本日、念願の山ヨガに行って気ました。

凄く気持ちが良かったし、
脚がガクガクブルブルするほど疲れてしまったけれど、
良い時期に良い経験をさせてもらいました。

にしても、
朝5:30起きは夜行性の私にはかなり辛いかなと思っていたものの、
余程楽しみだったのか、ぱっちりと目が覚めました。

場所は高尾山。

ケーブルカーで昇り、
一時間半程度山を登り、
適度な広場でヨガ。

お昼近かったからか、
登山客が多く、
その広場で皆さんお休みになられるので、
申し訳ないなと思ってしまいました。

なにせ人数が20人くらい。

今までで最大の規模です。

私的には軽いフェス状態。

でも、これで、山でやりたいヨガと言うのは、
人のいない場所でやりたいって事だと気付きました。

次にやる際はキャンプにDVDでも持っていくか、
やはり、そろそろ、自主練を始めるかなんかしないと
やってても楽しめなさそう。

にしても、今日の流れは早かった。

前半と後半でトレーナーが変わって、
後半の先生のスピード感は今までにないものでした。

これには結構衝撃を受けて、
実際教えてもらってる時はゆっくりだけど、
先生方が自分でやってる時ってのは、
どのくらいのスピードでやるんだろう?
と疑問が浮かびました。

そうそう、
あのポーズの順番とかって決まってるのかしら???

なんか、みんなどこも似たような気がする。

いや、似て非なるんですけど実際は。

教え方も人によって当然違うけれど、
どれが良いとか悪いとかってなくて、
それぞれの解釈、身体との会話の深度や幅が違うだけで、
ずいぶんとポーズをとる際の影響が変わってくる。

その影響で、ポーズの限界があからさまに変わるから面白い。



高尾山
人多っ!!!!!
淡々と退屈。
けれど、癖になる。

私の彼に対する評価を簡単に言うとこうなる気がします。

じゃぁ、どうして、読んでるの?
という疑問が聞こえてきそうですが、
それは彼との出会い方が最良だったからでしょう。

学生の時分に、とある雑誌に彼の『鍵の掛かっている部屋』という本の紹介が載っていました。

その紹介分は次の一文から始まる。

『彼の小説はいつも出だしがかっこいい』と。

そして、本文の冒頭
『今にして思えばいつもそばにファンショーがいたような気がする』

これを読んだ瞬間に痺れたんです。

決してかっこいいと思った話ではなくて、
こういう出だしがかっこいいのか!と。

価値観をそこで植え付けられたんです。

考えれば考える程、かっこよさはわからない。

けれど、これがかっこいいと言う事なんだと、
繰り返し繰り返しその文章を頭の中で反復していくと、
その訳の秀逸さがあってこそだけれど、
その小説の全てがそこにある。

小説の内容は冒頭の一文の捕捉でしかない。

そして、川端康成の『雪国』で、
その価値観が決定的に自分のものになりました。

『国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった』

これは内容を全て語っていないけれど、
目も前に広がるほぼ一面白の世界と黒茶の外壁がちらちらと
目の前を横切っていく。

脳内で再生され、補完してしまうイメージが余りにも
鮮明なため私は衝撃を受けました。

この二つの文章の性質は正反対のような気もするのですが、
そこからどうなるんだろう?という疑問を
その一文で読者に抱かせる。

当然、今までそういった文章に出会っていたのだろうけれど、
なぜ、オースターの作品だけピックアップするかと言うと、
単なる『ひいき』でしかないのでしょう。



さて、前置きが長くなった。

この物語。題名のまま。笑。

その国ではどんどん物がなくなっていく。

昨日まであった1番通りはなくなり、
砂利道と化している。

さっきまであった植木鉢が
次に見たらなくなっている。

まるで『色即是空 空即是色』の世界。

そして、仏教の思想になじみのないキリスト教徒、
つまりは、物質至上主義者達からみればすさんだ、
色も感情もない世界。

物がなくなっていく事で、
欲望は増し、
煩悩を捨てるのではなくて、
『あきらめる』という態度に陥る。

同じ現象にもかかわらず、
捉え方次第で間逆になる。

けれど、この物語の主人公は
唯一の希望だ。

その種火を消さないように消えないように願いながら
読み進めていく。

物がなくなり、その言葉も意味を失っていく国で、
書くことで何かとの繋がりを保ち、理性を保つ。

自分で書いている言葉の曖昧さはこの際目をつむってほしい。
自分が、言葉で、誰かに向けて、書いている、と言う事のみに
意味があるのだから。

ちなみに
この小説の冒頭は
『これらは最後の物たちです、と彼女は書いていた』

読み終えた際、この一文に帰る事の出来る喜び。

けれど、やはり、退屈だ。
けれど、癖になる。

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今日は川でとても珍しいものを見てしまった。
しばらくするとその対岸でも…。

