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以前、義務教育での9年間の音楽の授業について記事にした事がありますが、その中で僕はブラス・ホーンのたぐいを習いたかったと言う事を書いたのですが、今回は、その続編の様な記事で、他にもこんな事を習いたかったと言う内容の記事です。
◇学校の音楽の授業って毎週1時間9年間もあったにしては
上のリンク記事にも書いたのですが、今回も同じく、義務教育の音楽の授業のあり方やそのカリキュラムに文句がある訳ではありません。
ただ、純粋にこうだったらよかったのにって話です。
それでは、詳しくは以下、本編にて。
僕が、9年間の義務教育で習いたかった事と言うのは、ズバリ、純邦楽である。
どうして、日本の学校の義務教育の授業なのに、自国の伝統音楽である純邦楽を詳しく教えないのだろう?
それが、僕の疑問でもある。
西洋式の譜面の表記や様々な音楽理論や、小・中学校で習う楽器などは、世界のスタンダードであるし、それを習う事を問題視している訳ではない。
それプラス、せっかく9年間もあるのだから、純邦楽も教わりたかったと言う話だ。
確かに、ほんのちょっぴり民謡などを習ったりはしたのだが、この話は、その次元の話ではない。
純邦楽で教わりたかった事と言えば、例えば、和楽器や日本古来の伝統的な譜面の読み書きや純邦楽の理論などがそうだ。
和楽器の持つ独特の音色はとても魅力的だし、純邦楽のメロディーも独特で凄く魅惑的だ。
身近な筈で案外遠い、そんな僕を魅了して止まない、我が国の伝統音楽を学校で教わりたかったのだ。
純邦楽と言うと、ほとんどの人がぼんやりとそのイメージだけは持っている事だろう。
しかし、その独特のメロディーをしっかりと口ずさめる人ってどれくらいいるのだろう?
特に雅楽などは何がどう構成されてるかも掴めないし、生まれてこのかた、何度も聴かされている筈なのに、全く口ずさむ事は出来ない。
それが出来るのは、純邦楽に携わる人くらいのもので、一般の人間でそれが出来る者など、ほとんどいないのが実情だ。
どうして、そうなったのかは僕には分からない。
戦後、GHQの占領下にあった日本の教育には、随分とアメリカの考えが投影されている部分もある。
当時、アメリカに都合が悪かった歴代天皇にまつわる天皇の功績など、天皇崇拝に繋がるからと全て歴史の教科書から消し去られたと言う事は有名な話だ。
その影響が今でも残っていて、歴代天皇の功績を学校で習う事はないし、天皇崇拝に繋がる可能性のある、我が国の土着宗教である日本神道について習う事もない。
世界では、国が定めた宗教を授業で教えない国の方が珍しいと言うのに、今や我が国では、日本神道を国の宗教と定める事すら許されないと言う状況下にある。
そう言う名残りなのかと思ってみたり、明治維新で開国した時に、西欧列強に追い付け追い越せで、余りに西洋寄りの教育になってしまったと言う可能性もあるのではないかと思う。
とまあ、この2つは調べた訳でもなく、頭の中で何となく思っている事を書いただけで、少なくとも、純邦楽を学校の授業で明治の初めから教えていなかったのか、戦後からなのかで、どちらかの説、或いは、両方の説が簡単に消える話なので、興味がある人は、是非、ご自身で調べて頂きたい。
このぼんやり頭に浮かんだだけの話に、ケチをつけるのだけは、面倒臭いので勘弁願いたい。
少し話しはそれるが、邦楽、洋楽、純邦楽と、今は音楽ジャンルを日本では大きく3つに分けて表現する事が定着して、それが普通になっているが、実は、この3つに大別される事が定着したのは、そんなに古い話ではない。
と言っても、「古い」と言う言葉の概念自体が曖昧なものなので、これから話す話を聞いても、「古い」と感じる人もたくさんいるだろう話ではあるが。(;^_^A
いつ頃かと言うのは、僕も、実ははっきりとは思い出せないのだが、少なくとも、僕が、小・中学校へ通っている頃には、こんな分け方はなかった筈だ。
もし、あったのだとしても定着はしていなかったのは確かな事だ。
「洋楽」と言う言葉は、その頃既にあって、使われ方は今と同じだ。
しかし、当時「邦楽」と言う言葉は、今で言う「純邦楽」を指す言葉で、日本のロックやポップスなどのポピュラー音楽を指す言葉ではなかった。
その後くらいに、各メディアが、日本古来の音楽を「純邦楽」と呼び、日本のポピュラーミュージックを単なる「邦楽」と言い始めて、あっと言う間に定着したのだ。
「純邦楽」と言う言葉が出始めた頃、「なんて分かりやすい便利な分け方なんだろう」と思ったのを覚えている。
しかし、「純邦楽」と言う言葉が出回り始めた頃には、やはり少し伝わりづらく、「邦楽」と言う言葉を使った者が、「邦楽と言うのは、純邦楽じゃない方の邦楽ね」などと、いちいち注釈をいれたりする場面も度々見かけたものだが、そんな時期も短く、この3つの分け方は、あっという間に定着してしまったのだ。
同年代でも、こんな話をしても覚えていない人間も多く、「そうだっけ?昔からなかったっけ?」などと返ってくる事も多い。
それ程、この分け方は、分かりやすく人々の生活の中に馴染みやすかったと言う事なのだろう。
ただ、先程も述べた様に「純邦楽」と言う言葉自体は、元々あった可能性はあるが、これもまた、興味がある人は、自身で調べて頂きたい。
話は戻るが、三味線や琴や琵琶や尺八に和太鼓くらいは見た目と音と名前が一致するのだが、その他、いろんな楽器がある事は分かっていても名前までは知らない和楽器はとても多い。
先程も話題に上った雅楽で使われている楽器などは特にそうで、名前も使い方もさっぱり分からない。
冒頭のリンク記事『学校の音楽の授業って毎週1時間9年間もあったにしては』でも書いた事だが、やはり、日本古来の文化を絶やさない為にも、経験させる事は大事なのだ。
日本人でありながら、自国の伝統楽器を特別に習いに行かなければ身に付ける事が出来ないと言うのも寂しい話である。
そして、自国の伝統楽器を習いに行くと言う事は、案外敷居が高い。
僕自身、興味はあっても今習いに行く様な余裕はない。
そういう人は多いと思うが、だからこそ、義務教育に取り入れる価値があると僕は思っている。
僕は、沖縄で「缶から三線」を買って今でも大切に持っているのだが、三線と津軽などで使われる三味線とは何処が違うのかも分からない。
単なる材質による音質の違いだけなのか、音の並びや調律の仕方は同じなのかだとか、そう言った初歩的な事すら分からないのだ。
ちなみに、僕の缶から三線は、ちょっと出来が悪いらしく、弾いていると段々チューニングが下がってきて一曲持たずに、音がバラバラになってしまうので、結局、練習出来ずで弾ける様にはなっていない。f^_^;
一応、誤解のない様に。(^_^;)
以上になりますが、皆さんはどう思いますか?
おそらく、和楽器に興味がないって人の方が多そうですが、それも、学校で教える事で変わってくるんじゃないかと僕は思っています。
これも、前の記事『学校の音楽の授業って毎週1時間9年間もあったにしては』と同様、教育の現場レベルではどうしようもない話なので、文科省や国のレベルの話なんですけどね。
僕達の世代では教わる事は叶いませんでしたが、是非、未来の子供達には、純邦楽の授業を受けさせてあげたいと僕は思いますし、国にはその検討を是非、お願いしたい所です。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
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