子どもたちを見ていて、何かしらの才能を持っていることを感じられる。書道の才能を持っている子。リーダーになる才能を持っている子。絵の才能を持っている子。作文の才能を持っている子。スポーツの才能を持っている子。ピアノの才能を持っている子…
私は書道を教えているが、そういった子供たちの才能を見出し応援している。こういった才能は無意識の内に働き、無意識で「できる」を体験しているのである。
シュタイナー教育的には、「できない」を「できる」に変えることこそが教育の醍醐味なのである。「できない」を「できる」に変えることは学ぶ者にとっても教える者にとっても苦痛の伴う大変な作業となるが、達成できた時、この子は、これからいかなる困難に出会ったとしても、「できない」ではなく「できる」で考えることができるようになるからだ。そして、教える教師もマンネリに陥ることなく、教師としてのスキルをぐんぐん上げることができるのだから大いに意義があるのだ。
インターネットで調べていて、輪廻転生を否定している人が結構多いことに気付いた。特に聖書を信仰の基本に置いている人は、その傾向が強い。信仰心という後ろ盾があると、科学的に実証されていないことでもはっきりと断定するようである。私はクリスチャンだが、シュタイナー教育を研究しているので、キリストや本来の釈迦の教えにある解脱としての天国と、その真逆の地獄、そしてどちらでもない輪廻転生を複合的に捉えている。科学的にはっきり証明できない分野ゆえ、幅広く考えた方がより多くの人と共感できるチャンネルが得られると考えているのである。
私が支持している仮説では、死ねば、無意識になるということである。これは前世の記憶があるとかといったものとは異なってくる。無意識なので、直接意識に働くものではない。しかし、無意識で「得意」または「苦手」を勝手に志向してしまうのである。前世でピアノをマスターした人は、無意識でピアノに対して自信を持っている。前世で哲学をとことんやったものは、哲学を学ぶことについつい喜びを感じてしまう。その程度のことな筈だが、この無意識方向性が、不思議と才能に大きく関わっていると考えているのだ。
しかし、無意識で「できる」ことが得意になったからといって大したことはないのである。得意なことだけやっていった方が成功への近道と言う人もいるが、人生、いつも調子がいいことばかりではない。ある意味、前世の自分を超えなくては、現世を生きている意味がないのかもしれないのだ。
東京賢治シュタイナー学校の創立者である故・鳥山敏子先生は、劇の発表会では、前回主役だった人には、今回は脇役。前回脇役だった人には、今回は主役をやられるという形で配役を決めていったのである。もちろん、脇役だった子が主役をやると言うことは、「苦手」と取り組まなくてはならない訳なので、始めは泣きじゃくって抵抗していた。それでも先生は許さず、何度も何度も「できる」までやらせるのである。そうして、その子は自分の「苦手」を見事に克服していったのである。逆に主役だった子は、脇役をやるのはつまらないことである。しかし、生半可な気持ちで脇役はさせない。主役を立てるために、どうあるべきかを徹底的に考えさせるのである。これは、いつもと違う自分を演じなくてはならない。ここにも、自分の壁を打ち破らなければならない試練があるのだ。そういう授業風景を記録DVD映像によって学ぶことができた。
確かに、輪廻転生の批判は理解できる。前世が見られるという人の話を聞いて、残念ながら、私はそのほとんどが嘘と見抜けてしまった。カバラ数か何かであらかじめ、せいぜい十数種程度にパターン化されたものでヤマを掛ける。しかもそれは、相談者が受け入れやすいパターンとなっているのである。それに、相談者との会話の中でふくらんだイメージから連想されたものを加えたものに過ぎないのである。こういったものは、相談者にも見えるようにしなければ、相談者は、カウンセラーの言葉をただ鵜呑みにするしかないのでアンフェアというしかない。真実と異なるものなので、相談者が良くなる筈がなく、そこには大切な「気づき」も「悟り」も無いゆえ、むしろ悪くなって当然なのである。つまり、信じる価値などどこにもないのである。
