すっぴんマスター2022‐いろいろあった | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

ブログ納め。気付いたら大晦日が迫っていて、誰も特に期待していない年末まとめ記事書ききれないかとおもったけど、なんとか終わったぞ。いっぱい書いたので、お正月のひまなときにでも読んでください。

 

今年もいろいろあった。

まず、年のはじめに仕事に変化があった。書店の現場から現在の職場に移ったのである。ただ、それはふつうの異動ともちがった。会社はそのままだが、まるきりノウハウのない、他社と共同で行う新事業に、出向というのかなんというのか、相方ともども投入されたのである。なにはともあれこういうときまでぼくと相方をセットにしてくれる上層部のひとには感謝しかないが、ともかく心機一転、本にかかわるものではあるが、思考法からなにから根本的に異なる業務に携わるようになったのである。職場のメンバーは全員資格のある専門職で、最初はついていけるか心配でもあったが、おもったほどどうということでもなく、本に関しては問題なかった。問題なのは思考法のほうである。ここに、ぼく特有の不注意が重なり、夏ごろにはどでかいミスをついにやらかしてしまった。なんというのかな、いままでの書店でのミスよりは小さいのだけど、すべてが大きく評価されるというのか、なんでもおおごとになる業界なのである(その点についてはいまでは納得している)。あんまりくわしく書けないのだが、そのときはひどくメンタルをやられてしまった。しかも、じぶんのミスでへこむというのはいままでにないことでもあった。むろん、ぼくはこれまでの人生で数え切れないほど不注意ミスをしてきた人間である。大事な受験の願書を出し忘れ、これが最後のチャンスという後期試験では読書に熱中しすぎて電車を間違え、書店でもいろいろ致命的なことをやらかしてきた。だがそれらは、つきつめればぼくだけが困るだけのことであった。それに、書店でのミスというものは、多く環境によるミスというぶぶんがあったわけである。人手がたりないとか、サビ残だとか、上司の頭が悪いとか、要するにじぶん以外のところにも原因があるということを、じしんへの言い訳として用意することができたのだ。だが今回はそうではなかった。じぶんが完全に原因であり、かつ、他人に迷惑がかかる、こういう状況に、おそらく社会人になってはじめて遭遇したのである。こんなことはおそらく新卒社会人2年目以内くらいにふつうは経験していることなんだろう。だがぼくはふつうではない。よくとらえれば、40を前にしてようやくそういう経験ができたということになるだろうか。

得意な領域での事件ではないにしても、この件でぼくは徹底的に自信を喪失し、しばらくなにもできないし、人生初レベルでなにも考えられなくなってしまっていたが、ミニオンズが助けてくれた、というはなしはすでにしている。ほんとうに、ミニオンズ、特にボブには、命を救われたような感じすらある。ありがとうボブ。

 

 

 

 

職場はおおむねホワイトであり、これまででは考えられなかったようなことが次々に実現している。まず2連休がたまにある。相方との同じ休みの日が、特段希望を出さなくても自然に生じてくる。年末年始が大型連休である。そして給油極は、定時に帰れるということである。というか、厳密にいうと、定時に帰らなければならないという圧迫感がすごいのである。特に他社のひとは秒レベルの正確さで定時帰宅をしており、むかしみたいにちんたら残って仕事とかができない感じだ。たぶんそれでいいのだろう。個人的には、ふだんマルチタスク的な感度で動いているので、集中力を要する仕事をするときはサビ残だろうがなんだろうが残ってやりたいのだけど、それはそれで甘えなのだろう。とはいえ、前にもはなしをしたが、そうしてオンとオフをくっきりデジタルにわけるという生活のありかたがどうにもなじまない感じがある。なんというのかな、ぼくはただじぶんという存在を増大させるために仕事をしているようなところがあるので、日常の読書はすべて「勉強」だし、仕事も、そこまで意図的ではないにしても、その「勉強」がなめらかに接続するようなものを選んできたのである。だから、いまこうして詮無いことを延々書き綴るのも「訓練」であり、同時に思考力や文章力を高めて「仕事」に連続させる行為でもあるのだ。つまり、オンとオフが基本的にないのである。だから、書店など本に、また知性にかかわる限りサビ残は苦ではないのだが、そのあたりは少しずつ考えかたを変えていかなければとおもっている。

 

仕事以外で覚えている範囲でいうと、4月7日には東京ドームシティの刃牙展に行ってきた。

 

 

 

十年以上感想書いてる連載作品の原画展なんて、もちろんはじめてのことである。ひかえめにいって最高だった。原画の迫力ももちろんだけど、実物大ジャックとか花山とかの造形物の存在感も、いまでもかんたんに思い出すことができる。

 

 

 

 

 

 

