キリスト教って言葉で聞くよりもなじみがなくて、
多くの分派が存在し、結局なんなんだ?って思っていたので、
カトリックのトップである前教皇の言葉であれば、
また質問者が投げかける質問の際どさにも好感を覚え、
それに一区切りつけられるかもと思い読んでみる事に。
読んでの感想を一言でいえば、
『教皇、すげー』というものになります。
この感嘆は、際どい質問にもなんらかの答えを
出している事、その知識の量に対してのものになります。
この教皇のキャッチフレーズと書くと凄く安っぽいのですが、
『恐れる事はない』
というものになります。
それは聖書だか、それに関連する図書だかに書いてある事らしいのですが、
一連のインタビューに対しての答えをざっくりとまとめると、
そこでもまた『恐れる事はない』になります。
そしてこの言葉こそが、キリスト教の最大のレトリックではないかと
思うのです。
つまり、全てこの言葉で説明が出来てしまう。
『人間の不幸を何故神は御救いになられないのか?』
という問いに対して、
『不幸というのは病気や戦争の事でない…』
と答えます。
もちろん、それもある。と認めたうえで、
神と共にある事を気付きなさいと。
つまり、日常的にあふれている、非日常的な不幸でさえも、
『神と共にあるのだから恐れてはならない』
という事になる。
そんな事よりももっと不幸なのは
『神と断絶する事』というような事だと言います。
つまり、今自分が感じる不幸だと思う事など、
『本当』は取るに足らない。
『恐れる事はない』のです。
これだけで、キリスト教が『わかった』と言うつもりはありませんが、
この本を読んで、見方が変わった事は間違いがない。
けれど、
この本質的な部分をないものとして、
文明の繁栄を推奨する姿勢のみを取り出して
しまった結果が現代なのかなと思わざるを得ません。
裏を返せば、
それだけ、キリスト教と言うのは伝播し、生活の中、思想の中に
溶け込んでいるのだと言う事にもなります。
何故、キリスト教徒が十字架のネックレスを
しているのか?
『神の御加護と共にあるため』というのも間違いではないでしょうが、
もうひとつ意味があるのではないかと思います。
それが何か?
本書を読めばわかるかどうかは別として、
解釈の幅を広げられる事はまちがいないでしょう。
では、続いて、
バガヴァットギーターとはインド哲学(=インド宗教論)の聖典のひとつ。
その他は?と聞かれて答える知識はないけれど、そこまでは理解しました。
そのバガヴァットギーターを読み解くと言うのが、今回の趣旨。
けれどその図書はとても一時間二時間で説明しきれるものではありません。
なので今回はテーマに従って
その部分の解釈をマドゥさんというお坊さんに教えてもらうというものでした。
今回の話は主軸に『時間』がありました。
簡単にいうと『今』しかない。
過去や未来と言うのは頭の中で考え出したファンタジーでしかない。
経験に従って解釈された世界は、思いこみの世界でしかない。
『今』を見つめる為にはありのままを観ることでしか得られない。
そして、見つめる為には執着を無くす事が近道である。
身の回りにあるモノに対して執着を無くしていく事で、
縛られている自分を無くしていく。
様々な欲望に忠実な商品が世の中にはたくさんあり、
これがないと生きていけないというものを一つくらいは
あると思います。
好きと言うのはそれに縛られている状態に他ならず、
『好き』そのものの判断基準でさえ『思いこみ』である可能性を
排除してしまっている。
ここでハタ・ヨーガをやっている最中、終わった後に感じる
『心地よさ』からくる『好き』は?
と当然思います。
ご都合主義感はぬぐえませんが、
ここからくる『心地いい』はインド哲学の思想の一つである、
『チャクラ』の状態が『善い』状態になっていることからくる
感情であり、正解であると。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
チャクラっていうとどうしても
第三の目を思い出してしまいますが、
エネルギーの場という意味らしいです。
この部分については
ほとんど知識がないので
改めて。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この執着という話。
今日読んだ『虹の戦士』というネイティブアメリカンの話にも
通じるものがあります。
その感想はまたまた改めて。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あと少しだけ。
その話が終わった後に、
なんでか理由は忘れましたが、(笑)
隣の人と目をあわせ続けるというのをやってみました。
今考えてみると全然面白くもなんともないんですが、
笑ってしまうんです。
で、みなさん様々な感想を抱いていましたが、
私はと言うと、
『笑わないように我慢していた』です。笑。
さらに言えば、
『何もない』
眼の奥に『何もない』
感情とか、色だとか、顔の一部だとか
そういった意味が欠如してくるんです。
ただ、そこに『瞳』と言われるものが『在る』
ヨガにしても、座禅しにしても、まぁ、なんでもそうなんですが、
やってみた事がない事をやってみると言うのは面白い。
さてさて、その後は『食べるヨガ』
これまた、初体験。
肉が全く使われていない食事でしたが、
十分なボリュームがあり、大満足。
この食事を終えて、
すぐに煙草を吸いましたが、
生まれて初めて
『煙草止める?』と自問をしてしまいました。
いや、やめないけど。笑。