そして、知人の駐禁の支払いに付き合うと、署内が慌ただしくなって、五分位経つと、四肢を警官に掴まれた女性が何処かの部屋へ消えて行った。

ふと、今日は何だか変なものに出会うなと思ったら、いつかの事を思い出した。

人との出会いと言うのは、化学反応に似ている。と。

ある人と一緒にいる時に限って、タイミングがよかったり、美味しいお店にたどり着いたり、滑稽な、いまなら、ツイートしたくなる事に出会ったりする事が一人でいる時よりも格段に多くなる。

今回もそれかな、と。

それの呼び名は知らないけれど、人と人と言うのは大小にかかわらず、影響を及ぼしている。

何も考えずに進む道も、歯止めがかかり、方向転換する。

歩幅や速度、好きな道、嫌いな道、止まる位置。

そういった小さな事の積み重ねが、
世界との関わりを変えてくれる。

哲学的なものの見方やスピリチュアルな考え方では辿り着けない地平が生の現実にはある。

ふとそんな事を考えた。





iPhoneからの投稿
いつ読んでもこの作者の本は面白い。

面白いというよりも
ストンと落ち着く。


これは恋の物語。
恋に落ちた女性の成り行きを見つめる物語。

なんで女性の恋に落ちる物語がストンと落ち着くのか。
それは未だにわからない。

姉が二人いて、
姉たちと遊ぶ事が多くて、
女性的なものを持ち合わせているのかもしれないな。
と、思うものの、
女心がわかったためしはない。

では、どうしてだろう。

そこに作者の力量があるのではないかと思う。

私はこの作品に、女性の産毛を想う。

現実的なそれではなくて、イメージの。

柔らかくて、白くて、ふわっとしている。

その想像上の産毛のような空気が
行間に詰まっている気がする。

それをゆったりとした時間と置き換える事も出来るかもしれない。

一秒がもっと長い一秒。
ゆったりと流れる一秒。

大きな川の流れは目で感じるよりも
ずっと早い。

けれど、その流れにゆとりを感じてしまう。
そういった時間の流れ方を感じる。


私は女性ではないから、
女性がこの物語を読んで
どんな風に感じるのかはわからない。

いつもどこかで彼女の書く人物たちは潔い。

竹の性質がどの人物にも少なからずとも入っている。

固くて、しなやかで、跳ね返りが強くて・・・。

そして、男性は幾分かしなやかさに欠ける。

傲慢で、子供っぽくて、阿保が付くくらい無邪気で。


暖かく見守れる時もあれば、
突き放してしまう時もある。

それでも、
『好きなんだろうな』
みたいな感覚で愛おしくなって、
より深く関わりあっていく。

一言でいえば慈愛に近いのかもしれない。


この物語のとても好きな部分は
後半のある瞬間に訪れる。

前半が目で見ている川の流れだとすれば、
後半は川の中に入った流れだと言える。

怒涛のようになんて大げさな事はないけれど、
彼女の一大事には違いない。
もちろん、全編を通して一大事の話なんだけれど、後半は腹が座る。

うらやましいほどの感情の高鳴りに
懐かしい部分を刺激され、
笑いを噛み殺しながら、読み進め、
噛み殺しきるのも馬鹿らしくなって、
上がりっぱなしの頬は緩み、鼻から笑いが漏れて、
物語は終わる。

読み終えた後は
一人にやにやしながら、
焼き鳥とビールが恋しくなる。

ちなみに、このタイトル
『好かれようとしない』
という言葉が出てくるタイミングが何よりも秀逸だったことを
追記しておく。

あーーーーーーー面白かった。


好かれようとしない (講談社文庫)/朝倉 かすみ

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本書は向田邦子の恋文とNさんの日記と手紙を中心にまとめられたものになる。