1000年前の世界の人口と、現在の世界の人口とを考えると、輪廻転生の数が合わなくなってくる。悪魔崇拝をしたため、地獄に落ちて、輪廻転生すらできない者も多くいることも考慮しなくてはならない。そうなると、「あなたの前世はありません」という人が多く出て来る計算となるのである。そうなると、他の惑星からの輪廻転生者がいないと数が合わなくなってくる。私は、地球はいつかは人が住めなくなるわけで、もし人類が絶滅したとするなら、地球とは異なる他の惑星が無いと、人類は輪廻転生できなくなってしまうと考えている。
そこまで、広げて考えないと輪廻転生とは何かが見えてこない。シュタイナーの教えはファンタジーとも捉えられるものではあるが、「もしも○○だったら」という考え方が、物理的な多くの発見を見出したのである。なので、馬鹿にできない。もし、私の説が間違っていたとしても、「間違っていた」とはっきりした時には、真理が見出されていることになる。
一番愚かなことは、真理が見出されていないのに、正しいとか間違っているとか断定してしまうことである。
輪廻転生は間違っていると断言した人たちの文章を読んで、良いところをついていながらも残念ながら、まだ真理には至っていないと感じるしかなかった。共感できる部分も多くあったが、それでもすっきりしないのである。
多分、私の論も、反対意見の人たちからすると、すっきりしないものだろう。しかし、私の論は、教育的なものとして考えたものであり、世の中を良くしようという発想からきているものである。そして、自分の論は、まだ完成したものではなく、未来の人に完成へ辿り着いて欲しいと言う願いも込めている。
だから、私は断定はしない。
ここ数週間、いろいろ世界の裏側について調べまくり得た情報のために私はかなり失望してしまった(特にバチカンの犯罪について)。失望の中、怪我や病気にも苦しんだ。しかし、私のように広いスタンスで黙想をしていくと、最悪のシナリオの中にも「絶望」は存在しないことに気が付くものである。そして、批判することでもなく、戦うことでもなく、未来の担い手である子供たちを健全に育てることにひたすら情熱を注ごうと思うことで迷いは消え去った。
それは、神も私たちが健全に育っていくことを最も期待してくださっており。キリストの教える天国(解脱)は、私たちが他者の勧めではなく、自分の意志により、神の世界へと到達し、神の世界に調和することに全力を尽くせる者となることである。
そこには、この世での学びも知恵も必要はない。この世は、不完全な次元ゆえに、学びや進化が存在するので、神の世界には、学びも進化も存在しないからだ。進化というと聞こえは良いが、新しい時代の流れに合わせないと生きていけない現実を意味しているのであって、神の世界では全く不要の価値観なのである。
だから、いつの時代においても、常に天国はウエルカムなのである。
いかに正義の名のもとにおいても、殺人、拉致、略奪を喜ぶ神など存在しない。
神は、利他の愛に基づく平和しか望んでおられないのだ。不完全な人間の価値観などそこには存在しない。
また、正しい知識を得ないと天国へ行けないと言うのは間違いである。それゆえ、正しい宗教など存在しないのである。前に書いたが、天国に不完全なこの世の知識など不要だからである。その人の意志の力で、神への信仰を築かないと天国へ行けないのである。
ただ、そうなってくると、その人の意志が最も重要になってくる。その人が、他者の勧めではなく、自分の意志で「良くなりたい」と思えるかどうかに掛かってくるのである。
真実の教育とは、常に「良くなりたい」と願うことのできる人間を育てることにあると私は考えている。
つまり、輪廻転生を信じようが信じまいが、大切なことは、(悪魔ではなく)神への信仰を築くことにある。私は、科学で実証されていないどちらの価値観に対しても否定せずに語り合える者でありたい。相手の信仰心を大切にしたいゆえ、自分の考え方を押し付けるつもりは到底無いのである。
そして、(悪魔ではなく)神を信ずる限りにおいて、最悪のシナリオの中にも「絶望」は存在しないと言えるのである。
だから、いつも安心して、いつも喜びを持って生きていこう。
恵翠書院 盛岡教室
恵翠書院 滝沢教室
10月ももうすぐ終わりだが、それにしても書道塾としては実に忙しいシーズンである。