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多くの分派が存在し、結局なんなんだ?って思っていたので、
カトリックのトップである前教皇の言葉であれば、
また質問者が投げかける質問の際どさにも好感を覚え、
それに一区切りつけられるかもと思い読んでみる事に。
読んでの感想を一言でいえば、
『教皇、すげー』というものになります。
この感嘆は、際どい質問にもなんらかの答えを
出している事、その知識の量に対してのものになります。
この教皇のキャッチフレーズと書くと凄く安っぽいのですが、
『恐れる事はない』
というものになります。
それは聖書だか、それに関連する図書だかに書いてある事らしいのですが、
一連のインタビューに対しての答えをざっくりとまとめると、
そこでもまた『恐れる事はない』になります。
そしてこの言葉こそが、キリスト教の最大のレトリックではないかと
思うのです。
つまり、全てこの言葉で説明が出来てしまう。
『人間の不幸を何故神は御救いになられないのか?』
という問いに対して、
『不幸というのは病気や戦争の事でない…』
と答えます。
もちろん、それもある。と認めたうえで、
神と共にある事を気付きなさいと。
つまり、日常的にあふれている、非日常的な不幸でさえも、
『神と共にあるのだから恐れてはならない』
という事になる。
そんな事よりももっと不幸なのは
『神と断絶する事』というような事だと言います。
つまり、今自分が感じる不幸だと思う事など、
『本当』は取るに足らない。
『恐れる事はない』のです。
これだけで、キリスト教が『わかった』と言うつもりはありませんが、
この本を読んで、見方が変わった事は間違いがない。
けれど、
この本質的な部分をないものとして、
文明の繁栄を推奨する姿勢のみを取り出して
しまった結果が現代なのかなと思わざるを得ません。
裏を返せば、
それだけ、キリスト教と言うのは伝播し、生活の中、思想の中に
溶け込んでいるのだと言う事にもなります。
何故、キリスト教徒が十字架のネックレスを
しているのか?
『神の御加護と共にあるため』というのも間違いではないでしょうが、
もうひとつ意味があるのではないかと思います。
それが何か?
本書を読めばわかるかどうかは別として、
解釈の幅を広げられる事はまちがいないでしょう。
では、続いて、
バガヴァットギーターとはインド哲学(=インド宗教論)の聖典のひとつ。
その他は?と聞かれて答える知識はないけれど、そこまでは理解しました。
そのバガヴァットギーターを読み解くと言うのが、今回の趣旨。
けれどその図書はとても一時間二時間で説明しきれるものではありません。
なので今回はテーマに従って
その部分の解釈をマドゥさんというお坊さんに教えてもらうというものでした。
今回の話は主軸に『時間』がありました。
簡単にいうと『今』しかない。
過去や未来と言うのは頭の中で考え出したファンタジーでしかない。
経験に従って解釈された世界は、思いこみの世界でしかない。
『今』を見つめる為にはありのままを観ることでしか得られない。
そして、見つめる為には執着を無くす事が近道である。
身の回りにあるモノに対して執着を無くしていく事で、
縛られている自分を無くしていく。
様々な欲望に忠実な商品が世の中にはたくさんあり、
これがないと生きていけないというものを一つくらいは
あると思います。
好きと言うのはそれに縛られている状態に他ならず、
『好き』そのものの判断基準でさえ『思いこみ』である可能性を
排除してしまっている。
ここでハタ・ヨーガをやっている最中、終わった後に感じる
『心地よさ』からくる『好き』は?
と当然思います。
ご都合主義感はぬぐえませんが、
ここからくる『心地いい』はインド哲学の思想の一つである、
『チャクラ』の状態が『善い』状態になっていることからくる
感情であり、正解であると。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
チャクラっていうとどうしても
第三の目を思い出してしまいますが、
エネルギーの場という意味らしいです。
この部分については
ほとんど知識がないので
改めて。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この執着という話。
今日読んだ『虹の戦士』というネイティブアメリカンの話にも
通じるものがあります。
その感想はまたまた改めて。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あと少しだけ。
その話が終わった後に、
なんでか理由は忘れましたが、(笑)
隣の人と目をあわせ続けるというのをやってみました。
今考えてみると全然面白くもなんともないんですが、
笑ってしまうんです。
で、みなさん様々な感想を抱いていましたが、
私はと言うと、
『笑わないように我慢していた』です。笑。
さらに言えば、
『何もない』
眼の奥に『何もない』
感情とか、色だとか、顔の一部だとか
そういった意味が欠如してくるんです。
ただ、そこに『瞳』と言われるものが『在る』
ヨガにしても、座禅しにしても、まぁ、なんでもそうなんですが、
やってみた事がない事をやってみると言うのは面白い。
さてさて、その後は『食べるヨガ』
これまた、初体験。
肉が全く使われていない食事でしたが、
十分なボリュームがあり、大満足。
この食事を終えて、
すぐに煙草を吸いましたが、
生まれて初めて
『煙草止める?』と自問をしてしまいました。
いや、やめないけど。笑。
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