恋文と言っても読んでいて恥ずかしくなるような事はない。
むしろ、これが恋文?と訝るかもしれない。
けれど、間違い無く恋文である。

人の恋文を覗いて良いのだろうかという良心は本になってるしいいだろうという好奇心で覆われた。

でも、良心は素直らしく、読んでも読み切れない。
その背景を、彼らの関係を推し量る事まで想像は膨らまさない。
言葉を追い、意味だけを捉える。

ふと、亡き姉の事を思う。
隣の部屋に眠るかもしれない姉の恋文。もしも、見つけたら読むだろうかと自問する。

きっと、読まない。
そこにいる姉をみようとは思わない。

それは男女の違いもあるだろう。
だから、これを公表した妹である著者の気持ちは分からない。


ただ読むだけだからあっという間に読み終える。

添えられたNさんが撮った彼女のポートレイトが恋文に『色』を添える。

第二章は著者である妹が語る向田邦子の思い出話。とても、読み易い文章で軽快に読み進められるが、それよりも太田光の寄稿文が何よりだった。

私にしてみれば、始めにここだけ読んで終わりでも良かった。けれど、あんな風に書かれたら読まずにはいられない。
だから、きっと読む順番はこのままで良いのだろう。

最後に。

太田光はこう言う。
『こんなに短い言葉でこれほど多くの事を表現出来ただろう。それはまるで魔法だ』と。

つまり、私は自分の想像力を働かせないように読んでいたものの、『恋文』から漂う2人の生活を嗅ぎ取り、微笑ましさすら感じていたこと自体、向田邦子の持つ文章力の前では無力であった事に他ならない。










iPhoneからの投稿向田邦子の恋文 (新潮文庫)/向田 和子

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久々の建築の展示会へ。

iPhoneを無くして、見つかるという面倒な事もあったけど、やはり楽しかった。

アーキニアリングはアーキテクトとエンジニアリングの造語で、構造体の模型が主な展示でした。

エントランスホールで催していたからか家族連れが多く、一人模型を貪るように見ている私は受付の学生からすれば壊してしまうのではとさぞかし心配だった事でしょう。

photo:01



ドームの概念が分かりやすくてとても良い模型。

photo:02



これなんて美しい構造の最たるものの一つではないだろうか?

photo:03



バックミンスターフラーの…

photo:04



ジオドーム!

この人は本当にすごいなと思うけれど、この人の提唱したという地球との関わり方の日本語名がダサくていつも苦笑してしまう。

その名も
「宇宙船地球号」
いつか変わらないかな…。




photo:05


この積層の家という建築も斬新だった。
要は、柱とか壁とかという考え方で無くて、規格化された板を重ねて空間を作って行く。こういう考え方の建築はたくさんあるけど、構造体とともにというのは珍しい気がする。

photo:06


これはお気に入り。

こんな感じの鉄塔とかよく見かけるけれど、ここで大事なのは力の流れで、
それを人で表現すると…

photo:07



こんな感じになる。

他にももっと面白いものが沢山あったけれど、この後iPhone探しに手間どってしまったので写真はここまで。

カーサブルータスとか、おしゃれな建築、もしくは、建築をおしゃれななものとして捉えると面白さは感じないかもしれないけれど、覆い隠された建築の骨の部分をざっくりと見られるのは滅多に無い事なので、とても面白かった。



iPhoneからの投稿
今まで1番通っていた教室が今日で終わりました。

安い、近い!で最高だったので残念ですが、産休ともなれば、元気な赤ちゃんを産んで下さいと願うばかりです。

さて、はて、どーしよ。

昨日、買った本に今までとは違う切り口のヨーガの本がありました。

著者はヨーガとインド格闘技をやっている人で、遡れば、ハタヨーガよりも格闘技の秘伝書?の方が古く、同じ内容のことが書いてある、と。

曰く、戦闘準備を整える為の運動が転じてハタヨーガのポーズとなった。

軽くしかみていないけれど、なかなか面白そう。

詰まりは、座る為の準備と戦闘で必要とされる事は同じだという事になる。

なんにせよ、要求されるのは平常心という事なのかもしれない。





iPhoneからの投稿
丁度、その日は本を持って出社しなかったので、
社長が読み終えた本を借りてきました。

とても簡単な本で、
内容もどうってことない物語。

でも、語り部の『アイズ オブ ファイヤー』の言葉には
印象的なものが多い。

ネイティブアメリカンのことはあまり知らないけれど、
彼らの事を私は尊敬しています。

なぜなら、
いつか読んだ本に、こんな内容の事が書かれていたからです。

『私たちは太陽が昇るための祈りを毎朝行います。
科学で太陽が昇るメカニズムが証明されていたとしても、
もし、私たちが祈らない事で太陽が昇らなかったら、
大変な事になってしまう』