通常の競書課題のほか、後期段試験課題、さらに書写コンの課題をこなさなくてはならなかったからだ。そして、子供たちは、かなり頑張ってくれたと思う。
マイヤ書道展の展示も10月である。当塾のお弟子さんたちは大健闘で、多分、良い宣伝効果が得られたような気がする。
11月からは1か月以上、通常の競書課題のみとなるので、ここで子供たちにシュタイナー的な道徳教育をやってみようと考えている。
1月から4月までは、基本的なシュタイナー教育を予定している。来年の書初めコンクールには参加しないことにしたので実現できそうである。
5月からは、高円宮杯、前期段試験、マイヤ書道展と次々とスケジュールが展開され、お習字漬けの日々となっていくことだろう。
さて、私は今月20日(火)の帰宅時に、忘れ物を取りに走ったことで、暗闇に足をすくわれ転倒し、左足に激しい肉離れを起こしてしまった。
激痛のため歩くのもままならない。母の車いすを押すこともできなくなった。
そんな中、最近、バチカン内で黒ミサが行なわれていることを知ってしまった。不思議にも、情報の方から次々に私の方に飛び込んで来て知らせてくれたのである。ある意味、奇跡に近い導きを得られたような気がする。黙想によって、カトリックの素晴らしき先人たちが教えてくれたのかもしれない。天は大いなる悲しみに満ちているというのである。
これは文章に書くのも忌まわしい、イエス・キリストを最大限に侮辱する秘密裏に行われる悪魔崇拝の儀式である。
黒ミサは、目には見えない存在でも、この世の支配者である悪魔が最も喜ぶ超残酷で非人道的儀式ゆえ、悪魔の力を最大限に得られると言われ、巨万の富を手にすることも可能となってくるのである。ただし、人間として最低の行為であり、地獄行きは免れないと言うしかない卑劣な内容なのである。その最低な儀式をバチカンの地下で行われているというのである。私は、輪廻転生や解脱について学問的に追求してきたのだが、地獄は存在しないと思ってきた。しかし、今回のことで地獄の存在に確信を持つことができたのである。
カトリック信徒として、こんなにも悲しみ落ち込んだことはない。ただ、ここまでイエス・キリストを侮辱するということは、悪魔と神の対立軸をしっかりと見極めることができるようになったのである。黒ミサの方が正しいとか、優れているとはお世辞にも言えないからだ。明らかに間違っていて、最低最悪なのである。そうなると、本来のミサがいかに神聖で正しいことかが理解できる(プロテスタントの礼拝も同様)。
これまでとは違い、曖昧さが全く無くなり実にはっきりしてきたので、私も決意新たに真っすぐに聖書の信仰に生きられると思った。タロットカードは本当によく当たるが、悪魔の業がはっきりしてきた今、処分することにした。これはどちらかと言うと悪魔の側だし、神との絆の方を大切にしたいと思ったからだ。
世の中にはびこっている悪魔の催眠術に眠らせられていたクリスチャン(私のこと)がついに復活の時を得たのである。
何も金持ちになることなどない。貧乏でも耐え忍んでいこう。それより神の側で生き、神の導きに従順に従い、エリヤのような力が得られたなら何と素晴らしいことだろうか。単なる人間のままで、この悪魔たちに立ち向かうことなど全く意味の無いことだが、神の力が注がれるならば、悪魔たちを打ち砕くことができることだろう。
これからの時代を生きる人は、具体的に悪魔を体感することができるようになることだろう。同様に具体的に神の業を体感することができる祝福も得られることだろう。そう考えると悲しんでばかりもいられないのである。人類(地球人)は、すでに最終的なシナリオへと突入したのである。
戦争もテロも、人口問題、宇宙人の問題に至るまで、すべて神が解決させてくれることだろう。そして、神は最後に必ず勝利するのである。だから、安心して生きていこう。信仰による平安こそが、世の中を良い方向に導く最大の力となるからだ。
それでも私は悪魔すら敵視はしない。愛はすべてを包み、変える力があるからだ。愛は神から出ている力であり、憎しみはその愛の力を弱めてしまうからだ。だから、これまで通りのスタンスで、祈りを持って進んでいこうと思う。
とにかく、このようなことがあったので、今回の足の怪我については、悪魔たちによる霊障に巻き込まれたのかもしれない。足の痛みは辛いが、ひたすら子供たちの教育に情熱を傾けていきたいと思う。
