すっぴんマスター2022‐読書 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

今年は藤田祐樹『ハトはなぜ首を振って歩くのか』から宇野千代『雨の音』まで17冊の本を読んだ。去年が22冊、病みに病みまくってまったく本が読めなかった2019年の15冊とほぼ同じになった。

しかしとはいえ今年はいろいろ手応えを感じられもした。まず、この17冊には英語の本が含まれている。『Eleanor&Park』である。3年くらい時間をかけているし、そもそもYAあつかいの易しい英語なので、とりたてていうようなこともないのだが、紙にせよ電子にせよ、これまでは洋書を買ってもぜんぜん読みきれなかったのだ。調べたら2011年の不思議の国のアリス以来である。

それから、去年と同じく、電子書籍で青空文庫もたくさん読んできた。明治時代の短めの小説や随筆がメインで、物語不足はここで補うことができた。去年は通勤時間がけっこうあったので、そこで電子での読書が習慣づき、今年は勤務先が家に近くなったぶん通勤時間が短くなり、以前より読まなくなったものの、その習慣は生きていたという感じである。

青空文庫に限らず、電子での読書をけっこうしてきたなという印象もある。ここでいう青空文庫は、キンドルで読んできた。それと並行して、おもに安売りなどのタイミングを狙って、いろいろ買いだめもしているのだ。ぼくのものを知らない問題に対応するためにビジネス書的なものにも食指を動かしてきたが、振り返ってみるとちゃんと読みきったものは『サクッとわかるビジネス教養 地政学』だけか。この手のものはバカにされがちだが、ともかく一般常識、一般教養的なものに欠ける人間なので、いろいろなことを網羅的に学びたかったのである。最後に読んだことになる『雨の音』も、講談社のセールで手に入れた電子書籍だった(講談社の学術や文芸はときどきこういう、どうかしてるとしかおもえないセールをアマゾンで行うので、注意してみているといいですよ)。宇野千代は中毒性の高い文体で、いつかしっかり読みたいとおもっていたので、衝動買いしたのである。ほかにもたくさん買ったのだが、まだぜんぜん読めてない。本田済『易学 成立と展開』は、おもしろいのだけど、電子で買うべきではなかったと後悔している。八卦や六爻など、表を見て理解しなければならないものが、紙ならばすぐに到達できる表のページを、電子では探し出すのにかなり手間がかかるのである。おもしろいのになあ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年最大の達成は、映画の記事にも少し書いたが、「読んだけど記事を書かない」ができた、できただけでなく、習慣レベルに落とし込むことができたということである。

あちこちでくりかえし書いてきたように、ぼくはそもそもこのブログを訓練のために開設した。ひとつには、書いたものに自信がなくともとにかく公開する、誰でも読むことのできる場所に置く、そうすることで、当時欠けていた(と自己分析した)文章の緊張感を得ようとしたのである。また、職業的な文章力をつけるために、「読んだものについて必ず文章にする」ということも実行してきた。おもしろかったのかつまらなかったのか、そういう電気刺激的な、感情の痙攣みたいなことは、この文脈ではどうでもよかった。もしそれがつまらなかったり理解できなかったりしたら、むしろ腕が鳴る、そのくらいになりたいと考えたわけである。そしてそれは、予想した以上の効果をあげたとおもう。まあ、その「効果」のほどは読者のみなさんが判断することなので、あまり言及しないが、意味はあった。そして、ぼくにはよくあることで、そうして極端に走った結果、期待していない効果も呼び込むことになった。もともと読むのが遅かったぼくが、もはや読書家とは名乗れないほどの読書量になってしまったのである。書いた本人が読むかもしれない、その作品の専門家が読むかもしれない、そういう緊張感を求めて書いているのだから、当然精読することになる。てきとうなことは書けないからだ。しかしそのぼくが求めた緊張感と読書量は反比例することになったというわけである。かくして、いつしかぼくは、「読んだけど書かない」を実行しなければ、と願うようになった。だが、それはなかなか実現しなかった。いいことなのかわるいことなのか、いつのまにかどうしても書かずにおれず、そのままにしておくと気持ち悪くてしかたない、そういうふうになってしまっていたのである。