と言うような内容。

信じている事に対して常に真摯で在り続ける事、
世界との関わり方を腹にすえている事。

言葉にするとそんな感じでしょうか。

彼らの行為を『無意味だ』と判じる方もいるでしょうし、
科学的な側面から見れば『無意味』でしょう。

彼らが祈らない事で、
太陽が昇らない事はないし、
彼らが祈らなくても、
太陽の心配をする人はほとんどいないでしょう。

けれど、彼らは確かに世界と関わっている。

ここでいう『世界』とは国境でわけ隔てられた国々の総称ではなく、
『全て』と言い換える事が出来ます。

けれど、その『全て』だって曖昧模糊とした
ファンタジーですらあり得る。

もう少し、身近にすれば、
『自然』

この自然との関わり方がとても純粋だと思うのです。

まぁ、この『純粋』だって見方を変えれば、
今の文明を気付いてきた人間の自然に対する接し方だって、
純粋なんですけど、

人間だって動物じゃん?
別に知性があったって、理性があったって、
それで三角形の頂点にいるわけじゃないじゃん?

という観点から世界を見つめ、世界と関わっている彼らは
ふとすると、あらがいきれない病に
呪術で対抗し、効果があげられず、滅んでいく事もある。

そんな姿に時代遅れな感性を、知識を感じずにはいられませんが、
まだ暗い地平線の向こう側に向かって
祈りをささげている姿はとても美しいもののように思えます。


巻頭で、
インディアンにあこがれる日本人が多いが、
インディアンである事を思い出してほしい。

そんな感じの言葉が書いてありました。

少しだけ誇らしい気持ちになったけれど、
まぁ、その言葉は筋からはかけ離れているかなと。

結局、モンゴロイドである事で、ネイティブアメリカンである。
というのなら、文中でも言われている、
大地に線を引き、所有者を決めた白人と変わらない事になってしまう。

言いたい事はわかるけれど。

何かが正しくて、
何かが悪いと言う事ではなくて、
今の日本の時勢に合う本なのかもしれない。

なぜか?

それは『芯』ではないだろうか。

心に芯を持つ事で、世界とのかかわりを
明確にしていく。

それほど、世界は単純ではないけれど、
今ほど複雑ではないはずだ。

少しだけシンプルにするだけで、
視野が広がる。

無数に広がるネットワークの線上を
走るだけでなく、
その網目にある物事に目を向けていく。

今まで横目でしか見てこなかったものを
正面から見つめようとしている。

気のせいかもしれないけれど、
今、日本人の意識は
少しずつ、変化しているような気がする。


それがどういう事かはわからないけれど、
わからない。
という答えが今のところ正解だと思う。


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キリスト教って言葉で聞くよりもなじみがなくて、
多くの分派が存在し、結局なんなんだ?って思っていたので、
カトリックのトップである前教皇の言葉であれば、
また質問者が投げかける質問の際どさにも好感を覚え、
それに一区切りつけられるかもと思い読んでみる事に。

読んでの感想を一言でいえば、
『教皇、すげー』というものになります。

この感嘆は、際どい質問にもなんらかの答えを
出している事、その知識の量に対してのものになります。


この教皇のキャッチフレーズと書くと凄く安っぽいのですが、
『恐れる事はない』
というものになります。

それは聖書だか、それに関連する図書だかに書いてある事らしいのですが、
一連のインタビューに対しての答えをざっくりとまとめると、
そこでもまた『恐れる事はない』になります。

そしてこの言葉こそが、キリスト教の最大のレトリックではないかと
思うのです。
つまり、全てこの言葉で説明が出来てしまう。

『人間の不幸を何故神は御救いになられないのか?』
という問いに対して、
『不幸というのは病気や戦争の事でない…』
と答えます。

もちろん、それもある。と認めたうえで、
神と共にある事を気付きなさいと。

つまり、日常的にあふれている、非日常的な不幸でさえも、
『神と共にあるのだから恐れてはならない』
という事になる。

そんな事よりももっと不幸なのは
『神と断絶する事』というような事だと言います。

つまり、今自分が感じる不幸だと思う事など、
『本当』は取るに足らない。

『恐れる事はない』のです。


これだけで、キリスト教が『わかった』と言うつもりはありませんが、
この本を読んで、見方が変わった事は間違いがない。

けれど、
この本質的な部分をないものとして、
文明の繁栄を推奨する姿勢のみを取り出して
しまった結果が現代なのかなと思わざるを得ません。

裏を返せば、
それだけ、キリスト教と言うのは伝播し、生活の中、思想の中に
溶け込んでいるのだと言う事にもなります。

何故、キリスト教徒が十字架のネックレスを
しているのか?
『神の御加護と共にあるため』というのも間違いではないでしょうが、
もうひとつ意味があるのではないかと思います。