今日の記事の内容に関してはデマであって欲しいと願うだけです。悪い夢を見ていただけと忘れるべきなのかもしれません… とはいえ、よくよく考えてみると、こんなことで驚いてなんかいられない訳で、自分をもっとしっかり持つために何でも受け入れられる心のキャパが大きく、強い人間になりたいし…
とはいえ、つい、かなりオカルティックな記事となってしまいました。こういう記事は書かないつもりだったので大いなる反省点でもあります。もし気分を害されたなら本当に申し訳ないです。すみませんでした。こんな時は、美味しいものでも食べて忘れてください。明るく生きることこそが一番だからです。そして再度、重ねてお詫び申し上げます。
通常の競書課題のほか、後期段試験課題、さらに書写コンの課題をこなさなくてはならなかったからだ。そして、子供たちは、かなり頑張ってくれたと思う。
マイヤ書道展の展示も10月である。当塾のお弟子さんたちは大健闘で、多分、良い宣伝効果が得られたような気がする。
11月からは1か月以上、通常の競書課題のみとなるので、ここで子供たちにシュタイナー的な道徳教育をやってみようと考えている。
1月から4月までは、基本的なシュタイナー教育を予定している。来年の書初めコンクールには参加しないことにしたので実現できそうである。
5月からは、高円宮杯、前期段試験、マイヤ書道展と次々とスケジュールが展開され、お習字漬けの日々となっていくことだろう。
さて、私は今月20日(火)の帰宅時に、忘れ物を取りに走ったことで、暗闇に足をすくわれ転倒し、左足に激しい肉離れを起こしてしまった。
激痛のため歩くのもままならない。母の車いすを押すこともできなくなった。
そんな中、最近、バチカン内で黒ミサが行なわれていることを知ってしまった。不思議にも、情報の方から次々に私の方に飛び込んで来て知らせてくれたのである。ある意味、奇跡に近い導きを得られたような気がする。黙想によって、カトリックの素晴らしき先人たちが教えてくれたのかもしれない。天は大いなる悲しみに満ちているというのである。
これは文章に書くのも忌まわしい、イエス・キリストを最大限に侮辱する秘密裏に行われる悪魔崇拝の儀式である。
黒ミサは、目には見えない存在でも、この世の支配者である悪魔が最も喜ぶ超残酷で非人道的儀式ゆえ、悪魔の力を最大限に得られると言われ、巨万の富を手にすることも可能となってくるのである。ただし、人間として最低の行為であり、地獄行きは免れないと言うしかない卑劣な内容なのである。その最低な儀式をバチカンの地下で行われているというのである。私は、輪廻転生や解脱について学問的に追求してきたのだが、地獄は存在しないと思ってきた。しかし、今回のことで地獄の存在に確信を持つことができたのである。
カトリック信徒として、こんなにも悲しみ落ち込んだことはない。ただ、ここまでイエス・キリストを侮辱するということは、悪魔と神の対立軸をしっかりと見極めることができるようになったのである。黒ミサの方が正しいとか、優れているとはお世辞にも言えないからだ。明らかに間違っていて、最低最悪なのである。そうなると、本来のミサがいかに神聖で正しいことかが理解できる(プロテスタントの礼拝も同様)。
これまでとは違い、曖昧さが全く無くなり実にはっきりしてきたので、私も決意新たに真っすぐに聖書の信仰に生きられると思った。タロットカードは本当によく当たるが、悪魔の業がはっきりしてきた今、処分することにした。これはどちらかと言うと悪魔の側だし、神との絆の方を大切にしたいと思ったからだ。
世の中にはびこっている悪魔の催眠術に眠らせられていたクリスチャン(私のこと)がついに復活の時を得たのである。
何も金持ちになることなどない。貧乏でも耐え忍んでいこう。それより神の側で生き、神の導きに従順に従い、エリヤのような力が得られたなら何と素晴らしいことだろうか。単なる人間のままで、この悪魔たちに立ち向かうことなど全く意味の無いことだが、神の力が注がれるならば、悪魔たちを打ち砕くことができることだろう。
これからの時代を生きる人は、具体的に悪魔を体感することができるようになることだろう。同様に具体的に神の業を体感することができる祝福も得られることだろう。そう考えると悲しんでばかりもいられないのである。人類(地球人)は、すでに最終的なシナリオへと突入したのである。
