母が倒れた時から亡くなるまで(3) | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は4474文字です。(読破予想時間:約10分39秒)

 

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1話目はこちら

2話目はこちら

 

はじめに 

 

この話は『母が倒れた時から亡くなるまで(2)』の続きで3話目になります。

 

1つ1つの話は1話完結ではなく、1話目から続く話になりますので、初めての方は、是非、最初からお読み頂く事をお勧めします

 

 

私の母は、昨年、11月26日に他界しました

 

 

母が意識を失ってから亡くなるまでの長くて僅かな時間を書き留めたのが、この一連の記事です。

 

今回は、その枠からはみ出て、前回出た「胆汁」の話を回収して分かりやすくする為に、一旦時間を何ヶ月も巻き戻しますので、時系列が変わります。

 

どうか、混乱なさらぬ様、冒頭から母が倒れるより随分前の話に変わっている事を念頭にお読みください。

 

 

  緩和ケア中、結核菌が見つかる

 

【2022年9月】

 

話は過去に遡ります。

 

母は、2022年に検査で肺に影がある事が発見されて、肺がんだと診断されました

 

そこで主治医の先生は、その後、結核の治療を終えたのに、肺の影が消えていなかった時と全く同じ判断を私達親子に説明してくれたのです。

 

先生の提案と言うのは、肺がんの治療はせずに緩和ケアを進めると言うものです。

 

この時も、母は即答で先生の提案を受け入れました

 

そして、私はこの時も、できれば手術を望んでいたのですが、言葉には出さず、母の意思を尊重したのです。

 

その後、いろいろ検査をする内に母の肺から結核菌が発見されたのです。

 

ちなみに、発症はしていません。

 

確か2022年9月12日、病院から「すぐに来て下さい」と言う電話がありました。

 

9月13日に病院へ行って話を聞くと、「結核菌が見つかったのですぐに入院して下さい」との事でした。

 

そして、先生は「結核の治療が終われば、おそらく肺の影は消えるでしょう」とおっしゃいました。

 

その日、家に帰ると、癌の告知を聞いても表情ひとつ変えなかった母が、「良かったぁ〜、癌でなくて。ホッとしたわ。」と崩れる様にそう言ったのです

 

やっぱり母も怖かったのだと、生きたかったのだと、この時に初めて、母の本心を知る事が出来ました。

 

そして、結核治療の為に、9月15日に入院する事になりました。

 

入院で色々な薬を試すのですが、どれも強い副作用が出て、聞くだけでも母が可哀想でなりませんでした。

 

そしてようやく結核の治療に使う薬が決まり、11月17日に母は退院して我が家に私と一緒に帰る事が出来ました。

 

ここからは、結核の薬の副作用との戦いです。

 

治療期間は退院してから9ヶ月あるのですが、私の母は、運良く副作用が出たのは最後の2ヶ月程でした。

 

イスコチンと言う薬の副作用で、全身至る所がかゆくなって、全身をかきむしり、かゆみ止めを塗っても気休めにしかならず、どうもしてあげられず、2ヶ月とは言うものの、本当に見ていて可哀想で辛かったです。

 

結核は、ペニシリンで治ると分かって以降、もう、過去の病気の様な気がして簡単に薬で治るものだと思っていたのですが、それは全くの間違いでした。

 

結核は、今でも2類に分類される感染症で、治療は全て国費で出来ます。

 

裏を返せば、それだけ強い菌であり怖い病気である事は今でも変わらないと言う事なのでしょう。

 

ちなみに、私も濃厚接触者として、保健センターで検査を受けました。

 

陰性でしたが。

 

 

  父の命日に緊急手術・胆嚢全摘

 

【2023年7月】

 

2023年7月と言えば、コロナ禍も明けて、私がライブ活動を再開した月です。

 

本来なら春から始動の予定が雨天中止やら何やらで、実際にライブ活動を再開できたのは7月2日の事でした。

 

 

この月は3本のライブが入っていて、介護と音楽活動の両立に大忙しの日々の始まりの月でもありました。

 

2023年7月23日に私が城天でのライブを終えた二日後、2023年7月25日、母の一年近くに渡る結核治療の終盤、母があと数回結核の薬を飲めば、結核の治療が終わると言う頃の事です。

 

 

寝る前に、母の様子がおかしいので、母に尋ねると「背中が少し痛い」というのです。

 

なので、母の背中をさすってあげると「気持ちがいい」と言って、その日は、いつもの通り「おやすみ、ありがとね。」と言ってくれて、私たちはそれぞれ眠りに就いたのです。

 

この時は、「また看護師さんが来た日にこの痛みの事を聞こう」くらいに思っていました。

 

しかし、次の日(2023年7月26日)の夕食前、「晩御飯は食べられそうにないから、いらない」と母から告げられました

 

母に詳しく尋ねると、母は「ご飯を受け付けそうにない、食べたら吐きそうだ」と言うのです。

 

私は、母の食事を6年間に渡って作り続けましたが、こんな事は初めてです。

 

母は、私が作ったものは、これまで毎回残さず食べてくれましたし、「これは普通じゃない」と私は異変を感じました

 

そこで私は、迷わず直ぐに看護師さんに電話を入れました。

 

看護師さんを待つ間、母は、嘔吐しました

 

