来事で消えてしまい。日本は世界の悪い流れに乗ってしまった国の一つと成り下がってしまった感が否めない。日本の平和へのイニシアティブは無くなりつつあるのだ。

このように、安倍政権は、国民を極めて危険にさらすような判断をし続けているのである。

前の政権の民主党が、あまりに党内での意見が合わずに政治を不安定にしたことから、国民は前回の選挙で自民党を勝たせた。自民党を勝たせたからと言って、イスラエルに2億ドルの新規支援をしたり、集団的自衛権法案の強行採決を国民が望んでいたわけではない。安倍総理は、こういったことを国民の意見を一切聞かずに、数の論理で、多数決ですべて決めていこうとしているのである。これは、ある意味、独裁政治と言うしかない。

もはや、日本は平和な国とは言えなくなってきている。これから、多くの日本人が戦争や事件に巻き込まれて死んでいくことになるだろう。

これを阻止するには、次の選挙で自民党と公明党(公明党は平和を第一に考える党だった筈?)による連立政権を敗北させ、新しい政権により、集団的自衛権法案を廃案に持っていくしかない。このことで世界から注目を浴びるようにするのである。

2016年年7月の参院選挙。解散せずに、もしも任期満了までいくのであれば同年2016年12月(または11月の後半)に衆院選挙がある。

あと1年ないしは、1年5か月に日本が戦争等に巻き込まれないことを祈りたいし、この間に野党の中から、自民党と公明党による連立政権を引き下ろせるだけの勢力を築きあげられるかが鍵となってくる。

さて、平和ボケしている日本の有権者にそのようなことができるのだろうか?

アメリカの軍事産業は、アメリカ経済の利益をもたらしているカテゴリーの中で第1位のものなのだという。ちなみに2位は薬に関するものらしいが(これも問題である)、ITや電気製品、自動車より上なのである。アメリカが戦争をやめられない理由はそこにあるように思うのだ。

中国がAIIB(アジアインフラ投資銀行)を立ち上げてから、アメリカと中国の関係が悪化してきているようである。日本は、中国と隣国ゆえに、何らかの紛争に巻き込まれる可能性が大きいのである。しかも、中国の中距離弾道ミサイルが日本に照準を合わせて配備されていることは、今から11年前の2000年に米国政府関連機関の報告書に明記されていることが報道されている。これら日本向けミサイルはほとんどが通常弾頭装備用で8000個に上るとみられているが、一部には核弾頭装備の可能なミサイルもあるといい、こちらは120~200個に上るとみられている。

先日、うちの塾の子供たちと、YouTubeの動画「広島原爆投下」を見る授業を行った。その後で、上記のことを話したら、ある子は、子供たちが安倍総理に抗議の手紙を書いたものを送りたいと声高々に自分の意見を述べていた。何とその日は、動画を見た子全員が戦争反対と声を上げたのだった。彼らが実際に動いてくれるかは別として、世の中を良くするために何かしたいと思える子は、何も考えずにダラダラ生きている子よりも優れた人生を歩んでいくことだけは間違いないだろう。

曜日を変えてやってみたところ、今度は反応がイマイチだった。これは、その日は9歳以下の子供が多かったことに原因があったものと考えている。シュタイナーの教えにあるように、子供の発達の上で、9歳前の子への教材選びはデリケート過ぎるくらいにならなくてはならない意味を思い知ることとなった。

現在、少し期待をしていることは、「平和教育が子供たちの才能を開花させる」ということである。と言うのは、自分は世の中に役立つために何をする人になりたいかという方向性が生まれてくるからである。ただし、9歳以前の子は、オイリュトミー(舞踏イメージ)という形でやっていこうと思う。

そういう子供たちが増えたとしても、現実的には世界の悪い流れを変えることは困難なのかもしれない(いや、奇跡が起こることを信じたい)。私たちの内側の戦いが終わらない限り、戦争は終わることはないからだ。つまり、私たちの内側の葛藤が外の世界に争いとなって現れているのである。人類は、よほど恐ろしい苦痛を味合わなくては、愚かな戦争を止めることができないということなのだろう。