戦争もテロも、人口問題、宇宙人の問題に至るまで、すべて神が解決させてくれることだろう。そして、神は最後に必ず勝利するのである。だから、安心して生きていこう。信仰による平安こそが、世の中を良い方向に導く最大の力となるからだ。
それでも私は悪魔すら敵視はしない。愛はすべてを包み、変える力があるからだ。愛は神から出ている力であり、憎しみはその愛の力を弱めてしまうからだ。だから、これまで通りのスタンスで、祈りを持って進んでいこうと思う。
とにかく、このようなことがあったので、今回の足の怪我については、悪魔たちによる霊障に巻き込まれたのかもしれない。足の痛みは辛いが、ひたすら子供たちの教育に情熱を傾けていきたいと思う。
今日の記事の内容に関してはデマであって欲しいと願うだけです。悪い夢を見ていただけと忘れるべきなのかもしれません… とはいえ、よくよく考えてみると、こんなことで驚いてなんかいられない訳で、自分をもっとしっかり持つために何でも受け入れられる心のキャパが大きく、強い人間になりたいし…
とはいえ、つい、かなりオカルティックな記事となってしまいました。こういう記事は書かないつもりだったので大いなる反省点でもあります。もし気分を害されたなら本当に申し訳ないです。すみませんでした。こんな時は、美味しいものでも食べて忘れてください。明るく生きることこそが一番だからです。そして再度、重ねてお詫び申し上げます。
パソコンは膨大な時間を奪う悩みの一つになり得るものである。私のHPのノートパソコンはWindows 8から8.1にアップグレードしたものである。
8.1にしただけでも、いくつかの私にとっては使用頻度の高いソフトが不具合を起こして苦労した。そのことが原因で、バックアップソフトでバックアップしていたPCシステムを復元する作業や、失ったデータの再入力作業等に膨大な時間を奪われた。今、そんなことに付き合っている暇はない… そのバックアップソフトの最新版は、何とWindows 8.1に対応しておらず、ソフト代を返金される事態も体験した。
最近パソコンを立ち上げると、Windows 10にさせようと罠を仕掛けてくるようになった。
うざったらしいので完全無視をしたいところだが、最低限のセキュリティ対策として、Windows Updateの重要な更新(Windows Defenderの更新も含む)だけはしなくてはならない。
最近のWindows Updateでは、Windows 10にアップグレードさせようと罠をかけてくる。うっかりその罠にはまらないためには、Windows Updateで表示された「重要」事項を確認するだけではなく、「オプション」タブを開いて、【ここが重要】「Windows 10 Homeにアップグレード」のチェックを外してから行う必要がある。さもないと勝手にインストールされてしまうのである(もちろん、すぐになら「停止」は可能ではある)。
良く考えてみよう。Windows 8で購入したパソコンは、Windows 8で動かすのがベストな筈である。バージョンを上げるとどうしても無理が出てくるからだ。決してお得ではない。今回はサポート期間の関係で、仕方なくWindows 8.1にしたのだが、そこまでだと感じている。どうしてもWindows 10にしたいなら、新たに購入した方が悩まずに済む。膨大な時間を失うくらいなら新規購入を選びたい。
と言うことで、ここさえ間違わなければ、Windows 10にアップグレードされることなく、安全にWindows Updateを実行できる。私は、うっかりミスをしないために、Windows Updateは時間にゆとりのある時だけにして、普段のWindows Defenderの更新は、Windows Defenderのソフト上の更新から行うようにしている。
また、Windows Updateをする前と後には、必ず、システムの復元の復元ポイントを作成するようにしている。デスクトップに表示されているPCアイコンを右クリックしてシステムのプロパティを開き、「システムの保護」をクリック。「システムの保護が有効になっているドライブの復元ポイントを今すぐ作成します。」の文字の右の「作成」をクリックして作業を進める。