どうやら、母はギリギリまで何も言わず我慢していた様です。

 

良くも悪くも、この我慢強さと迷惑や心配をかけまいとするこの我慢は、何とも私の母らしい一面です。

 

随分前に、父が生きていた時、父と二人暮らしだった母にこれとそっくりな事が起こり、父が救急車を呼んで、私も病院に駆けつけた事があったのです。

 

その時、母が胆嚢に元々持っていた大きな胆石が、漢方治療のおかげで石が欠けて、それが痛みと嘔吐の原因となったのです。

 

そして救急搬送された病院で診て貰って、痛みも嘔吐も収まったので、胆石は取らずにそのまま退院してきたのです。

 

そういう事がかなり前にあったので、2023年7月26日にこの出来事が起こった時、未だに胆石は母の体に残ったままであるのを私は知っていました。

 

だから私は、母の背中の痛みと嘔吐の状態を見て、これは、以前母が救急車で運ばれた時に父から聞いていた症状とそっくりだと思い、これは胆石が悪さをしているのだと、すぐに思いました

 

看護師さんが来た時、看護師さんの判断は迅速で、「救急車を呼びますね」と言われました。

 

看護師さんにも、過去の胆石を取らずにそのままになっている事などを話しました。

 

そして、間もなく救急車が到着しました。

 

日本では、国費で全額治療費が降りる2類の感染症と、通常の治療を同時に行う事を、混合診療と位置付けて出来ない様に法律で定められています。

 

なので、駆けつけた救急隊員は、母の結核を治療してくれている病院ではなく、他の母が受診している病院を当たってくれたのですが、母は結核の治療中だったので、どこの病院も受け入れてはくれませんでした。

 

そこで、救急隊員は結局、結核を治療している病院に連絡をとってくれて、最終的に結核を診てくれている病院に入院する事が出来たのです。

 

結核は、2類の感染症なので、胆石の治療とは混合治療になり、本来はできない筈なのですが、いろいろなやりとりが交錯して単純に治療中の急変と受け取られた様で、運良く受け入れて貰えたみたいで、これはラッキーでした。

 

そこから私は、毎日、母の入院生活に必要なものを持って、病院に通いました。

 

その内、結核の治療は入院中に終了しました。

 

7月29日、私の父の命日なのですが、母に必要なものを届けようと午前中病院に行ったのです

 

病院に着くと、いきなり、肝胆膵外科(かんたんすいげか)の先生から、「胆石の治療は、何をしても炎症の数値は下がらず痛みもおさまる気配がなく、検査の結果胆のうの中に大きな腫瘍(癌)があり、胆のうの壁が薄くなっていて、いつ破れても不思議ではない状況なので、今から緊急手術をします」と聞かされました

 

説明を聞きながら私は大量の書類にサインをしました。

 

そして、私は家に帰らされました。

 

今は、手術の間、家族は自宅で待機して、結果は電話で知らせるのが普通だと言っていました。

 

自宅に帰って、父の供養を終えたその夕方、病院から胆嚢全摘手術の成功を知らせる電話が入りました

 

 

  肺の影は大きくなっていた

 

【2023年9月7日】

 

その後、病院を退院した時に、その病院で母の肺の検査を約1年ぶりにしました。

 

そして、2023年9月7日に受診した時、目にした映像では、肺の影は消えるどころか1.5倍から2倍くらいに大きくなっていました

 

やはり、肺の影は発症前の結核の影ではなく、肺がんの影でした

 

私は、ショックで気が遠くなりそうでした。

 

母は表情一つ変えていませんでしたが、母も、きっと残念に思ってショックを受けていた筈です。

 

先生は前回と同じくいくつかの治療方法の選択肢とリスクの説明をしてくれましたが、先生の方針は変わらず、緩和ケアでした。

 

この事を告知された母は、前回同様、表情ひとつ変えず、先生の話を聞いていました。

 

そして、先生の方針を聞いた母は、やはり1度目と同じく、「それでいいです。」と即答しました。

 

私は危険であっても手術という選択肢を望んでいたのですが、母は、前回と同じく先生の提案を迷う事なくすんなり受け入れていたので、今回も私は母の意思を尊重する事にしました

 

結局、レントゲン写真の影は結核ではなく、癌でした。

 

1年前に、癌ではなく結核だったと知らされた時の母の安堵の言葉とホッとした表情を思い出すと、私は、なんとも言えないいたたまれない気持ちで一杯でした。

 

 

  胆汁の嘔吐と胆嚢全摘の関連性は不明

 

話を戻しますが、通常、口から吐く筈のない胆汁を口から吐いていたのは、胆嚢と言う臓器がなくなっていたせいなのかなと素人ながらに思ったのですが、それは今となっては何も分かりません。

 

私は今まで、口から胆汁が出てくるなんて聞いた事もなかったので、本来なら、胆嚢から胃や食道に胆汁が流れていく事などないのではないかと思っていました。

 

関連性は分かりませんが、今回、胆嚢を摘出した話を書いた方が、もしかしたら、話が繋がるのかなと思い、ブログタイトルから大きく離れて、もっと過去に時間を飛ばす事に致しました。

 

 

次回に続く 

 

次回は、また時間が元に戻って、2話目の続きになります。

 

長くなりますが、よろしくお願い致します。

 

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