平和を捨てた日本に明るい未来があるのだろうか。

あるとすれば、今の子供たちがどう育っていくかに掛かっていると思う。子供たちを大切に、良い教育をいかに授けるか。そこが重要になってくるような気がする。

岩手・矢巾町中2いじめ自殺(2015年7月5日)にも見られるように、残念ながら、学校や公共施設では子供一人一人にまで目が届かないのが現実である。多くの教師が学校行事をこなすだけで精一杯なのだ。そうなると行事に翻弄されることなく(私の塾ではそこに反省点が若干ある)教育のみに集中できる私塾や企業の職場実習の役割が大きいといえるような気がする。こういった教育に関わる大人たちが、大いに語り合って質を高めていかなければ…


「佐藤文子の恵翠刻字展」(個展) Café Jazz開運橋のジョニーにて
8月5日(水)~30日(日)







恵翠書院 盛岡教室

恵翠書院 滝沢教室


おばあちゃん先生が特別賞(高円宮杯)

今月16日、高円宮杯日本武道館書写書道大展覧会の審査結果が送られてきました。

賞の内容は上から、特別賞(日本武道館奨励賞以上)、日本武道館賞、大会奨励賞、特選、金賞、銀賞、銅賞となっていますが、当塾での今年の成績は、特別賞(1)、日本武道館賞(5)、大会奨励賞(1)、特選(4)、金賞(4)、銀賞(3)、銅賞(1)でした。特に日本武道館賞がこれまでの最高だった3名を2名上回る好結果でした。

高円宮杯の審査結果が送られてくるほぼ1週間前には、競書の段試験結果が発表されましたが、硬筆・毛筆合わせて19点のうち17点が合格でした。不合格の2点は、中学生の2名でしたが、二人とも2点のうち1点は合格したので「全員合格」となり、これもまた例年にない素晴らし結果でした。この二人は、心がスランプでお休みが続き、練習にあまり打ち込めなかったこともあり、片方だけでも合格できたことは幸運だった言うべきなのかもしれません。この日には、岩手県書写コンの課題が送られてきて、当塾では、どこよりも早く書写コンの練習に取り組んでいることになります。

さて、今年の高円宮杯では特別賞が1名出ましたが、その特別賞を受賞したのは、おばあちゃん先生でした。あくまで子供たちを優先させたので、おばあちゃん先生は出品することだけを目的としていたため、まさか特別賞を受賞するとは考えてもいませんでしした。昨年、4月に腰の骨を圧迫骨折して寝たきりになり、リハビリが進むにつれて、起きている時間を少しでも増やさせる作戦として、私が書道用の机から用具一式をプレゼントして、高円宮杯へ出品することを目指させたことが始まりでした。今回は、唐の三筆の褚遂良の臨書でしたが、さすが昔取った杵柄というか、私には表現できない世界を見事に描いていた作品だと感じてはおりました。

8月30日(日) 東京・九段 ホテルグランドパレス2階「ダイヤモンドルーム」にての授賞式には、私が付き添って出席する予定です。

そうなると、今年は、おばあちゃん先生の年といえるのかもしれません。来月8月1日(土)~8月30日(日)の1か月間、Café Jazz開運橋のジョニーさんで、おばあちゃん先生の初の個展(「佐藤文子の恵翠刻字展」)を開催することになっているからです。

詳しくは、ジョニーのマスターの照井顕氏のご厚意により、7月14日(火曜日)の盛岡タイムスの毎週月曜日の照井氏の人気コラム「辛遊記」の記事に載せてもらいました(13日の月曜日が新聞休刊日だったので火曜日に掲載されました)。





今回の高円宮杯で良かった点は、昨年、成績が芳しくなかった塾生が日本武道館賞を受賞したことです。以前にも、金賞だった子が翌年に文部科学大臣賞を受賞したケースもありました。今年、金賞、銀賞、銅賞だった子には、来年には、大きな賞を狙わせたいと思います。そうなると、どの子にも隔年か3年おきにチャンスが巡ってくるような形になるかもしれませんが、私は全員に主役になってもらうつもりで頑張らせたいのです。

県の書写コンは、各学校から出品するため、主役がもっと増えてきて全員主役も可能なのかもしれません。ただ、全国展のように塾から出すものとなると多くて5名。特選まで拡大しても10人程度が限界なのです。そこが辛いところですが、それだけに各学校から出せる書写コンは頑張らせたいと思うのです。