何度、この復元ポイントに救われたことか。最も時間を掛けずにパソコンの不具合を直す方法である。
ブログを頑張れない理由
両親の介護をしていると。仕事をするのが精いっぱいで、他のことは何もできない。
仕事以外で頑張っていることというと、朝の瞑想で、私の守護霊(霊界のマスター)から学びを受けることと、フィットネスクラブで汗を流すこと位だろうか。
体を鍛えないと、この厳しい時期を乗り切れないと思ったからである。
つまり、ブログの記事を書く時間がほとんど無い状態なのである。
しかも、ブログの記事は、せいぜい10分程度で書いているため結構誤字が多く、後で手直ししている有様だ。
そんな記事ゆえ、ヒットするわけがない。それでも書いている理由は、私の本番の人生は両親の介護を終えてからと考えているので、それまでは練習期間と考えている。
全く書かないでいると、本番がきても、何も書けなくなってしまうような気がするからだ。
とはいえ、私の人生において、現在が一番良い学びが得られている時だと思う。
あまりに先取りしすぎてというより、理解できる読者が限られてしまうことから公開できない内容も多く含まれる。
今後は、そういったことは後に公開できる日が来ることを信じ、教育記事に専念しようと思う。
恵翠書院 盛岡教室
恵翠書院 滝沢教室
8.1にしただけでも、いくつかの私にとっては使用頻度の高いソフトが不具合を起こして苦労した。そのことが原因で、バックアップソフトでバックアップしていたPCシステムを復元する作業や、失ったデータの再入力作業等に膨大な時間を奪われた。今、そんなことに付き合っている暇はない… そのバックアップソフトの最新版は、何とWindows 8.1に対応しておらず、ソフト代を返金される事態も体験した。
最近パソコンを立ち上げると、Windows 10にさせようと罠を仕掛けてくるようになった。
うざったらしいので完全無視をしたいところだが、最低限のセキュリティ対策として、Windows Updateの重要な更新(Windows Defenderの更新も含む)だけはしなくてはならない。
最近のWindows Updateでは、Windows 10にアップグレードさせようと罠をかけてくる。うっかりその罠にはまらないためには、Windows Updateで表示された「重要」事項を確認するだけではなく、「オプション」タブを開いて、【ここが重要】「Windows 10 Homeにアップグレード」のチェックを外してから行う必要がある。さもないと勝手にインストールされてしまうのである(もちろん、すぐになら「停止」は可能ではある)。
良く考えてみよう。Windows 8で購入したパソコンは、Windows 8で動かすのがベストな筈である。バージョンを上げるとどうしても無理が出てくるからだ。決してお得ではない。今回はサポート期間の関係で、仕方なくWindows 8.1にしたのだが、そこまでだと感じている。どうしてもWindows 10にしたいなら、新たに購入した方が悩まずに済む。膨大な時間を失うくらいなら新規購入を選びたい。
と言うことで、ここさえ間違わなければ、Windows 10にアップグレードされることなく、安全にWindows Updateを実行できる。私は、うっかりミスをしないために、Windows Updateは時間にゆとりのある時だけにして、普段のWindows Defenderの更新は、Windows Defenderのソフト上の更新から行うようにしている。
また、Windows Updateをする前と後には、必ず、システムの復元の復元ポイントを作成するようにしている。デスクトップに表示されているPCアイコンを右クリックしてシステムのプロパティを開き、「システムの保護」をクリック。「システムの保護が有効になっているドライブの復元ポイントを今すぐ作成します。」の文字の右の「作成」をクリックして作業を進める。
何度、この復元ポイントに救われたことか。最も時間を掛けずにパソコンの不具合を直す方法である。
ブログを頑張れない理由
両親の介護をしていると。仕事をするのが精いっぱいで、他のことは何もできない。
