母が倒れた時から亡くなるまで(1) | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は2832文字です。(読破予想時間:約6分44秒)

 

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<2話目はこちら>

 

はじめに 

 

もう、新年のめでたい様子も過ぎ去った様なので、私の母が昨年この世を去った時の出来事を記事にしたためたいと思います。

 

 

母がこの世を去る前の様子と、去った時の様子を記事に残そうと思います。

 

音楽アーティストと言ったって、自分の母親に対する気持ちは他の誰ともそれ程違いはないと思います。

 

誰にも話さなかった、話せなかった出来事もその中にはたくさんあって、私の母という、こんな人がこの世にいたんだと言う事を一人でもたくさんの人に知って貰いたくて、母の介護をしていた時から書こうかどうしようか迷っていた、母と二人の生活をここに記そうと決めました。

 

どうか、最後まで読んで頂ければと思います。

 

 

  母が倒れる前日

 

【2023年11月24日】

 

私が、母の介護の入り口に立ったのは、母がまだ78歳だった、2017年10月4日に、自転車の事故で母が肋骨を4本折って、救急搬送されたと連絡を受けた時からです。

 

あれから6年と少し、2023年11月26日(日)に、84歳で母は私を置いてこの世を去りました

 

母が肋骨を折ってから亡くなるまでの6年間で、計4回の長期入院がありましたが、その度に、弱った足腰を元に戻すべく、母は前向きに努力し、その体力や足腰を維持してきました

 

亡くなる直前もそうでした。

 

肺がんの治療は無理だと医師に宣告され、緩和ケアを受け入れ、それでも尚、諦めずにリハビリや歩行訓練を自分から積極的に行っていました

 

それはきっと、最後まで私という息子に迷惑をかけまいと言う気持ちが強く働いていた事もその理由の一つだったのだと思います。

 

しかし、4回目の入退院の後からは、階段の昇り降りは、横向きになって両手で手すりを握り、一歩一歩ゆっくりと足を運ぶと言った具合でした。

 

なので、もし母がぐらついたり滑ったりした時にしっかり受け止める為に、私は、母が階段を昇り降りする度に毎回、そのすぐ後ろにつく様にしていました

 

でも、癌の進行自体は、血痰が少し出たり、下腹部におそらくガンの転移とみられる痛みが出てはいましたが、比較的軽い薬(アセトアミノフェン200mgを1日3回2錠)で抑えられる程度でしたので、まだまだ時間はあるかの様に私の目には写っていました。

 

そして2023年11月24日(金)の夜、2階で私と二人で食事を済ませて、いつもの様に、母と一緒に3階の母の寝室まで母を送り届けて、母に「おやすみ」と声をかけると、母は、いつもと同じく「おやすみ、ありがとね。」と言ってくれました

 

このやり取りは、ここ何日も普通の僕たち親子のいつもの挨拶になっていたのですが、今振り返れば、いつも感謝の一言を添えてくれる母に、嬉しさや感謝や寂しさなど複雑な感情が湧き上がっていたのをようやく思い出せると言ったところです。

 

その時は、よく分かっていなかったのに。

 

そして、この「ありがとう」と言う言葉が、母がこの世で最後に口にした言葉です。

 

こんなに美しい言葉が最後の言葉だったなんて、そんな母が、僕の自慢です。

 
 

  母が倒れた時

 

【2023年11月25日・朝】

 

私の母は、幼い頃から昼寝をする習慣がありません。

 

なので、夜以外は寝ていないのですが、ここの所ずっと、全く眠れない日と、数時間眠れる日が交互といった具合でした。

 

いつも私は、朝食の準備が出来ると、3階の母の寝室のドアを「コンコンコン」と3回、ノックしにいきます。

 

母が返事をして私がドアを開けると、いつも母は既に起きていて、ベッドに座って私を待っているのが我が家の普通の朝でした。

 

しかし、2023年11月25日の朝、7:30頃に母の部屋をノックしても返事がありませんでした。

 

「昨日は眠れなかったので、今日はよく眠れているのだな」と思った私は、起こすのは可哀想だと、皿などを片付けてからもう一度母の部屋をノックしてみました

 

今度も返事はありません

 

ここで「あれ!?まだ寝ているのかな?」と少し、心配になりながらも「もし寝ていたら、久しぶりによく寝ているのに」と思い、もう少し様子をみる事にしました

 

そして、3回目のノック。

 

返事はありません。

 

しかし、返事の代わりに聞こえてきたのは、母の、唇を弾くように息を吐く「ぷーっ、ぷーっ」と言う異様な呼吸音でした。

 

これは変だと思い「開けるよ!」と声をかけると同時に母の部屋のドアを開けました。

 

すると、母は、泡を吹いてベッドに横たわり意識を失っていました

 

 

  医学の力で生かすのか、自然にまかせて死なせてあげるのか。

 

私は、大慌てでいつも訪問看護に来てくれている訪問看護ステーションに電話をしました。

 

すると、しばらくして、母の主治医の往診医の先生が来てくれたのですが(訪問看護士さんが来たかどうかは記憶にありません)、母はこの先、どうなるのかを訊くと「このまま2、3日で亡くなる人もいれば、途中で息を吹き返す人もいれば、そのままずっと起きずに寝たままの人もいます」と言う回答が帰ってきました。


その時、僕は食事が採れないので、点滴はして貰えないのかと訊くと先生は、「しますか?」と僕に尋ねた意味がその時は分からずに、「どうしてすぐにしてくれずに、そんな当たり前の事を訊くのだろう?」と不思議に思ったのです。

 

そして、先生は酸素ボンベの手配をして、その後、業者さんがやってきて、母は点滴をしながら、酸素ボンベに繋がれる事になりました。

 

今から思えば、母の希望で「延命治療はやめて欲しい。寝たきりで生かして欲しくはない。」と言っていた事を先生は理解した上で、家族の判断に従った訳で、変な事を言っていたのは僕の方だと今だと分かるのですが、その時はいざと言う時にどうすべきか分かっていた筈なのに、今がその時だと気付きもせずに、「死にそうな状態なのだから、どうか助けて欲しい」と、そんな事を思っていました。

 

あの時、点滴をして、酸素ボンベを装着する事そのものが延命治療だったのだと、全て終わって冷静に振り返る事が出来た今だからこそ分かるが、あのまま母がベッドに寝たままだと、勿論、母の意思とは全く逆の方向へ行く訳だし、随分経って、意識を取り戻したとしてもあちこちに麻痺が残って寝た切りの状態で、それも母の望みとは逆できっと辛い思いをさせる事になったでしょう。

 

自分では、母の希望を十分に理解してた筈なのに、いざとなると「どうして、点滴もしてくれないのだろう?このままでは死んでしまうじゃないか」と疑問に思ったりで、本当の覚悟や理解は出来ていなかったのだと今になれば分かるのですが、あの時は、そんな冷静な分析や判断は全く出来ませんでした

 

 

次回に続く 

 

この話は長くなりそうなので、複数回に分けて書きたいと思います。

 

続きも読んでいただけると嬉しいです。

<2話目はこちら>

 

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