だが今年はそれがナチュラルにできた。たぶん電子書籍の読み捨てのような感覚が根付いたおかげだろう。読み終えてすぐそれを忘れるということが、自然にできるようになったのである。じっさい、読んでからなにも書かなかったものは電子が多い。『雨の音』や地政学の本もそうだ。ほかには、高橋昌一郎監修の『認知バイアス事典』や、カール・シュミットの『陸と海』などが該当する。この『認知バイアス事典』なんかはめちゃくちゃおもしろくておすすめなんだけど、たんにおすすめするだけなら、書評の体裁で構える必要もなく、いまそうしているように、おすすめですといえば済むことでもある。必要ならそういうライトな記事をどんどん立てるようにしていけばよいのである。(ちなみに認知バイアス事典は第二弾も出ており、既に購入済み)

 

 

 

 

 

 

 

 

読書には乱読と精読の時期がそれぞれに必要だというのが持論だ。特に若いころ、二十歳くらいまでは、わけもわからずたくさん読んでいることが望ましい。じぶんがいままで読み損ねているから例に出すのだが、『カラマーゾフの兄弟』を高校生が完全に理解する必要なんてない。しかし、とりあえず読んでおく。わからないところは飛ばす、そういう時期が最初に必要なのだ。それが、精読の体力を育む。そしてやってきた精読の時期に、思考力や文章力、分析力を高めていく。が、このはなしでいえば、きっとある段階で躓きがやってくるのである。それがおそらくいまなのだ。これからしばらくは乱読の時代をすごしたいとおもう。といっても、読むのが遅いのは変わらないとおもうが。

 

「ものを知らない問題」に関して言えば、出口汪『早わかり文学史』や丸谷才一『日本文学史早わかり』などがよかった。出口先生のほうは明治以降の近代をあつかった受験生向けの本だが、読み物としてのおもしろさもじゅうぶんである。特に森鷗外について熱い口調がすばらしかった。丸谷才一は題名がもたらす印象からははるかに遠い、ふつうに文芸批評な作品だったが、これもおもしろかった。

 

通勤時の読書ではネットで読める論文や論説を拾って、キンドルや、なんだかわからないがスマホの「ブック」という機能に収めて読むようなこともかなりやっていた。読んだら消しちゃうけど、覚えている範囲では、藤井一亮「公民教育研究」、岡成玄太「裁判官の私知利用の禁止」、渡辺千原「法を支える事実」などを読んだ。私知利用と立法事実のはなしは興味として連続しており、来年も引き続き(通勤時に)研究していく。

 

さて、小説と評論、それぞれに今年いちのものを毎年決めているわけで、2022年はどうしようかというと、小説は白井智之『人間の顔は食べづらい』、評論では風間賢二『怪異猟奇ミステリー全史』ということにする。白井智之は今年唯一の「発見」だったかもしれない。もともとは、飴村行の粘膜シリーズに終わりが見えてきて、それがさびしくて探し出した悪趣味作家である。これでしばらくは大丈夫そう。そしてその白井智之をそもそも紹介してくれたのが『怪異猟奇ミステリー全史』だったというわけである。もともとは、地政学や文学史の本同様、広い知識を身につけるために手に取ったはずである。ミステリはどちらかといえば得意な分野だが、こういう人間なので、すべての知識がふわっとしている。そこで、得意ならもっとその強度をあげようとしたわけだが、そんな次元の本ではなかった。博覧強記の風間先生が怪奇系ミステリを中心に文学史を語りつくす、知的興奮不可避のとてつもない一冊である。本が好きなひとはぜったいに読んでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

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