仕事以外で頑張っていることというと、朝の瞑想で、私の守護霊(霊界のマスター)から学びを受けることと、フィットネスクラブで汗を流すこと位だろうか。
体を鍛えないと、この厳しい時期を乗り切れないと思ったからである。
つまり、ブログの記事を書く時間がほとんど無い状態なのである。
しかも、ブログの記事は、せいぜい10分程度で書いているため結構誤字が多く、後で手直ししている有様だ。
そんな記事ゆえ、ヒットするわけがない。それでも書いている理由は、私の本番の人生は両親の介護を終えてからと考えているので、それまでは練習期間と考えている。
全く書かないでいると、本番がきても、何も書けなくなってしまうような気がするからだ。
とはいえ、私の人生において、現在が一番良い学びが得られている時だと思う。
あまりに先取りしすぎてというより、理解できる読者が限られてしまうことから公開できない内容も多く含まれる。
今後は、そういったことは後に公開できる日が来ることを信じ、教育記事に専念しようと思う。
恵翠書院 盛岡教室
恵翠書院 滝沢教室
全国展に出していると、書道塾から出品してさえも一人は銅賞を取る子がいるものである。
私は、銅賞を取った子を一番大事に考えている。
この子こそ、将来有望だと考えているからだ。
将来この子が大人になって、何らかの指導者になった時、
「私は、良い賞しか取ったことないから、できない人の気持ちなんてわからない」
では、誰もついてこないだろう。
「私は、書道においても始めは銅賞だったけど、ものすごく努力して、苦手を克服して、特別賞を取ったんだ」
って言えるなら、始めできない教え子も勇気をもらって、きっとできる人に変えられていくことだろう。
きっと、誰もがそんな指導者についていきたいと思うことだろう。
本当にできる人とは、自分もできる人で、周りの人もできる人に育てられる人だと思う。
自分だけができる人で、周りの人を全く育てられないようでは、本当にできる人ではないのだと思う。
だから私は、銅賞を取った子こそ、未来の指導者にふさわしい素材だと考えているのである。
人間、一つくらいは、超苦手なことに徹底して取り組んで、得意に変えられる体験を持ちたいものである。
得意なことばかりやっていて、苦手なことから逃げていては、残念な次元に留まってしまいそうな気がするのだ。
さて、あなたの苦手は何ですか?
頑張って克服してみませんか?
10月は、普段の競書の他に、段試験と、書写コンの課題に取り組まなくてはなりません。
段試験も、書写コンも練習量で決まります。
通常90分のお稽古時間を120分に延長して教えていますので、お車で迎えに来られる親御さんは通常より30分遅く来てください。
10月は、週1で足りないと思ったら週2来て頑張って欲しいと思います。週2の予約も受け付けております。
特に前回、結果が芳しくなかったお子さん。苦手意識を乗り越えるために週2で頑張らせてみませんか?
きっと素晴らしい奇跡が体験できることでしょう。努力なしに奇跡は起こりません。努力あるのみです。
きっと、素晴らしい心の財産が得られることでしょう。
恵翠書院 盛岡教室
恵翠書院 滝沢教室
私は、銅賞を取った子を一番大事に考えている。
この子こそ、将来有望だと考えているからだ。
将来この子が大人になって、何らかの指導者になった時、
「私は、良い賞しか取ったことないから、できない人の気持ちなんてわからない」
では、誰もついてこないだろう。
「私は、書道においても始めは銅賞だったけど、ものすごく努力して、苦手を克服して、特別賞を取ったんだ」
って言えるなら、始めできない教え子も勇気をもらって、きっとできる人に変えられていくことだろう。
きっと、誰もがそんな指導者についていきたいと思うことだろう。
本当にできる人とは、自分もできる人で、周りの人もできる人に育てられる人だと思う。
自分だけができる人で、周りの人を全く育てられないようでは、本当にできる人ではないのだと思う。
だから私は、銅賞を取った子こそ、未来の指導者にふさわしい素材だと考えているのである。
人間、一つくらいは、超苦手なことに徹底して取り組んで、得意に変えられる体験を持ちたいものである。
得意なことばかりやっていて、苦手なことから逃げていては、残念な次元に留まってしまいそうな気がするのだ。
さて、あなたの苦手は何ですか?