それが何か?
本書を読めばわかるかどうかは別として、
解釈の幅を広げられる事はまちがいないでしょう。




では、続いて、



バガヴァットギーターとはインド哲学(=インド宗教論)の聖典のひとつ。

その他は?と聞かれて答える知識はないけれど、そこまでは理解しました。


そのバガヴァットギーターを読み解くと言うのが、今回の趣旨。

けれどその図書はとても一時間二時間で説明しきれるものではありません。

なので今回はテーマに従って
その部分の解釈をマドゥさんというお坊さんに教えてもらうというものでした。

今回の話は主軸に『時間』がありました。

簡単にいうと『今』しかない。

過去や未来と言うのは頭の中で考え出したファンタジーでしかない。
経験に従って解釈された世界は、思いこみの世界でしかない。
『今』を見つめる為にはありのままを観ることでしか得られない。
そして、見つめる為には執着を無くす事が近道である。

身の回りにあるモノに対して執着を無くしていく事で、
縛られている自分を無くしていく。


様々な欲望に忠実な商品が世の中にはたくさんあり、
これがないと生きていけないというものを一つくらいは
あると思います。

好きと言うのはそれに縛られている状態に他ならず、
『好き』そのものの判断基準でさえ『思いこみ』である可能性を
排除してしまっている。

ここでハタ・ヨーガをやっている最中、終わった後に感じる
『心地よさ』からくる『好き』は?
と当然思います。

ご都合主義感はぬぐえませんが、
ここからくる『心地いい』はインド哲学の思想の一つである、
『チャクラ』の状態が『善い』状態になっていることからくる
感情であり、正解であると。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

チャクラっていうとどうしても
第三の目を思い出してしまいますが、
エネルギーの場という意味らしいです。

この部分については
ほとんど知識がないので
改めて。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この執着という話。
今日読んだ『虹の戦士』というネイティブアメリカンの話にも
通じるものがあります。

その感想はまたまた改めて。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あと少しだけ。

その話が終わった後に、
なんでか理由は忘れましたが、(笑)
隣の人と目をあわせ続けるというのをやってみました。

今考えてみると全然面白くもなんともないんですが、
笑ってしまうんです。

で、みなさん様々な感想を抱いていましたが、
私はと言うと、
『笑わないように我慢していた』です。笑。


さらに言えば、
『何もない』

眼の奥に『何もない』

感情とか、色だとか、顔の一部だとか
そういった意味が欠如してくるんです。

ただ、そこに『瞳』と言われるものが『在る』

ヨガにしても、座禅しにしても、まぁ、なんでもそうなんですが、
やってみた事がない事をやってみると言うのは面白い。




さてさて、その後は『食べるヨガ』
これまた、初体験。

肉が全く使われていない食事でしたが、
十分なボリュームがあり、大満足。

この食事を終えて、
すぐに煙草を吸いましたが、

生まれて初めて
『煙草止める?』と自問をしてしまいました。

いや、やめないけど。笑。











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二週連続の外ヨガ。
場所は新宿御苑。

私にとって芝生というのはヨガというよりも、寝っころがるのに適しているという感じだ。笑。

都内とは思えないほど空が高く、幾層にも重なる雲をぼんやりと久々に眺めた気がする。

なら、総括的に気持ち良かったかと言えば、首をかしげてしまう。

理由は呼吸にあったような気がする。


身体が普通の風船なら、均等に膨らむ。けれど、所々硬化していたり、型がついている場所にはいくら流し込もうとしても膨らまない。

まあ、毎回そうだけど、いつもの爽快感が無かったのは、うまい事集中出来てなかったって事なんだろう。

もしかしたら、芝生のチクチクとした感触に気を取られすぎていたのかもしれない。やるなら次はマットをしこう。














iPhoneからの投稿