今年、このように成績が上がった原因は、私が新聞配達を辞めたことにあると言えると思います。やはり、教師が疲れていると、指導に陰りが出てしまうことがはっきりしたわけです。お弟子さんの数をしっかりキープしないと、また新聞配達のような仕事をしなくてはなりません。そこのところをご理解いただき、親御さんにも宣伝していただきたいと願う次第です。




恵翠書院 盛岡教室

恵翠書院 滝沢教室

どんなに才能に不足していても、
 「できない」を「できる」に変えるのが教育の力なのである。

オリンピックの選手を育てるコーチではなく、
 パラリンピックの選手を育てるコーチでありたい。

ライオンの子供は、大怪我をしたり、病気をすると、群れから離されて死ぬしかない。

しかし、人間の子供は、大怪我をしても、病気をしても、見放されることはない。生き続けることができるのだ。

動物と人間の大きな違いとはそこにある。

もし、障害を持つ人間が生きられない社会ならば、ジャングルを生きている動物たちと何も変わらないことになってしまう。

障害者を支え、障害を乗り越えること。そこに「人間性の原点」がある。

シュタイナー教育とは、本来、そういう教育であるべきなのではないだろうか。


(これは昨夕、意識下に突然飛び込んできたイメージを綴ったものである)
障害者を見下げ、共に生きていこうとしない者。自己中心的考え方に心を支配され、欲望のままに生きている者。こういう者たちに魂の浄化も進化もなく、これは、最も恥ずべき存在と化しているのである。現代は欲望があからさまになっている時代ゆえ、人間性がはっきりと分けられてしまう。それ故、そんなに遠くない未来において、こういう者たちは恐ろしい艱難の時期を乗り越えることができずに自ら自滅していき地球が浄化されていくことだろう。「浄化」なき所に「進化」は存在しないからだ。多くの者は、今、そういう時代に入っていることを知らないでいる。騙されてはいけない。時代の風潮に流されてはいけない。むしろ時代の風潮の意味を探るのである。そこに気づいて、自分を律することができる者のみが、恐ろしい艱難を見事に乗り越えて、幸せに満ちた未来へと到達することができるのである。時代を批判して生きるより、ひたすら人間性を磨いて生きる方が的を得た生き方であると思うのだ。






恵翠書院 盛岡教室

恵翠書院 滝沢教室
前回、「頑張れること」の素晴らしさについて書きましたが、現実問題は、頑張れない人が増えているのではないかと感じています。「頑張れない」「死にたい」という心の方向性があまりに強く、修正が利かず、ついに自殺に至ってしまったケースも少なくありません。

盲人の目を開き、あらゆる病気を治したイエス・キリストも、奇跡を起こす前に必ず、「良くなりたいか」と尋ねます。

そして、「主よ、良くなりたいです」と言えた者に対してのみ奇跡を与えているわけです。

そうなると、「良くなりたい」という気持ちすら失っている場合、キリストの奇跡も起こらないということになります。

このことからも、「頑張れない」という心の方向性は、実に重い病気であると言うことができるのだと思います。

キリスト様も治せない?病気を私が治せるわけもなく、そういう人に対して無力であることは当然といえば当然なのでしょう。

ただ、そうなる前に食い止めることはできないものかと考えるわけです。これを食い止めるための子供の教育を行うことが、教育現場にいる者の使命とも考えています。

と同時に、そういった恐ろしい病に苦しんでいる人たちを支えていくことが社会の役割でもあると思うのです。この病気の恐ろしさは、一見、理解しにくいところがあります。単に怠けているのではないかと思われがちです。しかし、人との交流に難があり、あまりにも幸福感に乏しい状態を見ると、そうは考えられなくなってしまいます。

本人に良くするための力がない場合のことについてもキリストは教えています。それは、周りの人がよく祈り、必ず良くなると信じてあげることです。実は、盲人の目を開いた奇跡においても、その人が主に出会うまで、良くなりたいと長い長い期間、願い努力し続けた信仰があったわけです。つまり継続的な良い習慣の上に成り立った奇跡だったのです。

同様に、本人がダメな場合、周りの人が、継続的に良くなることを信じて、その人を支えてあげるという良い習慣を継続させる時、そこに奇跡が起こるのだと思います。

「継続は力なり」

いずれにしても信仰が問われるわけです。信仰とは、奇跡に出会うためにあるのだと思います。




恵翠書院 盛岡教室

恵翠書院 滝沢教室