夏には新型コロナウイルス陽性。10日間自宅療養になった。朝目覚めとともに「これは明らかに熱がある」と感じられるあの感覚になり、計ると38度超、こりゃやっちゃったかと職場に休みの報告、病院を探すことになった。しだいに熱はあがり、39度くらいにまでなったが、なかなか病院が見つからない。保健所は電話がつながらず、ネット予約の発熱外来をみてもどこもいっぱい、え、これ病院見つかるまでこの熱でずっと起きてなきゃいけないの?と絶望したが、たまたま何度目かに見た病院にキャンセルが出たようで、さっきまで×がついていたところが○になっているのを発見、無事診てもらえたのだった。調べるまでもなく陽性、自宅療養が決定した旨職場に電話、大量の飲み物と食事を買って帰宅した。しかし熱は翌日午後にはほぼ落ち着き、あとは身動きのとれないフリータイムだけが残ることになった。とはいえ、残り1週間ほど動けない時間があるといっても、同じだけ休みがあったなら同様にして家でじっとしている可能性の高いぼくであるから、なんでもなさそうにおもわれる。だが、問題はたぶんそういうことではないのである。1週間休みがあって、たとえば相方の存在がなかったら、たぶんぼくはふつうに家でずっと読書映画筋トレゲームなんだろう。だが、それとこれとはちがうのである。というのは、自宅療養は「外に出なくていい」ではなく、「外に出てはいけない」だからである。選択が制限されたうえでのことなのだ。そこに、微量のストレスは当然加わることにはなる。

その期間をどうしていたかというと、相方と会えないので、ニンテンドースウィッチのヒューマンフォールフラットをオンラインでいっしょにやったりもしたが、彼女には仕事がある。その日中には、いままでどおりのルーティンを強度を上げて行いつつ、高校数学をやっていた。ぼくはもとは数学科にいた理系である。まともに授業には出ないまま中退してしまったので、大学数学についてはほとんど学んでいないが(線形代数だけはなぜか異様にできた)、いちおう、数学は「持ち味」のひとつといっていいのではないかとおもう。もちろんそれは、いまの職場が文系のひとばかりだからこそおもうことでもある。こういうところに理系の思考法があってもいいのではないかな、ということはうっすらおもっていて、それと同時に、なにもかも忘れてしまった、かつては得意だった高校数学をやりなおし、なんなら大学数学にも進んでみようと、こういうふうに考えたのである。統計学などやるにも数学は使うし、きっと意味はあると。

やってみてはじめて、「なにもかも忘れている」がレトリックにならないということを理解し、愕然とした。マジでなんにも覚えてないのである。とりあえず積分をやりなおしたいと考えて、大学への数学の「1対1対応の演習」シリーズの数Ⅲ、微積分のやつを買ってはじめたのだけど、もう、ぜんぜんついていけない。大学への数学このシリーズはポイントをしぼって構成された便利本なので、すでにやっているはずの公式とかは解説もなくぼんぼん使われる、となるとそこでまたわからないところが出てきて、動画など見て確認する・・・みたいなことをずっとくりかえしていたのである。だから最初は極限からじっくりやりなおしたが、あれは、楽しさはあったけど、たいへんな日々だった・・・。数学の習慣はルーティンとまではなっていないが休みの日にはすすめるようにしており、極限と微分だけは終わらせた。そこで大学数学の線形代数の本も手に入れてあったのを読んでみたが、やはりちんぷんかんぷんだったので、今度は数Bのものを買って、ベクトルをやりなおしているところである。ベクトルは数学のなかではいちばん好きだったので、わりとぽんぽん進んでいる。

 

 

 

 

 

それから、この数学をはじめる前だったか後だったか覚えていないが、関連してYoutubeの学習系チャンネルを延々と見たりもしていた。数学の基本的なことに関してつまずいたときには、家庭教師のトライの映像授業、トライイットを参照した。で、このチャンネルが数学に限らないあらゆる科目の授業を配信しているとわかり、世界史とか地理とか、これまでスルーしてきた感じのやつをメインに、数学や読書に疲れたときに観るようにしていた。コロナで動けないひとにはとりあえずおすすめです。

 

基本的に休みには映画を観にいっていたので、お出かけ的なことは刃牙展以外特にないまま過ごしてきたが、12月には銀座と鎌倉に出かけた。15日、JUNK FOOD OPERAのクオッカちゃんの展示を観に銀座ロフトへ。展示といっても、フロアの片隅を借りた小さなものだが、目当てはグッズである。ぼくもかわいいポーチとかたくさん買った。

銀座に行くのはおそらく人生ではじめてとおもわれたので、そうとうに疲れるだろうなと覚悟していたのだが、調べてみたら位置的にはほとんど有楽町と変わらず、ということは東京宝塚劇場に行くのと同じだった。となれば土地の風土というか、そこにいるひとたちの雰囲気も大差ないということである。正直言って渋谷とかのほうがぜんぜん疲れるし、むしろ銀座は居心地がいいように感じた。たぶん、大人の街ということなのだろう。帰りに三省堂をのぞくために入った東京交通会館は、昭和の残り香に胸がキュンとする、たいへん美しい建物だった。子どものころ乗ったフェリーの内装みたいな床の模様やフロア案内、お店の看板のフォントや階段の設計の感じなど、初めてきたのにすべてが懐かしかった。また行きたい。

そして、つい先日のはなしだが、29日には鎌倉にいって、鶴岡八幡宮と鎌倉大仏を拝んできた。詳細は記事へ。

 

 

 

 

 

こうしたわけで、年半ばに大型のやらかしとコロナがあったものの、だいたいのところ健全で、実りある1年となったとおもう。来年はさらに「モノを知らない」を脱し、持ち味を生かしつつ、不注意を減らしていきたい。映画もたくさん観るぞ! みなさんも1年間お疲れさまでした。よいお年をお迎えくださいませ。

 

 

 

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