頑張って克服してみませんか?
10月は、普段の競書の他に、段試験と、書写コンの課題に取り組まなくてはなりません。
段試験も、書写コンも練習量で決まります。
通常90分のお稽古時間を120分に延長して教えていますので、お車で迎えに来られる親御さんは通常より30分遅く来てください。
10月は、週1で足りないと思ったら週2来て頑張って欲しいと思います。週2の予約も受け付けております。
特に前回、結果が芳しくなかったお子さん。苦手意識を乗り越えるために週2で頑張らせてみませんか?
きっと素晴らしい奇跡が体験できることでしょう。努力なしに奇跡は起こりません。努力あるのみです。
きっと、素晴らしい心の財産が得られることでしょう。
恵翠書院 盛岡教室
恵翠書院 滝沢教室
昨日は、なかなか級の上がらない子が、何と写真版に上がったので、急きょ、居合わせた5人の子供たちとフライドチキンとクリームソーダ―でお祝いをした。木曜日のレギュラーメンバーたちである。
小3の彼は、微妙な加減が理解できずきれいな字が書けないでいた。そこで、彼にはシュタイナー教育のフォルメンによる「良い線と悪い線」から取り組んでもらっていた。良い線を書くには、真っすぐ書かなければいけないし、さらに良い線を書くには墨の量も加減しなくてはならない。何度も何度も直線を書く練習をした。そして、良い線が書けるようになったら、急に美しい字が書けるようになっていったのである。
彼は、私のシュタイナー教育の最も成果を示してくれた塾生である。他の子供たちは、彼が苦手なことに取り組んでいることを良く知っている。だから心からお祝いできるのである。そして、苦手なことを克服することがいかに素晴らしいことかを知ったのではないだろうか。
昨日はもう一つ素晴らしかったことがあった。それは、小5の女の子が、クラスの代表に選ばれたという作文のコピーを持ってきてくれたことである。
『どんな病気の人も元気になる薬』という題名のものだったが、「笑い」と「笑顔」がどんな病気にも利く素晴らしい薬と書いてあり、後半にはおばあちゃん先生への感謝の言葉が添えられていた。
私が代読させてもらったが、おばあちゃん先生への素晴らしいプレゼントとなるその作文に全員が感動していた。自分もそんな文章を書いてみたいと言う子も出てきた。
昨日のお稽古は、とても思い出深い日となった。
恵翠書院 盛岡教室
恵翠書院 滝沢教室
小3の彼は、微妙な加減が理解できずきれいな字が書けないでいた。そこで、彼にはシュタイナー教育のフォルメンによる「良い線と悪い線」から取り組んでもらっていた。良い線を書くには、真っすぐ書かなければいけないし、さらに良い線を書くには墨の量も加減しなくてはならない。何度も何度も直線を書く練習をした。そして、良い線が書けるようになったら、急に美しい字が書けるようになっていったのである。
彼は、私のシュタイナー教育の最も成果を示してくれた塾生である。他の子供たちは、彼が苦手なことに取り組んでいることを良く知っている。だから心からお祝いできるのである。そして、苦手なことを克服することがいかに素晴らしいことかを知ったのではないだろうか。
昨日はもう一つ素晴らしかったことがあった。それは、小5の女の子が、クラスの代表に選ばれたという作文のコピーを持ってきてくれたことである。
『どんな病気の人も元気になる薬』という題名のものだったが、「笑い」と「笑顔」がどんな病気にも利く素晴らしい薬と書いてあり、後半にはおばあちゃん先生への感謝の言葉が添えられていた。
私が代読させてもらったが、おばあちゃん先生への素晴らしいプレゼントとなるその作文に全員が感動していた。自分もそんな文章を書いてみたいと言う子も出てきた。
昨日のお稽古は、とても思い出深い日となった。
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